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湊かなえ『落日』あらすじネタバレ解説|結末と感想【ドラマ原作小説】

湊かなえ『落日』を読みました。

湊かなえさんといえばイヤミスのイメージですが、こちらはヒューマンドラマ寄りのミステリといった趣の作品です。

単行本の帯には『今年(2019年)最高の衝撃&感動作』とあり目を引きます。

田舎町で起きた過去の殺人事件の真相とは?

今回は小説『落日』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします!

ぱんだ
ぱんだ
いってみよう!

あらすじ

新人脚本家の甲斐千尋は、新進気鋭の映画監督 長谷部香から、新作の相談を受ける。

『笹塚町一家殺害事件』

引きこもりの男性が高校生の妹を自宅で刺殺後、放火して両親も死に至らしめた。

15年前に起きた、判決も確定しているこの事件を手がけたいという。

笹塚町は千尋の生まれ故郷だった。

この事件を、香はなぜ撮りたいのか。千尋はどう向き合うのか。

《真実》とは、《救い》とは、そして《表現する》ということは。

絶望の深淵を見た人々の祈りと再生の物語。

(単行本帯のあらすじより)

長谷部香の背景

笹塚町一家殺害事件。

悲惨ながらもありふれたこの事件に長谷部香が目をつけた理由から物語は始まります。

まだ小学校にあがる前、香は三年間ほど笹塚町に住んでいました。

その頃、アパートの隣に住んでいたのが立石家。後に長男により一家殺害される家族です。

隣同士とはいえ、長谷部家と立石家の間に親しい交流はありませんでした。

ただ、勉強が上手くいかなかった日、罰として香がベランダに閉め出されると、薄い板のような防火壁の向こう側には、同じようにベランダでうずくまる子どもの気配がありました。

立石沙良。香と同い年の女の子です。

虐待といってもいい仕打ちに耐える日々のなか、同じ境遇の仲間が隣にいてくれるという事実は、香の心を強く支えてくれていました。

とはいえ、ふたりはベランダで楽しくおしゃべりしていたわけではありません。

ただ防火壁によりそい、床面の隙間から指を重ね合う……たったそれだけの関係です。

けれど、少なくとも香にとってそれは十分すぎるほどの励ましでした。大げさではなく、命の恩人だと思えるほどに。

ぱんだ
ぱんだ
かわいそう……

やがて父親の自殺により、香は笹塚町から去ることになります。

あの細い指の立石沙良はあれからどのように生きたのか? なぜ殺されなければならなかったのか?

「真実を知りたい」という強い想いこそが、事件を映画化しようとする長谷部香監督の原動力になっています。


甲斐真尋の背景

ややこしいので最初に説明すると「千尋」は脚本家としてのペンネームで、本名は真尋です。以後、真尋と表記します。

真尋は香より4歳年下の29歳。脚本家としてはまだ芽が出ず、香の映画の脚本を手がけられるとなれば大チャンスです。

とはいえ、真尋は脚本家としても人間としてもまだまだ未熟。

『落日』はそんな真尋が成長していく物語でもあります。

ぱんだ
ぱんだ
なるほどね

さて。そんなひよっこ脚本家の真尋ですが、読者は小説を読み進めていくうちに彼女にちょっとした違和感を覚えるはずです。

ぱんだ
ぱんだ
違和感?

真尋はことあるごとに姉である千穂にメールを送ります。

ちょっとした日々の出来事から、直面している大きな悩み事まで、喜怒哀楽なんでもメールにしている様子です。

けれど、姉からの返信は一度もありません。

ただ描かれていないだけでしょうか? それともピアニストとして海外を飛び回っている千穂は忙しくて、返信する余裕もないのでしょうか?

姉からの返信がないからといって読者にとっては特に不都合もないわけですが……なんだか気になります。

『真尋の姉はすでに亡くなっているのではないか?』

おそらく多くの人はそのように想像したのではないでしょうか。

結論からいえば、その予感は的中していました。

甲斐千穂は高校一年生で亡くなっています。

では、なぜ真尋は亡き姉にメールを送っているのでしょうか?

家族や親戚さえも千穂が生きているかのように話している理由は?

真尋の個人的な問題は、やがて思わぬかたちで物語の中核へとつながっていきます。

長谷部香と甲斐千穂は幼稚園の同級生でした。香が真尋に脚本依頼したのは千穂だと期待してのことでした。また千穂と立石沙良は高校一年生のとき同級生でした。


ネタバレ

長谷部香が命の恩人だと感謝している立石沙良。

笹塚町一家殺害事件で引きこもりの兄に刺し殺された彼女は、哀れむべき被害者のイメージです。

しかし、当時の沙良を知る同級生から話を聞いていくうちに、真尋のなかの立石沙良の人物像はほとんど180度ひっくりかえってしまいました。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと?

善人か悪人かで仕分けるなら、沙良は間違いなく悪人に分類されるべき人物のようでした。

一言でいえば《虚言癖》

平気な顔で嘘をついて、人間関係を壊したり、ときには後遺症の残るような怪我を負わせたり……。

たとえば、こんな話があります。

両親とは血がつながっていない。心臓病で体が弱い。暴力を振るう父や兄に怯えて暮らしている。……いかにも同情を誘う身の上話はすべて真っ赤な嘘。

そうとも知らず沙良を守ってあげようとした男子は、沙良を巡る三角関係で親友を失い、秀才ともてはやされていた成績も地に落ちました。

嘘に気づいたときには後の祭り。沙良は男子に言いました。

「バレちゃった? わたしのこときらいになったでしょ。これからは、無視してくれていいから。ていうか、こっちから無視するけど」

沙良の態度には反省も罪悪感もありません。

陸上の有望選手だった女子を大会前に【事故で】怪我させたときも、沙良は同じ台詞であっさり関係(友達ごっこ)を断ち切っています。

ぱんだ
ぱんだ
ひどい……

前述の二人の被害者には共通点がありました。

将来を期待された陸上選手と、成績優秀な生徒会副会長……どちらも特別な才能を持つ人間です。

一方、沙良はアイドルを目指し、オーディションに合格したと嘘をつくも、実際には不合格。

認められない悔しさが転じて他人への妬みになり、八つ当たりのように彼らの輝かしい未来を壊して憂さ晴らししていたのだとすれば……邪悪としか言いようがありません。

沙良に選手生命を絶たれた元同級生……橘イツカは真尋に言います。

「ちょっぴり夢見がちで嘘つきな女の子が引きこもりのお兄さんに殺されたなんていう、マスコミの報道のような薄っぺらいもの(映画)にはしてほしくない。沙良はもっと大きな嘘をついていたんじゃないかと思う」

橘イツカは今も杖をついて歩いています。


立石力輝斗

ここでもう一度、笹塚町一家殺害事件に立ち戻ってみましょう。

引きこもりの兄こと立石力輝斗(りきと)は犯行について次のように語っています。

※以下、小説より一部抜粋

…………

【沙良を殺害した動機】

二十歳を越えても引きこもりであること、アルバイトが続かないことなどをバカにされた。

「アイドルとしてデビューしたあと、あんたのような身内をネットに晒されると、すべてを失いかねないので、自殺してくれ」と言われた。

【沙良の殺害方法】

包丁が目に留まり、とっさに手が伸びて、胸を刺していた。

その場に倒れた沙良が起き上がってくるのが恐ろしく、何度も刺した。

【両親に対する思い】

(放火した家から)二人が逃げ遅れることを想定していた。むしろ、そうなることを強く望んでいた。

幼い頃から、沙良ばかりをかわいがる両親を恨んでいた。

…………

あらためて沙良の性格の悪さが浮き彫りになる証言ですが、それよりも注目していただきたいのは「沙良ばかりをかわいがる両親」という一節です。

これは力輝斗の主観ではありません。近隣住民らも同じように証言しています。

※力輝斗と沙良は異父兄妹でした。残念ながらこれだけでいろいろ察せられますね。

だとすれば、です。

ベランダに追い出されていた子どもは、本当に沙良だったのでしょうか?

ぱんだ
ぱんだ
あっ!

真尋はすぐにひとつの可能性に思い至ります。

香の命の恩人たる「防火壁の向こうの子」は沙良ではなく力輝斗だったのでは?

力輝斗は沙良よりも3歳年上ですが、家庭内でひどい仕打ちを受けていたとすれば、女の子と見間違えるほどの細い指をしていたとしてもおかしくありません。

香の新作映画の根幹を揺るがす《謎》がにわかに浮上してきたかのように思われましたが、真相は実にあっけなく判明します。

当時の近隣住民の証言によれば、ベランダに閉め出されていたのは確かに力輝斗だったとのことでした。


甲斐千穂

笹塚町一家殺害事件はすでに解決しています。

力輝斗は犯行を認めていますし、裁判も終了し死刑判決が下されています。

香がなぜそんな終わった事件を扱おうとしているのか、真尋には最初わかりませんでした。

けれど、香とともに事件を再調査していくうち、真尋は少しずつ理解していきます。

沙良はどんな人間で、どう生きたのか?

力輝斗はどんな人間で、どう生きたのか?

笹塚町一家殺害事件はどうして起こったのか?

書類に記された《事実》からは、生きていた人間の心の動きまでは読み取れません。

香は当事者の感情の機微を含めた事件の全容(=真実)を知りたがっていました。

ぱんだ
ぱんだ
なるほどね

そうした香の姿勢は、真尋の生き方にも大きな影響を与えました。

亡き姉・甲斐千穂の件です。

千穂は高校一年生で亡くなっています。交通事故でした。犯人は逃げずに、その場で救急車を呼び、警察に自首しています。

「人通りの少ない交差点で、姉の自転車が信号無視を飛び出してきた、と一方的にこっちのせいにするような証言をしても、信じてもらえるような人でした。30歳、男性、会社員、勤務態度は真面目、結婚一年、来月には子どもが産まれる予定で、減刑だか、執行猶予付きだかを求める署名が社内で集められたのだとか」

結局、犯人……というか加害者の男性は刑務所に入ることなく、会社をクビになることもありませんでした。無事生まれてきた赤ん坊と妻を連れて甲斐家に謝りにも来ました。

ちょっとだけ想像してみてください。

「怒れますか?」

加害者が善人だったために、真尋たち遺族は怒ることさえできませんでした。生まれてきたばかりの赤ん坊の父親を、いったいどう罵ればよかったというのでしょう?

真尋の母親は言いました。

「わざわざお見舞いに来てくださって、ありがとうございます。おかげさまでケガも回復し、無事、留学先のパリに送り出すことができました。娘は幼い頃から、ピアノを習っていまして、パリ留学は夢の一つでした。そういうことですので、もうお引き取りください」

その日から、甲斐家では千穂が海外で生きていることになりました。

幼かった真尋に、父親は言いました。

「お姉ちゃんが生きていると信じていれば、信じている人の中でお姉ちゃんは生きられるし、真尋もお父さんもお母さんも、お姉ちゃんの存在する人生を送ることができる」

真尋が今でも姉に……いいえ、メール受信専用のもうひとつのスマホにメッセージを送り続けているのは、こうした背景があったからです。

けれど、香と出会って真尋は変わりました。

もちろん、死んでいることは認識しているし、わかったうえで、姉が生きているようにふるまってきた。だけど、そうすることによって、姉の死にきちんと向き合っていなかったのではないか、ということに気が付いた。

香にとっての笹塚町一家殺害事件と同じです。

真尋は事故の《事実》を知っているだけで、千穂の死の《真実》を知りません。

姉はピアノのことで悩んでいたのではないか?

もし姉の悩みに気づいていれば、あるいは別の結末があったのかもしれない……。

真尋たち家族はずっと真実を知るのが怖くて、逃げていただけなのかもしれません。

今こそ真尋は一歩を踏み出そうとしていました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「お父さん、明日はお墓参りに行こう」

「母さんのか?」

「うん。それと、お姉ちゃんの」

「……何か、あったのか?」

「わたしの想像するお姉ちゃんが、本当のお姉ちゃんなのか、自信がなくなって。ちゃんと死を受け止めた方が、本当のお姉ちゃんに会えるし、そうすることの方が、供養になるんじゃないかという気もして……」

「そうだな。忘れないっていうのは、生きているふうに扱うことじゃなくて、一緒に過ごした時間を思い返すことかもしれないな」

「それでいいと思う?」

「もちろんだ」


交差点

姉の日記を読み、携帯電話の中身を見て、真尋は「千穂がどう生きていたのか」を確かめていきます。

千穂に好きな人がいたことも、そうして初めて知った事実でした。

ピアノ教室に通う道すがらの公園で出会ったという男の子がどこの誰だかまではわかりませんでしたが、ふたりは本当に仲が良かったようです。

男の子が携帯電話を持っていなかったため、千穂は彼に手紙を書いていました。猫が好きな彼のための、猫柄のレターセットが机の引き出しにたくさんしまわれていました。

ぱんだ
ぱんだ
うんうん

ところで「当時いつも公園にいて猫に好かれていた男の子」といえば、ここまで小説を読んだ読者には思い当たる節があったはずです。

彼は真尋の小学生の頃の思い出に登場していました。

「まだ事件が起きる前、わたしが小学生の頃は、あのお兄さんのことをネコ将軍って呼んでたの。(中略)公園にその人が来ると、どこからともなく野良猫が10匹くらい集まってくる(中略)長髪で、背はわりと高めだったけど、とにかくガリガリに痩せていた」

千穂は彼に「R」のイニシャルのマグカップをプレゼントしようとしていて、ここまで伏線が揃うとかなりわかりやすいですね。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと?

千穂が好きだった男の子の正体は立石力輝斗です。

ぱんだ
ぱんだ
えっ!

そしてもうひとつ。当時の沙良を知る同級生によれば、沙良は千穂とも親しかったのだと言います。

「わたし、その子(千穂)と友だちってほどじゃなかったけど、すごくピアノが上手で憧れてたので、沙良ちゃんとはあまり親しくならない方がいいよって忠告したんです。そうしたら、そんなこと言っちゃダメ、いい子だよ、なんて言われちゃって」

沙良の本性はすでにご存じのとおりです。才能ある同級生に近づいては不幸にする疫病神。

千穂にはピアノの才能が有り、沙良が標的にする条件に当てはまっています。

しかも、千穂は沙良の兄である力輝斗と惹かれあっていました。沙良は兄のことを疎ましく思っていたわけで、とても二人の仲を祝福してくれていたとは思えません。

ここでもう一度、千穂が亡くなった交通事故について振り返ってみましょう。

加害者の男性によれば、千穂は自転車で飛び出してきたとのことでした。

しかし、千穂は真面目な性格であり、横着して飛び出したとも思われません。

そのためピアノのことで悩んでいてうっかり飛び出してしまったのかと思われていましたが、他になにか特別な事情があったとしたら……?

また、事故現場の交差点が家とピアノ教室との往復路から外れている点も気になります。

いったい千穂はどこに行こうとして事故に遭ったのでしょうか?


結末

物語のラスト。真尋は映画の脚本を書き上げます。

千穂の残した手紙や同級生らの証言を参考にして、真尋は「笹塚町一家殺害事件」の真相を再解釈しました。

立石力輝斗はなぜ妹を刺殺したのか? 本人は酷く罵られて頭に血が上ったと供述していますが、どうにも説得力に欠ける気がします。

なぜなら、甲斐千穂が好きだった力輝斗はとても優しい少年だったから。

ぱんだ
ぱんだ
ふむふむ

真尋の描く「笹塚町一家殺害事件」は千穂と力輝斗の出会いから始まります。

家に居場所のない少年と、ピアノに悩む少女。二人はお互いを励まし合い、100通もの手紙をやりとりしました。きれいな夕陽の見えるとっておきの場所に手紙を埋め、いつかまた二人で掘り返そうと約束しました。

しかし、ささやかな幸福の時間は残酷にも奪われてしまいます。

千穂の母親に、二人の関係が知られてしまったのです。

どうしても娘をピアニストにしたい母親は、少年に言いました。

どうか、一流のピアニストになる娘の夢を邪魔しないでほしい。

少年は短いメッセージだけを残して、少女の前から姿を消しました。

『ピアノ、おうえんしています R』

ぱんだ
ぱんだ
そんな……

その後、千穂は高校に進学。力輝斗の妹である沙良と出会います。

そして……

※以下、小説より一部抜粋

…………

ある晩、妹(沙良)から、メールが届いた。

『お兄ちゃんが家で自殺未遂をした。駅まで自転車で迎えに行くから、家に来て!』

『わかりました』

それが彼女(千穂)の携帯電話に残っている、最後のメールのやり取りだった。

少年の家に向かう途中、彼女は交通事故に遭い、帰らぬ人となった。

交差点の信号が黄色から赤に変わったものの、妹は自転車で直進した。その直後、車の急ブレーキの音が鳴り響いた。

事故現場から逃走した妹は、幸い誰にも目撃されることなく、家に帰った。

(中略)

少年(力輝斗)は彼女が自分に会いにこようとしていたことなど知らない。そのうえ、自殺未遂もしていない。妹の虚言だった。

意気消沈した少年は、仕事でミスを繰り返すようになった。次第に仕事を休みがちになり、気が付けば、家に引きこもるようになっていた。

(中略)

そして、事件の日が訪れる。クリスマスイブの夜だ。

妹のもとには、最終選考まで残っていたオーディションの不合格通知が届いていた。

妹は包丁を片手に、兄に詰め寄った。オーディションに落ちたのはあんたが引きこもりのせいだ。

兄は謝りもせず、のらりくらりとかわす。妹は怒りのたけをさらにぶちまけた。

自分がこれまでにどれだけ努力してきたと思うのだ。

その顔だよ。

兄はポツリと言った。常に誰かを貶めてやろうとたくらんでいる、その裏の表情を、何万人もの少女を見てきた選考委員のおとなは見抜くことができるのだ。

自分より美しい顔の兄に顔をけなされた妹は逆上した。

自殺してよ。あんたの好きだった彼女のところへ行ってよ。

妹がどうしてそれを知っているのか。

あんたの大切な人を、わたしが殺してやった。どんくさいあんたはそれに気付かず、ただ悲しみにくれているだけ。

妹は嘘が得意だった。得意な嘘に真実をまぜながら、あんたが自殺未遂をしたと伝えて彼女を呼び出し、交差点で彼女を自転車ごと車に向かって突きとばしてやった、と兄に言い放った。

本当は、自分のせいで彼女が死んだことに対する、恐怖と罪悪感に苛まれていた時期もあったのに、そんなことはおくびにも出さず、兄の大切なものを自分の手で葬ったと主張した。

本当にそうしたような気分になっていった。ざまあみろ。

妹が恍惚の表情を浮かべたのと、兄が包丁で彼女の胸を刺したのは同時だった。

彼は何度も刺した。

(中略)

彼には裁判などどうでもよかった。彼女のいない世界で生きている意味などない。誰の言葉も聞こえない。すべてに、はい、と答えて死刑が確定した。

…………

脚本の最後では、幼い頃に指を重ね合った香の存在が希望としてほのめかされていました。

現実では死刑囚である力輝斗に、香はまだ接触できていません。けれど、支援団体を通じて手紙を送ろうとしています。

あるいは映画の筋書きのとおり、香が力輝斗にとっての希望になる日が来る……のかもしれません。

 

補足

真尋の脚本には事実と脚色が入り混じっています。

たとえば、沙良から千穂に送られたメール。

『お兄ちゃんが家で自殺未遂をした。駅まで自転車で迎えに行くから、家に来て!』

真尋は千穂の携帯電話を確認していますから、このメールは実際に送られたものだと考えられます。

一方、その後の力輝斗と沙良の会話などはもはや確認しようもありません。真尋の想像によって描かれた部分ということになります。千穂の事故の真相も同じですね。

ただ、実際に力輝斗は自殺未遂などしていなかったわけで、沙良が兄への悪意によって行動していたという点については確度の高い予想だといえそうです。


長谷部香の半生

小説では真尋のシーンと並行して、香の過去が描かれていました。

今でこそ新進気鋭の若手映画監督として有名人になった香ですが、その半生は決して平坦な道のりではありませんでした。

勉強の点数が悪いとベランダに追放されていた幼稚園時代。父親の自殺。

母親が心を病んでしまったため、父方の祖父母に預けられることになった小学生時代。

中学生時代には、彼女の人生に大きく影を落とす事件がありました。

いじめから守ってあげた男の子……下山兼人の自殺です。

学校側は彼の死の原因をいじめではなく、香に追求しました。

ぱんだ
ぱんだ
なんで!?

遺書に香の名前が書かれていたからです。ノートをびっしり埋め尽くす「ごめんなさい」の文字はさぞ異様だったことでしょう。

兼人は香に好意を抱いていました。その気持ちを暴走させてしまい、無理やりキスをして、胸を触って、当然の結果として香に突き飛ばされていました。

あふれ出す嫌悪感。香は思わず言いました。

「くさいし! 気持ち悪っ!」

そうして兼人は自殺し、香は学校や遺族から「加害者」として扱われるようになりました。

まだ中学生だった香がどれだけ傷ついたか、想像することもできません。

下山が自殺したのは、わたしのせい。父に捨てられたのも、わたしのせい。母が不幸になったのも、わたしのせい。

もし許されるのなら、香は迷わず父や下山と同じ道をたどっていたでしょう。けれど、祖父母を悲しませるわけにもいきません。

香は心をからっぽにしたまま高校、大学へと進学しました。

誰の顔も思い出せないほどに、クラスメイトや教師とは深く関わっていない。何かを学び、最低限の日常生活は送っていたはずなのに、記憶の中には何も残っていない。頭の中にあるのは、今日、やらなければならないこと。やり終われば、すぐに忘れる。その繰り返し。

そんな香の人生に転機が訪れたのは、就職後のことでした。

空を真っ赤に染める夕日。その鮮烈な色に、香は進むべき方向を見出します。

※以下、小説より一部抜粋

…………

ふと、下山を思い出した。彼と夕日を見た思い出などないのに。

下山の家のドアフォンを鳴らすのに、それから二年の月日を要した。

母親はわたしの顔を見るなり、両手で思いきりわたしを突きとばして、玄関ドアを閉めた。

尻もちをついたわたしの腕を引き上げてくれたのは、下山の姉だった。無言で憐れむような目を向け、家の中に入っていった。

その姉から手紙が届いたのは、下山の家を訪れた翌週だった。定型サイズの茶封筒の中には、破り取ったノートが一ページ、あとは、折りたたんだ白い便箋が一枚入っていた。

ノートには……、母親への感謝と謝罪の言葉が書き連ねられていた。無数の涙が落ちた跡と一緒に。

便箋には、短い文章が綴られていた。

『弟がごめんなさい。母がごめんなさい。自殺の原因が自分にあることを母はきっと受け入れられないと思い、ノート(遺書)の一ページ目を破りました。二ページ目のあなたへの謝罪は弟が書いたものです。

三ページ目以降の「ごめんなさい」は全部私が書きました。憎しみが原動力でもいい、母に生きていてもらいたい。そう願って。今は後悔しています。弟の最期の思いを母に届けていればよかった。

それでももう渡せません。浅はかな私たち家族を許してください』

それから五年間、わたし(香)は下山兼人の最期の一時間を描くことを許してもらうために、下山家に通い続けた。

長谷部香が監督として最初に撮った映画『一時間』は下山兼人をモデルにしたものでした。この作品が国際映画祭の特別賞を受賞し、香は一躍映画監督として注目されるようになります。


落日

タイトルの通り、この物語においては夕日の存在が印象的でした。

千穂のとっておきの場所。鉄塔の立つ山の中腹から力輝斗と一緒に眺めた夕日。

香が初監督映画『一時間』を撮るきっかけとなった夕日。

そしてもうひとつ、夕日は香にとっての《救い》の象徴として再登場します。

ぱんだ
ぱんだ
というと?

物語のラスト、香は真尋との打ち合わせのため、笹塚町に訪れます。

真尋に指定された打ち合わせ場所は古い喫茶店「シネマ」

そこで香は父親の死の真相を知ることになります。

これまで香の父親は「都会で暮らしたい」という妻(香の母)からの圧力に疲弊し、海で自殺したものだと思われてきました。

しかし、真実は違ったのです。

香の父・裕貴は映画好きで、かつて映画館に併設されていた「シネマ」の常連客でもありました。

「シネマ」のマスターの話。それから物語の結末まで続けてお届けします。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「あの日、裕貴くんの方から、夕日がきれいな場所ってありますか、って訊いてきたんです。それで、ここにいた連中、あの日は三人だったかな、山の中腹にある寺や、神社や公園を提案していたんだが、

釣りの好きな人が、笹浜海岸の先に、引き潮の時だけ顔を出す岩場があって、そこから見える夕日は、両手を伸ばすとこう、自分の手のあいだに落ちていくように、夕日を抱きかかえることができるように見えるんだ、って。

一人で行くのは足をすべらせた時に危ないから、今度、有志を募って行こうってことになったのに……。二日後だったか、そこにいた一人が新聞を片手に血相を変えてやってきてね。きっと、みんなに自慢したかったんじゃないかな……」

「父は一人で行ったんですね」

マスターは無言で頷いた。真尋さんも泣きそうな顔でわたしを見ている。だけど、わたしは悲しいとは思わない。むしろ、目の前に差し込んできたのは、光だ。

「父は、自殺ではなく、事故で死んだということですよね」

そうだ、と同意するように、真尋さんが大きく頷いた。

「自殺ということになっていたんですか? 信じられない、あの裕貴くんが。来週は『スター・ウォーズ』のリバイバル上映に行くんだってはりきってたし、あの作品は全九部作だという情報があることを、得意げに教えてくれたのに。楽しみだ、楽しみだと言って……」

マスターは心から驚いているように見える。

「行ってみますか? その場所に。ちゃんと、靴やロープも準備しますよ」

真尋さんの口ぶりは頼もしい。

「知れて、よかった。知ることができて」

溢れる涙をぬぐっていたら、真尋さんがリュックからタオルを出してくれた。彼女は何のために、このタオルを用意してくれていたのだろう。

(中略)

父が最後に見た景色は、わたしをその向こう側、次の世界へと導いてくれるに違いない。

そして、いつか、わたしの描いた景色で、次の世界に行くことができる人が、それを希望と感じる人が、一人でも多く現れてくれればいい。

そうなればわたしは、この世に自分が存在していることに、誇りを持つことができそうだ。

映画を撮ろう。撮り続けよう――。

<おわり>

ぱんだ
ぱんだ
いいねしてね!

 


まとめと感想

今回は湊かなえ『落日』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。

香の半生を追憶する過去編と、真尋が脚本依頼をきっかけに姉の死と向き合う現在編。

ふたりの人生が交差することで「笹塚町一家殺人事件」の真相が再解釈される物語構成は「さすが」のひと言に尽きます。

千穂の好きだった人が立石力輝斗だと気づいた瞬間、あっ!と声が漏れました。

力輝斗はなぜ沙良を刺したのか? その本当の理由まで一気に察せられて、頭の中で点と点がつながる心地よさ……ミステリ小説の醍醐味を味わえたからです。

とはいえ、わたしは『落日』をミステリ小説だとは思いません。

香と真尋、それぞれが自分の弱さと向き合い、人生を切り拓いていく……その切実な心情と強さを切り取った文芸作品(ヒューマンドラマ)なのだとわたしは受け取りました。

まだ見ぬ真実を追い求めた香と真尋。その果てには煌々と燃えながら沈みゆく落日の情景とともに、救いが待っていました。

前に進むことで得られる希望があるのだと読者を照らすような、心の奥深くに染み入る一冊でした。

 

ドラマ情報

WOWOWにてドラマ化決定!

キャスト、放送日は未公開(2022年8月17日現在)

ぱんだ
ぱんだ
またね!


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