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『湖の女たち』あらすじネタバレ解説|感想|吉田修一【映画原作小説】

吉田修一『湖の女たち』を読みました。

殺人事件からはじまる物語ですが、一般に想像されるミステリとは大きく趣が異なります。

意外な真実も、驚くべきトリックも、この物語にはありません。

どんでん返しなど望むべくもなく、事件は迷宮入りとなり幕引きを迎えます。

ぱんだ
ぱんだ
えっ

ご安心ください。もちろん犯人が誰なのかは察せられるようになっています。

ただ、真相が見えた瞬間に爽快さはなく、むしろ……いや、前置きはこのくらいにしておきましょう。

今回は小説『湖の女たち』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。

ぱんだ
ぱんだ
いってみよう!

あらすじ

琵琶湖に近い介護療養施設で、百歳の男が殺された。

事件を追う刑事と、施設で働く女。二人が出会ったとき、美しい世界は一変する。

一方、週刊誌記者は、死亡した男の過去に導かれ、旧満州・ハルビンにたどり着いた……。

(単行本帯のあらすじより)

もみじ園の事件

介護療養施設「もみじ園」で市島民男の死亡が確認されたのは早朝のことです。

死因は人工呼吸器の停止によるものでした。

当初は人工呼吸器の故障が疑われたものの、人命を預かる機器だけあってそのセキュリティは万全です。

異常があればアラーム音が鳴る仕組みになっていて、しかもその機能にエラーが起こったとしても二重三重のバックアップが用意されています。

たとえ電源が落とされたとしても異常を報せられるほどです。

夜勤の介護士たちはアラーム音を耳にしていませんでした。

人工呼吸器のすべての機能が同時に故障する確率は天文学的なものであり、つまり機器側に原因があったとは考えられません。

ぱんだ
ぱんだ
ふむふむ

次に考慮されたのは人為的な機器の停止です。

人工呼吸器は一度の停止命令ではストップせず、三回繰り返して停止させることではじめて動作を止めます。

言いかえれば、その場で三度続けて停止ボタンを押すことにより【犯行】は成立します。

警察の疑いは当直の介護士である松本郁子に向けられました。

しかし、彼女には動機がありません。普段の人柄から考えても、とうてい犯人だとは思われませんでした。

濱中圭介

もみじ園職員の取調べを担当したのは西湖署の刑事・濱中圭介です。

彼は組織の一員として、不服ながらもあってはならない取調べに加担してしまいます。

ぱんだ
ぱんだ
というと?

ろくな証拠もないのに、松本郁子を犯人に仕立て上げようとしたのです。

精神的に追い込んで、やってもいない罪を【自白】させる。介護士への待遇に不満があった、という筋書きを押しつけようとしました。

連日の取調べに憔悴した松本郁子は交通事故を起こしてしまうのですが、それでも厳しい追及は止まりません。

いえ、よりいっそう止められなくなった、というべきでしょうか。

いまさら松本郁子の無実を認めた日には、強引な取調べが問題になるのは火を見るよりも明らかでした。

組織のため、家族のため、圭介はさらに松本郁子を追いつめていきます。

正義のために警察に入ったのではなかったか? と葛藤しながら。


豊田佳代

豊田佳代は「もみじ園」のスタッフです。

彼女は間違いなくこの物語の中心人物なのですが、事件にはまったく関与しません。

ではどんな立ち位置なのかといえば、佳代は圭介とただならぬ関係を築いていきます。

ただ単に男女の仲になる、というだけではありません。

圭介には妻子がいるから不倫にあたる……のですが、そういう話でもありません。

ものすごくやんわりと表現しますね。

佳代はかなり特殊な性癖の持ち主です。男に支配されたい、辱められたい、といった欲望を胸に秘めていました。

圭介にはその欲望が透けて見えたのでしょう。やがて彼は主人として佳代にあれこれと命令し、その欲望を叶えていくようになります。

佳代と圭介の密会を描いた場面は、なかば官能小説のようでした。

佳代の欲望はとどまることを知らず、最後には……。

池田立哉

池田立哉は週刊誌の記者です。

一応、この物語における探偵役、ということになるのでしょうか。

彼は20年前の薬害事件を調べているのですが、その背景にうっすらと市島民男が関与していることを知り、もみじ園の事件にも興味を持つようになります。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと?

詳細に説明するとキリがないほど複雑な事件なので、要点だけをかいつまんでいきますね。

池田が追いかけている薬害事件とは、宮森勲という医師がある薬の致命的な副作用を知っていながら、それを隠して治療に使用していたというものです。

宮森の背後には製薬会社MMOがあり、両者は癒着していました。

この事件の闇は、そこまでわかっていながらも立件されなかったということです。

西木田一郎という有力な政治家が警察に圧力をかけて揉み消したのでした。

……という前提を踏まえまして。

池田は旧琵琶湖ホテルの展示室で一枚の写真を見つけます。

写っているのは古い晩餐会の様子で、三人の男がそれぞれの夫人をともなって集っていました。

  • 医療法人渋井会の会長:渋井宗吾
  • 第八銀行頭取:段田信彦
  • 京大教授:市島民男

※このへんの人名とかは特に覚えなくてOKです。

そう、写真には「もみじ園」で亡くなった市島民男が写っていました。

それだけではありません。薬害事件の宮森医師が勤務していたのは渋井会系の研究施設でしたし、段田信彦は西木田一郎の父親です。

だからといって薬害事件と「もみじ園」の事件がつながるわけでもありません。しかし、何かが引っかかります。

  • 渋井
  • 段田
  • 市島

三人の共通点は満州で一時期を過ごしていたということです。

池田は歴史を紐解くべく旧満州・ハルビンへと旅立ちます。

市島民男の過去に隠された【三つの数字】とは?

そして、もみじ園の事件の真相とは……。

<すぐ下のネタバレに続く>


ネタバレ

もみじ園で亡くなった市島民男は、戦時中、満州でとある部隊に所属していました。

七三一部隊。

歴史上の事件についてあらためて説明したりはしません。作中では「非人道的な人体実験を行っていた部隊」として描かれていました。

では、もみじ園の事件は七三一部隊の生き残りである市島への復讐のようなものだったのでしょうか。

いいえ、そうではありません。

第二の事件の発生が、そのことを証明しています。

ぱんだ
ぱんだ
第二の事件?

はい。市島民男のときと同じ手口で、またしても人工呼吸器が停止させられたのです。

ただし、現場は「もみじ園」ではありません。

同じく琵琶湖周辺にある老人介護施設「徳竹会」

亡くなったのは溝口清子という九十二歳の女性でした。

溝口と市島の間に接点はありません。第二の被害者は完全な一般人です。

ふたつの事件の共通点は人工呼吸器につながれた老人が狙われた、ということです。だとすれば、市島民男の過去が動機に絡んでいるわけではないということになります。

また、第二の事件の発生は他にもいくつかの事実を示唆しています。

やはり人工呼吸器の故障ではなかったということ。

そして、もみじ園の松本郁子は無実だったということ……。

夜の湖

事件の真相が気になるところですが、その前に物語のクライマックスが待ち受けています。

ミステリ小説の佳境といえば謎解きであり、犯人の解明ですが、この物語においてはそうではありません。

圭介と佳代。もう破滅するしかない男女が迎える結末こそ、この物語の山場です。

ぱんだ
ぱんだ
破滅って?

松本郁子への数々の許されざる行いは、西湖署の不祥事として世間に露呈しました。

ありていに言って、取調べを担当していた圭介はもう終わりです。

組織からはトカゲのしっぽ切りとばかりに切り捨てられるわ、松本郁子からは訴えられるわ、もうこの先には絶望しか待っていません。

一方、佳代もまた崖っぷちに立っていました。

いつしか彼女の欲望は理性で抑えられなくなっていました。蔑まれたいという欲求はどんどん膨らんでいって、果てには破滅を求めるようになります。

例をあげましょう。佳代は西湖署に乗り込んで「市島民男の人工呼吸器を止めたのはわたしです」と嘘の自白をしました。圭介が止めなかったら大変なことになっていたでしょう。

だというのに佳代は破滅を予感して興奮していたというのですから、もう手の施しようもありません。

ぱんだ
ぱんだ
Oh……

圭介も佳代も、人生が狂ってしまいました。迫りくる破滅を享受するのか、そうでなければ……。

夜の湖畔。いつもの密会場所に佳代が到着するところから、ふたりの【結末】は始まります。

※以下、小説より一部抜粋

…………

車を降りてきた佳代に、その場で服を脱げと圭介は命じた。

佳代はもうためらうこともなく服を脱ぐ。

服を脱げと言えば、目の前ですぐに脱ぐこの女が、一体自分のなんなのか圭介には分からない。羞恥心もなく服を脱ぐその姿が腹立たしいのか、愛おしいのかも分からない。

葦原に伸びたレジャーボート用の浮き桟橋を、佳代の手を引いて歩く。

圭介は佳代を突端に立たせた。

靴を脱げと命じると、その瞳が尋常でないほど怯える。

それでも圭介は、無理やり靴を脱がせた。

「飛び込め」

命じた途端、佳代がすがるように圭介の手を握り返してくる。

「……泳げへん」

声は震え、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「助けたるって。俺のこと、信じられへんか?」

「……でも、ほんまに泳げへん」

佳代の目が絶望していた。目も絶望するのだと圭介は知った。

「俺のこと、信じられへんか?」

もう一度、圭介はゆっくりと尋ねた。佳代はひどく目を泳がせるだけで、何も答えられずにいる。

圭介はそれでも次の言葉をかけてやらず、ただじっと佳代の返事を待った。

「俺のこと、信じられるな?」

ずいぶん経ってから、圭介はもう一度繰り返した。観念したように、佳代が頷く。

圭介は別荘から持ち出してきた黒い手錠を出した。佳代の顔からいよいよ血の気が引く。

それでも容赦なく圭介は佳代の両手に手錠をかけた。

湖の風景の中、この黒い手錠だけが異質だった。

「……ほんまに泳げへん」

もう声とは呼べない、器官の震えのような声だった。

「飛び込め」

圭介は静かに命じた。

激しく首を横に振りながらも、今にも腰を抜かしそうな佳代が、それでも数センチずつ足を浮き桟橋の端に進めようとする。


どこにも行けない

佳代は手錠をかけられたまま、湖へと身を投げ出します。

彼女は当然の感覚として死を恐れていました。それでいて、死を意識した瞬間に体がかっと熱くなるのです。

佳代は圭介が殺人犯として逮捕される姿を思い浮かべます。

“これで圭介は、一生私から逃れられない。これで私は一生圭介から支配され続ける。そう感じた”

溺れながら、佳代は穏やかな気持ちでした。

しかし、彼女の恍惚はすぐに終わりを迎えます。

圭介が続けて湖に飛び込み、佳代を助けたのです。

「力抜け!」「俺の首に腕回せ!」「暴れんな!」

佳代を引き上げると同時に、圭介は怒鳴ります。

「お前、アホか! ……俺が飛び込まへんかったら、お前、今ごろ死んどるぞ!」

自分で飛び込めと命じておきながらずいぶんな言い草です。もう、圭介は自分が何をしているのか、何をしたいのか、わからなくなっていました。

佳代も同じです。壊れてしまったのは心か体か。いずれにせよ退屈な日常にはもう戻れません。

湖の波打ち際には、どこにも行けない二人が転がっていました。

そのうち圭介は発作のように笑い出したかと思うと、

「なあ、一緒に、どっか行かへんか?」

そう、つぶやきました。

…………

「一緒に?」

「そや。二人で、もうどっか行ってまおか」

「どっかって?」

「そやから、どっかはどっか……」

ふいに圭介が体を起こし、佳代の顔を覗き込んでくる。

「お前、頭おかしいわ」と圭介に微笑まれ、佳代は黙って頷いた。

「お前、頭おかしいな?」

また頷く。

「ほんで、俺も頭おかしいわ」

立ち上がった圭介が手を差し伸べる。

佳代はその手をとった。

…………

圭介は裸のままの佳代を助手席に乗せ、車を走らせます。

「俺も、お前も、頭おかしい。頭おかしいもん同士でドライブや」

そのままあてどもない逃避行へ……というのも物語としては美しいように思われます。しかし、圭介はふとした拍子に冷静さを取り戻してしまいます。

「もう、終わりや。いつもの終わりとはちゃう。いつもLINEで、もう会わへんとか、これが最後やとか言うてる、あの終わりじゃなくて、ほんまの、本物の終わりや」

さっきまで自暴自棄だった圭介が、我に返っていました。

佳代はひとり取り残されたような心細さをおぼえて抗議します。

「……私もう、戻られへんわ」

※以下、小説より一部抜粋

…………

「……こんなんになってしもて、今さら帰されても、もう居場所もないわ。こんなんになってしもた女、もうどうにもならへんわ」

気がつけば、バイパスに伸びる赤いテールライトの列が涙に滲んでいた。

佳代の目から溢れる涙を、圭介が指で拭ってくれる。

「そんでも、もう無理やわ。……たとえばもしここが海やったら、このままどっかに行けるんかもしれへんけど、……ここ、湖やもんな」

佳代は圭介の目をまっすぐに見つめた。

「……そんでも、もう私は戻れへん。この体がもう、元には戻らへんわ」

圭介は、もう佳代を見ていなかった。


満州の湖

旧満州・ハルビンから戻った池田は、もみじ園の事件の容疑者として《とある人物》に注目します。

その人物とは「もみじ園」のベテラン介護士である服部……の孫である三葉(みわ)ちゃんです。

ぱんだ
ぱんだ
誰!?

そうなりますよね。実際、服部や三葉ちゃんが事件に関係しているだなんて、そんな素振りはちっともありませんでした。警察だってノーマークだったのです。

無理もありません。三葉ちゃんはまだ中学生です。

芸能界デビューを目指しているという可愛い女の子が殺人事件に関与しているだなんて、いったい誰が想像するというのでしょう。

池田にしたって、なにか確証があって三葉ちゃんを疑い始めたわけではありません。

市島民男の妻・松江から聞いた話がたまたま記憶に残っていなければ、どうということもなく見逃していたに違いないのです。

ぱんだ
ぱんだ
話って?

戦時中、満州で暮らしていた頃の話です。

松江はまだ新婚で、ハルビン郊外の広野に作られた宿舎区・東郷村で生活していました。

日本人のコミュニティは極寒の異国にあって温かく、暮らしは穏やかなものでした。しかし、身も心も凍るような《とある事件》を目撃してしまったことだけは、悪夢の記憶として松江の記憶にこびりついていました。

その事件とは、日本人の男児とロシア人の女児が凍死体で発見されたというものです。

心中として解釈されたその事件の真相は、日本人の少年たちによるいじめでした。

亡くなった少年少女は惹かれ合っていた……たったそれだけの理由です。

現場は東郷村から二十分ほど歩いた場所にある湖。亡くなった男女は湖畔のボート小屋で服を奪われ、なすすべなく……。

この事件の最もおぞましいところは、犯人たる少年たちの服装です。

白衣。彼らは父親たちのやっている人体実験を模して、尊い命を無残にも奪ったのでした。

……というのが、松江の語った満州での事件の話です。

ぱんだ
ぱんだ
ふむ

この話がどう「もみじ園」の事件につながるのかというと、場面は服部家での一幕に移ります。

その日、池田は取材の一環として服部の家を訪れていました。

取材としては新情報が得られるでもなく空振りです。ただ、三葉が雑誌のグラビアに興味を持ったこともあり、池田はリビングに通されていました。

そこで見せられたアルバムの中の一枚の写真。

写っているのは三葉と、その取り巻きの男の子たち。

彼らはみんな、白衣を身につけていました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

大人用らしい白衣はだぶだぶで、袖を幾重にも捲っている子もいれば、中には裾が地面につきそうな男の子もいる。そのせいか、どこか異様な雰囲気だった。

「みんな、どうして白衣なの?」と池田は訊いた。

三葉がちらっと服部を窺うのが横目で見えた。

「この子ら、生物部ですねん」

気のせいかもしれないが、服部が少し早口になる。

「ああ、生物部」と池田は納得した。

さらに服部の口調が早くなり、「……湖の水草やなんかの生態を調べてるんやろ?」と三葉に尋ねる。

尋ねられた三葉は面倒くさそうに、「そやから、水草ちゃうって。水草に付く害虫」と訂正する。

「害虫?」と、池田は思わず繰り返した。

三葉の口調がどこか冷淡だった。

(中略)

生物部と言われてしまえば、特に違和感もなくなるのだが、なぜか池田には白衣を着た子供たちの姿がグロテスクに見えた。

次の瞬間、池田は手を止めた。

やはり白衣の子供たちが別の場所で写っている写真なのだが、その上に日付が書かれたシールが貼られていた。もみじ園で市島民男が殺された当日の日付だった。

「あら、もうこんな時間やわ」

急に服部が慌て出したのはそのときで、聞けばそろそろ出勤の時間らしい。

池田もすぐに席を立ち、家を出た。

車に戻りながら、池田は思わず苦笑した。馬鹿げているとは思いつつも、なぜか松江から聞かされた昔話の少年たちと三葉たちの姿が重なっていた。

「いや、まさか……」

そう呟くと、人心地がつく。声にしてしまえば、馬鹿げた思いつきにしか思えない。

「まさか」

それでも、池田はまた同じ言葉を繰り返した。


届かず

池田の疑念はやがて確信へと変わっていきます。

やはり、人工呼吸器を停止させたのは三葉だったのです。

三葉は取り巻きの男の子たちを引き連れて、たびたび野鳥観察のためのキャンプをしていました。それらのキャンプ場は老人介護施設まで歩いていける距離にあります。

三葉には犯行が可能でしたし、アリバイもありません。

ぱんだ
ぱんだ
でも、なんで……

はい。三葉が犯人だとして、よくわからないのは動機ですよね。

池田も同じ謎にぶつかりましたが、答えは三葉のTwitterに見出すことができました。

さかのぼること一年。三葉の初めてのツイートは《とある事件》を拡散するものでした。

障害者施設での大量殺人事件。

犯人は「生産性のない人間は生きる価値がない」と繰り返し訴えていました。

もし、三葉がこの事件に触発されたのだとしたら……?

彼女が吐き捨てるように「害虫」と口にしたものの正体は、もしかしたら……?

池田はなにか大きな存在に導かれたような気がしました。

旧琵琶湖ホテルの展示室に飾られていた市島民男の写真。市島の過去に隠されていた秘密と、松江の思い出話。湖での事件という共通点が抱かせた三葉への疑念……。

三葉たちが犯人だとすれば、キャンプ場から施設まで徒歩で向かったはずです。

その経路にある防犯カメラを調べれば、動かぬ証拠を手に入れることができるに違いありません。

幸い、池田には刑事とのパイプがありました。防犯カメラのチェックはそちらに依頼し、あとは結果を待つだけ……。

そうしてついに、池田のもとに刑事からの電話がかかってきました。

「考えられるだけの経路にある、すべての店舗及び民家の防犯カメラを調べたが、徳竹会ともみじ園の両件の事件発生時刻に、女の子を含む子供たちのグループが映り込んでいる映像は一つも見つからなかった」

池田は愕然としました。

もはや三葉が犯人であることは疑いようもありません。それなのに、どうして?

湖は穏やかに凪いでいるばかりで、なにも答えてはくれません。


結末

半年後――。

ふたつの老人介護施設で起こった事件は完全に迷宮入りしていていました。佳代が働くもみじ園でも、その話題を口にするものはもう誰もいません。

佳代は日常に戻っていました。

なにも考えたくなくて始めたジョギングの習慣が功を奏したのか、今では思い悩むこともなくなり晴れやかな心持ちで日々を過ごしています。

圭介からは一度だけ「すぐに湖に来い」という連絡がありました。佳代が断るとまたすぐにメールが来て、

『このまえは悪かった。俺はどうかしてた。本当にすまない。本当に、申しわけありませんでした』

以来、彼からの連絡は一切ありません。

ぱんだ
ぱんだ
……終わったのね

圭介は松本郁子が起こした訴訟において、取り調べに違法性があったと認めました。

現在は謹慎処分ですが、裁判の結果が出れば懲戒免職になるものと目されています。

“当初、松本の取り調べに関して、強制や違法な恫喝などはなかったと一貫して主張していた西湖署側が、途中でその主張を変えた。変えたのは濱中圭介という若い刑事だったという”

ぱんだ
ぱんだ
池田は?

池田は半年まえ、一身上の都合で休職を願い出ました。退職覚悟の願いでしたが、現在は無給の休職扱いとなっています。

それからというもの、池田はずっと三葉をマークし続けてきました。

粘り強く、執念深く、三葉たちを監視してきました。

“なんの根拠もなかった。それは目を閉じているような真っ暗な湖の景色と同じだった。それでも諦めきれなかった。この事件が解決されなければ、この先一歩も前へ進めないような気がした”

いま、池田は三葉たちが宿泊している湖畔のバンガローを離れた場所から見張っています。

時刻は朝の四時半。これまでなら三葉たちが双眼鏡を持ち出して、野鳥観察を始める時間でした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

また空振りかもしれなかった。野鳥観察を終えた三葉たちは、数時間後に迎えにくる服部夫妻の車で、帰宅していくだけかもしれなかった。

屋外の洗面所で顔を洗った三葉たちがバンガローへ戻ってくる。

池田は見つからないように、いつものように駐車場の車へ戻ろうとした。やはり今日もその駐車場には濱中圭介という刑事の姿がある。

彼もまたこの事件に取り憑かれている一人らしかった。

池田と同じようにこうやって何度も空振りに終わる張り込みを、彼もまた続けている。

お互いにお互いの存在は知っている。ただ、これまでまだ一度も言葉は交わしたことがない。

(中略)

池田が今日もいつもと同じように空振りだと諦め、改めて駐車場に戻ろうとしたときだった。車からその濱中という刑事が身を潜めるように出てくる。

池田は振り返った。

そのときだった。ドアのわずかな隙間から三葉が使っているバンガローの室内が見えた。その壁に白衣が掛かっていた。

膝が震えた。

池田は楡の木に手をつき、「落ち着け」と自分に言い聞かせた。

それぞれのバンガローから白衣を着た少年たちが出てきたのはそのときだった。彼らは普段のように湖に向かうのではなく、三葉を先頭にして車道の方へ歩いていく。

一列に並び、黙々と行軍するような子供たちの姿は異様だった。

その背中や歩き方には、間違いなく行き先がある。目的がある。

次の瞬間、三葉の声が風に乗って池田の耳に届いた。なぜかその瞬間だけ、湖の波音も鳥の声も何もかもが静まり返った。

三葉が口にしたのは、ある介護施設の名前だった。

池田がこのキャンプ場の位置から目星をつけていた施設だった。

ふと目を向けると、すでに濱中刑事は動き出している。

池田は子供たちのあとを追うまえに、一度だけ振り返って湖を見た。

湖は美しい朝を迎えようとしている。

<おわり>

ぱんだ
ぱんだ
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感想

この小説はいったいなんだったのだろう、と今も考え続けています。

ミステリ小説と定義にするには薄味だし、かといって恋愛小説なのかというと首をかしげざるを得ません。

それでいて、じゃあつまらなかったのかと問われれば、不思議と満足感はあるのです。

この物語を味わい尽くすためには読者の側に行間を読む力が求められる、という気がしています。

たとえば、結末では三葉が真犯人であることが示唆されています。

しかし、なにが三葉をそうさせたのか、というより深い部分については考察するしかありません。

SNSで拡散していた事件に触発されたから? では、なぜ三葉はその事件に強い影響を受けたのでしょう?

母親に捨てられ、祖父母に育てられている環境が関係しているのか? それとも服部が介護士であることに関係しているのか?

事件については他にもわからないことがあります。

服部は池田を警戒していました。服部は三葉の犯行に気づいているはずです。では、知っていて止めないのはなぜなのでしょう?

キャンプ場への送迎を引き受けていることを思えば、服部は三葉に協力しているようにも見てとれます。なんだか不穏ですね。

「三葉が犯人だ」という結末は湖の水面でしかありません。その下には深い水の世界が広がっていて、湖底まではなかなか見通せません。

どこまで潜っていけるのかは、読者の技量にかかっている……そんな印象をわたしはこの小説に抱きました。

佳代と圭介の関係についても同様です。率直な感想として、わたしにはまったく意味がわかりません。

圭介の欲望が佳代を服従させていたのか、佳代の欲望が圭介を支配していたのか。磁石がくっつくような急展開ではじまった関係は、やはり磁石が反発するような勢いで終わりを迎えます。ほんと、なんだったのか。

しかしこれも、読む人が読めば、まったく違う解釈になるのでしょう。

そういえば、吉田修一先生は映画化にあたって次にようにコメントしています。

…………

劇中、不毛でアブノーマルな性愛に溺れていく男女を演じる福士蒼汰さんと松本まりかさんからも、その何かを問いかけるような凄みが強く伝わってくる。

二人が重ね合わせるのは体ではなく、互いの弱さである。互いが日常生活で抱えている服従心である。

では人はどのようなときに服従を選択するか。

自由を奪われたときである。

では自由とは何か。

それは恐怖心がないということだ。

とすれば、服従心というのは、恐怖心への対抗策であり、自由を希求する心であるとも言える。

暗い湖に落ちていくような二人の姿に、そんな根源的なことまで考えさせられた。

映画『湖の女たち』公式サイトより)

…………

うん、わからない。なんとなくわかる気もするけど、やっぱりわからない。でも、きっとわかる人もいるはず。

ぱんだ
ぱんだ
せやろか

「奥深い」ならぬ「底深い」小説でした。

いつか再読するときには、もっともっと湖の底まで潜れるようになっていられたらいいな、と思います。


まとめ

今回は吉田修一『湖の女たち』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。

  • 欲望に溺れていく佳代
  • 葛藤に流されていく圭介
  • 真相に潜っていく池田

それぞれの物語は湖のように深く、その底になにが眠っているのか見通すのは困難です。

事件の真犯人はどうやら三葉らしい。めでたしめでたし、では済みません。

佳代には佳代の、圭介には圭介の《そうせざるを得ない背景》があったのだと確信できるのに、肝心のそれは行間に沈んでしまっているのです。

わたしたち読者は傍観者ではいられません。

彼ら登場人物に思いを馳せ、語られていない心の叫びに到達してはじめて、この物語は真の姿を取り戻します。

佳代と圭介の間に愛はあったのでしょうか?

三葉はどうして老人の命を刈りとろうと思ったのでしょうか?

問いかけても湖は答えてくれません。

一筋縄ではいかない、けれどそのぶんだけ味わい深い、そんな一冊でした。

 

映画情報

キャスト

  • 福士蒼汰
  • 松本まりか

公開日

2023年11月公開

ぱんだ
ぱんだ
またね!


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