小説「望郷」は湊かなえさんの出身地である広島県尾道市因島をモデルとした「白綱島」を舞台にした連作短編集。
各話ごとに登場人物も異なり、話がクロスすることもありませんが「白綱島」という共通した風土背景が全体に統一感のある雰囲気をかもし出しています。
田舎の島暮らし特有の不自由さや人間関係をリアルに描写しつつ…しかしてそれらの物語は「ミステリー短編」でもあるのです。
読者を「あっ!」と言わせてくれる結末になっているのは、さすが湊かなえ!
今回はそんな小説「望郷」全編のあらすじと感想をお届けします!
※結末のネタバレを含みますので、ご注意ください!
湊かなえ「望郷」あらすじネタバレ
「望郷」には全6編の短編が収録されています。
一編は約50ページほど。
今回は収録順に一作品ごとのあらすじ・ネタバレをご紹介していきます。
「みかんの花」
白綱島が向かいのO市に合併吸収されることを惜しむ記念式典の日。
高校卒業前に男と駆け落ちし、以後25年間連絡もよこさなかった姉が帰ってきた。
東京に出た姉は作家として有名人になっており、来賓として呼ばれたらしい。
「私」はあっけらかんと普通に接してくる姉に憤りを感じた。
私たち家族はただでさえ島の中で肩身の狭い思いをして生きてきた。
それというのも、父が若い浮気相手と一緒に事故で亡くなったからだ。
残された母・私・姉は島民から陰口をたたかれ、特に姉は酷くいじめられていた。
そして、姉の駆け落ちだ。
姉が駆け落ちしたという事実は、残された私と母への風当たりをさらに強いものにした。
今さら、どの面を下げて帰ってきたというのか…。
姉が一緒に駆け落ちした男というのは、私たちの家が管理するみかん畑をたまたま訪れた健一という名の若い旅人だった。
健一の語る旅物語は島育ちの私たちにとって憧れるに十分なものであり、姉が駆け落ちしたくなる気持ちもわからないでもない。
しかし、それにしてもあと3カ月で高校卒業だったのだから、それを待ってもよかったのではないだろうか?
それに、てっきり姉は同級生の宮下邦和と両想いだと思っていたのに…。
姉はすぐに健一とは別れたという。
そして、姉は東京で作家デビューを果たしたのだ。
私は島の中に縛り付けられていたというのに、姉の自由気ままさときたらどうだ。
式典で姉と邦和が再会した。
二人はなにやら私にはわからない話をしている。
この25年間、家族には連絡1つも寄こさなかったのに、邦和とは会っていたのだろうか?
ふと、「私」は2人の会話から恐ろしい想像をしてしまう。
笑い飛ばされることを覚悟して姉に直接訪ねてみる。
「健一くんは本当にこの島を出ていったの?島のオブジェの下に、埋められているんじゃないの?だから今回お姉ちゃんはあのオブジェが撤去されるんじゃないかと心配になって帰ってきた」
姉一人では人間一人は埋められない。それを手伝ったのが邦和なのではないか。
動機は…襲われそうになったから、とか…?
姉が答える。
「わたしが25年間帰ってこなかった理由がわかった?あんたが怖かったんだよ。こうやってばれてしまうんじゃないかって」
「本当なの?」
「違うのは動機だけ。健一はもともとお金目当てで、うちに上がり込んできたの」
当時、私たちのみかん畑の一部が開発のために売れ、家に多くのお金が入ってきていた。
その噂を聞いた健一は、偶然を装って母に声をかけ、好青年として家に住み着いた。
ある夜、物音で目覚めた姉が居間へ行くと、仏壇の中にしまってある通帳を漁っている健一と鉢合わせた。
姉は健一を包丁で刺し、邦和とともに遺体をオブジェの下に埋めて島を出た。
都合よく当時建設中だったオブジェの下に遺体を埋められたのは、邦和が工事を請け負っていた会社の息子だったから。
その後、姉は東京の大学へ進学した邦和と合流し、一時期は同じ屋根の下で過ごしたらしい。
その話を聞いても、私は姉に同情などしなかった。
姉が通帳を持って逃げたせいで、私は島から出られず、そのうち外に出ることが怖くなってしまったのだ。
全部、姉のせいだ!
姉は「…ごめん」と呟いて、東京に戻っていった。
家に帰った「私」は何気なくずっと触れずにいた仏壇の引き出しを開けてみた。
通帳が入っている。畑を売ったお金にも手がつけられていない。…これはどういうことだ?
最近認知症が進みつつある母が言う。
「お姉ちゃんは帰ってこない。わたしの罪を背負って島を出て行ったんだから。わたしのせいで…」
これは妄想か、真実か。
いや、きっと健一を刺したのは母なのだ。
姉はそれを自分がやったことにして島を出て行ったのだろう。
姉が自分の役割を全うし続けるのなら、黙って送り出すのが、私の役目だ。
さようなら、お姉ちゃん。
感想
自由人な姉と苦労人の「私」というストーリーから一転、「人を刺して埋めた」という過去の事件が掘り起こされたシーンには驚かされました。
そして結末には「実は実行犯は母であり、姉はその罪を被った」というさらなる逆転が!
たった50ページの短編の中に奥行きのあるそれぞれの人生を感じられるような、面白い作品でした。
また、個人的に「望郷」の面白さの1つは『全てが語られない』という点にあるのだと思います。
例えば、作中で姉は独身のまま。一方で邦和は島で妻子を儲けています。
話の流れ的に2人は恋人になってしかるべきというふうに感じるのですが、なぜそうならなかったのか?
邦和の「2度も振られた相手に…」という言葉からは、姉が邦和の気持ちを受け取らなかったことが読み取れます。
では、なぜ姉は憎からず思っていた邦和と一緒にならなかったのか…?
そんなことを考えていくと、作品の面白さがより増していくように感じます。
海の星
25年前、父が行方不明になった。
何の前触れもなく。唐突に。
母と私はそれから毎夜のように父を探して島内を歩き回ったが、父の影も形もない。
家は経済的にも貧しくなり、その日の食べ物にも困るような生活が始まった。
当時、中学生だった私は少しでも家計を助けようと魚釣りを始めた。
そこで出会ったのが「おっさん」だ。
真野という名のおっさんは漁師であり、たまに出会うと魚をわけてくれる。
それは私が釣る小さなアジとは違い、ずいぶん立派な魚だった。
そのうち、魚のさばき方を教えるという名目のもと、おっさんは家に上がるようになる。
おっさんは台所以外に立ち入らず紳士的に振る舞っていたが、きっと独り身同然の母が狙いなのだろう。
おっさんがくれる魚のおかげで家計は助かったが、私はおっさんの下心を冷ややかに観察していた。
ある日、家にやってきたおっさんはいつもとは違い、きちんと正装していた。
手にはユリの花束。
おっさんは「ご主人はもう亡くなっている。あなたももう少し楽に生きていいはずだ」と母に話を切り出す。
だが、それは禁句だ。
母は相手が誰であれ「父が亡くなった」と口にする人間との関係を絶つ。
結局、おっさんは話し終わる前に家から追い出されてしまった。
1人泣く母を家に残しいつもの釣り場に行くと、おっさんが肩を落としていた。
「すまない」
それは何に対する謝罪の言葉だったのだろうか?
おっさんは最後に、海に水をまき、光る「海の星」を見せてくれた。
それはとてもキレイだったが、どういう現象なのか尋ねる前におっさんは帰ってしまった。
それ以来、おっさんとは会っていない。
そして、現在。
おっさんの娘である美咲から「東京にでるから会えないか?」と連絡が来た。
「お父さんのことで話がある」という。おっさんに何かあったのだろうか?
久しぶりに美咲と会った。
おっさんは肝臓がんにかかったらしい。
美咲は病床のおっさんから聞いた話を伝えるべきだと判断し、ここに来たという。
それは、私が知らない「真実」だった。
『父は行方不明になった25年前、すでに亡くなっていた』
これが、一つ目の真実だ。
では、なぜそんなことが言えるのか?
それは、他ならぬおっさん自身がその遺体を見ていたからだ。
当時、漁船の網に遺体がかかることはままあったのだという。
しかし、それを警察に通報すれば褒められるどころか犯人扱いで取り調べを受けることになる。
一度、そうして警察から理不尽な取り調べを受けていたおっさんは、つい父の遺体を見なかったふりをして海に帰した。
そして気づいた。
街中に貼ってある手製の人探しポスターに。
だから、おっさんは子供だった私に近づき、まるで罪滅ぼしをするかのように魚を恵んでくれたのだ。
おっさんは、いつかは真実を告げなければならないとずっと考えていたという。
今思えば、あの日、おっさんは母に好意を伝えに来たのではなく、真実を伝えに来たのだろう。
だが、それは失敗に終わってしまった。
真実を知らぬまま、母は亡くなってしまったのだ。
しかし…。
私は思う。
母は父が海で亡くなっていることに気づいていたのではないだろうか?
晩年、母はずっと海を見ていたし、遺骨は海に散骨してくれとも頼まれた。
母はいつそのことに気づいたのだろうか…?
美咲の父であるおっさんは、手術が成功して元気に生きているらしい。
私は美咲に「海の星を見せてくれてありがとう」と伝言を頼んだ。
感想
今度もまた視点の転換が見事でしたね。
「夫を失った母目当てでよくしてくれたおっさんの話」だったのが、後半ではまったく別の話に変わってしまっています。
実は作中では、主人公(洋平)がおっさんの娘と知らずに美咲と恋に落ちかけるけれど、美咲がおっさんの行為を「ボランティア」と呼んだことで決別してしまったエピソードなども盛り込まれていました。
本筋であるミステリー部分の伏線・回収だけでなく、しっかりとそれぞれの『人生』が短いページ数のなかに内包されているのがすごいですよね。
ちなみに表題「海の星」の正体は「夜光虫」と呼ばれるプランクトンの一種で、海面の刺激に反応して青く光るのだそうです。
夢の国(映画の原作)
夢都子は今、東京ドリームランドに来ている。
夫と娘も一緒だ。
「夢都子」とは、この日本一有名なテーマパークの開園にあわせてつけられた名前だが、夢都子が東京ドリームランドに来るのは、これが初めてのこと。
なぜなら、夢都子が生まれたのは祖母がすべての実権を握っているような、白綱島の中でも特に厳格で古臭い家だったからだ。
父も母も、何かというとすぐ恨み言を言い始める祖母の顔ばかりをうかがって生きていた。
「私たちが楽しんでいる」ということが、祖母には許せないことらしい。
だから、くじ引きでドリームランドへの招待券が当たったときも、母はそれを商店街に返してしまった。
ただでさえ狭苦しい島の、その中でもさらに息詰まるような家で、これからずっと暮らしていかなければならなかったのだ。
波風を起こしたくないという母の気持ちはわかる。
だが、それでも夢都子はずっと東京ドリームランドに行きたかったのだ。
クラスメイトたちが楽しそうに思い出を語っていた、まだ見ぬ夢の国へ。
「跡取りにはなれない女だから」という理由で、夢都子には自由が許されなかった。
進学も、就職も、島の家から通える範囲内でしか選択できない。
カビの生えた古臭い家制度。
だが、逆らうことはできない。
夢都子は仕方なく教員になる道を選んだ。
教育実習では、かつての同級生だった平川と再会した。
学校から家へのバスは本数が少ないので、実習からの帰りは平川の車で送ってもらうようになった。
どこで噂を聞き付けたのか、母は執拗に平川との関係を問いただしてくる。
ああ、嫌だ。なんて不自由な暮らしなんだろう。いったいこれがいつまで続くというのか?
ある夜、夢都子は家に送ってもらった後、改めて平川の車に乗り込み、初めて無断外泊することにした。
確かに最初は「家に帰りたくないから」という理由からだったが、そのうちに本気になる。
夢都子は心から望んで平川と一夜を過ごした。
朝になって恐る恐る家へ帰ってみると…祖母が亡くなっていた。
たまたまその日は母が寄合に出ていて不在だったのだ。
祖母は水を飲もうと井戸まで行ったところで倒れ、そのまま帰らぬ人になったのだという。
夢都子は思い返す。
昨夜、一度家に帰ったときに見た、倒れた祖母の姿を。
祖母にはまだ息があった。夢都子と、名前を呼んでいた気もする。
そんな祖母の姿を見てなお、夢都子は平川と無断外泊しに出かけたのだ。
悔いはない。やっと自由になれると思った。
今、夢都子は初めて東京ドリームランドに来ている。
やっと積年の想いが成就したのだ。
あっけないような、それでも心から感動しているような、複雑な感情が夢都子の胸中に渦巻く。
祖母は亡くなったが、相変わらず日々の暮らしには自由がない。
夫となった平川の母はなにかと嫌味事を言ってくるし、結婚する時には「勘当だ」と騒いでいた父母も男孫もほしいなどといって生活に干渉してくる。
結局、私を縛り付けていたのは祖母ではなかったのかもしれない。
夢都子の不自由な生活はこれからも続いていくのだろう。
夢都子(だけどもう、縛られていると考えるのはやめよう。辛くなれば、ここを思い出せばいい。またここに来ればいい。夢の国は何十年もかけて辿りつくような、遠い場所ではないということがわかったのだから)
感想
物語は東京ドリームランドに始めて来た夢都子が、過去を回想する形で進んでいきます。
過去の回想が進むにつれて、次第に夢都子が何を考えていたのか、そして今どんな気持ちでランドに来ているのかがわかってくる。
夢の国に行きたいという子供らしい願いすら許されなかった子供時代。
初めて家に逆らい、愛する人と過ごした一夜。
そして、やはり物語の視点は一転することになります。
祖母が亡くなったというショッキングな事件を描写したすぐ後に、実は夢都子がまだ息の合った祖母を見て見ぬふりをしていたという事実が明らかになるのです。
しかし、この「夢の国」の主題はその事件そのものではない気がします。
夢都子にとって自由の象徴だった「夢の国」にたどり着いたことで、夢都子はなにかを吹っ切ることができたのではないでしょうか。
あるいはそれは、夢都子にとって「やっと大人になることができた」ということだったのかもしれません。
雲の糸
島の人間たちの身勝手さに、宏高は心底うんざりしていた。
宏高が子供だった頃、島の人間たちはこぞって宏高たち家族を蔑ろにし、つまはじきにしていたのに、この変わり身の早さときたらどうだ。
宏高が「黒崎ヒロタカ」として歌手デビューし、若者に人気な有名人になったとたん、手のひらを返したように「俺たち親友だろ?」「家族同然だろ?」と、まるで昔からの馴染みであるように接してくる。
冗談ではない。吐き気がする。
だが「ふざけるな!」と声を荒げることはできない。まだ母や姉はこの白綱島で暮らしているのだから。
宏高がまだ幼かったころ、母が刑務所に入った。
いつも暴力ばかりだった父を包丁で刺し、息の根を止めてしまったからだ。
宏高は姉とともに親戚の家に預けられ、学校では苦痛そのものと言える少年期を過ごすことになった。
その後、宏高は島の外に出て普通に就職したが、諸々の巡り会わせで歌手デビューを果たす。
そして今、宏高はかつて自分を率先していじめていた「自称・親友」の頼みで、奴の父が経営する会社のパーティーに出席するため、久しぶりに島に戻ってきていた。
当然、本当は戻って来たくはなかった。
だが、奴の会社には姉が勤めている。
母や姉を人質にとられては仕方ない。
無理やりサインを書かされたり、いきなり歌えと言われたり…宏高にとって拷問のような時間が続く。
パーティーが終わると同時に、宏高は胃の中の逆流を抑えきれず、吐いてしまった。
家に帰ると、母が心配そうにあれこれと尋ねてきた。
だが、そんなことより気になるのは目の隅に映るサイン色紙の山だ。
母は宏高に「友達に頼まれたから書いてほしい」と言う。
宏高が記憶している限り、島には母にサインを頼めるような友人などいなかったはずだ。
自ら侮蔑した過去を忘れ、いったい彼らはどんな顔で母に頼みごとをしたのだろう?
それに、母も母だ。そんな奴らの頼み、断ってしまえばいいのだ。
「でも、そんなこと言ったら、ヒロちゃんが嫌がらせされるかもしれないじゃない。母さんは何を言われたっていい。でも、ヒロちゃんには…きれいなところにいてほしい。…バカなお母さんでごめんね」
ふと見やると、母の手首には真新しい傷が生々しく残っている。
宏高は気づいた。
母は自分のためにこの世からいなくなろうとしたのだと。
黒崎ヒロタカの経歴は明らかにされていない。母は自分のせいで宏高の未来を邪魔してはいけないと思い詰めてしまったのだ。
宏高「ごめん…ごめんなさい…母さん」
(人質だったのは、僕の方だったのだ)
その夜、宏高はお気に入りの崖へと出向いた。
思えば子供のころから、ずっと空ばかり見ていた。
あの雲が芥川の「蜘蛛の糸」のように、自分を救ってくれるのではないかと。
宏高の前にも糸はたらされた。だが、島の奴らが後から後から追うように糸を上ってくる。
これは、僕の糸だ。
「来るな!」
叫ぶとともに、宏高は崖下へと転落した。
目が覚めると病院だった。一命を取りとめたようだ。
傍に控えていた姉から、宏高はかつての事件の真相を知らされる。
母は、宏高を守るために父を刺したのだと。
ある夜、父は宏高が他の男の子だと思い込み首を絞めた。
母は宏高を守るために、無我夢中で包丁を突き立てたのだという。
今回の事件で、いずれ宏高の経歴は明るみに出るだろう。
だが、母のことが露見してもいいじゃないか。
きっと石を投げてくる連中も出てくるだろうが、その石が届かないくらいに、空高く昇っていけばいいだけの話だ。
もっと有名になって、雲の糸を上って、そうしたら島で凱旋コンサートでも開いてやろう。
母は、喜んでくれるだろうか。
病室の外から聞こえた母の泣き声を、きっと僕と姉は聞かなかったことにするのだろう。
感想
イヤミスな結末が多い印象の湊かなえさんですが、こういう前向きな終わり方もいいですよね。
とはいえ、中盤にかけての「いかに島の人間が身勝手に宏高を利用してくるか」という描写は、本当に胸糞悪くなるものばかりで、そのあたりのエグさには湊かなえさんらしさを十分に感じられました(笑)
それにしても「島」という風土はここまで陰険なものなのでしょうか?
あまりに生々しく描かれているため、私にはどこまでがフィクションで、どこまでが「あってもおかしくないこと」なのか判別がつきませんでした。
彼らのなにが怖いかって、(おそらく)無自覚に加害者になっている点ですよ。
それどころか、自分のことを「善意の人間」だとすら思っている節がある。
宏高の立場を想像すると、本当にゾッとしてしまいます。
願わくば宏高にはもっともっと売れて、島の人間たちを見返してほしいものですね。
石の十字架
白綱島を大規模な台風が襲った。風もそうだが、雨がすごい。
ついに家の中にまで浸水してきた。水かさはどんどん増していく。
私は娘の志穂と一緒に外へ避難しようとしたが、何かが飛ばされてきたのか、玄関の扉が開かない。
水かさはどんどん増していく。
ふくらはぎ…ふともも…腰…。
家の窓には防犯のため柵が取り付けられており、外に出ることができない。
私は志穂をシンクの上に座らせた。不安は募るばかりだが、娘に伝染してはいけない。
私は石鹸を十字架の形に彫って娘に渡し、気を紛らわせるために昔話を始めた。
子供の頃の話だ。都会から島に転校してきた私は、周囲の子供たちから無視されていた。
原因は島の人々がまことしやかに語る噂のせいだ。
確かに父は仕事に疲れ切り、自ら命を絶った。そのことに母が責任を感じていたのも事実だ。
だが、父が会社の金を横領しただの、母が精神病院に入院しているだのという噂はでたらめにもほどがある。
いったい誰がそんなことを言い出したのだろう?
夏休み前。そんな風に孤独に過ごしていた私に、友達ができた。
めぐみは私と同じく周囲の子からいじめられていた子だったが、話してみると居心地がよく、いろいろな島の伝説を私に教えてくれた。
夏休みに入ると、私はめぐみに誘われて山に登った。
別名「観音山」と呼ばれるその山には、かつて高名なお坊さんが流れ住み、数百体の観音像を彫ったという曰くがある。
また、後の時代には「観音山」は隠れキリシタンの潜伏場所にもなったのだという。
彼らが観音像に彫った十字架に祈りをささげたところ、追っ手の役人たちは山の崩落に巻き込まれ、彼らは助かった…という伝説があるとめぐみは語った。
私とめぐみは現存するかもわからない石の十字架を探し、そして見つけることに成功する。
めぐみと私はかつての隠れキリシタンのように十字架に願いをかけた。
後から気づいたことだが、めぐみは深刻な家庭の問題に苦しんでいた。
きっとめぐみは十字架に「助けてくれ」と願ったのだろう。
親友だと思っていたのに、なぜ私に相談してくれなかったのか?
私は少し悲しい気分になった。
ある日、めぐみがクラスのリーダー格にいじめられていた現場に立ち会わせた私は、我慢できずにその子を突き飛ばしてめぐみを守った。
そのことをきっかけに私は自分の家の惨状をめぐみに打ち明け、めぐみからも家庭の悩みを聞かけてもらった。
私は祖母にそのことを打ち明けて、めぐみを助けようと動いてもらったが…結局、それが良いことだったのかは今でもわからない。
めぐみはその後も同じ家に住み続けていた。もしかしたら、逆効果だったのかもしれない…。
そこまで志穂に語ってきかせた時、やっと救助隊が家に来た。
ボートに乗って避難場所へ移動する途中、救助隊の人が「古田さんから見に行ってくれと言われたんですよ」という話を聞く。
古田とは、めぐみの今の苗字だ。
めぐみとはしばらく会っていないが、私たちのことを気にかけてくれていたのか…。
思えば、私が不登校になった志穂を連れてこの白綱島に移り住んだのは、ここにめぐみがいたからなのかもしれない。
志穂の手には、石鹸の十字架が握られている。
避難所に着いたら、まずはそれで手を洗おう。
洗い終わったころには、十字架の影も形もなくなっているに違いない。
感想
人と人との関係の難しさ、というのが「石の十字架」のテーマだったように思います。
「私」の母は仕事に疲れ切った(たぶん鬱の)父に向って「がんばれ」と声をかけますが、それはむしろ禁句。
結果として父は自ら命を絶ち、母も大変なショックを受けることになります。
「私」はこれを「どの言葉が相手にとってナイフになるのかわからない」と表現していますが、まさにその通りですよね。
善意の言動だったはずが、受け手にとってこの上ない痛みにならないとも限らない。
人と人との関係とは難しいものです。
一方、「私」とめぐみとの関係もまた一筋縄ではいきません。
例えば、親友だから全てを打ち明けるのが正しい、というのが絶対的な価値観ではないように、世の中には人の数だけ正義や価値観が存在します。
それぞれ違う価値観を持った人間同士がどのように接していけばいいのか?
「石の十字架」はそんな問いかけを含んでいるように感じました。
光の航路(映画の原作)
小学校教師である大崎航は「いじめ問題」に疲弊しきっていた。
加害者の親は目撃証言があるにも関わらず「うちの娘こそ被害者だ!」とどこまでも強気で、しまいには弁護士を呼ぶとまで言い出した。
勝つ負けるに関わらず、大事になれば学校側が非難される世の中だ。そう言われては引き下がるほかない。
学校へ戻り上司へ報告すれば「君の対応が悪かったんじゃないか?」と責められ、相手の親に謝罪するよう命令される。
だが、いったい何を謝れというのか?
自分が謝ったと知れば、被害者である三浦真衣はどう思うだろう?
(いっそ、自分がいなくなればいいのか…?)
答えのない難問に、航の精神は擦り切れてしまう寸前だ。
そんな中、航の家が放火の被害に遭った。
家は半焼。航は寝ている間に煙を吸い込みすぎて入院することになったものの、命に別状はない。
むしろ航は学校に行かなくていいことに、少しの安心感を覚えていた。
ある日、見知らぬ見舞い客が入院中の航を訪ねてきた。
畑野というその男は中学校の教師であり、やはり教師だった航の父親の教え子だったのだという。
畑野はたいそう父を尊敬しているらしいが、まだ幼い頃に父を亡くした航には父が偉大な教育者だったという感覚はない。
むしろ、父には少しばかりのわだかまりがある。
あれは、航がまだ子供だった頃。
島ではお祭りと同義である「進水式」の日だった。
航は父と進水式に行くのをずっと楽しみにしていたのに、直前になって父は「仕事ができた」と言ってきたのだ。
それなのに、どうだ。
航が母と進水式に行くと、そこには別の少年と一緒にいる父の姿があった。
父は少年の肩に手をまわしていた。本来その手は、自分や母の肩にこそ置かれるべきものではないのか?
そのもやもやとした気持ちを抱え込んでいた航は、友人の軽口についかっとなり、相手を突き飛ばして軽いケガをさせてしまった。
そして、そのことを知るや否や、父は航のことを殴った。
航にはそれがとてもショックだったのだ。今まで父に殴られたことなどなかった。
しかも、その原因の一端は父の行動にあったのだ。
理由も聞かずに殴りつけた父の姿を、航は今でも苦々しい記憶として覚えている。
そんな昔話を話すと、畑野はなにやら気まずそうな顔になった。
「すまない」
なんと、あの日、父といた少年の正体は畑野だったのだ。
畑野は昔話を始めた。
当時、畑野は学校で酷いいじめを受けていた。
理由に思い当たる節はない。
これまで友達だった部活の連中も、ある意を境に畑野をいじめだしたのだ。
心配をかけたくないから、親には相談できない。
いっそこの世からいなくなってしまおうかと畑野が思い出したとき、その異変に気づいたのが航の父だった。
航の父は細やかな気遣いでいじめの実態を調査し、特に励ますでもなく畑野に寄り添った。
そして、あの日の進水式に誘ったのだ。
航の父はこういったのだという。
「人間も船と一緒だ。誰もが祝福されて世界に送り出された存在だ。ときには海が荒れることもあるだろう、送り出したものは助け船を出せることもあるが、すべての航路に寄り添うことはできない。僕の役割は、僕がいる海を通過しようとしている船を先導し、守ることだと思っている。どんな船だって、他の船を沈めることは許されない。畑野忠彦という名の船は出港してから、まだどれほども進んでいないところにある。こんなところで、沈んじゃいけない。沈ませちゃ、いけないんだ。忠彦は祝福されて海に出たんだから」
その言葉は、畑野の胸に深く刻まれたという。
その後、航の父は問題の原因を究明することに成功した。
たまたま畑野は、上級生がたばこを吸っている現場を友人たちと目撃していた。
そして、その上級生はそのことで教師から注意を受けた。
その上級生はまず一緒にいた友人たちを締め上げたが、友人たちは「畑野が密告した」と嘘をついた。
上級生は畑野のクラスのリーダー格に命令し、畑野をいじめさせたというわけだ。
その上級生は「冗談だった」と言い、リーダー格の同級生は「無理やりやらされた」と証言したという。
何が本当なのかはわからない。
だが、ともかく畑野へのいじめは終結した。
父のエピソードを語り終えると、畑野は帰っていった。
畑野の話を聞いて、長年胸の中につっかえていたものがとれたようだ。
それどころか、畑野に話した父の言葉は、今の航をも勇気づけた。
今なら、救えるかもしれない。
航の脳裏に、三浦真衣の姿が浮かんだ。
感想
いじめ問題。教師は親と学校との間で板挟みだと聞きますが、この実態はこんなにも陰湿なものなのでしょうか。
畑野へのいじめが描写されているシーンは、読んでいるこっちまで不快になるほどでした。
一方で、航の父が畑野に語って聞かせた例え話には、じんと感動するような温かさがありましたね。
人が船だとすると、人生は航路。
海は時に荒れるけれど、沈んではいけない。
どの船も祝福されて海に出たのだから。
「光の航路」というタイトル通りの、気持ちが前に向くような物語でした。
まとめ
今回は湊かなえ「望郷」全編のあらすじ・ネタバレと感想をお届けしました。
「島」というある意味では特殊な背景を舞台に描かれたそれぞれの物語はどれも生々しく、一編約50ページの厚みしかないとは思えないほどに『人生』を感じる作品でした。
映画では6編のうち「夢の国」と「光の航路」が映像化され、それぞれ貫地谷しほりさんと大東駿介さんんが主演を務めました。
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いつも読ませていただいていますが、重要なことを巧くまとめてあり
わかり易く書かれていることに本当に感心致します。
ユリゴコロなども楽しませていただきました。
ありがとうございます。
今後も読ませていただきますので、頑張ってください!
>管理人より
ありがとうございます!
本当に励みになります!
今後ともよろしくお願いします!