島本理生『ファーストラヴ』を読みました!
ひと言でこの本を表現するなら「別格」です。
読み終わったあとに
「はいはいもう降参です。島本理生さんの本ぜんぶ読みます」
と思うくらい、すごすぎる小説でした(語彙力……)
今回はそんな『ファーストラヴ』のネタバレをお届けします。
Contents
あらすじ
「動機はそちらで見つけてください」
父親を刺殺した容疑で逮捕された女子大生・聖山環菜の挑発的な台詞が世間をにぎわせていた。
臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々と面会を重ねていくが……。
ネタバレ
あらすじは完全にミステリ小説ですが、実は内容としてはそんなにミステリっぽくはありません。
先にネタバレしてしまうと、
『実は環菜は父親を殺していなかった』
というのが真相(※)です。
※ただし、環菜は裁判で有罪判決を受けます。理由は後述。
ここだけ切り取ってしまうと
「まあ、ありがちなミステリじゃないの?」
と思われるかもしれません。
それに対しては声を大にして言いたいのですが、全然違います!
環菜の事件で重要なのは「事件当日に何が起こったか?」というよりも「環菜はどのような環境で育ってきたか?」ですし、
さらに主人公の由紀もまた胸のうちに《秘密》を抱えています。
- 聖山環菜という人間に何が起こっていたのか?
- 由紀の過去に何があったのか?
2つの《謎》は別々のものでありながら、不思議とリンクしていて……。
事件の概要
事件の概要は次の通り。
- 聖山環菜は当日、女子アナの二次面接を体調不良で途中欠席した
- その後、環菜はホームセンターで包丁を購入
- 父親の職場に行き、女子トイレの個室で胸を刺した
- 血まみれで河川敷を歩いているところを逮捕された
環菜の父親・聖山那雄人(なおと)は著名な画家で、環菜の進路(女子アナ志望)に反対していました。
なので、
『就活に反対されたから父親を殺害した』
というのが犯行動機だろう、と周囲は見立てます。
しかし、そんな動機で父親を手にかけるなんて意味不明ですよね。
由紀は拘置所に足を運び、環菜に直接、犯行動機について尋ねました。
すると……
「動機は自分でもわからないから見つけてほしいくらいです」
と環菜は言います。
動機がわからないとはどういうことか?
由紀は「環菜は本当のことを話していない」と直感し、弁護士の庵野迦葉(あんのかしょう)とともに事件の背景を探り始めるのでした。
登場人物
『ファーストラヴ』では人間関係がめちゃくちゃ重要です。
主要人物と必須情報だけ書き出すので、ぜひチェックしてください。
名前 | 説明 |
真壁由紀 | 臨床心理士 主人公 |
真壁我聞 | 由紀の夫 カメラマン 穏やかな性格 |
庵野迦葉 | 我聞の弟 環菜の弁護士 仕事熱心だけどチャラい |
聖山環菜 | 事件の容疑者 女子大生 美少女 |
聖山那雄人 | 環菜の父親 画家 亭主関白で環菜とは折り合いが悪かった |
この中で特に注目なのは由紀と迦葉の関係です。
ふたりは大学の同期で、『過去に何かあったけどそれを秘密にしている』という節が序盤から見て取れます。
しかも、それはどうやらネガティブな出来事だったようで、由紀が迦葉に
「私たち、本当は協力できるほどお互いのことを許してはいないでしょう?」
なんて言ったりする一幕も……。
とはいえ、ふたりも30代半ばの大人です。
環菜の事件の背景を探るため(表面上は)協力体制を築いて事に当たっていきます。
『由紀と迦葉の過去に何があったのか?』
作中ではこれが環菜の犯行動機と同じくらい(もしくはそれ以上に)気になる謎になっています。
環菜の人物像
由紀は環菜とかかわりのあった人物を訪ねて回り、その人となりを聞き取ります。
その結果、見えてきたのはこんな人物像でした。
- 自分の気持ちを無視して相手の期待に応えようとする
- 精神的に不安定で手首にはリストカットの痕がある
- 誰のことも心からは信用していなかった
特に「相手の期待に応えなければいけない」という思いは強迫観念に近く、異性から肉体関係を求められたときなどは、ほとんど断ったことがなかったといいます。
言い方はアレですが、いわゆる『メンヘラ』の特徴と合致しますね。
由紀は考えました。
『どうして環菜はそんな人間になったのだろう?』
その原因を探るにあたって最も注目しなければならないのは、家庭環境です。
由紀は調査の方向性を「環菜はどのような家庭で育ったのか?」という方向へとシフトしました。
母親の歪み
聖山家の異常さは、環菜が逮捕された後の母親の行動からも見て取れます。
なんと母親は弁護側への協力を拒み、検察側の証人(環菜の敵)として法廷に立つというのです。
「ちゃんと罪を償わせたい」という理由はもっともらしいのですが、ふつうの母親なら娘の刑期が短くなるように動くはずです。
- 世間からの批判を恐れたのか?
- 娘の環菜に敵意があるのか?
由紀はまず環菜の母親・聖山昭菜(あきな)のもとへと向かいました。
◆
由紀が聖山昭菜に抱いた印象は『責任回避』でした。
- 教育に問題はなかった
- 夫はしつけに厳しいところもあったが、娘のためを思ってのことだった
- 娘は昔からわがまま放題で、手のつけようがなかった
母親は一貫して「ぜんぶ娘のせいだ」と主張します。
それでいて、母親は娘の手首の傷を見ていながら、それが自傷によるものだと気づいていませんでした。
「手首の傷? 知ってますよ。鶏に襲われて怪我したときのものでしょう」
環菜が苦し紛れについた嘘を、母親は鵜呑みにしていたのです。
それほどまでに娘に興味(愛情)がなかったのか、と由紀は愕然とします。
その後の情報収集により、ぼんやりと見えてきた聖山昭菜の人物像。
それは『夫の機嫌を取り、夫に従うだけの存在』というものでした。
彼女にとっては夫の命令が絶対であり、娘の環菜にも聖山那雄人の従順な奴隷であることを強いていました。
父親の歪み
聖山那雄人は別に環菜に対して直接的な危害を加えてはいませんでした。
- 家庭内暴力
- 性的な暴行
これらよって家庭が荒んでいたというわけではありません。
むしろ、聖山家の闇はよりおぞましいものでした。
◆
まず、聖山那雄人と環菜は血のつながった父娘ではありません。
環菜の実の父親は、那雄人と別れていた時に昭菜が同棲していた別の男です。
そのあと昭菜と那雄人はよりを戻すことになるのですが、那雄人が許したために環菜は中絶されずに生まれてくることになります。
はい。ここまでは。
あろうことか那雄人は、環菜に対して
「俺が生まれてくるのを許してやったんだから、おまえは俺に恩返しをしなければならない」
と教え込みました。しかも
「言うことを聞かなければ戸籍を抜く」
という脅しつきです。
不幸なことに、環菜の周囲にはそんな那雄人の横暴を注意する大人はいませんでした。
結果、まだ幼かった環菜は「両親の役に立たなければならない」という呪い(強迫観念)を心に宿すことになります。
デッサン会
環菜の置かれていた状況を理解するうえで、外せないエピソードがひとつあります。
それが『聖山那雄人のデッサン会』です。
那雄人は自宅に生徒を招き、デッサンを教えていました。
絵のモデルはふたり。
大学生の男と、小学生だった環菜です。
大学生の男モデルはいつもヌードでした。
一応、環菜の視界に男モデルが目に入らないような配慮はなされていましたし、環菜はもちろん服を着ていました。
しかし、それがいったいなんだというのでしょう。
那雄人の方針により生徒は全員男で、小学生といっても環菜はハッとするような美少女でした。
はたして男たちの視線は芸術のみに集中していたでしょうか……?
由紀は心の中でつぶやきます。
「娘が裸の男性のそばにずっと座っているところを、普段の十倍集中して観察する若い男たちに、優しく手料理をふるまう母親――これほどグロテスクなことがあるだろうか」
もちろん聖山那雄人にしてみれば環菜を虐待する意図はなく、『芸術』のために自分の娘を使うことはごく自然なことだったのでしょう。
しかし、そこに娘の健やかな成長を願う親の愛情は一切ありませんでした。
環菜が生徒に言い寄られたときも、飲み会の席でふざけた男たちに抱きつかれたときも、聖山夫妻は何も言わなかったといいます。
そして当の本人の環菜はというと、父親に逆らえば戸籍を抜かれてしまうので、ただひたすら耐えるしかありませんでした。
嫌な顔ひとつ見せることは許されないので、もしかしたら周囲の人間には「環菜はモデルが好きなのだろう」とさえ見えたのかもしれません。
しかし、目に見えないところで環菜の心は確実に歪んでいました。
環菜の手首の自傷痕。
それはデッサン会のモデルになりたくない一心でつけたものでした。
手首の傷が治るまでは、那雄人からモデルを命じられなかったから。
自傷を繰り返すことで、環菜はモデルの役目から解放されました。
しかし、ひきかえに環菜には辛い現実から逃げる手段としての自傷癖がすっかり身についてしまっていました。
◆
聖山那雄人が環菜の進路に反対していた理由は
「そんな傷のある体で人様の前に出られるはずがないだろう」
というものでした。
聖山那雄人は環菜がどうして自傷を繰り返していたのか全く理解していなかったのです。
事件の真相
物語の終盤。
ついに始まった裁判で、環菜は事件当日の《真実》を語ります。
『聖山那雄人は足を滑らせて環菜が持っていた包丁に刺さった』
環菜に殺意はなかったとして弁護側は無罪を主張しました。
そう思いますよね。もう少しくわしく「その日、何が起こったのか?」という流れを追ってみましょう。
◆
すべての始まりは女子アナウンサーの採用試験です。
せっかく二次面接まで進んでいたのに、環菜は急な体調不良で途中欠席しています。
その理由は……
「アナウンサー試験の二次の集団面接は、デッサン会にそっくりでした」
男たちからじろじろと見つめられる面接の場は、環菜にとって耐えられないものだったんですね。
そうして環菜は面接会場から飛び出すのですが、「就活に失敗した」という事実が新たなストレスとなって襲いかかってきます。
環菜は辛い現実から逃避するため、ホームセンターで包丁を購入し、手首を切りました。
その後、環菜は血がにじむ手首の傷もそのままに、父親の務める美術学校へと足を運びます。
その理由は……
「就活で失敗したから、自分で自分を罰して、それを父親に確認してもらわなければいけないと思いました」
環菜が真新しい手首の傷を見せると、聖山那雄人は驚いて「とにかく血を洗い流せ」と命じました。
環菜は言われたとおり女子トイレへ行くのですが、「また父に迷惑をかけてしまった」という自責の念から個室で再び手首を切ります。
聖山那雄人が個室のドアを開けて入ってきたのは、まさに環菜の手首から血があふれているそのときでした。
娘の自傷を目撃した聖山那雄人は、次のように言ったといいます。
「もう子どものときに治ったと思ってた。おまえがおかしくなったのは母親の責任だから、あいつに電話してどこか頭の病院に連れていってもらう」
そこからは、一瞬の出来事でした。
- 父親が環菜に背を向けてスマホを取り出す
- 環菜はそれを止めようとして父親の手を掴む
- 驚いた父親はのけぞり、濡れていた床で足を滑らせた
- 環菜は倒れ込む父親を支えようと、反射的に両手を上げた
- 環菜が握っていた包丁が父親の胸に刺さった
環菜は「包丁を手放したら母に電話されてしまう」という思いから、包丁を手放せなかったといいます。
環菜はどうしていいかわからず母親に電話したものの、電話はつながらず、やがて充電が切れてしまいました。
混乱した環菜はとにかく母親の指示を仰ぐため家に帰ります。
「包丁が父親に刺さった」と説明すると、母親は言いました。
「勝手に包丁が刺さるわけがない」
そこからは口論です。
那雄人が死んだと悟ると、母親は叫びました。
「私はこれからどうやって生きていけばいいのよ」
母親は環菜が面接でパニックに陥ったことや、環菜の腕の傷については一切心配しなかったといいます。
環菜は家を飛び出し、通報により逮捕されました。
当初容疑を認めていたのは、母親から言われた「勝手に包丁が刺さるわけがない」という言葉のせい。
環菜は「母親が言うならそうなのだろう」と思ったといいます。
法廷で当日の出来事を説明する環菜は、証言を次のように締めくくりました。
「亡くなってしまった父には申し訳ないことをしたと思います。だけど、じゃあ、どうすればよかったのか、私にもわからないんです。
自分がおかしいことには気づいてたけど、病院にかかるようなお金もなかったし、母は自分で何とかしなさいと言うので、そうするものだとずっと信じてきました。
私は、どうすればよかったんでしょうか。自分を抑えて試験を乗り切ることができたらよかったのに、と今でも思います。だけどあのときは無理でした」
裁判で環菜に下された判決は懲役八年でした。
- 環菜の証言を裏づける証拠がないこと
- 包丁が刺さった直後に救急車を呼ばなかったこと
が環菜にとって不利に働いた結果です。
とはいえ、検察側が求刑した懲役十五年と比較するとかなり刑が軽くなったとも言えます。
環菜が控訴しなかったため、そのまま刑は確定されました。
最後に、裁判のあとで環菜が由紀に送った手紙を紹介して、聖山環菜の事件を締めくくりたいと思います。
法廷で、大勢の大人たちが、私の言葉をちゃんと受け止めてくれた。
そのことに私は救われました。
苦しみ悲しみも拒絶も自分の意思も、ずっと、口にしてはいけないものだったから。
どんな人間にも意思と権利があって、それは声に出していいものだということを、裁判を通じて私は初めて経験できたんです。
(中略)
私が救急車を呼ばなかったのは事実なので、それによって父が亡くなってしまったことを受け止めて、判決で告げられた年数を堀の中で静かに過ごしていきたいと思っています。
(中略)
もうすぐ春ですね。この数か月、ずっと私の心に向き合ってもらえたこと、ずっと忘れません。本当にありがとうございました。
無罪判決とはいかなかったものの、環菜にとっては救いのある結末でした。
本当の闇
裁判中、由紀は環菜の母親の腕に環菜以上の酷い傷があることに気がつきました。
そのときの一幕をご紹介します。
※以下、小説から一部抜粋
◆
切り傷もあれば、半ばまだらに変色したやけどのような痣もあった。それらが手首から肘にかけて混在していた。事故や一度の怪我で負った傷には見えなかった。
(中略)
そして思い出す。
多くの性虐待を受けた娘と、そのことを見て見ぬふりする母親の事例を。
性虐待を受けた母親もまた、誰かに性的な虐待や暴力を受けていた可能性があることを。
そして大人になると今度は自ら過去と似たような境遇に入っていくことがあるのも。
「なにかつらいことや、話したいことがあれば、信頼して相談できる機関に連絡を」
「私は正常だって言ってるでしょうっ。赤の他人に話すことなんてないわよ」
(中略)
もしかしたら誰よりも環菜が壊れていくことを恐れていたのは彼女だったのかもしれない。
それを直視すれば、自分自身の暗い過去と対峙することになるから。
だから目をそむけたとしたら。
◆
なんとも言えない気持ちになる『もうひとつの真相』でした。
幕間
さて、すっかり『ファーストラヴ』のネタバレが終わったような雰囲気ですが、実はここからの物語がメインです。
『由紀と迦葉の過去に何があったのか?』
最初はなんとなく
「由紀と迦葉は男女の関係だったのかな?」(それを由紀の夫であり、迦葉の兄である我聞に隠している?)
くらいに思っていたのですが、そんな簡単な話じゃありませんでした。
由紀「確かに私と迦葉君には誰にも言っていない事情があります。でも、それはむしろ恋愛じゃなかったために起きたことです。今も後悔しています。あんなふうにお互いに深入りしすぎたことを」
ここからは由紀、迦葉、そして我聞の物語です。
由紀と迦葉の出会い
実は由紀もまた家庭に問題を抱えていました。
具体的には、子どもの頃、由紀は実の父親から性的な目で見られていたのです。
まだ子どもだった由紀にはそれが性的な視線だとは理解できていなかったものの、本能的な恐怖と嫌悪はひしひしと感じていました。
そして、成人式の日。
由紀は母親から「父親は海外で少女を買っていた」と聞かされ、自分の身にどのような危険が迫っていたのかを知ります。
由紀は心から傷つき、現実から目をそむけるように自暴自棄な生活を送るようになりました。
「性的なことなんてたいしたことではない」と自分に言い聞かせるように、どうでもいい男たちと体の関係を持ったりもしましたが、結局最後はむなしく傷つき、疲労感が残るだけ……。
由紀が迦葉と出会ったのは、そんなどん底にいるときでした。
迦葉「髪伸びすぎ。明日の三時とか空いてる? 駅前のでかい美容室前集合ね。ちなみに名前は? 」
由紀「……ゆき。ねえ、いつもこんなふうに声かけてるの?」
迦葉「や、そうでもないけど。だって由紀、浮いてるんだもん」
奇妙なナンパみたいな出会いから、ふたりはよく遊ぶようになります。
いつも決まって迦葉がリードして、由紀にご飯を食べさせたり、きれいもきたないも呑み込んでくれる夜の街へ連れ出したり……。
いつしか由紀は迦葉と遊ぶことを楽しみに思うようになっていました。
といっても、それはいわゆる恋心とはちょっと違っていたかもしれません。
由紀にとって、迦葉は《同類・仲間》と呼べる存在でした。
というのも、迦葉にも実の母親から酷い虐待を受けて育ったという過去があったからです。
実の両親が離婚したことで、迦葉は姉夫婦に引き取られました。
それが真壁家です。我聞と迦葉は血のつながらない兄弟ということになります。
迦葉の名字が「庵野」なのはこうした経緯があったため。
迦葉は明るくてチャラくてぜんぜん陰を感じさせないタイプでしたが、心の底では「誰も信じられない」という歪みを抱えていました。
由紀と迦葉は
- 親から愛されなかった
- そのせいで心に深い傷を負っている
という共通点でつながり、ふたりでいることでお互いに欠けた心を埋めあう関係だったんですね。
由紀と迦葉の別れ
ある日、ついに一線を超える日がやってきました。
迦葉が由紀の家にあがり、あとはもう流れに身を任せるだけ……。
けれど結局、ふたりは結ばれませんでした。
両手の指で数えきれないくらいの女性経験がある迦葉が、その日に限ってうまくできなかったのです。
傷ついた由紀は(お酒が入っていたこともあって)つい言ってはいけないことを口にしてしまいます。
「(迦葉の経験人数に対して)それってただの依存症でしょう。母親に愛されなかったから」
翌朝になって「ごめん。言いすぎた」と謝っても後の祭り。
迦葉はそれから由紀を無視し、さらには当てつけのように美人な女子大生といちゃついているところを見せつけてくるようになります。
そして、迦葉の意趣返しはそれだけでは終わりませんでした。
迦葉はわざと由紀に聞かせるように女子大生に家族の話をして……
「自分だけだと思ってた? 俺が家族のこと話すの。なんか微妙な顔してたもんね」
それはまるで「由紀のことは特別なんかじゃなくて、他のどうでもいい女たちと同じくらいにしか思っていなかった」と宣言するかのような、由紀を傷つけるための言葉でした。
由紀と我聞の出会い
迦葉の仕打ちに傷ついた由紀は、それまでの人生のどんなときよりも絶望し、心身ともにボロボロになってしまいます。
そんな中、由紀はふと我聞の写真展に行くことにしました。
どうして我聞さんの個展に行こうと思ったのか、今も上手に説明できない。
迦葉が知らないことを一つでも作って出し抜きたかったのか。それとも共通の味方が欲しかったのか。単にやけっぱちか。わからない。
ただ、誰かに胸を張って話せるほどきれいな動機じゃなかったことだけは、たしかだ。
そして、由紀と我聞は運命の出会いを果たします。
迦葉が由紀に「たぶん兄貴、由紀のことタイプだからさ」と言っていたとおり、我聞は由紀のことを好きになりました。
一方の由紀も、穏やかで優しい我聞の人柄に惹かれていきます。
ふたりはやがて恋人同士になり、心身ともに結ばれました。
↓《そのとき》の場面
それは生まれて初めての感覚だった。
ちゃんと大事にされて愛されていることの安心感が全身を包み込むと、半ば心地よい眠りの中にいるようだった。
感覚はのびやかで、どこに触れられても幸福感だけがあった。
朦朧としかけた私の頭を、我聞さんが無言で抱え込んだ。目をつむって深々とした侵入を受け入れながら、実感した。
どこもつらくない。心から信頼できる。
あまりに幸せすぎて、我聞を失うのが怖くて、由紀は迦葉とのことをずっと隠していました。
しかし、我聞と迦葉はとても仲の良い兄弟です。
いつまでも隠し通せるものではありません。
我聞が「弟に紹介したい」と言い出すことは、はじめからわかりきっていました。
由紀と迦葉の秘密
我聞が由紀を迦葉に紹介するため、大学にやってくる日。
由紀はある決意を胸に秘め、我聞が来るより前に迦葉を捕まえました。
※以下、小説より一部抜粋
◆
「迦葉。考えたんだけど」
と私は慎重に告げた。
「私たち、なにもなかったことにしたいの。春に出会って夜中まで遊んだことも、いろんな話をしたことも、ぜんぶ。お願いします」
攻撃的な気配が滲んだのは一瞬だった。
たぶん私が深く頭を下げたからだ。
抱えたものの重みで額が地面についてしまいそうになりながら。
顔を上げると、迦葉は幾分か気まずそうに
「あそ。あなたがそうしたいなら、いいんじゃないの。もともと付き合ってたわけでもないしね」
と返した。
以前なら傷ついたであろう言葉を、私は静かに受け止めた。
そして心から告げた。
「ありがとう」
迦葉はすぐに興味をなくしたように
「話しはそれだけ? そろそろ兄貴が」
と言いかけて、視線を私の肩の向こうへと移した。私も振り返る。
食堂に入ってきた我聞さんはこちらに向けて軽く片手を上げた。
迦葉が、おー、と珍しく明るい声を出して答えた。
彼はまっすぐにこちらにやって来た。そして迦葉ではなく、私の顔を見て
「もう言った? まだだったかな」
と問いかけた。私は首を横に振った。
迦葉の顔からゆっくりと表情が消えた。
(中略)
私は迦葉がすべてをぶちまけることはないと知っていた。
星を見ながら楽しそうに我聞さんのことを語っていた彼が、大好きな兄を傷つけることを言うはずなどないと。
そして私たちはふたたび対話する機会を永遠に失ったはずだった。
環菜の事件が起きるまでは。
◆
由紀と迦葉の秘密。
それは我聞に絶対に知られてはいけない、ふたりが笑いあい、そしてすれ違った日々のことでした。
由紀と我聞が結婚し、迦葉が由紀の義弟になった今も、ふたりは《秘密》を我聞に隠し続けています。
ここまでが過去の回想編。次の項からはふたりが臨床心理士と弁護士として交流を再開した《現在》のお話です。
由紀と迦葉の結末
環菜の事件は、どこか迦葉や由紀の過去とも重なるものでした。
親から与えられなかった愛情の埋め合わせをするように異性に依存して……という流れは三人に共通するものだったともいえます。
特に由紀と環菜の違いは紙一重でした。
もしも我聞と出会っていなければ、由紀はもっとひどいことになっていたでしょう。
だから、(環菜にかつての由紀を重ねて)負い目を感じて口火を切ったのは迦葉のほうでした。
※以下、小説より一部抜粋
◆
「分かってるんだよ」
と迦葉が一言、つぶやいた。
彼は少し困ったように額を掻くと、言った。
「昔、大学時代にあなたを傷つけたことも。いくら若かったって言っても、他の相手だったら、あんなこと言わなかった。甘えてたんだよ」
私は首を横に振った。そして言った。
「私のほうこそ、ずっと後悔していた。あなたを傷つけたこと」
「そうか」
でも本当は、と発した自分の声は予想外にふるえていた。
「あんなこと、言いたくなかった」
まっすぐにこちらを見た迦葉が言った。
「俺もだよ。ごめん」
私はこぼれてきた滴をそっと拭いながら
「私のほうこそ、ひどいことを言って、ごめんなさい」
と伝えた。
迦葉はしばらく閉じこもるように沈黙していたが
「実は自分でも、由紀の部屋に行ったときに上手くできなかった理由が、結局よく分からないんだ」
私は目を閉じた。ずっと心の中に封じ込めていた言葉。
一度だけ迦葉の母親を見舞ったときに、もしかしたら、と察したことを。
「迦葉のお母さんって、もしかして、昔からすごく痩せてた?」
彼が不意を衝かれたように黙った。
長すぎる沈黙ののちに
「ああ」
とだけ彼は答えた。
「それが、答えじゃない? あなたは母親と似た体型の私が怖かったんだと思う。あれから、あなたの付き合う女性は肉感的な子ばかり」
迦葉は信じられないという目をしていた。
「こんな話になるとは思わなかった」
と彼はつぶやいた。
「ここは(職場の)診察室だし、私は聞き手だから」
と告げると、迦葉は納得したように、そうか、と頷いてから
「ありがとう」
と返した。
◆
こうして由紀と迦葉を隔てていた積年のわだかまりは解けました。
たったこれだけのやりとりですが、当事者にしてみれば長い長い呪縛から解放されたような気分だったのではないかと思います。
ハッピーエンドというとちょっと雰囲気が違うかも知れませんが、じんわりと感動的な結末でした。
由紀と我聞の結末
環菜の裁判も終わって、物語はいよいよ結末へ。
ラストシーンは由紀と我聞の会話で締めくくられます。
※以下、小説より一部抜粋
◆
「迦葉が大学三年になってすぐの頃に、二人で飯を食いに行ったことがあって。そのときに、あいつが言ったんだ。校内で妙に雰囲気のある綺麗な女子がいたから声かけちゃったって。学内でナンパなんて初めてしたって。茶化してたけど嬉しそうだった。それからしばらく会う機会がなかったから、まさかそれが由紀のことだとは思わなかった。だけどあの日、食堂で顔を合わせたときに、気づいた。だから二人きりになったときに訊いたんだ。迦葉は由紀ちゃんのことが好きだったんじゃないかって」
答えは知りたくないと思った。
とっさにそう思ったことで、自分が何よりも知りたかったのはそれだったのだと悟った。
「迦葉はなんて言ったの?」
我聞さんは優しい目をして、やっと本当の呼び方に戻ったね、と言った。私ははっとして強くまばたきした。
「大事だったけど、恋愛ではなかった。それがどれだけ特別なことかを伝えようと思っても、きっともう由紀は受け入れないだろう。それを聞いて僕は、君らがどれほどお互いを理解し合っていたかを悟った」
まぶたが熱くなって、目をつむる。
「それを聞いて、私と別れようとは思わなかったの?」
と私は訊いた。
「いや」
とだけ我聞さんは答えた。
「でも」
「僕がずっと言いたかったのは」
と彼がさえぎった。
「由紀はこれからはもっと気楽に僕にむかって、迦葉の愚痴を言ったり、褒めたりしていいんだ」
私は無言のまま下を向いた。いつだったか彼が私に言った。由紀は負うべきものじゃないものを負いすぎている。
「由紀は僕と結婚してよかったと思う?」
と我聞さんが聞いたので、私は顔を上げた。
「もちろん。あなたと出会ってからの私はずっと幸せだった」
我聞さんも頷いて、言った。
「僕もだよ。迦葉は大事な弟で、由紀は大事な恋人だった。二人が触れてほしくないだろうと思って、今日までずっと黙ってきた。だけど、もしいつか君たちが和解したら、言おうと思ってた。今日が来て、僕もようやく由紀を独占できる」
私はゆっくり息を吐いた。長年抱え込んでいた秘密が、消えていく。
◆
我聞は由紀と迦葉の関係に気づいていたんですね。
このラストシーンでは
- 迦葉がいかに由紀のことを大事に思っていたか
- 我聞がどれだけ由紀のことを大きな愛で包み込んでいたのか
が伝わってきて、本当に感動的でした。
迦葉の椿
物語の序盤に、
『由紀と我聞の結婚式のときに、迦葉が式場の椿の枝を折って由紀に渡した』
というエピソードが登場します。
そのときは「ああ、破天荒でチャラいやつなんだな」くらいにしか思いませんでしたが、ラストでその本当の意味が明かされたときには震えました。
以下は、我聞の言葉です。
「迦葉にとって椿は特別な花だったんだ。迦葉がうちに引き取られてきたときに、一つだけ母親のものを持ってきたんだ。女の人が髪につける椿油の空き瓶を。僕の家に慣れるまで、迦葉は毎日寝転がったまま、その空き瓶をずっと眺めてた。花の名前をうちの母親に聞いていたのを覚えてるよ」
はたして兄の妻になる由紀に椿の枝を贈ったとき、迦葉はどんな心境だったのでしょうか?
わたしはそこに『恋愛ではないけど(それ以上に)大事で特別だった』という迦葉の本心が隠されていたのではないかと思いました。
<おわり>
おもしろい小説に出会うことはかんたん
でも、心に残っていつまでも忘れられない小説に出会うことはむずかしい
島本理生『ファーストラヴ』
わたしがやっと出会えた、いつまでも本棚に残り続けるであろう小説ですhttps://t.co/HXNznEqlrl
— わかたけ@読んでネタバレ (@wakatake_panda) February 9, 2020
まとめと感想
今回は島本理生『ファーストラヴ』のネタバレをお届けしました!
では、最後にまとめです。
- 聖山環菜は父親を殺してはいなかった
- 環菜の抱える歪みは劣悪な家庭環境によって形成されたものだった
- 環菜の事件をきっかけに由紀と迦葉は和解した
正直、直木賞受賞作でも「これはちょっと良さが分かんないな」と思う作品は多々あるのですが、『ファーストラヴ』には納得しかありませんでした。
「うん、これは直木賞だわ」
というのが読了直後の素直な感想です。
他にも、
- これ以上すごい作品に一年以内に出会えるだろうか?
- 島本理生さんが一番好きな作家さんになったかもしれない
とも本気で思いました。
長々と書いてもアレなので、これらの感想からわたしがどれだけ『ファーストラヴ』に感銘を受けたか察してもらえれば、と思います。
島本理生さんの小説の魅力は話の内容もそうですが、なんといってもハッとするような言葉選びにあると思います。
ドラマ化映画化もされる本作ですが、「お願いだから本でも読んでほしい」と強くおすすめしたいです。
本書のタイトル『ファーストラヴ』
直訳で『初恋』ですが、これは誰が誰に抱いた感情だったのでしょうか?
答えはひとつだけじゃなくて、いろんな解釈ができると思います。
わたしはあの結末を読んだあと、
「あ……だからこのタイトルなんだ……」
と感動を通り越して呆然としてしまいました。
タイトルまで含めて、やっぱり《別格》な作品だったと思います。
映画情報
映画『ファーストラヴ』は2021年2月11日年公開!
- 出演:北川景子、中村倫也、芳根京子
- 監督:堤幸彦
島本理生原作の映画といえば松本潤さんと有村架純さんが出演した『ナラタージュ』もよかったですし、

夏帆さん、妻夫木聡さんらが出演する『Red』も話題になりました。

映画『ファーストラヴ』も間違いなく必見の作品になると思うので、今後の情報解禁に注目していきたいと思います。
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解りやすい解説ありがとうございました。
私は結末が解っても興味がわけば、観たり読んだりするので、的確な解説は是非ものなのです。
またお力、お借りさせて頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。
>たみと さん
嬉しいお言葉ありがとうございます!
またぜひお越しください(^^♪
軽い気持ちでネタバレ読みました。
いろんな気持ちが伝わりました。
映画観たくなりました。
本も読みたくなりました。
ありがとうございました。