今回は柚木麻子『ナイルパーチの女子会』の
- タイトル意味の考察
- 感想(解説?)
をお届けします。
小説を読んでから、あるいは前回のネタバレ記事を読んでから(下の内容を)読み進めることをお勧めします。
では、さっそくタイトル意味の考察からいってみましょう!
タイトルの意味
意味不明のカタカナ「ナイルパーチ」は魚の名前です。
大型の肉食魚で、性格は獰猛。
食用としては淡泊な白身魚で、スズキの代用魚(≒偽物)として使われたこともあったのだとか。
では、本作のタイトル『ナイルパーチの女子会』とはどういう意味なのでしょうか?
わたしが思うに、この「ナイルパーチ」というのは栄利子と翔子、ふたりの主人公を示す比喩表現なのだと思います。
そこに込められている意味はちょっと複雑なのですが、単語で表現すると
- 孤独
- 寂しい
- 独りぼっちの
- 不器用な
- 哀れな
あたりになるのだと思います。
ナイルパーチは孤独な魚です。
湖の中の生態系を食い荒らすほど獰猛で、空腹時には共食いすることもあるのだとか。
結果、ナイルパーチは一匹だけになってしまうわけですね。
もしナイルパーチが「友達」を望んでも、他の魚と上手に共存することはできません。
そう思うと、なんだか寂しくて哀れな魚であるようにも思われます。
上記のナイルパーチの説明は、そのまま栄利子や翔子に置き換えることができそうです。
舞台は湖ではなく《社会》
どうしても他人を傷つけてしまう性分を持つ栄利子は、どんなに望んでも友達をつくることができません。
無理に翔子を友達にしようとして傷つけてしまう様子は、攻撃的な性格のナイルパーチの姿と重なります。
この文脈において、ナイルパーチとは「友達ができない人間」という意味合いで使われているわけですね。
さて、そんなナイルパーチのように一人で生きる栄利子と翔子ですが、出会ってすぐの頃、たった一晩だけ心から通じ合った夜がありました。
その理想的な関係はすぐに壊れてしまうわけですが、しかし、その夜の二人が最高に満たされていたという事実まで失われるわけではありません。
『ナイルパーチの女子会』というタイトルにはいくつかの意味を見出すことができますが、わたしは特にその《奇跡の一夜》を象徴している題なのではないかと思いました。
あるいは
- 栄利子=加害者(ナイルパーチ)
- 翔子=被害者
と置いて、栄利子の哀れさを表現したタイトルと読み取ることもできますが、それではあまりにも救いがないような気がしますね。
あなたは『ナイルパーチの女子会』というタイトルにどんな意味が込められていると思いますか? コメントで教えてくれると嬉しいです!
感想
すごい小説でした。
ただし、これは実際に読んでみないとわからないタイプの《すごさ》だと思います。
この場でバシッと魅力を解説できないのがとても歯がゆいのですが、とにかく語彙力がなくなるほどすごい小説でした。
ストーリーはもちろんのこと、柚木麻子さんの文章力・表現力に震えました。
わたしたちが普段もやもやっと感じている不安や不満、言葉では言い表せないような繊細な気持ちが的確に言語化されている感動、とでもいいましょうか。
地の文(※)にはハッとするような名言が散りばめられていて、それを見つけるたびに「わかる!」と心のなかで首をぶんぶんと縦に振っていたような気がします。
※セリフ以外の文章
テーマは人間関係
本作品のテーマは、大きく括れば《人間関係》だったのではないかと思います。
生きていくうえで決して避けては通れないテーマについての答え(あるいはヒント)が、『ナイルパーチの女子会』には詰まっていました。
わたしもそうですが、おそらくほとんどの人は、人間関係において栄利子や翔子ほど極端な失敗をしてはいないでしょう。
しかし、かといって栄利子や翔子が抱える問題とまったく無関係というわけでもないはずです。
- コンプレックスをなくしたい
- 他人から認められたい
- みんなと一緒でありたい
結局のところ、栄利子や翔子を突き動かしていたのは、こういった(ありふれた)気持ちだったのではないでしょうか。
読者一人ひとりの中にある「栄利子のような部分」「翔子に似たところ」をえぐっていく。
上記は(重松清さんによる)解説に登場する一節なのですが「その通り!」と膝を叩きたくなるほど本作の特徴をよく表しています。
この物語を読むとき、わたしたちは決して傍観者(無関係な第三者)にはなれません。
栄利子や翔子に共感する素質がある以上、読者もまた自身の「人との距離の取り方」を直視せざるをえないからです。
それは部分的には苦しい体験になるかもしれませんが、最終的に栄利子や翔子に希望めいたラストが与えられることにより、読後に嫌な余韻が残ったりはしないはずです。
今後もし人間関係において迷子になるようなことがあれば、わたしはきっとこの本を開くでしょう。
そして最後まで読み終わったあとで、柚木麻子さんが発したこの言葉に救われるような予感がします。
「わかり合わなきゃ、共感できなきゃということから失うものって大きいですもんね」
※解説のなかで引用されていた柚木麻子さんの言葉
共感の自家中毒
わたちたちは「特別でありたい」と願いながら、同時に「みんなと一緒でありたい」とも願っています。
後者に関しては特に『みんなと違う=問題がある(劣っている)』という図式がなんとなく社会にあって、だからこそ誰しも「せめて普通でいなければならない」という強迫観念に苦しめられたりするのでしょう。
栄利子や翔子にしてもそうです。
友達がいなければ、という思いこそが、彼女たちを自家中毒に陥らせ、とことんまで苦しめる。
上記はまたまた解説からの引用ですが、結局、原因はやっぱり「こうあらねばならない」という思い込みにある気がします。
栄利子や翔子の場合はそこに
- 他人に多くを求めすぎる
- 他人の気持ちをわかろうとしない
といった致命的なマイナスが加わり、わかりやすく不幸になってしまいました。
けれど、彼女たちほど極端じゃないにせよ、つまり表面的にはうまくいってるにせよ、人間関係に息苦しさを覚えることなんて、誰にでもあることですよね。
本書『ナイルパーチの女子会』はそんな《みんな》に寄り添うように、ある種の答え(あるいはヒント)をくれるようでした。
わたしは作中で特に好きなセリフが二つあって、圭子と真織の言葉なのですが、そのうちドストレートパンチで目を覚まさせてくるような真織の台詞を紹介したいと思います。
※以下、小説より一部抜粋
…………
「そもそも、もろくない人間関係なんてこの世界にあんのかよ。女と女も、男と女も、男と男もみんなおんなじだろうが。
どんな関係も形を変えたり、嫌ったり嫌われたり、距離を測ったり、手入れをしながら、辛抱強く続けていくしかねえんだよ。
たかが関係一つ手に入れただけで腹一杯になれるもんか。なんもしないですべてが満たされて承認されて、問題全部解決するわけないだろうが。莫迦かてめえ」
もうひとつの圭子の台詞はラストの「数分でいいから気分良く立ち話ができたら、それで十分なんじゃないかな」というフレーズから続く一連の流れです。
女友達という関係性の本質がきれいに表現されていると思いました。
まとめ
今回は柚木麻子『ナイルパーチの女子会』の考察と感想をお届けしました!
人間関係(友情)というテーマを深く掘り下げた本作は、読者に対して
- 栄利子みたいになってない?
- 翔子に共感できるんじゃない?
と語りかけているようでもありました。
わたしたちは栄利子や翔子みたいにならないよう、適切な「人との距離の取り方」を心がけていきたいものですね。
そのためのヒントがたくさん詰まっている本作は、定期的に読み返したい一冊(お守り)として本棚にそっと入れておこうと思います。
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