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映画『糸』あらすじとネタバレ!中島みゆきの曲に負けない感動作!

映画『糸』の原作小説(ノベライズ)を読みました。

さっそくですが結論から言わせてください。

とってもよかった!

正直「原曲が神すぎてどんな物語でもしっくりこないのでは?」と不安に思っていたのですが、まったくの杞憂でした。

感想は長くなるので記事後半に回すとして……とにかく感動したということだけは強調しておきたいと思います。

ぱんだ
ぱんだ
そんなに?

はい。特にラスト30ページくらいは涙なしには読めませんでした。

今回はそんな映画『糸』あらすじとネタバレ(と感想)をお届けします。

あらすじ

北海道で生まれ育った高橋漣(れん)は、花火大会で出会った園田葵(あおい)に一目惚れ。

彼女が義父から虐待されていることを知るが、まだ中学生の漣には何もできなかった。

それから八年。

漣は地元のチーズ工房で働き、葵は東京にいた。

遠い空の下、互いを思いながらも、すれ違いと別れを繰り返す二人。

それぞれの人生を歩んできた男女が、再び巡り合うまでの物語。

(文庫裏表紙のあらすじより)

ぱんだ
ぱんだ
映画の予告もどうぞ

※もうこれだけで泣ける……

ネタバレ

中学一年生のとき、漣は葵の手を引いて無謀な旅に出ました。

結局一日で捕まってしまったその旅は、大人の目からは「子どものちょっとした冒険」に見えたことでしょう。

けれど、漣と葵にとって、それは切実な逃避行でした。

なぜなら、葵は虐待されていたから。

漣は葵を守りたくて、けれど現実を変える力なんてなくて、できることといえば一緒に逃げることだけでした。

一方、葵は漣と違って「うまくいくはずない」と現実を直視していました。

けれど、本当に家には帰りたくなくて、なにより漣の気持ちが嬉しくて、ぎゅっと漣の温かい手を握っていました。

ふたりは無人のロッジに入り込み一晩の寒さをしのぎましたが、翌朝にはあっけなく警官と親によって引き離されてしまいます。

「漣くん!」

「葵ちゃん!」

いくら叫んでも、いくら手を伸ばしても、無駄でした。

漣はほとぼりが冷めるのを待って葵の家の様子を見に行きましたが、そこにはもう誰も住んでいませんでした。

平成13年の冬のことでした。


再会

それから8年後(平成21年)

漣は友人の結婚式で葵に再会します。

「漣くん、久しぶり」

「なにしてんの、園田は」

言いたいと思っていたことも、聞きたいと思っていたことも、いっぱいあったはずなのに。

この8年間、葵のことを忘れたことなんてなかったのに。

なぜか漣は他愛のないことばかり話していて、気づいたときには帰っていく葵の後ろ姿を見送っていました。

このまま別れたら、もう二度と会えないかもしれない。

胸に走った痛みに突き動かされるように、漣は駆け出しました。

「園田!」

追いついた背中に叫ぶ漣。

振り返った葵は、あの頃となにも変わらない笑みを浮かべていました。

「漣くんと会えてよかった」

漣がその笑顔に吸い込まれるように駆け寄ろうとした、次の瞬間。

葵はくるりと漣に背中を向けると、そのまま車の助手席に乗り込みました。

一目で高級車であるとわかる外車。

運転的に座っているのは精悍な顔つきをした30代くらいの男。

(ああ……)

走り去っていく車をぼうっと見つめながら、漣は心の中で自分の愚かさを笑いました。

いったい自分は、なにを期待していたのだろう?

あれからもう、8年も経つというのに。


普通に生きる

北海道に戻った漣は、同じチーズ工房の先輩である桐野香とつき合い始めます。

といっても、葵のことをすぐに忘れて切り替えたわけではありません。

最初に声をかけたのは香のほうでした。

ちょうどその頃、香は10年間つき合った彼氏に裏切られたばかりで、漣と同じように傷ついていました。

だから、香には漣が隠しているつもりの痛みが理解できてしまって、放っておけなかったんですね。

最初は香が酔った勢いで声をかけて、

それから夜ごとにあてのないドライブに行くようになって、

いつのまにかふたりでいることが当たり前になって……

気づけば、漣と香が恋人同士になってから1年がすぎていました。

チーズ工房で働いて、香と同じ時間を過ごして、またチーズ工房で働いて……。

漣の日常はとても穏やかで、いつのまにか血を流していた心の傷もふさがっていました。

刺激のない生活はまだ若い漣(21歳)にとって少し退屈でもありましたが、それでも、香がくれる「ささやかな幸せ」がなによりも大切なものであることを、漣は知っています。

それは、いつかの葵が心から望んで、手に入れられなかったものだから。

(俺は、この町で、普通に生きていく)

もしかしたら、時代の先端で活躍するような派手な人生だってあるのかもしれない。

そんな子どもじみた夢想を捨て、漣は大切な人と一緒につつましく生きていく人生を受け入れたのでした。


旅の終わり

香と一緒に暮らす手続きをするため役所に行った漣は、そこで思わぬ人と出会います。

そう、葵です。

東京にいたはずの葵が北海道に戻ってきていたのは、風の噂で絶縁した母親が危篤だと聞きつけたからでした。

ところがどこを探しても母親は見つからず、情報を求めて役所にきたところで、偶然にも漣と再会したというわけです。

結局、役所でも母親の手がかりはゼロ。

葵はふと、函館に親戚(母の兄)がいたことを思い出します。

といっても、そこに母親がいる確証はありません。

それに、美瑛から函館まではかなりの距離があります。

逡巡する葵を前にして、漣は一瞬も迷いませんでした。

 

「行こうよ、函館。車、あるんだ」

 

それは葵への未練から出た言葉ではありませんでした。

「俺、あれ(中学生の時の事件)から、あんなことはなんでもないようなふりをして生きてきたけど、なんでもなくはなかったんだ。なんでもなくはなかったんだよ。

でも、今は大丈夫。俺は大丈夫。この町で普通に生きていく覚悟を決めたから。

だから、今なら、できると思うんだ。ちゃんとした今の生活があるから。だから、俺も過去を清算したい。

終わらせようよ。俺の中でもまだ終わっていないものがあるんだよ。今の生活を続けるためにも。終わらせよう」

それは漣と葵が再び結ばれるための旅ではなく、心にこびりついた後悔をちゃんと過去のものにするための旅であり、苦しみ続けた10代の日々に決着をつけるための旅。

漣だけではなく、それは葵にとっても必要な儀式でした。

これはあの時のことを終わらせる旅であり、このあと二人は別々の人生を歩むのだ。

それぞれの場所でそれぞれの大切なものがすでにあるのだから。

※葵のモノローグ

叔父から聞かされたのは、葵の母はすでに他界しているという事実でした。

函館の海を見ながら、葵はぽつりとつぶやきます。

「一度でいいから謝ってほしかった」

子どもに愛情を注がなかった母。

殴られている葵に、手を差し伸べなかった母。

葵のほうから縁を切った母。

でも、それでも

 

「本当は、一度でいいから抱きしめてほしかった」

 

葵の声は震えていました。

我慢していた涙は止められなくなって、まるで小さな子どものようにぐしゃぐしゃに泣いて……

漣は考えるより早く、葵を抱きしめていました。

本当に、無意識の行動でした。

葵はそんな漣にしがみついて、ただ溢れてくる感情のまま泣きつづけます。

このまま漣に甘えてしまいたい。

葵はもう少しで決定的なことを言ってしまいそうになって、けれど、結局はただ泣きつづけただけでした。

12歳の少年少女が始めた逃避行が、やっと終わった瞬間でした。

「園田、俺はずっとあの町で生きていく。普通に生きていく」

「じゃあ、わたしは世界中を飛び回ろうかな」

空港での別れ際。

きっとこれが最後になると、ふたりとも理解しています。

「さよなら、漣くん」

「さよなら、葵ちゃん」

漣は最後に、葵のことを名前で呼びました。

12歳のとき、そう呼んでいたように。

 

(あなたがいてくれてよかった。ありがとう。さよなら。漣くん)

 

空港のトイレで泣きながら、葵は自分の人生にひとつの区切りがついたことを感じていました。


葵の過去と未来

時は少しさかのぼって函館を目指す車内での会話。

葵はこれまでの人生について次のように漣に話していました。

  • ロッジの事件をきっかけに警察は葵が虐待されていることに気づいた
  • その結果、虐待していた義父は失踪
  • 葵は母親に連れられて東京へ
  • 葵は学費を稼ぐため母と同じ水商売の世界(キャバクラ)に身を投じた

ただし、葵は自身の過去のすべてを漣に話したわけではありません。

漣はあえて尋ねませんでしたが、結婚式の日に外車で葵を迎えに来た男性について、葵はなにも口にしませんでした。

そして、東京の大学生だったはずの葵がいま沖縄に住んでいる理由も……。

男の名前は水島大輔。

億単位の金を動かすヘッジファンドのオーナー社長で、要するに金持ちのエリートです。

水島は部下の慰労のために訪れたキャバクラで葵と出会い、まるで後見人のように葵を援助するようになりました。

天涯孤独だった葵に衣食住を与えて、大学に入りたいという葵のために勉強できる環境を整えて……。

あなたはきっと「葵は水島の愛人になったのね」と思ったことでしょう。

けれど、ふたりの関係はそうではありません。

事実、水島はずっと葵を抱こうとしませんでした。

水島がようやく葵を抱いたのは大学に合格してからのことで、それは葵が望んだからでした。

水島がそうであるように、葵も水島のことを愛していたのです。

やがてリーマンショックが起きると、水島の事業は破綻しました。

水島はすべてを捨てて沖縄に逃亡。

葵さえも東京に置いていったのは、もう自分がいなくてもひとりで生きていけると判断したからでもありましたし、結婚式の日に追いかけてきた男(漣)に想いを残していると見抜いていたからでもありました。

しかし、ここで水島にとって予想外の出来事が起こります。

葵が沖縄まで追いかけてきたのです。

もちろん水島は葵に行き先を教えていませんでした。

それでも葵がすぐに「あの人はきっと沖縄にいる」と直感したのは、それだけの絆がふたりの間にあった証拠だといえるでしょう。

沖縄でぼんやり釣りをしている水島を見つけると、葵は言いました。

「今度は私があなたの面倒を見る。私がいないとあなたはダメだから」

時は再び現在(平成22年)

北海道から沖縄の家に戻ると、水島は忽然と姿を消していました。

ただ一言、

『愛しているよ』

というメッセージだけを残して。

今度は葵にも、水島がどこに行ったのかまったく見当もつきませんでした。

これからどうしよう。

水島の匂いが残る沖縄の家には住み続けられないし、かといって東京にも北海道にも帰る場所なんてない。

途方に暮れた葵に、キャバクラ時代の友人から仕事の誘いがあったのは、ちょうどそんなときでした。

そうして葵が新しい人生の舞台に選んだのは、シンガポール。

ネイリストとして働く玲子によれば、日本人のネイリストは器用だから重宝されるといいます。

(私は、ここで、生きていく)

葵はこれまでの人生を振り返り、ひとつの目標を立てます。

『誰かを守れる人になること』

これまではいつも誰かに守ってもらっていたけれど、これからは誰かを守れるような人になりたい。

葵は新天地でそう決意しました。

葵の人生に大きな影響を与えた水島ですが、彼もまた幼少期に両親から酷い仕打ちを受けた子どもでした。

だから、水島が葵に目をつけたのは、きっと同じ苦しみを経験した人間を放っておけなかったからなのでしょう。

不器用にしか愛せないし生きられない水島は、読んでいて本当に切なくなる登場人物でした。

ちなみに映画で水島を演じるのは斎藤工さん。最高すぎる


それからの漣

妻の香に腫瘍(がん)が見つかったのは、妊娠がわかった直後のことでした。

「私、絶対に産むから」

漣も、一人娘を溺愛している香の両親も、出産よりがんの治療を優先してほしいと説得しましたが、香は頑として聞き入れませんでした。

「治すから。絶対治すから。絶対生きるから」

平成23年夏、長女・結(ゆい)誕生。

出産後のがん治療は順調に進み、結が3歳になっても再発の兆候はありませんでした。

結が生まれてからの3年間は、漣にって本当にあっという間でした。

すくすく成長していく娘は天使のように可愛くて、本当に本当に幸せで……。

もし、この幸せが失われるようなことがあれば、もう生きてはいけないかもしれない。

漣は心からそう思いました。

それはまるで、漣の不安が現実になってしまったのかのようでした。

香のがんが再発。

髪が抜け、目はくぼみ、香はみるみるうちにやせ細っていきました。

もう、治療して助かる見込みはありません。

「結のこと、頼むよ」

それはまるで、別れの言葉のようで。

「そんな言葉、聞きたくない」

「うん、でもこれだけは言わせて」

香は悲しみに染まった漣の目をまっすぐ見つめて、言いました。

 

「誰がなんと言おうと、この人生に悔いはない。私は幸せだったんだから」

 

香がこの世を去ったのは、平成26年の秋のことでした。


それからの葵

一方、葵はシンガポールで起業し、大成功を収めていました。

会社名は『AOI & REI Beauty Nail Salon』(ネイルサロン)

葵が起業したのはシンガポールに渡ってすぐのことで、もともとは客と揉めてクビになった玲子を守るために選んだ道でした。

ゼロからの出発した葵の会社が10人以上の従業員を抱える評判のネイルサロンにまで成長したのは、ひとえに葵の努力があったからです。

英語を磨き、ネイルの技術を磨き、経営者として時には非情な決断も下して……。

前だけを見つめて、がむしゃらに走り続けて、やっと手にした成功でした。

それなのに……

崩壊は、一瞬でした。

なんてことはありません。

共同経営者の玲子が勝手に会社の金を動かして、とりかえしのつかない大金をだまし取られた。

ただ、それだけのことです。

もし玲子が葵に相談してくれていたら、こんなことにはならなかったでしょう。

けれど、それは言っても仕方のないことです。

なぜなら、玲子は葵に嫉妬して、どうにか見返してやろうとしていたのですから。

玲子は共同経営者という立場でありながら、葵と違ってなにもしてきませんでした。

  • 英語は下手
  • ネイルの技術も従業員ならクビにするレベル
  • もちろん経営者として会社を引っ張っていく力もない

言ってしまえば玲子は会社のお荷物であり、共同経営者としては完全にお飾り。

玲子は自分の努力不足からは目を逸らして、日々鬱屈とした思いをため込んでいました。

葵に見下されている。

自分だってやればできるのに。

葵に過失があったとすれば、そんな玲子の危うさに気づけなかったことだけです。

でも、じゃあ、どうすればよかったというのでしょう。

葵はただ、玲子を守りたかっただけなのに。

すべてが発覚したときには、もう玲子の姿はどこにもありませんでした。

平成30年、葵は会社を潰しました。

絶対に使いたくなかった水島が残した金まで使いきり、なんとか借金だけは残りませんでした。

けれど、もう、葵にはなにもありません。

友人も、家族も、故郷も、目標も、なにもありません。

これから、どうしよう。

ぼんやり考えながら安い食事を口に運んでいると、ふと、懐かしい日本の曲が耳に入ってきました。

 

『どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語』(中島みゆき『糸』の歌詞)

 

これまでずっと忘れていた日本での思い出が、ふっとよみがえります。

12歳のとき、ロッジでの一夜。

函館で泣きじゃくる葵を抱きしめてくれた温かさ。

そして、空港での別れ際に、漣が言った言葉。

『大丈夫だよな。園田は。これからも』

葵は漣にこたえるように、小さくつぶやきました。

「……大丈夫。私は大丈夫」

ただちょっと失敗しただけ。たいしたことじゃない。

自分に言い聞かせて、葵は必死に涙を堪えました。


逢うべき糸【葵】

平成最後の日。

ひとつの時代が終わるその瞬間を、それぞれが、それぞれの場所で迎えようとしていました。

漣は7歳になった娘の結と一緒に北海道で。

シンガポールから帰ってきた葵は東京で。

ふたりを結ぶ糸はもうとっくに切れていて、二度と交わることはない……はずでした。

だから、それはきっと運命だったのでしょう。

幼い葵にこっそりご飯をあげていた近所のおばあさんが「子ども食堂」の先駆けとしてネット記事になっていたことも。

記事の中でおばあさん(村田節子)が「最初にご飯をあげた子(=葵)に会いたい」と言っていたことも。

葵がその記事を見て、おばあさんを訪ねたことも。

「いろんなことがあって、今もたいしたことはしてないけど、元気です」

葵が話し終えると、おばあさんは黙って台所に立ち、あたりまえのように食事の準備に取り掛かりました。

ご飯と卵焼きとウインナーと味噌汁。

昔と何も変わらないメニューが食卓に並びます。

「いただきます」

味噌汁を一口飲んだ瞬間、懐かしさがこみあげてきました。

「いろんなところで働いて、おいしいものだっていっぱい食べたはずなのに。なんでだろう。このご飯がいちばんおいしい。帰って来たって思う。帰ってくる場所なんてなかったはずなのに」

無意識につぶやいた自分の言葉で、葵はやっと気づきます。

自分はずっと、帰る場所を探していたのだと。

 

「おかえり」

 

聞いたこともないような優しい口調でおばあさんがそう言った瞬間、葵の目から涙があふれてきました。

※以下、小説より一部抜粋。

…………

止まらなかった。止めようとも思わなかった。

節子と子どもたちの前であふれる涙をぬぐおうともしなかった。

泣ける場所だった。

ここは自分が他人の前で唯一泣ける場所だ。

ふがいない自分を見せてもいい場所だったのだ。

帰ってきたのだ。遠い場所を旅して、帰ってきた。

背中が震えているのがわかった。

その背中がそっと抱きしめられた。

やわらかかった。昔、待望していた、母親に抱きしめられるというのは、こういうことなのではないかと夢想した。

節子ではなかった。

大人ではないということはすぐにわかった。

女の子だった。

この家に来ていた女の子がそっと葵の背中を抱きしめていたのだ。

「泣いている人がいたら、抱きしめてあげなさい」

女の子が言った。

「お母さんに言われてたから」

「……いいお母さんだね」葵は涙を拭いた。

女の子は満面の笑みを浮かべて「うん!」とうなずいた。

…………

その女の子は節子の家にご飯を求めて来ていたのではなく、父親が工房でつくったチーズを子どもたちに配りに来たのだといいます。

美瑛のチーズ工房……?

葵はハッとして女の子の顔を凝視しました。

するとちょうど、女の子の父親が迎えに来たところで……。

「あ、お父さん! じゃあ、おばあさん、またね!」

葵は飛び出していった女の子を追って駆け出しました。

外に出ると、女の子が、迎えに来た父親と手をつないで帰っていくところでした。

葵の予感は当たっていました。

 

その父親は、漣でした。

 

歩み出そうとした瞬間、「亡くなってるんだ」という節子の声が聞こえました。

「あの子のお母さん、亡くなってるんだ」

漣は一度も振り返らずに、結と呼ばれた女の子と路地の向こうに消えていきました。

葵はそれ以上、追っていくことはできませんでした。


逢うべき糸【漣】

香が亡くなってから、4年。

漣は人生のすべてを愛娘とチーズ作りに捧げてきました。

まわりから勧められる再婚話には目もくれず、結とチーズのことだけを考え続ける日々。

その成果が実り、漣のチーズは東京の三ツ星レストランに採用されることになりました。

仕事は順調で、結がそばにいて、これ以上望むことはなにもない……はずなのに。

漣は欠落しているなにかを感じていました。

「さっきね」

結が話しかけてきたのは、そんな、平成最後の日のことでした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「泣いている女の人がいたから、抱きしめてあげたの」

結は、伝えなければいけなかった大切なことを思い出すように言った。

「そしたらね、いいお母さんね、だって。褒められちゃった」

結はとても嬉しそうだった。

「その人ね、あのおばあさんのところで、初めてご飯を食べた人なんだって」

とっさに立ち上がった。結が驚いているのがわかった。

…………

漣は思わず走り出していました。

達観した大人ではなく、無邪気な少年のように。

しかし……

「どうした、漣。どこ行くんだ!」

チーズ工房のオーナーに呼び止められて、漣は我に返りました。

「……ですよね。どこ行くつもりだったんだ」

いまさらなにをしようとしていたのだろう。

自分はもう少年ではない。

結にとって一人しかいない、父親なのだ。

漣が足を止めてどこか諦めたような笑顔を浮かべた、そのときでした。

漣の背にこつん、となにかが当たりました。

振り返ると、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべた結がいて……。

「命中」

漣の背に投げられたのは小さなどんぐりでしたが、それはまるで雷に打たれたかのような衝撃でした。

その表情も、その言葉も、投げつけられたどんぐりまでもが、同じだったからです。

それは本当に、はじめて香が漣にちょっかいを出したときとまったく同じ仕草で……。

※以下、小説より一部抜粋

…………

瞬間、弾けるように漣は走った。

身体が勝手に走っていた。車に乗り込んだ。アクセルを踏んだ。まっしぐらに突き進んだ。

心の奥にしまっていた引き出しが全開して、次々とあふれ出てくる。

走るべきだ。今はなにも考えず走るべきだ。

 

行けよ、漣。

 

言葉はどこか遠くから聞こえた気がした。自分の言葉だった。口に出ていた。

遠くの世界とつながっているような響きがした。

もうなんの躊躇もなかった。

背中がさらに押されているような気がした。

そして漣はもう一度、口に出した。

行けよ、漣。

「行けよ、漣」は香が亡くなる前に漣に言った言葉です。

結の行動もそうですが、まるで香が漣の背中を押しているかのようなシーンでした。


結末

漣がおばあさんの家に着くと、すでに葵は出発したあとでした。

行き先は函館から出発するフェリー。

もう列車では間に合わない時間だと判断した漣は、再び車に乗り込むとアクセルを踏み込みました。

平成が終わるまで、あと10分。

函館港は、時代の変わり目を記念して真夜中に出航する特別便を見送る人々で賑わっていました。

葵は人ごみを抜け、停泊しているフェリーに乗り込みます。

どうか、これからの自分の旅立ちにふさわしい出航でありますように。

葵が次の人生に想いを馳せた、そのときでした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「園田!」

それは、どこか遠い場所から聞こえたような気がした。

葵はタラップを駆け降りた。人波の中を走った。

声がしたほうへ。あの声がしたほうへ。

衝動というのはこういうものか。身体が勝手に動いていた。

だが、そこには、カウントダウンを待つ若者たちがひしめいているだけだった。

葵は苦笑した。

心の赴くままに駆け出したのは久しぶりだった。

自分にはこんな力がまだ残っていたらしい。

私はそれを望んでいたのだ。

なにもかも投げ捨てて走っていく場所を。

時の流れに置いてきたあの場所を。

葵は息をついた。再びタラップを登っていった。

その背中を漣はたしかに見た。

「葵ちゃん!」

名前を叫んだ。車を港脇の駐車場に停車して走ってきた。

長い時間運転し続けていたので、足がもつれている。しかも人が大勢いる。なかなかたどり着けない。カウントダウンも始まった。

だからいっそう強く叫んだ。

大切なものを引き寄せるために、心の底から叫んだ。

「葵!」

漣だった。

たしかに漣だった。人波の中をもまれながら走ってくる。幻聴でも幻覚でもない。

漣がいる。

カウントダウンが最高潮に達している。でもその声は確実に葵の耳に届いた。

出航の汽笛が鳴った。瞬間、葵はスーツケースを投げた。

そして、飛んだ。

夜空をどこまでも飛んだ。本当はちょっとジャンプしただけかもしれない。どうでもいい。身体が勝手に躍動していた。

その時、平成が終わった。

うなるような地響きがした。人々が一斉に歓喜の声をあげたのだ。

漣の姿が見えなくなった。漣も葵を見失ったようだ。

フェリーにまだ乗っていると思い込んでいるようだ。出航したフェリーを追いかけている。

桟橋を少年のように猛進していく。葵は追った。

ここに辿り着くために遠い世界を回ってきたのだ。

ここに辿り着くためには、まず反対方向に歩み出さなければならなかったのだ。

その先には漣がいたのだ。

確信を得たように葵は突き進んだ。

なぜめぐり逢うのかを私たちはなにも知らない。

今、私は再び巡り合うために世界を駆け抜ける。

なんの躊躇もなかった。背中が近づいた。

フェリーは桟橋を離れた。汽笛が再び鳴った瞬間、立ち尽くす漣の手を掴んだ。

離さない。握ったこの手はもう絶対離さない。

うしろから手を握られた瞬間、それが誰だか漣は瞬時にわかった。

その手はほんのりと温かかった。

時の流れを越えて、多くのものに背中を押され、引き離されたものが再び繋がったのだ。

逢うべき糸に。

振り向くと、果たして、園田葵が立っていた。

走ってきた葵は、息が切れていた。

葵は、そんな自分を見て、漣がなにを言うのか、口にする前からわかった気がした。

桟橋の先にいるのは漣と葵だけだった。

漣が葵にかけた言葉は、葵にしか聞こえなかった、

葵は漣に抱き着いた。漣は葵を抱きしめた。

もうすでに新しい時代は始まっていた。

<完>

ラストシーンで、漣は葵になんと言ったのでしょうか。

わたしは「おかえり」だったんじゃないかな、と思いました。

ぱんだ
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感想

本当に、最高でした。

読んでいて中島みゆきさんの『糸』や『時代』が勝手に頭の中で再生されるような小説で、非の打ちどころがありませんでした。

正直、最初は「曲の知名度に乗っかっただけの作品だったら嫌だなあ」と思っていたのですが、読み終わった今は「曲に引けを取らない物語だった」ととても満足しています。

  • おもしろかった
  • エモかった

そんなどこか軽い言葉を使うのがためらわれてしまうようなこの気持ちは、

感動した

としか言い表せません。

本当に本当に、上質な物語でした。

応援したくなるすれ違い

物語の中で、漣と葵は何度も何度もすれ違います。

この「すれ違う」というのはけっこう難しくて、ともするとチープな印象を受けやすいです。

なんというか、「はいはい、最後の感動のためにすれ違わせてるんでしょう?」みたいな、ご都合の匂いを感じる作品も残念ながら散見されます。

その点、この『糸』は完璧でした。

漣と葵はいつも誠実で、香や水島を裏切るような(誰かを傷つけるような)選択肢を決して選びません。

それは単純に「浮気をしない」というだけではなく、たとえば、漣は結の父親として一度は葵を追いかけようとした足を止めます。

ここ! ここがいいんです!

もしこの場面で漣が躊躇なく葵を追いかけていたら、ちょっと興ざめだったかもしれません。

「香や結への愛情はそんなものだったのか?」

「まるで香や結が葵とすれ違うための障害役だったみたいじゃないか」

と思っていたことでしょう。

けれど、漣はちゃんと足を止めます。

地に足をつけた大人として香や結のことを第一に考えたからです。

このシーンを読んだときのわたしといったら、もう悶絶でしたね。

「ぐわー! おまえはそういうやつだよなー! わかる。わかるけど、幸せになってほしい……!」

と、もどかしい思いでいっぱいでした。

漣や葵が誠実に生きているからこそ、いつのまにか本気で応援していたんです。

で、そのまま読み進めてみると……なんと結(と香)が漣の背中を押すではありませんか!

誇張ではなく、本当に読んでいてゾクゾクと鳥肌が立ったことを覚えています。

そこからラストまでの展開はネタバレで長々と書いたとおり。

「もしかしたらふたりは最後まで出会えないんじゃないか?」

とドキドキハラハラが止まらなくなる読書体験は久しぶりでした。

活字で読んでいてこれだけ心かき乱されるのですから、映画でBGMに『糸』が流れようものなら、もう号泣するしかありません。

ああ、早く映画観たい……!


人生を感じる群像劇

小説『糸』ではころころと視点(≒主人公)が入れ替わります。

もちろん漣や葵の視点が多いのですが、それ以外にも

  • 竹原(漣の友人。結婚式に招待した)
  • 弓(葵の友人。竹原と結婚するも離婚)
  • 利子(竹原の後妻)
  • 玲子(葵の会社の共同経営者)
  • 冴島(葵の会社の秘書。葵に好意を寄せる)
  • 水島

などたくさんの登場人物がそれぞれの視点でそれぞれの心情を語ります。

そうして見えてきたのは、誰もが何かしらの事情を抱えて生きているという現実と同じ構図でした。

小説『糸』には、あつらえたような敵役は登場しません。

たとえば、弓は竹原を裏切って翔というダメ男に尽くすのですが、それは幼いころに虐待されている葵を助けられなかった後悔の反動で、同じように不遇な家庭に育った翔を見捨てられなかったからです。

葵の人生をへし折ったあの玲子でさえも、ただの悪役というわけではなく、玲子視点の章を読めば同情できるところがありました。

『誰もが思い通りにならない人生を一生懸命に生きている』

言葉にするとチープに見えるかもしれませんが、たくさんの登場人物の人生が垣間見える群像劇的な構成からはそんなメッセージが連想されて、なおいっそう中島みゆきさんの曲の世界観にあっているように思われました。

そして、お気づきでしょうか?

竹原は弓と離婚することになるのですが、もしそもそも結婚していなければ漣と葵が再会することはありませんでした。

玲子が会社に大ダメージを与えなければ、葵は日本に帰ってこなかったかもしれません。

弓が竹原を裏切ってまで支えた翔は、のちに葵がおばあさん(村田節子)の家に帰るきっかけとなったネット記事を書きます。

漣と葵が結ばれたのは、たくさんの人がそれぞれの人生を生きてきたからこそだったんです。

わたしは、この小説をラブストーリーだとは思いません。

もっと壮大な、まるで中島みゆきさんの『時代』のような物語だと思いました。


まとめ

今回は林民夫『糸』(映画ノベライズ)のあらすじ・ネタバレ・感想をお届けしました。

何度でも繰り返しますが、本当に感動できた、最高の物語でした。

映画ノベライズはボリュームが少ないものも多いのですが、小説『糸』はしっかり300ページ。

小説としても名作だと思うので、気になった方はぜひお手に取ってみてください。

  • 「もう読んだよ!」
  • 「映画観たよ!」

という方はコメントに感想を書いてくれると嬉しいです!

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キャスト

役名キャスト
高橋漣菅田将暉
園田葵小松菜奈
高木玲子山本美月
冴島亮太高杉真宙
後藤弓馬場ふみか
村田節子倍賞美津子
竹原直樹成田凌
水島大介斎藤工
桐野香榮倉奈々

 



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POSTED COMMENT

  1. R arira.291204 より:

    これを見て映画を観たいという気持ちがいっそうつよくなりました。

    • わかたけ より:

      コメントありがとうございます!
      わたしも楽しみにしていたのですが、やっぱり延期になりましたね……。

  2. 匿名 より:

    良い作品だと思ったが、最後に香の存在が消されてしまったようで少し悲しかった。

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