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東野圭吾「手紙」のあらすじとネタバレ!感動の結末とは?感想も!

東野圭吾「手紙」を読みました!

東野圭吾さんといえばミステリーの印象が強いですが、「手紙」は涙なしには見られない社会派ヒューマンドラマ。

凶悪犯罪者の弟を主人公に据え、「差別」の在り方を深く鋭く描いた作品です。

夢、恋愛、就職。

人生のどの場面でも差別されてしまう主人公が、ラストにたどり着いた『答え』とは?

今回は原作小説を読みなおした私が、東野圭吾「手紙」のあらすじとネタバレ(と感想)をお届けします!

感動の結末をお見逃しなく!

東野圭吾「手紙」のあらすじとネタバレ!

武島家には両親がいない。

父親は過労の末に事故で亡くなり、母親もまた幼い子供たちを育てるため無理に働いて亡くなった。

その後、母親の跡を継いだのは兄の剛志。

勉強のできない剛志は肉体労働で金を稼ぎ、出来のいい弟の直貴を大学に行かせることだけを目標に生きた。

しかし、やはりというべきか剛志もまた23歳の若さにして腰を痛めてしまい、働くことができなくなってしまった。

「このままでは弟を大学に行かせられない」と焦る剛志。

日々生活するだけの金も底をつき始めた頃、剛志はとある豪邸に忍び込むことにした。

引っ越し屋のバイトで行ったことがあるので、そこに裕福な老婦人が一人で住んでいることはわかっている。

多少の現金が盗まれたとしても、貧しい犯人に同情してくれそうな優しい老婦人だ。

◆

家に侵入し、仏間で大金の入った封筒を見つけたところまでは順調だった。

そこで逃げていれば、もっと違う結末を迎えていたに違いない。

しかし、剛志はテーブルの上にあった天津甘栗が弟の好物であったことを思い出し、キッチンまで取りに戻ってしまった。

そうして、寝起きの緒方老婦人と鉢合わせしてしまった。

警察に通報するため電話をとろうとする老婦人を見て、剛志の体はほとんど反射的に動いた。

老婦人を床に引き倒し、叫び声をあげる喉元に深々とドライバーを突き立てた。

◆

その日のうちに剛志は逮捕された。

ニュースは凶悪な強盗殺人事件を、連日繰り返して伝えた。

 


 

第一章 高校卒業後

「強盗殺人犯の弟」というレッテルは、直貴の人生を一変させた。

友人は去り、部屋からは追い出され、バイト先でも嫌な思いをした。

そうした体験を経て、直貴はつくづく思い知る。

屈辱と惨めさを。

自分が忌み嫌われる存在になったことを。

関わる人みんなに迷惑をかけてしまう存在になったことを。

◆

数か月後、直貴は高校を卒業した。

卒業式には出なかった。

◆

高校卒業後、直貴はリサイクル会社で働き始めた。

仕事内容は、自動車メーカーの廃棄処理場で金属の仕分けをすること。

兄が望んだ学のある仕事からは程遠い、社会の底辺に位置する単純な肉体労働だ。

それでも、寮に入れたのはありがたかった。

今の直貴には金も、家も、誇りも、何もかもないのだから。

◆

兄から手紙が届いた。

刑期は約15年になる見通しだという。

刑務所の中からの手紙には、桜の形をした青い検閲印が押されてあった。

 


 

第二章 夢

いつもひとりでいる直貴だったが、ひとりだけ声をかけてくる人間がいる。

一流企業の自動車メーカーに勤める白石由美子だ。

自動車メーカーの廃棄処理場で働く直貴とは、バスや食堂で一緒になることがある。

由美子は直貴と同じ19歳。

年齢が近いからか、由美子はことあるごとに直貴に声をかけてきた。

時にはデートの誘い。

時にはバレンタインデーのプレゼント(チョコと手編みのマフラー)

鈍い直貴でも、由美子が自分に興味を持っていることは理解できた。

しかし、そのことは少しも直貴を喜ばせない。

(何も知らないくせに…)

ある日、めんどうになった直貴は由美子に告げた。

「兄が刑務所に入っている。強盗殺人犯だ」

由美子は驚いた表情を見せたが、直貴の予想に反してその後も怯むことなく声をかけ続けてきた。

◆

直貴はリサイクル会社で働きながら、大学の通信教育部に入ることにした。

数か月かかって貯めた金を全部使ったが、通信教育なら昼の仕事と両立できる。

大学で学び、しっかりとした学歴を得られれば、このどん底の生活から抜け出せるかもしれない。

送られてきた学生証は直貴を幸せな気分にさせた。

大学のことを手紙で報告すると、剛志はわがことのように喜んだ。

◆

通信教育といっても、たまには大学に出向いて講義を受けなければならない。

直貴は自分が大学生であることを実感できるその時間が大好きだった。

そんなある日、直貴は大学で寺尾祐輔と出会う。

寺尾はバンドマンであり、大学には親の顔を立てるために通っているだのという。

寺尾からやや強引にチケットを渡されて、直貴は生まれて初めてライブハウスに足を運んだ。

初めて味わう興奮。一体感。

その日から、直貴は音楽にどっぷりハマった。

 


 

寺島に誘われて、直貴は生まれて初めてカラオケに行った。

一曲歌ってみせると、とたんに寺尾の目の色が変わる。

「…なあ、武島、俺たちと一緒にやらねえか」

バンドへの誘い。

音楽でプロを目指しているという寺尾の目は真剣だ。

直貴は認められたことが嬉しかったし、歌うことも大好きだったが、それでも首を横に振った。

「兄が刑務所に入っている。懲役15年。みんなに迷惑をかけることになる」

寺尾やバンドメンバーたちは一瞬呆気にとられた表情を見せたが、すぐに真剣な表情に戻って言った。

「兄貴のことは大変だと思う。でも、それはお前にもバンドにも関係ないだろう?気にすることないじゃないか。大事なことは、いい音楽をつくりたいってことだけだ。なあ、そうだろ?」

寺尾たちの反応は、これまでに直貴が剛志のことを打ち明けた相手のそれとはまったく違っていた。

露骨に冷たく豹変した人間というのは少ない。

でも、ほとんどの人間はすっと壁をつくってしまう。

ところが、寺尾たちにはその壁を感じなかった。

それはきっと彼らが心底自分の声を求めているからだろうと直貴は思った。

そのことがうれしかった。

◆

その日から、直貴はバンド「スペシウム」の一員になった。

担当はもちろんボーカル。

練習して、ライブをして、メンバーたちとプロになろうと語りあかす。

いつのまにか、音楽は直貴のすべてになっていた。

◆

ある日、「スペシウム」はついにレーベルの人間から声をかけられた。

夢だったメジャーデビューまであと一歩。

寺尾も、アツシも、ケンイチも、コータも、そしてもちろん直貴も手放しで喜んだ。

…しかし、その喜びは長くは続かなかった。

 


 

寺尾以外の3人のメンバーが直貴を訪ねてきた時点で、悪い予感はしていた。

気まずそうに顔を伏せながら彼らが切り出したのは、要するに「バンドを抜けてほしい」ということだった。

理由は聞くまでもない。

剛志のことだ。

レーベルの人間から「直貴はメジャーデビューさせられない」と言われたのだ。

「スペシウム」に突き付けられた選択肢は2つ。

・仲間をとって、メジャーデビューを諦める

・音楽のために、仲間を一人切り捨てる

そうして彼らは後者を選んだ。それだけのことだ。

この場に寺尾がいないのは、寺尾だけは前者を選ぶ人間だから。

彼らは苦しそうな表情で「寺尾に怪しまれないために、自分からバンドを抜けるといってほしい」と言う。

直貴は感情をなくした表情のまま答える。

「…いいよ、わかった。俺は抜ける。俺から寺尾に話す」

結局、こういうことなのだ。

ようやく普通の若者のように生きていけると信じていた。

音楽と出会ったことで、閉ざされていたすべての扉が開いたと思った。

だが、それはすべて錯覚だったのだ。

直貴がまぶたを閉じると、目の端から涙がこぼれた。

◆

バンドを抜けると言うと、予想通り寺尾は激昂した。

しかも、ケンイチが口を滑らせたせいで、寺尾は彼らの企みにも気づいてしまう。

「最低だな、てめえらっ!」

怒り狂う寺尾を直貴が止める。

「連中は選択を迫られたんだ。音楽をとるか仲間をとるかって。奴らは苦しみぬいた末に音楽をとった。それがそんなにいけないことなのか。責められることなのか」

寺尾の動きが止まる。

「俺にとってはみんな仲間だ。兄貴の事件以来、初めて心のつながる相手を見つけたと思った。だからそんな大事な仲間から音楽を奪うなんてことはできない。俺のために迷惑をかけたくない。わかってくれ」

寺尾は苦し気に顔を歪めたあと、悲し気に首をふり、うめくように言った。

「俺はこれまでお前の兄貴を憎んだことがない。だけど今は心の底から腹が立つ。目の前にいたならぶん殴ってやりてえよ」

「そうだな。俺もできることならそうしたい」

直貴は薄く笑うと、寺尾に背を向けて歩き出した。

寺尾の視線を感じたが、後ろを振り向くわけにはいかなかった。

 


 

第三章 恋人

通学課程に転籍し、直貴はふつうの大学生になった。

昼間は大学に通わなければならないため、リサイクル会社は退職。

今は「BJ」というバーで働いている。

寮を出なければならなかったので、現在は一人暮らしだ。

◆

今でも、剛志からは毎月必ず手紙が届く。

内容は当りさわりのない、平和な近況報告ばかり。

この頃、直貴は手紙を読むとそのままゴミ箱に捨てている。

万が一にも、誰かに兄のことを知られるわけにはいかない。

◆

気まぐれに参加した合コンで、直貴は中条朝美と出会った。

お互いただの数合わせ要因だったが、ひょんなことから打ち解けて仲良くなる。

2人はデートを重ね、何度目かの夜にひとつになった。

◆

つき合い始めてからというもの、直貴は休みのたびに朝美と会うようになった。

いつか訪れる別れを想像しては「このままではまずい」と思ったが、自分ではどうしようもできなかった。

クリスマス、初詣、バレンタインデー。

楽しい日々はあっという間に過ぎていく。

そうしてついに、来るべき日が来た。

 


 

「両親に会ってほしいの」

朝美の言葉は、直貴の胸に重くのしかかった。

端的に言えば、朝美は裕福な家に生まれたお嬢様だ。

家は田園調布にあり、父親は大きな会社の役員をしている。

一方、直貴ときたらどうだ。

身寄りもなく金もない貧乏な苦学生。

そのうえ兄は凶悪犯。

どう考えても釣り合うはずがない。

金持ちは得てして世間体を気にするものだ。

身内に犯罪者がいる男との交際を認めるわけがない。

◆

直貴は頭の中で懸命に考えた。

朝美は曲がったことが大嫌いな性格だ。

朝美ならば真実を知っても「そんなことは気にしない」と言ってくれるかもしれない。

親に反対されれば「家を出る」と言ってくれるかもしれない。

しかし、それがどういうことなのかを、彼女は知らない。

何不自由なく育った彼女に、差別されるということの本当の意味がわかっているわけがない。

…ならば、どうする?

答えなら最初から決まっている。

隠し通すしかない。

朝美にも、朝美の両親にも、これから関わる全ての人間にも、絶対に秘密を知られてはいけない。

だから…

(俺は兄貴を捨てるよ。俺にはもともと兄貴なんていない。俺はずっと、生まれたときから一人だった。これからもそうだ)

◆

中条家で直貴を待ち受けていたのは、善良な中条夫婦からの歓待ではなく、屈辱の時間だった。

よく思われていない、どころの騒ぎではない。

中条氏が直貴を見る目は、ゴミを見るときのそれだった。

中条氏の言葉の端々から「おまえのような人間に娘はつりあわない」と思われていることがわかる。

わざわざ呼び出した朝美の従兄妹の孝文と比べては、中条氏は直貴に屈辱を与え続けた。

(兄のことがなくても、こんな扱いなのか)

直貴は拷問のような時間をひたすらに耐え、中条家を後にした。

◆

翌日、朝美はかつてないほどに憤慨していた。

両親のことを心底見下げ果てた、と朝美はいう。

しかし、そんな彼女の全身は上から下まで高級な衣服に包まれている。

 


 

どうやら中条家は直貴の身辺調査を始めたらしい。

時間がない。

剛志のことがバレる前に、何か手を打たなくては…!

すべてを丸く収める方法があるとすれば、1つだけ。

既成事実。

朝美との間に子供ができれば、中条氏も世間体を気にして結婚を認めざるをえないのではないか。

…だが、朝美はこの作戦に賛成はしないだろう。

やるならば、気づかれないようにしなければならない。

◆

それは、朝美を家に呼んだ日のこと。

いきなり訪ねてきた孝文によって、すべてが崩壊した。

孝文の手に握られていたのは、剛志からの手紙。

嘘がバレた。

孝文に、中条家に、そして朝美に。

もちろん恋人の兄が刑務所にいると知っても、朝美は露骨に態度を変えたりしなかった。

しかし、それは直貴にとって救いではない。

剛志の存在を知られたら何もかもおしまいだと、直貴は身に染みて理解している。

◆

悪い状況というものは重なるものだ。

孝文が帰った後、朝美に穴をあけた避妊具を見つけられてしまった。

一瞬で直貴の狙いに気づいた朝美から、信じられないという目を向けられる。

「妊娠さえすれば、お兄さんのことがバレても、うちの両親は反対しないだろうと思ったわけ?」

…言い訳する気にもなれない。直貴はうなずいた。

「どうしてそうなるのよ。どうしてあたしに相談して、二人で乗り越えていこうっていうふうに考えられないわけ?」

朝美の言葉を聞いて、直貴は薄く笑った。

「君はわかってない。世間ってものがわかってないし、自分のこともわかってない」

朝美の主張は正しい。ただし、それは理想にすぎない。

厳しい現実には通用しない、うわべだけのきれいごと。

しょせん住む世界が違ったのだ。

きれいに生きてきた朝美が、さんざん現実を見せつけられてきた直貴の言葉や考えを理解できるわけがない。

怒りと屈辱の涙を浮かべて、朝美は部屋から出ていった。

 


 

それから数時間後、ある人物が直貴を訪ねてきた。

朝美の父親、中条氏だ。

中条氏は一万円札でパンパンにふくらんだ封筒を直貴に差し出すと「娘と別れろ」と切り出した。

要は手切れ金だ。

孝文から剛志のことを聞いたのだろう。

中条氏は「娘と二度と会うな」というだけではなく「娘とつき合っていたことも口外するな」という。

直貴の返答は早かった。

「これは受け取れません」

金に釣られるようにして恋人との別れを決めるなどありえない。

直貴の決意を見てとると、中条氏は突然両手をついて土下座した。

もちろんパフォーマンスだ。

とはいえ、プライドを捨てた行為には違いない。

「どうしてそこまでできるんですか?」

「娘のためだよ。あの子の幸せのためなら、どんなことでもする」

「僕と一緒にいることは彼女にとって不幸だとおっしゃるんですね」

「…まことに言いにくいのだがね。そういうことだよ。お兄さんの事件以後、君は幸せだったかね。いろいろと苦労したし、いやな目にも遭ったんじゃないのか」

肯定するかわりに、直貴は深呼吸を一つした。

「朝美が君と一緒になれば、その苦労をあの子も背負い込むことになる。それがわかっていながら見過ごすことは、親としてはとてもできないのだよ」

「あなたの論法を肯定すれば、僕は永遠に結婚できないということになりますね」

「私とは考えの違う人間もいるだろう。そういう相手を探せばいい」

深々と頭を下げる中条氏。

直貴はため息をつくと、中条氏の要望を呑むと告げた。

封筒の大金は受け取らなかった。

◆

中条氏が去った後も、直貴は部屋の中でじっと座っていた。

心の中で、自分自身に言い聞かせる。

わかっていたことだろう?

お決まりの結末にたどり着いただけだ。

こんなことの繰り返しが、自分の人生なのだ…。

 


 

朝美と別れるため、由美子に協力を頼んだ。

恋人のふりをしてもらって、朝美から軽蔑される作戦だ。

作戦は予定通り実行され、そして失敗に終わった。

「あたしがあんな芝居に騙されると思う?」

朝美は中条氏が暗躍したことに気づいていた。

中途半端な作戦など通じない。

結局、直貴自身が朝美を拒絶する役割を負わなければならないのだ。

やっぱり既成事実をつくろうという朝美に、直貴は告げる。

「俺を取り巻いている状況は、君が考えているほど甘いものじゃないんだ。君と結ばれれば、それを乗り越えられるかもしれないと思ったけど、どうやらそうじゃないみたいだ。君が妊娠したところで中条家の人たちは手助けしてくれない。下手したら勘当される」

「それでもいいじゃない、二人で力を合わせれば…」

「俺一人でも大変なんだ。君や赤ん坊がいたら、もっと苦労する。俺はとてもやっていく自信がない」

「…中条家から離れたあたしには、もう関心がないってこと?」

「そういうことになるのかな」

金目当てだったと告げても、朝美は怯まなかった。

まるで本心を探るかのように、じっと直貴の目を見つめてくる。

その視線に耐えられなくなり、直貴は横を向いた。

「もういいだろ。面倒くさいんだよ。どうでもよくなったんだ」

「あたしのことも?」

「………ああ」

朝美が息を呑む気配があった。

「そう、わかった」

そう一言を残し、朝美が部屋から出ていく。

入れ替わりに入ってきた由美子の「大丈夫?」という問いに、直貴は静かに答えた。

「いいんだよ。お決まりのストーリーだ」

 


 

第四章 差別とは

大学を卒業した直貴は、電器製品の量販店として有名な企業に入社した。

面接では「兄はアメリカに留学している」と嘘をついた。

直貴は就職を機に引っ越しをしたが、新しい連絡先を兄には伝えなかった。

「もう兄貴には連絡しないことにしたんだ。連絡を取り合ってたら、いずれ兄貴のことがバレちまう。俺はね、もう嫌なんだよ。兄貴のことがバレるたびに道を狂わされる。そんなことを繰り返しているうちに、いつかきっと俺は兄貴のことを恨むようになる。そんなふうになるのが怖いんだ」

直貴がそう言うと、由美子は悲しそうな顔をした。

◆

電器量販店の売り場で働き始めてから、数か月後。

店に泥棒が侵入し、新発売の商品が根こそぎ盗まれるという事件が起こった。

状況的に、警察は内部犯の可能性が高いと判断。

従業員ひとりひとりについて調査し、やがて武島剛志の存在にたどり着いた。

もちろん直貴は犯人ではないし、剛志のことで容疑者になるようなこともなかった。

しかし、会社に剛志のことがバレてしまったのは痛かった。

『武島直貴の兄は刑務所に入っている極悪犯』

その情報はすぐに従業員全員に知れ渡り、それまで仲良くしていた同僚も直貴との間に距離を置くようになった。

やがて直貴は人事異動を命じられ、売り場から物流部へと左遷された。

「何よ、それ。絶対に抗議した方がええよ。そんなのおかしいよ」

憤慨する由美子に直貴は言う。

「クビにならなかっただけましだ。俺はもう見切りをつけた」

「見切りって?」

「俺の人生に、だ。俺はもう一生、表舞台には立てない。バンドでステージに立てないのとおんなじで、電器屋に勤めたって店には出ちゃいけないんだ」

 


 

新しい仕事は、早くいえば倉庫番。

ある日、直貴が倉庫で商品のチェックをしていると、背中から声がかけられた。

振り向いて驚く。

直貴が勤める会社のトップ、平野社長がそこにいた。

「今回の人事異動は不当だと思うかね」

平野は直貴の人事異動のことを聞きつけて、わざわざ会いに来たのだという。

「君はこう思っているだろうね。差別をされている、と。刑務所に入ったのは自分じゃないのに、どうして自分がこんな扱いを受けなきゃならないんだ、と」

まるで直貴の心の中を見抜いているような言葉。

直貴がこれまで差別されてきたことを承知したうえで、平野は告げる。

「差別はね、当然なんだよ」

直貴は驚いた。差別はしていないという意味のことを言われると思ったからだ。

絶句する直貴の表情を前に、平野は説明を続ける。

「大抵の人間は、犯罪から遠いところに身を置きたいものだ。犯罪者とは、間接的にせよ関わり合いにはなりたくないものだ。ちょっとした関係から、おかしなことに巻き込まれないとも限らないからね。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。自己防衛本能とでもいえばいいのかな」

それは差別される側の人間には、どうすることもできないことだと平野は言う。

「だから、犯罪者はそのことも覚悟しなきゃならんのだよ。自分が刑務所に入れば済むという問題じゃない。罰を受けるのは自分だけではないということを認識しなきゃならんのだ。君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ」

「差別されて腹を立てるなら兄を憎め、とおっしゃりたいのですね」

「それは君の自由だ。ただ我々のことを憎むのは筋違いだといっているだけだ。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる……すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

真剣な表情で語る平野を、直貴はまじまじと見つめた。

差別を正当化する意見を聞くのは初めてだった。

「もっとも、小学校ではこんなふうには教えないだろうがね。犯罪者の家族もまた被害者なんだから広い心で受け入れてやらねばならない。そんなふうに教えるんじゃないのかな。学校だけじゃない。世間の人々の認識もそうだ」

直貴が急に同僚から距離を置かれたことを言い当ててから、平野は言う。

「君に対してどう接すればいいのか、みんなが困ったのだよ。本当は関わり合いになりたくない。しかし露骨にそれを態度に示すのは道徳に反することだと思っている。だから必要以上に気を遣って接することになる。逆差別という言葉があるが、まさにそれだ」

平野の言葉に、直貴は反論できない。

「人事部の処置が間違っていないと言ったのは、そういう状況を踏まえてのことだよ。差別にせよ逆差別にせよ、他の従業員が仕事以外のことで神経を使わなければならないようでは、お客さんに対して正常なサービスなどできないからね。そして差別や逆差別といったものがなくならない以上、君を別の職場に移すしかない」

直貴は薄暗い倉庫の床に目を落とした。

確かにここならば、人間関係による悪影響はほとんど存在しない。

「誤解してもらっては困るんだが、君という人間が信用できないといってるんじゃない。ただね、会社にとって重要なのは、その人物の人間性ではなく社会性なんだ。今の君は大きなものを失っている状態だ」

平野の言葉で、直貴はやっと自分の置かれた立場を本当の意味で理解することができた。

納得したと言い換えてもいい。

しかし、それならば……直貴には甘んじて差別を受け入れるしか道は残されていないのか?

平野は最後にそのことにも言及した。

「方法は1つしかない。こつこつと少しずつ社会性を取り戻していくんだ。他の人間との繋がりの糸を、一本ずつ増やしていくしかない。君を中心にした蜘蛛の巣のような繋がりができれば、誰も君を無視できなくなる。その第一歩を刻む場所がここだ」

「…社長のおっしゃってる意味はよくわかりました。でも、自分にできるでしょうか」

「君ならできるさ。君には人の心をつかむ力がある。でなければ、こんなものが私に届いたりはしない」

平野が取り出したのは、一通の手紙。

直貴は一瞬で事情を理解した。

平野がわざわざ訪ねてきたのは、手紙の差出人が直貴のことを訴えてくれたからなのだ。

そして、そんな手紙を書いてくれる人間は、一人しかいない。

「あいつが…」

その日、仕事を終えた直貴は、まっすぐ家には帰らず、手紙の差出人のところに向かった。

 


 

直貴が部屋についたとき、まだ由美子は帰っていなかった。

ふと視線を移すと、郵便受けに郵便物が挟まっている。

その中の一つの封筒を見たとき、直貴の全身に鳥肌が立った。

桜の形をした検閲印。

「武島直貴様」の表書き。

その筆跡は、飽きるほどに見慣れたものだった。

◆

やがて由美子が帰ってきた。

手紙のお礼をいうのも忘れて「これはなんだ」と剛志からの手紙を突き出す。

由美子は直貴を部屋に入れると、「ごめんなさい」と頭を下げた。

「俺がここに引っ越したみたいに書いて、兄貴がここへ手紙を書いて寄こすように仕組んだんだろ。どうしてそんなことをしたんだ」

「…だって、寂しいやないの。兄弟やのに、もう連絡をとれへんなんて」

「前にも言っただろ。俺は兄貴とは縁を切るんだよ。兄貴からの手紙が来ないところで、兄貴とは関係のない世界で生きていたいんだ」

「そんなことして、何の意味があるの?」

「意味なんて知らない。ただ世間から変な目で見られるのはもうこりごりなんだ。差別されたくないんだよ」

そう言った瞬間、直貴は自分の言葉にハッとした。

『差別』

平野の言葉がよみがえる。

いつまでも被害者ぶっているだけでは何も解決しない。

差別と真正面から向き合って、人よりも何倍も努力することが、直貴の新しい道ではなかったのか。

気がつけば、目の前にいる由美子の両方の頬に涙が伝っていた。

「隠したって、現実は変われへんよ。直貴君がどんなに逃げようとあがいても無駄や。それやったら、立ち向かったらええのと違うの?」

由美子の言う通りだ。

直貴は落ち着きを取り戻すと「ごめん」と謝り、あらためて社長に手紙を出してくれたことについて感謝した。

◆

直貴には長年の疑問がある。

『どうして由美子はこんなにもよくしてくれるのか?』

由美子は兄のことを知っても離れていかなかった唯一の人間だ。

リサイクル会社の時も、バンド活動をしている時も、「BJ」で働いている時も、朝子とつき合っていた時も。

いつだって由美子は直貴のそばにいて、親身になって話を聞いてくれた。

そのうえ今回のことでは、直貴のために平野社長に手紙を送ったり、直貴の代わりに剛志と文通までしてくれていた。

単純な恋愛感情だけでは説明がつかない。

その理由を尋ねると、由美子はしばらく考え込んでから答えた。

「あたしも一緒やから」

「一緒?」

聞けば、由美子の父は借金で首が回らなくなり、最後には自己破産したのだという。

借金取りから追われる生活。

自己破産後も、そのことが周囲にバレないよう気を遣って生きてきた。

つまるところ、彼女もまた「差別される側の人間」だったのだ。

いつも明るい由美子に辛い過去があったと知り、直貴は絶句する。

「あたしら親子は逃げ回って生活してたから、もう逃げるのは嫌なんよ。誰かが逃げるのを見るのも嫌。だから直貴君にも逃げてほしくなかった。ただ、それだけ」

由美子の目から涙が一滴こぼれた。

直貴は両手を伸ばし、指先でそれをぬぐった。

彼女は彼の手を、自分の両方の掌で包んだ。

 


 

第五章 家族

直貴と由美子が夫婦になり、娘の実紀が誕生してから3年後。

直貴はかつてないほど穏やかな日々を過ごしていた。

結婚してから入居した会社の寮で営む、小さな家族の小さな生活。

そのささやかな生活こそが、直貴にとっては至上の幸福だった。

◆

由美子が続けてくれていた剛志との手紙のやりとりは、今でも毎月必ず行われている。

剛志は特に実紀の誕生を喜び、姪の成長を何よりも楽しみにしているようだ。

◆

きっかけは隣の部屋に町谷夫婦が引っ越してきたことだった。

町谷は数年前の盗難事件の時に直貴の近くにいた社員で、剛志の噂のことを知っている人間だ。

町谷から町谷の妻へ、町谷の妻から近所の人々へ。

噂はあっという間に広がっていった。

その結果、何が起こったか?

実紀が、他の子供たちから遊んでもらえなくなった。

親から厳しく言い含められたらしい。

今まで仲良くしていた子供でさえ、実紀には近づかなくなった。

忘れかけていた絶望を味わいながら、直貴は思う。

自分や由美子に差別が降りかかるのは、まだいい。覚悟の上だ。

しかし、実紀にまで辛い思いをさせるわけにはいかない。

どんな手段を使ってでも、愛する娘を守りたい。

……とはいえ、いったいどうすればいいというのか?

また、武島家の事情を知る者がいない土地に引っ越せばいいのか?

由美子は「もう逃げてはいけない」という。

直貴も同じ思いだ。

だが、差別が社会的なシステムである以上、それを止めることなどできない。

直貴や由美子がいくら努力したところで、実紀を差別から守ることなどできないのだ。

では、いったいどうしたら…?

◆

平野社長と話す機会を得た直貴は、娘が直面している状況について相談することにした。

平野ならば打開策を教えてくれるかもしれない。

そう期待してのことだったが、平野から返ってきたのは予想に反して厳しい言葉だった。

「逃げずに正直に生きていれば、差別されながらも道は拓けてくる。君たち夫婦はそう考えたんだろうね。若者らしい考え方だ。しかしそれはやはり甘えだ。自分たちのすべてをさらけだして、そのうえで周りから受け入れてもらおうと思っているわけだろう?仮に、それで無事に人と人との付き合いが生じたとしよう。心理的に負担が大きいのはどちらだと思うかね。君たちの方か、周りの人間か」

「それは…」

「いついかなるときも正々堂々としているというのは、君たちにとって本当に苦渋の選択だろうか。私にはそうは思えないな。わかりやすく、非常に選びやすい道を進んでいるとしか思えないが」

そう言い残して、平野は直貴の前から去った。

平野を尊敬している直貴だが、今回ばかりはどうも腑に落ちない。

社長はなにもわかっちゃいないんだ、と直貴は結論づけた。

 


 

「武島君、大変だ。至急帰りなさい。奥さんがケガをしたらしい」

突然の凶報。

直貴は事情も呑み込めないまま、すぐに病院へと向かった。

「あ……あなた」

病室に入ると、由美子が安心した顔を見せる。

どうやら軽傷のようだ。

聞けば、由美子はひったくりに狙われ、自転車ごとひっくり返ったらしい。

幸いにも由美子は軽い打撲で済んだが、後部座席に乗っていた実紀は…

「転んだ拍子に頭を打って…意識が戻らないの。今、集中治療室にいるんだけど…」

「何だって…」

それから実紀の処置が終わるまで、直貴は生きた心地がしなかった。

幸いにも実紀は助かったが、額には傷が残るという。

(女の子の顔に、傷が…)

直貴は両手をきつく握りしめながら「絶対に犯人を許さない」と思った。

◆

犯人が逮捕された。

前山繁一(21)はひったくりの常習犯。

しかるべき罰が科せられるはずだ。

◆

数日後、前山繁一の両親が直貴たちのもとに訪れた。

前山夫妻は息子の罪について謝罪し、深々と頭を下げる。

だが、それがいったい何になるというのだろう?

前山夫妻がいくらみじめな思いをしたところで、実紀の額の傷は消えない。

夫妻をが帰った後、直貴は由美子に言った。

「あの二人を見て、俺は二つのことを考えたよ」

「どんなこと?」

「ひとつは、大したもんだってことだ。息子が逮捕されて混乱しているはずなのに、被害者のところへ詫びに出向くなんて、ふつうなかなかできないんじゃないかな。…少なくても、俺はできなかった。俺、結局一度も緒方さんのところに行かなかった」

「もう一つは何?」

「俺はやっぱりあの人たちを許す気にはなれない。あの人たちが悪いんじゃないってわかってはいるんだけど、実紀や由美子の受けた傷のこと帳消しになんてしてやれない。俺、やっと社長から言われたことの意味が分かったよ」

「どういうこと?」

「正々堂々としていればいいなんてのは間違いだってことさ。それは自分たちを納得させているだけだ。本当は、もっと苦しい道を選ばなきゃならなかったんだ」

その夜、直貴は手紙を書いた。

 


 

『前略 武島剛志様

この手紙は私から貴方に送る最後の書簡です。

また今後は、貴方からの郵便物は一切受け取りを拒否いたします。

理由は、家族を守るため、ということになるのでしょうか。

私はこれまで強盗殺人犯の弟というレッテルを背負って生きてきました。

そのせいで私は、音楽という夢を捨てねばなりませんでした。

また、愛した女性との結婚も諦めることになりました。

就職後も、そのことが発覚するや否や、異動させられることになりました。

由美子は近所から白い目で見られ、娘の実紀も仲のよかった友達を接する機会を奪われました。

あの子が将来大人になって、たとえば好きな男性ができたときにはどうでしょうか。

伯父が罪人だったことが発覚しても、相手の両親は彼女たちの結婚を祝福してくれるでしょうか。

今思えば、これらのことを、もっと早く貴方に伝えておくべきでした。

なぜなら、私たちのこれらの苦しみを知ることも、貴方が受けるべき罰だと思うからです。

この手紙をポストに投函した瞬間から、私は貴方の弟であることを捨てます。

ですから、貴方の方も、仮に何年後かに出所が叶った場合でも、私たちと関わろうとはしないでもらいたいのです。

兄に送る最後の手紙がこんなものになってしまい、大変残念に思います。

どうか身体に気をつけて、立派に更生してください。

これは弟としての、最後の願いです。

武島直貴』

◆

兄と絶縁した後、直貴は会社に退職届を提出した。

「そうか。犯罪者の兄とは縁を切り、自分たちの過去を知っている人々からは逃げ回るわけだ。それが君の選んだ道なんだね」

最後の機会に、平野は言う。

「正しいかどうかはわかりません。家族を守るためです」

「君が選んだ道は、簡単な道ではないよ。ある意味では、これまでよりもっと辛いかもしれん」

「覚悟はしています。妻にも迷惑をかけないつもりです。命にかけても、彼女たちを守ります」

「そうか」

平野は直貴に皺だらけの右手を差し出した。

「私にとってもいい勉強になった。君に出会えてよかったよ。感謝する」

 


 

その後、直貴は離れたところに引っ越して、小さな電器屋に転職した。

そんな中、寺尾祐輔が直貴のもとを訪ねてくる。

バンド「スペシウム」は芽が出ずに解散の危機だそうだが、寺尾は一人になっても音楽の道を突き進むつもりだという。

兄と縁を切ったと話すと、寺尾は少し複雑そうな表情を見せた。

「『イマジン』だよ」

直貴の言葉に、えっと寺尾は目を丸くする。

「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうのとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」

寺尾の目を見据え、自分でも驚くほどの落ち着いた声で直貴は語っていた。

目をそらしたのは寺尾の方だった。

「『イマジン』…か。おまえが俺たちの前で初めて歌った曲だな。……なあ、もう一度歌ってみないか?」

寺尾はバンド活動のかたわら、刑務所の受刑者を相手に慰問コンサートをボランティアでやっているのだという。

次の舞台は、剛志が入っている千葉の刑務所。

そこで直貴も一緒に歌わないかと、寺尾は言う。

直貴は心の中にチクリとするものを感じたが、その誘いを断った。

◆

直貴にはひとつだけ、やり残していることがある。

それを終わらせない限り、いつまでたってもケジメがつかない。

由美子からも促され、直貴はついに決心した。

 


 

その日、直貴は豪邸の前に立っていた。

表札には「緒方」の文字。

被害者の家だ。今は息子夫婦が住んでいる。

インターホンを押すと、その息子が応答した。

「どうぞ、入ってください。あなたに見せたいものもある」

意外な言葉に、直貴は戸惑った。

リビングに通される。

謝罪の言葉も、手土産も受け取ってはもらえなかった。

線香をあげることさえ許されなかった。

当然だ。

それだけのことを兄はした。

うつむいた直貴を見て、緒方が口を開く。

「誤解してもらっては困るんだがね、それは別に君が憎いからじゃない。むしろその逆なんだ。君は事件とは無関係だろ。だから君に焼香してもらう理由がないんだ。君のお兄さんにも、そのように伝えたかったんだがね」

「兄に?」

「ちょっと待っていてくれ」

そういって立ち上がると、緒方は紙袋を持ってきた。

中身は大量の手紙。

青く小さな検閲印が押されてある。

剛志からの手紙だ。

剛志は毎月必ず、緒方家に謝罪の手紙を送り続けていたのだという。

一通目の手紙には「弟に焼香してきてほしいと頼みました」と書かれてある。

刑務所に入った直後、剛志がしきりに緒方家に行ってくれと手紙で書いていたことを直貴は思い出した。

「正直なところ、私としては不愉快な手紙だったんだよ」

いくら謝られたところで母は生き返らない。

自分の弟の近況を必ず書いているのも忌々しい。

緒方はずっと剛志からの返事を無視し続けてきた。

剛志からの手紙を止めてしまえば、事件のことが本当に風化してしまうという思いもあったのだという。

だから、緒方はあえて剛志に「手紙を書くな」と伝えなかった。

「そんな時、これが届いた。結論からいうと、彼からの最後の手紙だ。それを読んで、私は決心したんだよ。もう事件は終わらせよう、とね」

直貴はその封筒に手を伸ばした。

「読んでもいいんですか」

「彼はそれを望まないだろうが、私は読むべきだと思う。その手紙は君にやるよ」

直貴は封筒を両手で持った。

便箋を取り出す勇気が出なかった。

「直貴君、といったね。もう、これでいいと思う。これで終わりにしよう、何もかも」

「緒方さん…」

「お互い、長かったな」

そういうと緒方は目を瞬かせ、天井を見上げた。

 


 

終章 手紙

『拝啓 緒方忠夫様

弟から縁を切るといわれました。

このときの私の衝撃をわかっていただけるでしょうか。

弟に縁を切られたことがショックだったのではありません。

長年にわたって私の存在が彼を苦しめ続けてきた、という事実に震撼したのです。

また同時に、当然そういうことが想像できたのに、弟にこんな手紙を書かせるまでまるで気づかなかった自らの阿保さ加減に、心底自己嫌悪を覚えました。

何のことはありません。私はこんなところにいながら、何一つ更生などしていなかったのです。

弟のいうことはもっともです。

私は手紙など書くべきではなかったのです。

同時に気づきました。

緒方さんへの手紙も、おそらく緒方さんにとっては犯人の自己満足にしか見えない不快極まりないものだったに違いないと。

そのことをお詫びしたく、このような手紙を書きました。

もちろん、これを最後にいたします。

どうも申し訳ありませんでした。

ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

武島剛志

追伸 弟にも詫びの手紙を書きたいのですが、もはや読んでもらう術がありません』

◆

この手紙を読んだとき、直貴は涙が止まらなかった。

絶縁を告げた手紙は、自分でも冷酷な内容だったと思っている。

さぞかし剛志は不満なことだろうと想像していた。

それなのに…

『私は手紙など書くべきではなかったのです』

違うよ兄貴、と直貴は思った。

あの手紙があったからこそ、今の自分がある。

手紙が届かなければ苦しむこともなかっただろうが、道を模索することもなかった。

◆

「では、『イマジン』のお二人、どうぞよろしくお願いいたします」

呼び込まれて、舞台に立つ。

『イマジン』とは慰問コンサートのためのユニット名だ。

メンバーは直貴と寺尾の二人だけ。

目の前にはずらりと坊主頭が並んでいる。

歌い始める直前、直貴はその中に剛志の姿を見つけた。

深くうなだれて、胸の前で合掌している。

詫びるように。そして祈るように。

そんな剛志の姿を見た瞬間、直貴は身体の奥から突然熱いものが押し寄せてくるのを感じた。

(兄貴、俺たちはどうして生まれてきたんだろうな)

(兄貴、俺達でも幸せになれる日が来るんだろうか)

直貴はマイクの前で、ただただ立ち尽くしていた。

前奏はとっくに終わっている。

早く歌いださなければならない。

しかし、どうしても声が出ない……。

<手紙・完>

 


 

東野圭吾「手紙」の感想

作中で最も衝撃的だったセリフは「差別はね、当然なんだよ」という平野社長の言葉です。

犯罪者の弟が主人公であり、何にも悪いことをしていない彼が辛い目にあっていく様を見せつけられている以上、それまでの物語の中で「悪いのは差別する側だ」という気持ちが芽生えていました。

そこにきて平野のこのセリフです。

直貴がそうであったように、私もハッと目を覚まされました。

確かに逆の立場に立ってみれば、「差別する側」の振る舞いは当然のものです。

自分の身を守るため、あるいは家族の身を守るため。

彼らは不穏分子を見張ったり、避けたり、排除したりしなければなりません。

その行動がいかに道徳に反していたとしても、彼らの行動を「悪」だとは決していえないでしょう。

一方で、では直貴のような存在が「悪」であり、「差別されても仕方がない」のかというと、これもまた違うように思われます。

だって、彼はなにもしていないのです。

「弟なら兄の凶行を止められたはずだ」なんて超能力じみた要求をするのは無理筋でしょう。

それなのにある日を境に敬愛する兄を失い、罪人同様のレッテルを貼られ、直貴は夢も恋も失うことになりました。

そんな直貴に対して「それは仕方のないことだ」などとどうしていえるでしょう。

少なくとも私にはそんな結論受け入れられません。

◆

では『差別』という難しい問題に、当事者はいったいどのように向き合えばいいのでしょうか?

作中で最もしっくりきたのは、やはり平野社長の言葉でした。

『答えなんかはないよ。これは何をどう選択するか、なんだ。君が自分で選ばなければ意味がない』

当たりまえのことかもしれませんが、この問題に正しい回答など存在しないのです。

それでも生きていかなければならない以上、何かしらの選択をしなければなりません。

正々堂々と胸を張って生きるか。

それとも、誰にも秘密を知られないようにこそこそと逃げ回るか。

あるいは、また別の道を選ぶか。

この中には正解もなければ間違いもありません。

直貴が由美子と実紀を一番に考えて、剛志と絶縁したように、きっと重要なことは「何を選びとるか」ということなのではないでしょうか。

残酷なようですが、被差別者が普通の人々と同じ生活を求めることは難しいと言わざるを得ません。

であれば、いくつもの大事なものを切り捨ててでも、最も大切なものだけは守りたいと考えることが最善の策であるように思われます。

とはいえ、それは口で言うほど簡単な選択ではありません。

大きな苦痛を伴うものです。

だからこそ、直貴の勇気ある決断に、私は感動を覚えました。

将来、私が直貴と似たような立場に置かれたとしたら、私はきっと直貴のこの選択を思い出すことでしょう。

小説「手紙」は深いテーマについて考えさせられる、学びになる一冊でした。

 


 

まとめ

東野圭吾「手紙」が亀梨和也さん主演でドラマ化!

今回は原作小説のあらすじ・ネタバレ・感想をお届けしました!

内容を三行でまとめると…

・主人公・直貴は犯罪者の兄を持つというだけで差別される立場になってしまい、夢も恋人も失ってしまう。

・愛する妻や娘にまで差別のレッテルが貼られてしまうことに気づいた直貴は、兄と絶縁するという苦渋の決断を下した。

・「差別とは何か?」「差別にどう立ち向かえばいいのか?」深いテーマを読者に問いかける物語。

こんな感じでしょうか。

内容が内容だけに、読書感想文の題材としてもいいのではないかと思います。

◆

そうそう、小説「手紙」は映画化もされています。

2006年の映画「手紙」にも

・山田孝之(直貴)

・玉山鉄二(剛志)

・沢尻エリカ(由美子)

という豪華キャストが出演していますし、こちらも一見の価値ありですよ!

ちなみに映画版では、直貴はバンドではなく漫才コンビを結成しています。



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POSTED COMMENT

  1. かりん より:

    原作はかなり前に読みました。
    ドラマ化された亀梨さんの録画を昨日見ました。

    改めて難しい問題だと思いました。
    兄の犯した罪により差別を受け続けた弟には同情しかありません。
    でも知り合いに、そういう家族がいると後で知ったら
    今まで通り付き合えるのかと言えば自信がないのも
    事実です。
    人間の心にある差別意識は無くならないと思うので
    結果的にはそういう身内がいると人並みの幸せは
    得られないとなってしまいます。
    深いテーマに切り込んだこの作品名は
    素晴らしいと思います。

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