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『四月になれば彼女は』あらすじネタバレ解説|感想|川村元気【映画原作小説】

川村元気『四月になれば彼女は』を読みました。

結婚を控えた主人公に、かつての恋人から手紙が届く。物語の導入から察せられるように、これは恋愛小説の類です。

ただし、あなたが想像するような(そしてわたしが想像していたような)恋愛小説ではありません。

解説であさのあつこさんは警告しています。

“騙されてはいけない。これは切ない喪失と再生の物語などと思ってはいけない”

同じく解説より↓

“すてきな恋をしたいと願う人は、すてきな恋をしていると公言できる人は、誰かが愛して、幸せにしてくれると信じている人は、この本を読まない方がいいと思う”

愛とはなにか? きれいごとでお茶を濁さない答えが、この物語では描かれています。

今回は小説『四月になれば彼女は』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。

ぱんだ
ぱんだ
いってみよう!

あらすじ

4月、精神科医の藤代のもとに、初めての恋人・ハルから手紙が届いた。

だが藤代は1年後に結婚を決めていた。

愛しているのかわからない恋人・弥生と。

失った恋に翻弄される12か月がはじまる。

――なぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去ってしまうのか。

川村元気が挑む、恋愛なき時代における異形の恋愛小説。

(文庫裏表紙のあらすじより)

伊予田春

ハルこと伊予田春との出会いは、大学の写真部でした。

当時、藤代は医学部の三年生。春は文学部の一年生。

四月に出会った二人は、二か月ほどのお友達期間を経てつき合い始めます。

「藤代さんのことが、好きです」「僕も、ハルのことが好きだ」

お互いにとって、はじめての恋人でした。

恋をしている間は世界がきらきらと輝いて見えます。ふたりは心から幸せでした。

ぱんだ
ぱんだ
青春だね

しかし、九月の事件によって二人の関係は終わりを迎えます。

終わりの始まりは、ハルからかかってきた尋常ならざる電話でした。

『助けて。大島さんが死んじゃう』

大島は写真部のOBです。灰色の髪をした彼には人を惹きつける魅力があり、男女問わず写真部のみんなから慕われていました。

大島は繊細な男でした。大学卒業後に就職したものの、心の均衡を崩して退職し、一時期はなにも手につかなかったのだといいます。

その頃の大島を支えていたのは、学生時代からつきあっていた彼女でした。やがて大島はなにもかも諦めることにより吹っ切れます。

大島は自由に生きるようになり、恋人と結婚しました。

……という前提を踏まえて、本題に戻ります。

大島はハルのことが好きでした。

ぱんだ
ぱんだ
えっ

現実的にどうこうしようというのではなく、本人でさえも戸惑っているようでしたが、とにかくハルに惹かれていました。

「ハルちゃんといると、心が動き続けるんだ。生まれてきてからいままでずっと、自分と彼女が同じ場所からこの世界を見てきたような気がしてね」

それから大島とハルの間になにがあったのかはわかりません。

『助けて。大島さんが死んじゃう』電話を受けて駆けつけた藤代の目に映ったのは、ホテルのベッドの上で昏睡している大島の姿と、空になったピルケース、そして放心状態のハルでした。

救急隊が部屋に飛び込んできて、大島を担架に乗せて運び出していきます。通報が早かったこともあり、彼は一命をとりとめました。

写真部を代表して見舞いに訪れた藤代とハルに、大島の妻が言います。

「あの人は、何度かこういうことをしています。(中略)だから伊予田さん、どうか気にしないでください。あの人は、いつも死に追いかけられているんです。どのみち、こうなったんです」

くり返しになりますが、大島とハルの間になにがあったのかはわかりません。

ただ、大島の妻にはすべてわかっているようでした。そして、彼女はふたりを病室に入れようとはしませんでした。

そうして、藤代とハルが病院で帰りのバスを待っていると……

※以下、小説より一部抜粋

…………

背後から大きな足音が聞こえた。思わず振り返る。大島が階段を降り、廊下を駆けてきた。

妻を振りきってきたのだろうか。寝巻きが乱れ、息が切れていた。

ハルちゃん! 震えた声で叫んだ。

ハルがドアを開け病院を飛び出した。ハルちゃん! ハルちゃん! 絞り出すように大島が叫び続ける。

ハルは無人の駐車場を抜け、どしゃぶりの雨のなかを走っていく。藤代はロビーに立ち尽くす大島の顔を見る。

紫色に変色した唇。小刻みに震えながらも、それはまだハルの名を呼ぼうとかすかに動いていた。

藤代はパーカーのフードをかぶり、雨のなかに飛び込んだ。

(中略)

ハルが、遥か先の歩道橋から藤代を見ていた。白く小さい顔が歪んでいるのがわかった。

藤代はただ、その白さを呆然と見ていた。声が出なかった。

もう間に合わない。彼女の顔を見つめながら思った。もうハルに追いつくことはできない。

藤代は立ちつくしたまま、雨のなかにゆっくりと消えていく彼女の後ろ姿を見送った。

 

その日を境に、藤代は写真部に行かなくなった。

ハルもそうだと、ペンタックス(友人)が教えてくれた。お互いの家にも行くことはなくなった。メールのやり取りも。

ただ、アパートの部屋に残されたハルの靴下やハブラシだけが、ふたりがかつて共に過ごしていたことを静かに語っていた。

ハルからは一度だけ電話があった。

「最後に会いたい」と留守電にメッセージが入っていた。

けれども、藤代が連絡をすることはなかった。

なにごともなかったかのように、やり直せたのかもしれない。だがどうしても、電話をかけることができなかった。

藤代は、逃げるようにハルと別れた。


坂本弥生

ハルとの別れから九年後、藤代は大学病院に勤める精神科医になっていました。

いま、彼には婚約者がいます。

坂本弥生。職業は獣医。

藤代にとってはハルと別れてからはじめて心から好きになれた相手でした。

出会いは三年前。当時、弥生には婚約者がいたのですが、婚約を破棄して藤代を選んでいます。なかなかの大恋愛だったと言えるでしょう。

結婚を一年後に控えたいま、生活にはなんの問題もありません。

タワーマンションでの暮らしは余裕と落ち着きに満ちています。ふたりは多忙ながらも一緒に映画を観たり、ワインを飲んだり、そうした時間を大切にしていました。

まさに理想的な恋人関係です。

……と、まるで非の打ちどころのないカップルのように二人の現在をお伝えしてきましたが、実をいえばなにもかもすべて順調というわけでもありません。

かれこれ二年、藤代と弥生はベッドをともにしていないのです。

長く付き合った男女がレスになることは別に珍しくもなんともないでしょう。だから、それ自体が問題だと指摘するつもりはありません。

問題は、愛とはなんなのか、ということです。

ぱんだ
ぱんだ
なんか言いだしたよ

永遠に続く愛はない、と作中では断言されています。

誰かを愛しているという感情は一瞬のものでしかありません。

愛やら恋やらには明確なピークがあって、そこをすぎれば冷めていく一方です。

三年前、藤代は確かに弥生のことを愛していました。

彼女が婚約を破棄した直後などは、三日三晩交わり続けたほどです。

しかし、いま、藤代は弥生のことを愛しているのか、自分でもわかりません。

わからないままに、結婚式の準備だけが着々と進んでいました。

“愛を終わらせない方法はひとつしかない。それは手に入れないことだ。決して自分のものにならないものしか、永遠に愛することはできない”

手紙

ハルからの手紙が届いたのは、仕事と結婚式の準備に追われていたある日のことです。

『九年ぶりです。伝えたいことがあって、手紙を書いています』

藤代にとってハルはいまも忘れえない初恋の思い出です。

婚約者への愛を見失っているタイミングで届いた、かつての恋人からの手紙。やけぼっくいに火がつくのかと勘繰りたくなるところですね。

しかし、読者(というかわたし)の邪推は外れます。

手紙の内容は、ハルが滞在している海外の景色を伝えるものでした。

『いまわたしは、ボリビアのウユニにいます』

空を鏡写しにする塩湖。湖に囲まれた塩のホテル。

手紙からはボリビアの美しい風景が伝わってきました。その一方で、ハルが伝えたいことというのはいまいちわかりません。

結局、『また手紙を書きます』という一文で手紙は締めくくられてしまいます。

ぱんだ
ぱんだ
ふーむ

それからはおよそ三か月に一度のペースで手紙が届くようになりました。

七月の手紙はチェコのプラハから。

十月の手紙はアイスランドのレイキャビクから。

いずれの手紙にも幻想的なまでに美しい海外の風景が綴られていました。

けれど、やはり肝心なことはわからないままです。

ハルはどうして藤代に手紙を書いているのでしょうか? 彼女の伝えたかったこととは?

いいえ、疑問はそれだけではありません。そもそもハルが世界中を飛び回っていることにもなんらかの意味があるような気がします。

ハルの思惑とは? 真相は物語の終盤で明かされます。

<すぐ下のネタバレにつづく>


ネタバレ

藤代の日常はあっけなく崩れ去ります。

結婚式の足音が近づいてきた十二月、弥生が家出をしたのです。それも本格的なやつを。

“弥生が帰ってこなくなってから、一週間が経っていた”

弥生がどこにいるのかはまったくの不明です。実家や妹のところにもいません。

藤代は最近の弥生の様子を思い出します。

いつものように家で映画を観ていたある日、弥生は涙を流していました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

なにが悲しいのか。藤代には、その気持ちを読み取ることができなかった。

ただ呆然と、薄茶色の瞳から涙が溢れ流れていくのを見ていた。なにかをしなければと思った。

けれども彼女を抱きしめることも、肩に手を添えることさえできなかった。

「私たちが部屋ではじめて一緒に観た映画、覚えてる?」

「なんだろう。覚えてないや」

「藤代くんの家で一緒に観たじゃない」

「そうだったかな?」

「あのとき、なに考えてたの?」

「どうだろう。ごめん……思い出せない」

「じゃあ藤代くん……いまなにを考えてる?」

弥生は涙を拭うことなく、映画のなかで光る窓たちに目をやる。その曖昧な輪郭を見つめている。

「なにをって?」

藤代は答える。声が震えていたかもしれない。

弥生の涙を見るのは、これが二度目だった。

「いま、楽しい?」

「ああ」

「ここにいて良かったと思える?」

「もちろん」

「そう……」弥生はようやく涙を拭い、そして藤代を見て言った。

「でも藤代くんは、まるで幸せじゃないみたい」

藤代は言葉を失い、窓の外を見た。

自業自得

こんなことになってしまった原因は、藤代と弥生、どちらにあったのでしょうか。

それはきっとどちらか一方のせいではありません。

弥生が結婚から逃げ出すのは、これで三度目でした。藤代と付き合うときもそうでしたし、大学時代の彼氏ともそうだったのだと妹は言います。

一方で、そこまで弥生を追いつめていたのは藤代です。

藤代は生来の性質として、他人にいまいち関心がないというか、愛や幸せといった概念に白けているような節がありました。

事実、彼はいまこう思っています。

“弥生を失うかもしれない絶望も、彼女を切実に求める気持ちも、心のあらゆる場所を探してみても見つからない”

くり返しになりますが、藤代は確かに弥生を愛していました。

それから藤代の愛が失われるような何らかの事件があったわけでもありません。

ただ、愛はいつのまにかその痕跡だけを残して煙のように消えていました。

その現象を指して「愛が情に変わった」とか「家族になった」とか訳知り顔で言う人もいます。

しかし、その段階に至った男女は本当に幸せなのでしょうか?

弥生の妹は言います。

「おねえちゃん、やっぱり無理してたんだと思いますよ。理性でいろいろコントロールしていても、いつか体がそれに追いつかなくなるから」

※以下、小説より一部抜粋

…………

(妹)は廊下の奥を見つめながら言う。藤代はその視線の先を追う。

藤代の部屋と弥生の部屋。それぞれの寝室のドアがふたつ並んでいる。

「頭は体に敵わない?」

「おねえちゃんは、おにいさんがなにを考えているのか、きっとわからなくなってたんですよ」

藤代は純に誘惑されて、一線を越えかけたことがありました。未遂でしたが、弥生はすべて知っていたはずだと純は言います。


弥生からの手紙

※以下、小説より一部抜粋

東京から遠く離れた場所で、この手紙を書いています。

見知らぬ街の賑やかな道を歩きながら、私はあのときの気持ちを思い出していました。

あなたと結婚すると、決めた日のことを。

 

あれは、暑い夏の日でした。

商店街では夏祭りが開かれていて、屋台が並び、人で溢れかえっていました。

夕食の食材を買い、私たちがゆっくりと歩いていると、紫色の夜空に小さな花火が上がった。

花火って不思議だよな……。

二度、三度と打ち上がる花火を見ながら、あなたは言いました。どんな形だったのか、どんな色だったのか、ほとんど覚えていないんだ。

でも、誰と一緒に観て、なにを感じていたのか。それを美しいと思う気持ちだけが、鮮やかに残っている。

そう言って、嬉しそうに笑ったのです。

 

それからしばらくのあいだ、あなたは人ごみのなかで立ち尽くし、花火を見上げていました。私はその横顔をじっと見つめていた。

するとあなたは私の方を見て、僕と結婚して欲しいと告げました。

野菜が入って膨らんだビニール袋を両手に持ちながら、ずっとそばにいて欲しいと言ったのです。

あのとき、私とあなたはお互いの愛情に触れることができた。

幸せだという気持ちを、共にしていたはずだった。

 

この街にいると、すべてのものから置いてきぼりにされたような気持ちになります。

私という人間が、この世界から必要とされていないように感じます。

でも、ひとりでいるときの孤独はまだ耐えられる。

 

かつて私たちのあいだにあったものと、いま失ってしまったもの。

 

私たちは愛することをさぼった。面倒くさがった。

些細な気持ちを積み重ね、重ね合わせていくことを怠った。

このまま、私たちが一緒にいることはできない。

私は失ったものを、取り戻したいと思っています。

たとえそれが、カケラだとしても。

坂本弥生


ハルの真実

二月。藤代はハルの真実を知ります。

結論からいえば、ハルは亡くなっていました。末期がんだったのです。

ぱんだ
ぱんだ
えっ……え?

その日、藤代はハルが最後の時間を過ごした場所を訪れていました。

小さな駅から十分ほど海辺の道を走ったところにある大きな一軒家。庭には色とりどりの花が美しく咲き、玄関では二匹の三毛猫が出迎えてくれます。

「ここに来た多くの人が長くはないんです。だから、私はたくさんの死を見てきました。ハルちゃんは、ここの人たちをいつも励ましながら写真を撮ってくれて。みんな彼女の写真を遺影に使うって言うんです。どうしてだろう、自分でも見たことがない笑顔を撮ってくれるんだって」

そう語ってくれたのは連絡をくれた中河医師です。

彼女の説明を裏づけるように、食堂の壁一面には白黒のポートレイトが貼られていました。

はにかみながら笑う老齢の男性、静かに微笑む美しい女性、破顔したまま涙を流している青年。

「ハルちゃんは、最後に旅に行けてよかった」

ハルは薬を飲みながら夢のような景色に出会う旅を続けていました。

三通目、アイスランドからの手紙に「高熱が出た」という一節があったことを、藤代は思い出します。

旅から帰ってきたハルを待っていたのは、壮絶な苦しみでした。

「生きることと死ぬことのあいだには、耐え難い痛みがある。いつもそう思っていたけれど、それでも正視することができないくらい、ハルちゃんはもがき苦しんでいた。なるべく意識をしっかり保ちたいと、痛み止めもあまり使いたがらなかった」

言葉を失う藤代に、中河医師は言います。

「でもハルちゃん、最後はあるべき姿で逝くことができた」

※以下、小説より一部抜粋。静かな海を前にした藤代と中河医師の会話です。

…………

「……ハルは、なにをしたんですか?」

「ある朝、私が病室に行くとハルちゃんは大きなフィルムのカメラを手にしていました。海に行きたいと、彼女は言ったの。その頃のハルちゃんは、痛み止めで朦朧としていたし、歩くこともろくにできなかった。それでもどうしても行きたいと、震える手でベッドの端を掴み、何度も起き上がろうとした。私は急いで車椅子を持ってきて、彼女を乗せて海に向かいました」

防波堤の突端にいる釣り人の影が大きく動く。大きな魚がかかったのだろうか。釣竿が弓のようにしなっている。

「防波堤の先までやってくると、ハルちゃんはカメラを携え、レンズを水平線へと向けた。力の入らないその手で必死にカメラを支えながら、彼女はこの海を撮り続けていました」

灰色の孤独な海。これが、ハルが最後に見ていた景色。

そう思うと、胸が詰まり、息ができなくなりそうだった。

「……ハルは、海が好きでした。ふたりでインド旅行に行ったんです。カニャークマリというインドの南の端にある小さな町です。そこでも彼女は毎日、海を見ていました」

(中略)

「雲のなかに隠れた朝日を見つめながら、ハルちゃんは私に言ったんです」

「なんて言ったんですか?」

「わたし、どうやら間に合わなかったみたいです、と」

あのとき、僕たちは間に合わなかった。

波が打ち寄せるように、忘れていた光景が迫ってくる。円形の窓から見える銀色の翼。

いつかまた見に来ようね。インドから帰る飛行機のなか、狭いシートでブランケットにくるまりながら海を見下ろしていたハルがささやいた。

そうだねいつか必ず、と藤代は答えた。

「僕たちは、カニャークマリの朝日を見逃してしまった。どうしても間に合わなかった。ハルと約束したんです。いつか見にいこうって。いつでもまた見ることができると思っていたんです」

「その日の午後、彼女は亡くなったの。夕食の時間になり、部屋に呼びにいったら、眠るように死んでいた」

中河はカバンから一台のカメラを取り出した。

これはきっとあなたに渡すべきだと思って、と彼女は言った。

ハルの大きなマニュアルカメラ。受け取ると、ずしりと重く、その重さが、彼女とともにいた日々そのもののように感じた。

別れ際、今日は来てくれてありがとうと、中河は笑った。

「あなたと話せてよかった。これでやっと、ハルちゃんのことを少しずつ思い出にしていくことができる」

そう言うと、笑顔のまま、目尻に溜まった涙を細い指で拭った。


最後の手紙

帰宅した藤代は弥生の寝室のドアを開けます。

二年ぶりに弥生のベッドに横たわると、かすかに親しんだ匂いがしました。

『四月になれば彼女は』サイモン&ガーファンクルの曲の一節が頭をよぎります。

“九月、僕は忘れない。生まれたばかりの愛も、やがて移ろい過ぎてゆくってことを”

ふと後頭部になにかを感じ、枕元を見ると、一通の手紙が封を切られて置かれていました。

それは知らぬ間に届いていた、ハルからの四通目の手紙でした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

フジへ

わたしはいま、海のそばにある病院にいます。

ここは、最期のひとときを過ごすためにある場所です。

 

死ぬかもしれない。

そう思ったとき、わたしは旅に出ました。

ウユニの天空の鏡、プラハの大きな時計、アイスランドの黒い砂の海。

見たかった景色をぜんぶ見て、そこで感じたことを写真に撮りたいと思いました。

 

最後に行く場所は、決めていました。

インドのカニャークマリ。

フジと見ることができなかった朝日を、見にいこうと思っていました。

わたしが感じた朝日を写真に撮って、フジに見せてあげたかった。

でも、またしても間に合わなかったようです。

(中略)

フジのことがいまでも好きか、正直よくわからないのです。

なぜ手紙を送ろうと思ったのかも。

でもいま、最後の手紙を書きながら気づきました。

わたしは、わたしに会いたかった。

あなたのことが好きだった頃のわたしに。

あのまっすぐな気持ちでいられた頃の自分に会いたくて、手紙を書いていたのです。

 

わたしは愛したときに、はじめて愛された。

それはまるで、日食のようでした。

「わたしの愛」と「あなたの愛」が等しく重なっていたときは、ほんの一瞬。

避けがたく今日の愛から、明日の愛へと変わっていく。

けれども、その一瞬を共有できたふたりだけが、愛が変わっていく事に寄り添っていけるのだと思う。

 

さようなら。

いまフジが愛する人がいて、その人がフジのことを愛してくれることを願っています。

たとえそれが一瞬だとしても、その気持ちを共にしたひとりの人間として。

伊予田春


結末

弥生の寝室でハルの手紙を見つけた藤代は、長い夢からようやく目覚めた気がしました。

ハルがもうこの世にいないこと。

弥生を失いかけていること。

そのすべてが現実なのだと、あらためて実感します。

十年前、藤代は心から好きだったはずのハルを追いかけることができませんでした。

そしてまた繰り返そうとしています。愛する人を諦めようとしている。

三月の終わりに彼は、日本から旅立ちました。

ぱんだ
ぱんだ
お?

暦が四月にかわるころ、藤代はインドのカニャークマリに到着します。

時刻は夜明け前。疲れた体を引きずって海辺へと向かう藤代の目的は、もちろん朝日を見ることです。

海岸は人で埋め尽くされていました。薄暗い砂浜に、数千の人影が見えます。

やがて、その時は訪れました。

水平線から滲むように昇る朝日。群衆からは地が揺れるような声が湧き上がります。

ふと、誰かに呼ばれたような気がしました。

波打ち際を見ると、色とりどりのサリーを着た女性たちに紛れ、ひとりで朝日を見つめている彼女がいました。

「弥生!」

※以下、小説より一部抜粋

…………

藤代は、その名を呼んだ。けれども激しく打ち寄せる波の音に、声がかき消される。

朝日に向かって手を合わせる群衆の合間を縫い、スーツケースを引きずりながら弥生のもとへと近づく。息が切れ、額から汗が滴り落ちる。

もう一度彼女の名前を叫ぼうとした。だがその声は弱々しく震え、言葉にならなかった。

自分の目から涙が溢れていることに、そのとき気づいた。

大学から地下鉄の駅までの狭い道を弥生と寄り添って歩きながら、彼女とこれからもずっと一緒にいる気がしていた。商店街で花火を見ながら弥生に告げたとき、私もいま同じことを思っていたと彼女は言った。

月と太陽が重なる、一瞬の奇跡。愛する気持ちが重なった、日食のような瞬間がよみがえってくる。

わたしは愛したときに、はじめて愛された。

生きている限り、愛は離れていく。避けがたく、そのときは訪れる。けれども、その愛の瞬間が、いまある生に輪郭を与えてくれる。

わかりあえないふたりが一緒にいる。その手を握り、抱きしめようとする。

失ったものを取り戻すことはできないのだとしても、まだふたりのあいだに残っていると信じることができるもの、そのカケラをひとつひとつ拾い集める。

また、弥生とあたたかいコーヒーを飲もうと思った。

あのリビングで。彼女が掃除機をかけるのを横目で見ながら皿を洗う。朝起きて、おはようと言う。いまなにをしているのだろうか。仕事をしながら、彼女のことをふと想う。ドアを開け、ただいまと言う。おかえり、という声が聞こえる。

一日の終わり。眠る前におやすみと言って、一緒のベッドで眠る。

漫然と続く日常のなかで、愛をつないで生きていく。

弥生がこちらを見た。その薄茶色の瞳で、藤代を見つめている。

走り出していた。

砂に搦め捕られたスーツケースを投げ捨てる。過去でも未来でもない。いま、彼女に向けて走っていた。

滲む視界の先に広がる群衆が朝日を受けて、黄金色に光っている。太陽はじわりじわりと天空へと昇り、海岸をオレンジ色に染めていく。

 

あたたかな風が吹いてきた。

野の花が、弥生の足元で咲いている。日差しは優しく、ふたりを包み込んでいる。いつのまにか、春がやってきていた。

藤代は群衆をかき分け、弥生のもとへと走る。

四月の朝日に照らされた、彼女を迎えにいく。

<おわり>

ぱんだ
ぱんだ
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感想

このラストだけはいただけない、というのが読後の率直な感想でした。

全体的には好きな作品だっただけに、最後の最後でぜんぶ台無しにされたような気分でした。

わたしがそう思った理由と、(ラストを除く)作品の好きだったところについて書いていきたいと思います。

ぱんだ
ぱんだ
お、おう

ラストシーン。藤代は異国の地で弥生と奇跡的な再会を果たし、愛を取り戻そうと走り出します。

きっかけは亡きハルからの手紙でした。十年前の失敗を繰り返さぬよう、今度こそ愛を失わぬよう、荷物をかなぐり捨てて走る藤代の姿は「白けていた」それまでの日常とは打って変わって情熱的です。

カニャークマリの朝日という舞台装置もあいまって、美しく感動的な結末だといえるでしょう。

しかし、わたしは物申さずにはいられません。

あまりにご都合主義がすぎるのではないか、と。

いやいや、みなまで言わないでください。わかります。物語なんだから多少の奇跡くらい起きてもいいだろう、とわたしだって思います。

非現実的な展開が描かれているからこそ物語はおもしろいのだと、その意見にも同意します。

しかし、この作品は例外です。

なぜなら、限りなく現実に沿った恋愛観こそがこの物語の魅力だからです。

作中からひとつ、短い場面を紹介します。

藤代と友人の会話です。

…………

(ハルについて)手紙なんて古風な子ですね。最後に書いたのはいつだっけな……そういう丁寧なやりとり、久しくしてないですよ。純愛ってやつですか?」

「まあ恋愛小説みたいな話にはならないよ」

「そうでしょうね。悲しいけどそういうストーリーって、現実の恋愛にほとんど関係ないから」

「昔は恋愛なんていつでもできると思ってたんだけどな。いまとなれば、それが物語のなかにしかなかったということに気づいたわけで」

(中略)

「でもさ、フジさん。人間ってのは本当に怖いですよ。憎んでいる人より、そばにいて愛してくれる人を容赦なく傷つけるんだから。物語のなかで愛を感じることができても、そばにいる人はうまく愛せない」

…………

印象的な場面でした。物語の登場人物でありながら、彼らは「現実の恋愛は物語のようにはいかない」と語っています。

いつか物語のような恋がしたい、と心に秘めている乙女が読めばさぞがっかりするであろうセリフです。

解説・あさのあつこさんの警告が思い出されます。

“すてきな恋をしたいと願う人は、すてきな恋をしていると公言できる人は、誰かが愛して、幸せにしてくれると信じている人は、この本を読まない方がいいと思う”

一例では不足のように感じられるので、もう少しわたしが好きだった場面を紹介させてください。

藤代の職場の後輩に、奈々という精神科医がいます。

彼女が語る恋愛観は特に切れ味が鋭くて好きでした。

以下、藤代と奈々の会話です。

…………

「多くの人が恋に落ちるとかセックスをすることと、愛するということを混同しています。ただ頭に血が上った状態でしかないのに、それが愛の強さだと思い込んでいる」

「でも僕たちの社会においては、男と女は恋に落ちて、セックスをして、その先のゴールとして結婚することになっている。それを否定すると、みんな途方に暮れてしまうよ」

「愛情といえばなにもかもが許されるのが嫌なんですよ。愛し合うふたりは無条件で美しくて素晴らしいものだという感じが」

「誰かのことを心から愛している、と思えるのは一瞬だしね」

「その一瞬が永遠に続くはずだ、というのは幻想ですよ。それなのに、男と女が運命的に出会って恋に落ち、一生の伴侶として愛し合うということが前提になっているのがおかしい。誰と結婚しても行き着くところは一緒なんです」

(また別の日の会話)

「誰かの気を引こうとするときには、人はどこまでも優しく魅力的になれるんです。でもそれは一時的なものでしかない。手に入れたあとは、表面的で無責任な優しさに変ってしまう」

「相変わらず厳しいねえ……そうじゃない人もいると思うけど」

「ほとんどの人の目的は愛されることであって、自分から愛することではないんですよ」

それは否定できない、と藤代は苦笑する。

「それに、相手の気持ちにちょっとでも欠けているところがあると、愛情が足りない証拠だと思い込む。男性も女性も、自分の優しい行動や異性に気に入られたいという願望を、本物の愛と混同しているんです」

…………

奈々の厳しい恋愛観は、ある種の真理を含んでいるように思われました。

生々しくて目を背けたくなる恋愛の裏側であり、本質。おそらく恋愛小説に分類されるであろう作品にこんなにも現実を突きつけてくる台詞が登場するのか、と驚きました。

正直、こうしたシニカルなものの見方は嫌いではありません。

わたしは上機嫌でページを繰りつつ、まだ見ぬ結末に思いを馳せました。きっと安直なハッピーエンドにはなるまい、どこか物悲しい、余韻のある幕引きになるのではないか。

ところがどっこい、藤代はカニャークマリで弥生を見つけちゃいます。

弥生はハルからの手紙を読んでいました。彼女がカニャークマリにいることには納得でます。

しかし、ですよ。藤代が現地に到着したその朝に? それもちょうど朝日が昇るタイミングで? 数千人からの人並みの中に弥生を見つけた?

なんという奇跡! なんというご都合主義!

これまで語られてきたシビアな現実はどこにいってしまったのでしょう。

百歩譲って「そんな偶然もあるかもしれない」と自分に言い聞かせたとして、わたしはさらに疑問を呈さずにはいられません。

結末のあとはどうなるというのでしょうか?

藤代はもう二度と同じ過ちを繰り返さない? わたしはそうは思いません。

だって、愛は一瞬の感情でしかないのですから。彼自身がそう言っています。

彼らが無事元の鞘に収まったとしましょう。旅先での高揚が冷め、日常が戻ってきて、じゃあ五年後、藤代と弥生はベッドを共にしているでしょうか?

ぱんだ
ぱんだ
うーん……

いちゃもんがだらだらと長くなってしまいました。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

まとめると「恋愛をドライに描いた雰囲気は好きだったけど、その流れに真っ向から反する結末で残念だった」という感想でした。

あなたはこの本を読んでどんな感想を持ちましたか?

よかったところ、いまいちだったところ、コメントで教えてくれると嬉しいです。

ぱんだ
ぱんだ
待ってるよ!


まとめ

今回は川村元気『四月になれば彼女は』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。

タイトルにもなっているサイモン&ガーファンクルの曲をご存じでしょうか?

“四月にやってきた彼女に僕は恋をした。けれども次第に彼女の心は遠ざかり、やがて去っていく。それでも僕は、あのときの気持ちを忘れない”

物語に当てはめたとき、《彼女》に相当するのはハルのようでもあり、弥生のようでもあります。

四月から三月まで一か月ずつ数えていく構成といい、物語は曲と深くリンクしているように思われました。

 

大人のための恋愛小説。絵本に描かれているつやつやと輝く愛とは似ても似つかない、人ぞれぞれに歪んでいるリアルな愛の在りようがときに心に突き刺さります。

恋も愛も、やがては過ぎ去ってしまう。だとしたら、人はなぜ恋をするのでしょうか? 愛を失ったらどうすればいいのでしょうか?

本作は読者に問いかけるとともに、ひとつの答えを提示しているようでもありました。

 

映画情報

キャスト

未発表(2023年5月現在)

公開日

2024年春公開

ぱんだ
ぱんだ
またね!


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