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『法廷遊戯』あらすじネタバレ解説|心揺さぶる結末【映画原作小説】

五十嵐律人『法廷遊戯』を読みました。

結論から申し上げますと、ド名作でした。

とんでもなくおもしろかったです。

だから前置きはここまで! ぜひ結末までご覧ください。

今回は小説『法廷遊戯』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。

ぱんだ
ぱんだ
いってみよう!

あらすじ

法律家を志した三人。

一人は弁護士になり、

一人は被告人になり、

一人は命を失った。

謎だけを残して。

(単行本帯より)

無辜ゲーム

物語前半の舞台は法科大学院。法都ロースクールの最終学年には約20人の学生が在籍しています。

彼らの目標は司法試験突破ですが、悲しいかな底辺ロースクールの実績はといえば昨年も合格者ゼロ。お気楽な学生たちのなかで、真剣に法律家を志す優秀な学生はほんの一握りだけでした。

具体的には、久我清義(くがきよよし)と織本美鈴(おりもとみれい)。ふたりは司法試験合格を期待される法都ロースクールの星です。

そして、もうひとり。結城馨(ゆうきかおる)は学生でありながらすでに司法試験を突破している異例の存在です。彼がなぜわざわざ底辺ロースクールに進学したのか、その真意は誰も知りません。

ともあれ、この物語は清義、美鈴、馨の三人を中心として回っていきます。

ぱんだ
ぱんだ
ふむふむ

さて、法都ロースクールでは『無辜ゲーム』という遊びが流行していました。

むこ【無辜】……罪のないこと。また、その人。

無辜ゲームは変則的な裁判です。プレイヤーは加害者・被害者・審判者の三名。

ゲームは加害者の犯行によって始まります。たとえば、誰かの金を盗む、といった行為です。犯人はゲームであることを示す天秤のマークを現場に残さなければなりません。

金を盗まれた被害者には三つの選択肢が与えられます。無視(泣き寝入り)するか、通報するか、無辜ゲームを受けて立つか。狭いコミュニティでの評価を失いたくないのなら、堂々とゲームを受けるしかありません。

無辜ゲームの舞台は模擬法廷です。

裁判官にあたる審判者に対して、被害者は加害者の犯行を立証します。犯行の手順を説明して、証人から証言を引き出し、犯人を指名します。

つまり、被害者は検察(検事)の役割を兼ねるわけですね。無辜ゲームでは告訴者と呼ばれます。

犯行の立証、犯人の指名が終わると、いよいよ無辜ゲームは最終段階に移ります。

審判者による勝敗の宣告。立証が充分であれば、告訴者の勝利です。敗者である犯人には罰が言い渡されます。無辜ゲームの罰は同害報復(目には目を)を基本としているため、たとえば窃盗への罰なら「被害者に金一万円を払うこと」といった具合です。

逆に立証が不十分だった場合は、告訴者の敗北となります。この場合、告訴者に「金一万円」の罰が与えられます。誤った犯人を指名した場合はもちろん、正しい犯人を指名していたとしても、犯行の立証に不足があった場合は告訴者の負けです。

こうしてみるとずいぶんと加害者側に有利なシステムであるように思われますが、冤罪を防ぐためには必要な措置です。疑わしきは罰せず。学生たちは「無辜の救済」と呼んでいました。

さて。

無辜ゲームは倫理的にも法律的にも危ういゲームですが、学校側からは見逃されていました。

理由の大半は、無辜ゲームが結城馨によって考案されたものであり、結城馨が一貫して審判者の役割をつとめていたからです。

馨の審判に対する生徒からの信頼、馨の経歴に対する学校からの特別扱い。それらによって無辜ゲームは成立していました。


謎の黒幕

『無辜ゲーム』の剣先は清義と美鈴にも向けられました。

清義の被害は名誉棄損。16歳の頃、児童養護施設の施設長をナイフで刺した事件を暴露され、告訴者として立ち上がります。

ぱんだ
ぱんだ
えっ

清義の過去も気になるところですが、今は話を続けますね。

結果として、清義は無辜ゲームに勝利しました(※)

※この無辜ゲームの場面がまたべらぼうにおもしろかったのですが、長くなるので割愛

清義は犯人たる同級生に尋ねます。犯行に用いられた児童養護施設での集合写真、そして傷害事件を報じる新聞記事、それらをどうやって手に入れたのか? と。

答えは「何者かから与えられた」でした。

直接的に清義に挑んだ加害者の裏には、清義の過去を握っている黒幕がいたのです。その正体は謎に包まれていますが、状況からロースクールの関係者と考えるのが妥当でしょう。

ぱんだ
ぱんだ
いやな感じね

美鈴の被害は清義よりも悪質でした。

住んでいるアパートのドアスコープにアイスピックが突き刺されたほか、自転車をパンクさせられるなどといった嫌がらせ行為。

「こんなの、ただの犯罪じゃないか」

とは、清義の台詞です。

清義と美鈴は同じ児童養護施設で育ちました。第三者から見ればふたりは恋人のようにも兄妹のようにも見えたでしょう。しかし、実際にはそのどちらでもありません。

あえて言葉にするなら《共犯者》という表現が適切でしょうか。

事実、ふたりは学費を稼ぐため犯罪に手を染めました。たとえば痴漢詐欺。無実の男性から金を巻き上げる卑劣な犯罪です。とはいえ、無一文の高校生が高額な学費を手に入れるには、まっとうにバイトするだけでは追いつきません。

清義も美鈴も、目的のためなら手を汚すことを厭いませんでした。

……本題に戻ります。

美鈴への嫌がらせの中には「ネットの記事が投函される」というものが含まれていました。

記事が報じていたのは女子高生による痴漢詐欺。記事そのものは美鈴とかかわりのない組織的な犯行を報じたものでした。しかし、「美鈴の過去を知っている」というメッセージだととらえると不気味です。

二週間ほど続いた嫌がらせの結末は、清義のときと同様でした。

実行犯は金で雇われた浮浪者(何でも屋)であり、彼も黒幕の正体は知らなかったのです。

ぱんだ
ぱんだ
ふーむ……

清義と美鈴の過去の罪を知る黒幕はその後、ぱったりと姿を消します。

黒幕の正体がかつての被害者だとするなら、実に中途半端な復讐だったと言わざるをえません。

もやもやとしたわだかまりを抱えたまま、清義と美鈴は法都ロースクールを修了(卒業)したのでした。

その後、清義と美鈴は司法試験に合格。馨は大学に残り研究者(法学者)になる決断をしました。


事件当日

約1年後。司法修習を終えた清義のもとに一通のメールが届きます。

『久しぶりに、無辜ゲームを開催しよう』

差出人は結城馨。

馨は在学中に無辜ゲームの中止を宣言していました。「久しぶりに」とはそういう意味です。

『とある人物から告訴の申し立てがあった。それが誰なのかは、来てからのお楽しみにしておこう。(中略)場所はいつもの模擬法廷で。再会できるのを楽しみにしてるよ』

無辜ゲームの詳細については伏せられていましたが、清義はつまるところ同窓会なのだろうと解釈しました。

司法修習では別の地方に離れてしまっていた美鈴も出席するとあっては、断る理由もありません。

その土曜日、清義は母校法都ロースクールの門をくぐりました。

思い出の詰まった施設の景色を懐かしみながら、模擬法廷へ。

扉を開けると、予想に反して20人からの同級生の姿は見当たりませんでした。

不思議に思って傍聴席の先、木の柵の内側を見てみると……

眼前に広がっていたのは、凄惨としか形容できない光景だった。

証言台の前に倒れている黒い法服の人物。

細い腕。目元にかかっている癖のある黒髪。見間違いようもありません。

仰向けに倒れた馨の胸元には、ナイフが突き刺さっていました。

悲鳴すら出なかった。助けを呼ぼうという発想も浮かんでこなかった。

清義が目撃したのは、血まみれの馨の死体でした。

そして、もうひとり。

「清義……!」ずっと捜していた人物が、そこに居た。だけど、この場には居てほしくなかった。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「美鈴――」

ぺたりと座り込んだ美鈴が、僕の顔をまっすぐ見つめている。

ブラウス、スカート、両手。全てが赤く染まっていた。

その色の正体は、もう分かっている。馨の胸元から噴き出した、大量の血液だ。

(中略)

「私が殺したんだと思う?」

感情の起伏が感じられない口調で、美鈴は訊いてきた。

「それは……」

「私のことを、信じてくれる?」

なにを信じればいいのか分からない。それでも、頷く以外の選択肢はなかった。

「信じるよ。だから、全てを話してくれ」

美鈴が次に発する言葉が、まったく予想できなかった。

私が殺した――。私は殺してない――。

僕は、何と答えればいい。どんな言葉を返せばいい。

「もう少しで、警察がここに来る。私は、近いうちに逮捕される」

「そんな……」

「起訴されるのは、しばらく先のことだと思う」

「美鈴、なにを――」

「お願い、清義。私の弁護人を引き受けて」

<すぐ下のネタバレにつづく>


ネタバレ

若手弁護士の多くは事務所に就職し、経験を積みます。しかし、清義は美鈴の裁判に集中するためすぐに自分の事務所を構えました。いわゆる即独弁護士というやつです。

美鈴の弁護人を引き受けることに迷いはありませんでした。

とはいえ、状況はあまりにも不利です。

凶器のナイフには美鈴の指紋がべっとりとついていましたし、美鈴の衣服を赤く染めていた返り血にしても紛れもなく馨のものでした。

誰がどう見ても美鈴が犯人だと納得するでしょう。事実、美鈴は殺人罪で起訴されました。

しかし、これに対して美鈴は無罪を主張しています。

日本の刑事裁判の有罪率は99.9%。起訴された時点で有罪はほぼ確定しているといっても過言ではありません。減刑のための作戦だというのならともかく、本気で無罪を勝ち取るのは至難の業です。まして、弁護士になりたての清義ではなおさら。

とはいえ、悲観していても仕方がありません。

美鈴が無実だというのなら、第三者による犯行という線はどうでしょうか?

馨を殺害した真犯人が模擬法廷から逃亡していたとしたら?

……いいえ。残念ながらその可能性はありません。

模擬法廷へと続く道は、自習室にいた学生たちの目にさらされていました。

彼らの証言によると、当日の模擬法廷への出入りは次の通りです。

  • 【12:20】馨が入室
  • 【12:30】美鈴が入室
  • 【13:05】清義が入室

三人の他に模擬法廷に入った人物はいませんし、逆に出てきた人物もいません。

なお、馨の死亡推定時刻は13:00。清義が到着する五分前です。

(つまり、清義は事件の第一発見者。その清義が弁護人になっているという点も不利に働きます)

繰り返しになりますが、状況は美鈴がクロだと示しています。

もしも美鈴がシロだというのなら、あの日、模擬法廷で何が起こったというのでしょうか?

弁護人である清義は被告人たる美鈴に接見することができます。当然、いの一番に真相を話してほしいと伝えました。

しかし、美鈴は黙秘。

味方である清義に対しても、なぜか口を閉ざし続けました。

「お願い。もう少しだけ、私の我が儘に付き合って」

美鈴には考えがあるようでした。頭のいい彼女のことです。黙秘にも意味があるのでしょう。

あの日、何が起こったのか。清義は自力で真相にたどりつかなければなりません。


回想

勝ち目のない裁判。黙秘する被告人。およそまともな弁護士なら匙を投げる状況です。

それでも清義が全力を尽くすのは、美鈴が己の半身に等しい存在だからに他なりません。

まだ彼らが児童養護施設にいた頃の話です。

美鈴は施設長の喜多から性的な暴行を受けていました。

ぱんだ
ぱんだ
えっ……

清義は偶然その事実を知り、美鈴を助けるべく勇敢に行動しました。

当時高校生だった清義でも証拠が必要不可欠であることはわかっていました。だから、暴行の場面を録画することで、喜多の罪を証明するつもりでした。

しかし、彼の計画は大きく狂ってしまいます。

録画を担当するはずの仲間が土壇場で逃げてしまったのです。そうとも知らず清義は喜多に立ち向かい、逆上した喜多と揉み合いになって、最終的にはあくまで脅すために用意していたナイフを突き刺す結果となってしまいました。

「喜多は美鈴を汚していた」清義の主張を裏づける証拠はなく、大人たちは彼を少年院に送る手続きを進めます。

ところが、ある日、清義はあっさりと解放されました。

喜多が「自分に責任がある」と清義を庇う供述を調査官にしたためです。もちろん、喜多の良心がそうさせたわけではありません。

「今度は、私があなたを守る」

そう言った美鈴の美しい顔が、清義の頭に浮かびました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「ありがとう、美鈴」

「助けるって言ったでしょ」

「どんな方法を使ったんだ?」

「清義と一緒よ」

喜多が僕を庇う供述を調査官にしたのは、自己の意思に基づくものではなく美鈴に脅されたからだった。脅迫には、隠し撮りした映像を用いたらしい。喜多の部屋に仕掛けたカメラで、自分が押し倒されている様子を撮影した。

その映像は(清義が事態を把握したときには)既に撮影されていた。計画を実行に移す機会をうかがっているところで、僕が余計な横やりを入れたというわけだ。

「僕がしたことには、何の意味もなかったんだね」

「映像は準備できていたのに、私は動くことができなかった。怖かったから……。あなたがきっかけを作ってくれなければ、私は汚され続けていたかもしれない」

(中略)

「ああ、そうだ。これを見て」

美鈴は鞄から出した通帳を僕に渡した。そこには目を疑うような数字が並んでいた。

「どうしたんだよ、これ……」

「映像の削除と引き換えにもらったの。もっと請求するつもりだったけど、浪費癖がひどくて、手元にはこれしか残ってなかった」

「そんなのを受け取って大丈夫なのか?」

「喜多は、施設からいなくなった。私が約束を破ったわけじゃないよ。他にも、色々と問題を起こしていたみたい」

「そっか……」

部屋の隅にあった椅子に座って、美鈴は僕を見上げた。

「清義は、施設を出たらどうしたい?」

唐突な質問だったが、将来について訊かれているのだと分かった。

「僕は、法律を勉強したい。社会の仕組みの根底には法律がある。それを学ぶことで、不利な立場にある人間でも対等に戦える武器が手に入る気がするんだ」

鑑別所で出会った釘宮付添人(老弁護士)の話をすると、美鈴は小さく頷いた。

「法律か。うん、分かった。私たちは、法学部に進学しよう」

「大学に? でも、そんなお金……」

通帳に記載されていた金額は、確かに大金と呼んでいいものだった。だが、大学に進学するとなれば、美鈴一人の学費だとしても心許ないのではないかと思った。

「そうね。今のままじゃ全然足りない。もっともっと、お金を集める必要がある」

「バイトじゃ、生活費の足しくらいにしかならないよ」

「喜多より裕福な大人は、この国は山ほどいる」

「なにを……」

僕を見つめる美鈴の瞳には、覚悟の色が宿っていた。

「私は、自分の将来を諦めたくない。そのためなら、手を汚したって構わない」

このとき既に、僕たちは一つずつ罪を犯していた。

僕は傷害の罪を。美鈴は脅迫の罪を――。

もう、手は黒く汚れていたんだ。

「僕も同じだよ。綺麗事を言うつもりはない」

僕たちの周りには、理性を持って歯止めをかけてくれる大人がいなかった。

もちろん、そんなのはただの言い訳だ。

全て自分たちで決めたことだし、それを誰かのせいにすることは許されない。

それでも、ふとしたときに、ここで交わした美鈴との会話を思い出す。

真っ当な道に引き返す最後のチャンスが、この瞬間だったのかもしれないと。

慣れは、感覚を麻痺させる。焦りは、判断能力を鈍らせる。

高校三年生の夏。選択を誤った僕たちは、許されざる罪を犯した。


清義と美鈴はひとつの十字架を背負っています。

お金を稼ぐための犯罪のなかで、一度だけ、彼らは自分たちの定めたルールを破ったことがありました。

『決して罪を他人に押しつけてはならない』

痴漢詐欺ならば、相手に金を払う気がないと判断した時点で彼らは逃げました。当時はまだ同様の手口が浸透する前で、警察に訴えられても有利だったのにもかかわらず、です。

手を汚すのはいい。でもそれは自分たちの罪である。ルールは美鈴が提案したものでした。

しかし、彼らは一度だけルールを破りました。破らざるを得ませんでした。

慣れによる油断だったのか、焦りによる失策だったのか。

その日、彼らが痴漢詐欺のターゲットに選んだのは現職の警察官でした。

警察手帳を見た瞬間、美鈴は逃げようとして……

「二人揃って、階段から落ちた」

ぱんだ
ぱんだ
え?

「話していたのは(駅の)二階のホームだった。美鈴は、その場を去ろうとした。でも、警官は美鈴の手を掴んで離さなかった。階段のすぐ側で――。美鈴は手を振り払おうとしたけど、力では敵わなかった。そして、そのまま階段から落ちた」

問題は騒ぎが大きくなりすぎていたことでした。今さら逃げることはできません。彼らに残された選択肢は、罪を受け入れるか、罪を押しつけるかの二択です。

彼らは後者を選びました。

※以下、小説より一部抜粋。清義が事務員の咲に過去の罪を告白する場面です。

…………

「その警官は、起訴されたんですか?」

「痴漢だけなら迷惑防止条例違反に留まることが多い。でも、階段から落ちたことで、美鈴は右腕を骨折した。その結果は看過できないと判断されて、逃げるために被害者を突き落とした傷害罪でも起訴された」

「当然、争ったんですよね?」

否認の主張をすれば、被害者としての立場で美鈴の証人尋問が請求されたはずだ。裁判官の前では、美鈴も嘘を突き通せなかったかもしれない。

「公判時点では、認めに転じていた」

「どうして……」

「きっかけは、多くあったと思う。警察や検察での取り調べ、家族や弁護人との接見。いろんな人が、それぞれの立場から自白を促す可能性がある」

「やってないなら、罪を認める必要なんてないじゃないですか」

「証拠があったんだ」

「どういうことですか?」

「警官が着ていたジャケットの胸ポケットに、ペン型のカメラが入ってた。そこには、電車で撮った盗撮映像が保存されていた」

沈黙が落ちた。発言の意図を理解するのに時間を要したのだろう。

「それも……、センセが?」

「万が一の場合に備えて準備してたんだ。反対されると分かっていたから、美鈴には教えなかった。僕は、そのペンを倒れてる警官の胸ポケットに入れて現場を立ち去った」

ペン型のカメラは、盗撮の常習性を裏付けるものだった。盗撮と痴漢は、密接に関係している。無実だと主張しても言い訳としか受け取られない証拠を、僕は作為的に捏造した。

「信じてあげる人はいなかったんですか?」

「警官が卑劣な容疑で逮捕された。身内の不祥事が起きた場合、想定される対応は二つしかない。揉み消すか、徹底的に糾弾するかのいずれかだ。選択されたのは、後者だった。決定的な証拠が見つかったことが後押しになったんだと思う」

僕が現場を立ち去ったのは、傷害の非行歴があったからだ。目撃者として供述をしたところで信用されないだろうし、むしろ美鈴に疑いの目を向けさせるだけだと思った。

「有罪が、宣告されたんですか?」

「そうだよ。前科無しでの実刑判決が下されたにもかかわらず、その人は控訴しなかった。警察を懲戒免職されて、妻とは離婚して、服役中に精神を病んで、自ら命を絶った」

(中略)

「その警官は、馨の父親だったんだ」

ぱんだ
ぱんだ
んん!?


裁判も近づいてきた頃、清義には事件の全貌が見えかかっていました。

結城馨の目的は父親の復讐だったと考えれば、一連の事件に説明がつきます。

たとえば、無辜ゲーム。

美鈴に嫌がらせを仕掛けていた黒幕が馨であることは、彼が雇っていた佐沼という浮浪者から確認できています。

※佐沼はクセのある男で、メールにウィルスを仕込むことで依頼主(=馨)の顔を確認していました。

といっても、嫌がらせそのものが復讐だったわけではありません。馨は佐沼に命じて美鈴の部屋を盗聴させていました。

「施設の写真とネットの記事を見た僕たちは、過去に犯した罪を思い浮かべて言葉に出した。そこを結び付かせるのが、馨の狙いだったとも知らずにね」

嫌がらせの目的は、清義と美鈴の罪を確かめることにありました。

最初から清義と美鈴を疑っていながら、さらに有罪を決定づける証拠を求めたのです。

この一例からも、馨がひどく慎重に計画を進めていたことがわかります。

その理由も、清義には分析できていました。

「馨は、無実の父親を裁いた司法機関も恨んでいた。どれだけ僕たちを怪しいと思っていても、それだけで罰を与えてしまったら、同じ過ちを犯すことになる」

馨は「正しい復讐」を模索していました。

冤罪を排除できるだけの証拠を集めた彼は、罪にふさわしい罰を与えようとしたでしょう。

無辜ゲームの基本は同害報復。目には目を歯には歯を。

「馨の父親は、服役中に精神を病み、最後は自ら命を絶った。それなら、同害報復の考え方に従って、罪を押しつけた加害者も死をもって償うべきだ。馨は、そう判断した」

清義の論理は結局「馨は美鈴を殺そうとした」というわかりやすい復讐の構図に行き当たります。

そこから導かれる真相は「美鈴が馨を返り討ちにした」あるいは「過去の罪を暴露されるのを危惧して口を塞いだ」といったものでしょうか。

いずれにせよ美鈴に無罪判決が下されることはないでしょう。

それは清義の望む結末ではありません。パズルのピースを無理やりつなぐようにして、清義は別の真相を組み上げました。

ぱんだ
ぱんだ
別の真相?

馨は無辜ゲームの審判者でした。いまにして思えば無辜ゲームそのものも復讐のための装置だったのでしょうが、それも含めて馨は審判者として数々の不正を犯していました。

たとえば清義が名誉棄損で告訴者になった一件。犯人に施設の写真や新聞記事といった動機を与えた黒幕は馨でした。他人に罪を押しつけたも同然です。

言うまでもなく美鈴への嫌がらせも、無辜ゲームの枠組みから大きく逸脱したものでした。

不正を働いた審判者には罰が下されます。彼らはその罰を《無辜の制裁》と呼んでいました。

「あの日、美鈴は模擬法廷で、審判者が犯した不正を糾弾した。(中略)不正を働いた審判者は、無辜の制裁による罰を受けた」

※以下、小説より一部抜粋。接見室で清義と美鈴が反している場面です。

…………

「結城くんに制裁を加えたのは、誰?」

「馨自身だよ。馨は自分で、命を絶ったんだ」

裁判所に提出した予定主張の末尾にも、そう記載した。

「父親を陥れた加害者に糾弾されて、結城くんは自殺した。そんな主張を、裁判官や裁判員が信じると思う?」

呆れられたわけでもないし、突き放されたわけでもない。

でも、美鈴の本心が、僕には分からない。

「父親の前科は、法廷では伏せればいい。馨が犯した無辜ゲームの不正は、公平(同級生)と佐沼の証言で立証できる。だから、何とかなる。無理筋だなんて言わせない」

「残念だけど、無理筋よ」

(中略)

「諦めちゃ駄目だ。刑務所になんて行かせない」

「それは違う。私は諦めてなんかいない。だって、私は結城くんを殺してないんだもん」

「え?」

言葉の意味が理解できなかった。だが、聞き間違えたわけではない。

美鈴は、馨を殺していないと言った。そう、言ってくれた。

「清義にも打ち明けるわけにはいかなかった。それが結城くんとの約束だったから」

「馨との……、約束?」

「結城くんはね、私の命を奪って罪を償わせようとはしなかったの」

「さっきから、なにを言ってるんだ?」

「本当に、神様みたいだったよ」

突然の展開に、理解がまるで追いつかない。

「信じていいのか?」

美鈴は、力強く頷いた。

「私たちの無実は法廷で証明できる」


開廷

第一回公判期日。検察の冒頭陳述は清義の想定したとおりのものでした。

…………

被害者の結城馨は、罪を犯して服役していた父親は冤罪だと信じていた。それと同時に、父親を陥れたのは被告人だと思い込んでいた。

復讐を決意した被害者は、被告人に嫌がらせを仕掛けた。犯人を突き止めた被告人は、被害者を呼び出して罪を糾弾した。だが、話し合いはもつれ、結果的に被告人は被害者を殺害するに至った――。

…………

検察側は確定した過去の判決が冤罪だったと認めることができません。「信じていた」「思い込んでいた」という表現はそれゆえにつけ足されたものです。

また、検察が父親の前科や無辜ゲームでの嫌がらせについて把握しているのは、弁護側が事前に明かしていたためです。これはつまり、弁護側もそれらの事実を前提とした主張をするつもりだということを示しています。

ぱんだ
ぱんだ
隠さないのね

第二回公判期日。証人尋問では三人の人物が召喚されました。

八代公平、佐沼、そして馨の母。彼らが語ったのは、(物語的には)これまでに判明している事実の繰り返しでした。

裁判は原則として事前に定められたシナリオに沿って進んでいきます。驚くべき新事実がいきなり飛び出してきたりはしません。

勝敗を分ける要素があるとすれば、『散らばった証言のピース』をどのように組み立てるのか、弁護人と検察の力量にかかっているといえるでしょう。

ぱんだ
ぱんだ
ふむふむ

第三回公判期日。すべての証人尋問が終わり、被告人質問が始まります。

清義が問い、美鈴が答える。ふたりは打ち合わせたとおりに、裁判をひっくり返すシナリオを紡ぎあげていきます。

ぱんだ
ぱんだ
わくわく

結論からいいましょう。

事件当日、模擬法廷内の様子は録画されていました。

使用されたのは模擬法廷に備え付けてあるビデオカメラ。入室の順番からもわかるように、カメラを回していたのは馨です。

「撮影した映像をセイギ(※)に渡してほしい。結城くんは、そう言いました」

※セイギ、は清義のあだ名

証拠どころの話ではありません。映像を確認すれば、有罪か無罪かだなんて一発で明らかになります。

映像はSDカードに記録されていました。あの日、清義が血まみれの美鈴から受け取ったSDカードがそれです。

ただし、SDカードにはパスワードが設定されていました。清義もまだ映像を直接見てはいません。これまで何度もパスワードを教えるよう美鈴に頼んでは、断られ続けていました。

その理由は――

「公判期日が始まるまでは、データは開かない。そう結城くんと約束したからです」

「今ならパスワードを教えてくれますね」清義の問いを受けて、美鈴は英数字の組み合わせをそらんじました。

すかさず清義が言います。

「裁判長。SDカードに保存されている映像の取り調べを請求します。立証趣旨は、死亡直前の被告人と被害者のやり取り及び被害者の身体に凶器が刺さった状況等です」

検察にとっては寝耳に水。すぐに猛反対が飛んできました。確かに今回のケースでは裁判中に新証拠を請求することは認められません。

そんなことは美鈴も、そして馨も承知の上です。だから、美鈴はパスワードをずっと黙秘し続けていたのです。

SDカード内のデータが、事件当日の模擬法廷のやり取りを記録した映像だと判明するタイミングが、被告人質問の最中になるように。

「パスワードが分からなければ、証拠調べ請求をすることは不可能だった。やむを得ない事由は、認められるはずです」

最終的に、裁判長はSDカードの提示を命じました。証拠として取り扱うかどうか、内容を確認して判断するということです。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「三十分ほど休廷します。検察官も、内容を確認してください」

有無を言わせない口調で、赤井裁判長は休廷を宣言した。慌ただしく書記官が動き回り、検察官が不満げに法廷を出て行き、美鈴は地下の独居房に戻された。

まだ僕は、ビデオカメラの映像を見ていない。だが、おおよその内容は予測できる。

映像の中で、馨は真相を暴露したはずだ。検察官も裁判官も、言葉を失うほど驚くだろう。

あっという間に三十分は過ぎ去った。

(中略)

全員の視線が、赤井裁判長の口元に集まった。

「弁護人請求のSDカードを採用して、この法廷で映像を取り調べます」

裁判所の判断に、法廷からどよめきが漏れた。

「異議を申し立てます!」立ち上がったまま、留木(若手検察官)は続けようとした。

しかし、それを遮ったのは古野(ベテラン検察官)だった。

「――もういい、座れ」

「古野さん、どうして……」

手を震わせて、留木は隣に座る上司を見た。

「実体的真実の発見も、検察官が果たすべき使命だからだよ。あの映像は、取り調べられなければならない。異議を申し立てても意味がないことは、お前も分かってるはずだ」

力を失ったように、留木は椅子に座った。

そして、101号室法廷のモニターに、模擬法廷の映像が映し出された。


真相

模擬法廷で向かい合っている馨と美鈴。馨の右手にはナイフが握られています。

美鈴が馨の正体を知ったのは、このタイミングでした。

「私に、復讐するつもり?」

さすがの美鈴といえども動揺を隠せてはいません。じわりと後ずさりながら、許しを乞うべきか、説得するべきか、高速で思考しているようでした。

一方、馨は冷静そのものです。

凶器をその手に握っていながら、まるで無感情に美鈴の質問に答えます。

「父さんは、僕が復讐を考えていることを見抜いていた。刑事の勘ってやつだったのかな。そんなことに意味はないって、強い口調で言われたんだ。社会の秩序を保つ警官としての仕事に、父さんは誇りを持っていた。個人的な復讐はその役割を否定することに繋がる。それだけはやめてくれって、泣きながら頼まれたよ」

馨は最初から美鈴が父親を陥れたことを知っていました。佐沼に盗聴を依頼して、その事実を確かめてもいます。

美鈴を殺す機会など、これまでにいくらでもありました。けれど、そうしなかった。

つまり、馨の目的は単純な復讐ではありません。

「何と言われようと、僕は加害者を許すことはできなかった。でも、父さんの想いを無視して復讐に走るのは、身勝手な自己満足だと思った。復讐が許されないとしても、せめて正当な報いは受けさせなくちゃいけない。それが、最終的に辿り着いた答えだった」

馨は復讐者ではなく審判者として、美鈴に罰を下すのだと言います。

けれど、そこにどれだけの違いがあるというのでしょう?

彼の理念は同害報復。馨の父親(佐久間悟)は最終的に自殺しています。それは間違いなく冤罪の延長線上で迎えた結末でした。

だとしたら、美鈴にふさわしい罰とは?

「お願い、殺さないで……」罪人の命乞いに、馨は眉ひとつ動かしません。

ナイフの切っ先を美鈴に向けて、馨は言います。

「父さんを殺したのが美鈴だと評価できるなら、僕は迷わずに君を殺したと思う。だけど、どれだけ考えても、その結論に至ることはできなかった」

「えっ?」美鈴は一瞬、馨が何を言っているのか理解できませんでした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「美鈴が虚偽の供述をしたせいで、父さんは起訴された。でも、嘘を嘘だと見抜けず、無実の罪で有罪判決を宣告したのは、この国の司法だ。父さんは、服役中に精神を病んで自ら命を絶った。きっかけを作った美鈴と、引き金を引いた司法。どちらか一方に全ての責任を負わせることが相当だとは思えない。だから、双方に報いを受けてもらうことにした」

馨の声色は変わらない。それ故の狂気が、その論理からは染み出していた。

「なにを言ってるの……」

「君が犯した罪は、謂れのない罪を他人に押し付けて、真実を隠したことだ。その罪を清算するには、しかるべき場所とタイミングで無実を証明してもらうしかない。そして司法機関には、過去に下した判断は誤りだったと公の場で認めてもらう。双方が報いを受けたとき、父さんは救済される」

(中略)

「もしかして、再審請求の話をしてるの?」

「さすがだね。理解が早くて助かるよ」


法廷遊戯

再審とは、つまるところ裁判のやり直しです。

一度確定した判決においても、重大な事実誤認が発見されるなどした場合には、例外として再審を請求できる制度が存在します。

とはいえ、基本的に再審は開かずの門です。司法機関が冤罪を認めるはずもありません。

今さら美鈴が警察に自首したところで、佐久間悟への判決が覆ることはないでしょう。

馨は言います。

「法廷で起きた過ちは、法廷で正す必要がある。訴追権者(検察)と審判者が集まる刑事裁判。そこで父さんの無実を証明してもらいたい。公の法廷でされた発言を、なかったことにすることはできない。柵の内側にいる人間だけではなく、傍聴席に座る記者や傍聴人も含めた全員が証人になるからだ」

馨の目的は父親の無実を証明することにあります。そのためには権力に圧し潰されない環境で、真実を公にする必要がありました。つまり、美鈴を被告人とした刑事裁判で、です。

自ら被害者になることで、美鈴を刑事裁判に送り込む。それこそが馨の真の目的でした。

「美鈴に有罪判決を甘受させようとは考えてないよ。それは過ちを繰り返すのと同義だから。裁判の日を迎えたら、この映像を被告人側の証拠として請求すればいい。父さんの無実と自己の無実を同時に証明する。それが、美鈴が果たすべき役割だ」

※以下、小説より一部抜粋

…………

「再審の扉を開くために、自分の命を犠牲にする。要するに、そういうことでしょ。それでいいって、結城くんは本気で考えてるの?

「結城馨が死ぬことは決まっていた。僕は、死の理由をこじつけただけだよ」

「死の理由?」

「無辜の制裁さ」

馨は微笑んだ。この映像に、初めて柔らかい表情が映し出された。

「どういうこと?」

「説明する必要もないはずだ。僕は、父親の無実を証明するために、クラスメイトに罰を与えてきた。罰すべき罪を見逃したこともある、罪を犯すように誘導したこともある、自分自身の手で罪を犯したこともある。これらは審判者としての役割に反する不正に他ならない。僕は、報いを受けなければならない」

美鈴は、馨に一歩近付いた。二人の距離が、僅かに詰まる。

「それでも、命を落とさなければならない罪は犯してないじゃない」

「罰を決めるのは、審判者の役割だ」

「自分にだけ重い罰を科するなんて……、そんなの、ただの傲慢よ」

「僕は、父さんを救えなかった。これも同害報復なんだ――」

「これから、救うんでしょ。結城くんが死んだら、誰がそれを見届けるの」

更に、もう一歩。手を伸ばせば届く距離に、二人はいる。

「ごめん、美鈴。あとは頼んだよ」

馨は。右手のナイフを勢いよく振り上げた。

「やめて!」

直後、美鈴は馨に駆け寄った。だが、ナイフも馨に迫っていた。

証言台の前で、馨と美鈴は重なった。

美鈴が馨に覆い被さるように倒れたことで、二人の姿が映像から消えた。

予期していた音は、なにも聞こえてこなかった。

美鈴の悲鳴も、馨のうめき声も――。

映像であることを忘れさせる静寂。息苦しさを覚えてしまうほどの無音。

そして、美鈴だけが、ゆっくりと立ち上がった。

返り血で染まった美鈴は、ビデオカメラのレンズを見つめていた。


結末【前】

判決宣告当日。公判開始時刻の三十分前。

裁判所の地下にある接見室のパイプ椅子に清義は浅く腰かけていました。アクリル板を隔てた向こう側に座っているのは、もちろん美鈴です。

SDカードの映像が公開された時点で、彼らは事実上、計画を完遂しています。あれほど明確な証拠がある以上、美鈴に殺人罪が適用されるはずもありません。

今なら事件についての一切を黙秘していた美鈴の意図もよくわかります。あの顛末を事前に明らかにしていたら、SDカードを証拠として提出していたら、検察は勝ち目なしと判断して不起訴にしていたでしょう。

でも、それでは駄目だったんです。

佐久間悟の冤罪を認めさせるためには、揉み消しようのない状況で真実を訴える必要があました。美鈴は沈黙によって、検察を起訴へと誘導したのです。

弁護人である清義にも黙っていたのはSDカードの証拠請求を認めさせるためでもありましたが、それ以前に清義に打ち明ければ(リスクの高さから)反対されると確信していたからでもあります。

ぱんだ
ぱんだ
なるほど

すべては馨のシナリオ通りに進んでいました。

馨は父親の無実を証明するため法律を学び、加害者である清義と美鈴を追ってロースクールに進学しました。無辜ゲームを利用して、清義と美鈴の罪を確かめました。

ここまで無視してきましたが、この文脈にはひとつの疑問がつきまといます。

「どうして馨は、父親が無実だと分かっていたのかな」

馨は最初からすべてを知っていました。父親が潔白であることも、美鈴が加害者であることも。その理由はいたってシンプルです。

「あそこに、結城くんも居たの。駅のホームよ。私たちから少し離れたところに立って、結城くんは全てを見ていた」

冤罪には目撃者が存在していました。しかし、家族である馨の証言には信憑性が認められません。真実を目の当たりにしていながら父親を救えなかった馨の絶望は、どれほどのものだったのでしょう。

加害者と司法に報いを受けさせる。父親の無念を晴らす。そのためにはどうすればいい? 馨の長い旅が始まります。

ぱんだ
ぱんだ
……

ここで一度、時系列を整理してみましょう。

馨が模擬法廷で絶命したのは、ロースクール修了から約一年後のこと。馨の父である佐久間悟が首を吊ったのは、その約一か月前のことです。

馨は父親がこの世を去るのを待って、計画を実行に移しました。なぜなら佐久間悟は再審を望んでいなかったからです。

これは心情的な問題ではなく制度上の問題です。再審を請求できるのは本人のみで、その人物が亡くなってはじめて親族に権利が移ります。

盗聴によって美鈴たちの罪を確認した後、馨がすぐに行動に移らなかったのはそうした理由からでした。

さて。

一見筋が通っているように思われるこの論理に大きな矛盾が含まれていること、もうお気づきでしょうか?

ぱんだ
ぱんだ
え?

清義に言わせればこうです。

「再審請求権者の地位を獲得するために、父親の死を待った。そして、その瞬間は訪れた。でも、馨は手に入れた権利を行使することなく、この世を去っているんだ」

要するに、馨が死んでしまっては誰が再審を請求するんだ? という話です。

馨の両親は離婚しています。母親に請求権はありません。

馨の目的はあくまで冤罪を勝ち取り、父親を救済することにありました。もちろん自分の手で再審請求するつもりだったでしょう。

だというのに、馨は命を絶った。まさに矛盾です。

ぱんだ
ぱんだ
たしかに

公判開始時刻の三十分前。地下の接見室。

清義は最後の謎解きを始めます。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「再審の扉が開くのがゴールで、そこに辿り着くための手段が法廷での暴露だった。ここまでは、僕と美鈴が紡いだストーリーは一致している。でも、馨が美鈴に被せようとした罪は、殺人ではなく殺人未遂だった」

(中略)

「美鈴のせいで馨は死んだ」

はっきりと、僕は言った。それを聞いた美鈴は、驚いたように目を見開いた。

「私は、結城くんを助けようとした……。でも、間に合わなかった」

「振り下ろしたナイフを止めろって、馨に指示されていたんじゃないのか?」

あのときの僕と一緒だ。伸ばした右手が、救うべきものを救わなかった。

いや、それどころか――、

どうして、もっと早く気付いてあげられなかったんだろう。

「模擬法廷で対面したとき、既に美鈴は馨の計画を聞かされていた」

「また、話が飛んだわね。そう思う理由は?」

「美鈴に対して、事前にシナリオを伝える必要があったから」

「……さっきから言ってる、そのシナリオって?」

アパートの音声を入手した時点で、馨の手元には必要な証拠が揃っていた。それを美鈴に突き付けながら、脅迫とも受け取れる頼み事をしたはずだ。

「自分が佐久間悟の息子であることを告げて、父親が命を絶つまでの経緯を説明した。再審請求を裁判所に認めさせるために、公開の法廷で被告人役を演じてもらいたい。大枠は、今回の裁判で美鈴が供述したとおりだったと思う」

「まだ続きがりそうね」

ひとつ頷き、残りの言葉を一気に吐き出した。

「映像に記録されていた一連のやり取りも、全て打ち合わせてあった。美鈴が審判者の不正を糾弾して、無実の父親を救済することが動機だったと馨が明らかにする、自殺する決意を固めた振りをした馨は、ナイフの切っ先を自分の胸元に向ける。振り下ろしたナイフを止める最後の演技は、美鈴が果たすべき役割だった」

おそらく、遅れて模擬法廷に入ってきた僕が揉み合っている二人を発見するというのが、馨が想定していた展開だったはずだ。

目撃者と証拠を捏造することで、殺人未遂の状況を作り上げようとしたのだ。

僕たちが、痴漢冤罪の罪を佐久間悟に押し付けたのと同じように。

「私がわざと見逃したから、結城くんの胸元にナイフが刺さった。そう考えてるの?」

肯定の言葉を返すことはできない。美鈴が止めてくれると信じて振り下ろしたナイフが、勢い余って胸元に突き刺さった。そんな間抜けなミスを、馨が犯すわけがない。

「馨の死は、故意に引き起こされた」

「……」

「証言台の前で覆い被さるように押し倒して、馨が右手に握っていたナイフを突き刺した。結局、検察官の主張が正しかった。美鈴が、馨を殺したんだ」


結末【中】

「美鈴は自殺しようとする馨を止められなかった」映像から読み取れた結末は誤りでした。

美鈴は狂言の筋書きに従うふりをして、最後の最後で殺意をもって馨の命を奪ったのです。

目的は口封じ。

ただし、自分の過去の汚点を隠すためではありません。

「もう、いいんだ。僕を守ろうとしたんだろ?」

喜多の事件を覚えているでしょうか。清義は美鈴のために喜多に立ち向かい、美鈴は清義のために喜多を脅迫しました。

二人の関係はあのときから変わっていません。

すなわち、美鈴は清義を守るために馨を殺したのです。

ぱんだ
ぱんだ
というと?

あのとき、佐久間悟は逃げようとする美鈴の手首を掴みました。そして、二人は階段から転がり落ちた。佐久間は美鈴を突き落としたとして傷害罪でも有罪判決を受けています。

けれど、その判決は間違いです。

あれは事故だった……と言いたいわけではありません。

清義は言います。

「違う。僕が、佐久間悟の背中を押したんだ。そのせいで、二人は階段から落ちた」

ぱんだ
ぱんだ
あっ!

事件の一部始終を現場で目撃していた馨は、清義にこそ傷害の罪があると知っていました。

当然、この複雑怪奇な法廷遊戯では清義の罪も明らかにするつもりでした。

そんなことになれば清義はもはや弁護士ではいられなくなります。

だから、殺した。

「そうよ。私が、結城くんを殺した」

※以下、小説より一部抜粋

…………

「何で、僕なんかのために?」

「あなたが、絶望していた私を救ってくれたから」

「僕は、美鈴を追い込んだだけだ。喜多をナイフで刺したりしなければ、僕と美鈴が道を踏み外すことはなかった。そうすれば、馨の父親も、馨も……」

「その代わり、私は汚され続けていたかもしれない」

美鈴の人生を縛り付けたのは、中途半端な覚悟でナイフの柄を握った高校生の僕だった。

「ホームで揉み合ったときだって、僕が余計なことをしたせいで――」

「私たちがホームでなにを話していたか、清義には聞こえてなかったでしょ」

「うん」

「手首を掴まれたあと、初めてじゃないねって言われたの」

「え?」

「私が痴漢詐欺の常習犯なのも、見抜かれていた」

「そこまで……」

「私は、見逃してくださいって頼んだ。そうしたら、何て答えたと思う?」

何一つ答えが浮かばなかった。美鈴は、吐き出すように続けた。

「大丈夫。君はやり直せる。佐久間悟は、そう言った。何気ない一言、使い古された正論。そんなことは分かってた。だけど、受け入れられなかった。だって、やり直せないところまで追いつめたのは、大人なのに。手を差し伸べないで、見て見ぬ振りをし続けてきたのに。全然、大丈夫なわけないのに」

「美鈴――」

「振りかざされた正義が、悪に感じた。許せないって思った。掴まれた手首を引っ張って、一緒に落ちてやるって思った。だけど、私が力を入れる前に佐久間悟はバランスを崩した。そんな偶然、あり得ないかもしれない。でも、確かに私たちは階段から落ちた」

「僕は、美鈴を助けたくて……」

「あのとき、肩越しに見えた清義が、正義のヒーローに見えた」

「やめてくれ!」

ずっと、セイギと呼ばれることに抵抗を感じていた。自分の中にあるのが、見せかけの正義だと分かっていたからだ。罪を犯すことでしか、僕は正義を実現できなかった。

「私ができなかったことを、あなたは二度もやり遂げてくれた」

「僕がしたのは、ただの犯罪だよ」

「そうだとしても、私は生きる理由を見出せた」

反論するつもりはなかった。そろそろ、僕の自己満足も終わらせなければならない。

「他に付け加えることは?」

「もう、なにもない」

「分かった。話してくれてありがとう」

ずっと、美鈴を信じてきた。これまでも、これからも――。

「弁論の再開を申し立てて、私が結城くんを殺したと主張するつもり?」

判決が宣告される前なら、当事者からの請求や職権で、弁論を再開できる。そこで真実を打ち明けることによって、審理のやり直しが決定されるかもしれない。

「僕は、美鈴の弁護人だ。被告人の利益に資するのなら、真実だって伏せる」

法廷で真実を明らかにするべきだと、最初は考えていた。だが、馨と交わした約束(※後述)を果たしたことで、弁護人としての使命を思い出した。

「それでいいの?」

「弁護人である限りは、美鈴の希望を尊重する」


結末【後】

裁判所地下の接見室。清義は事件の全容を解明してみせましたが、だからといって裁判に影響はありません。

薫の死の真相は伏せられ、美鈴は無罪となるでしょう。

しかし、それははたして救いなのでしょうか。美鈴はこの先ずっと罪の意識にさいなまれながら生きていかなければなりません。

罰が赦しであるとすれば、それを拒絶した美鈴はいつまでも罪人のままです。ある意味、正当な裁きを受けるよりも苦しい人生になるとも考えられます。

美鈴は安易に罪を逃れるためではなく、強い決意をもって罪と向き合い続ける選択をした、と言いかえることもできるでしょう。

美鈴の選択もまた罪の償いの在り方なのだ、と清義は思います。

けれど、

「僕は、報いを受けなくちゃいけない」

清義の選択は美鈴とは違います。

罪には罰を。清義は裁きを受け入れる決意を固めていました。

公訴時効――。

虚偽告訴罪の時効は七年。傷害罪の時効は十年。運命の事件が起きたのは九年前。

つまり、清義の罪はまだ時効を迎えていません。

だからこそ美鈴は清義を守ろうとしました。

しかし……

※以下、小説より一部抜粋

…………

「犯した罪には、罰をもって応えるしかないんだ」

馨が拘り続けた同害報復は、復讐ではなく寛容の論理だった。真実の暴露と引き換えに、罪を許す――。与えられた贖罪の機会を、僕たちは踏みにじってしまった。

「私は……、罰なんて受け入れない。罪と向き合って生きていく」

そう言った美鈴の目には、涙が溜まっていた。

喜多を刺したときと一緒だ。僕の決断が、美鈴を苦しめている、

「ごめん。美鈴」

「謝るくらいなら……、最後まで一緒に戦ってよ」

馨の命が奪われた模擬法廷で、美鈴の弁護人を引き受けると約束した。

その契約を、僕は反故にしようとしている。

「さっきのUSBメモリ(※後述)は、あとで美鈴に渡すよ。だから、検察が新証拠を手にすることはない。もし検察が控訴しても、無罪主張を維持すれば――」

「そんなことを聞きたいんじゃない!」救いを求めるように、美鈴は叫んだ。

「ずっと二人で生きてきたのに……、それなのに……」

美鈴の気持ちは、痛いほど分かっている。

どんなときも一緒だった。美鈴の隣には僕がいて、僕の隣には美鈴がいた。

他に頼れる人はいなかった。間違いを正してくれる人も、進み方を教えてくれる人も。

生き抜くために、前に進むために、無実の人間を不幸に陥れた。

幸せになりたい――。ただ、それだけが望みだったんだ。

(中略)

「判決を聞き届けたら、僕は警察に出頭する」

「どうして――」

美鈴の頬を、一筋の涙が伝った。

「馨に託されたんだ。証拠だけじゃなくて想いを」

何度も、何度も、美鈴は首を左右に振った。

「分からないよ。清義……」

罪に染まった右手を前方に伸ばす。

アクリル板が邪魔をして、美鈴の涙を拭うことはできなかった。

「そろそろ、法廷に向かわないと」

「待って!」

潤んだ目を見て、想いが駆け巡る。

言わないと決めていた言葉が、口を衝いて出た。

「僕も、美鈴と一緒に生きたかった」

泣き崩れた美鈴を残して、僕はパイプ椅子から立ち上がった。


判決

※以下、小説より一部抜粋

正当な報いとは、誰が決めるべきものなのだろう。

司法権の担い手である裁判官か、あるいは、罪を犯した者自身か。

証言台の前に立つ美鈴は、まっすぐ法壇を見つめている。

その瞳の先には、なにが映っているのだろう。

法壇の中央に座る裁判長の姿か、あるいはそこに座り続けていた馨の影か。

命を懸けて仕掛けた馨の法廷遊戯が、一つの結末を迎えようとしている。

馨が望んだのは、如何なる結末なのだろう。

罪人に対する制裁か、あるいは、無辜に対する救済か。

法廷が静寂に包まれるのを待ってから、裁判長は短い主文を読み上げた。

「主文、被告人は、無罪――」

<おわり>

 

【補足】馨との約束

馨と清義はとある約束を交わしていました。

「事件が起きる一年くらい前に頼まれたんだ。リンドウの花を持って、父親と祖父が眠る墓を訪ねてきてほしいって」

このとき、佐久間悟はまだ生きていました。しかし、やがて訪れる結末を馨は予期していました。父親が自殺すること。そして、自分が殺されるであろうこと。

ぱんだ
ぱんだ
えっ……

馨は美鈴に殺される可能性を考慮に入れていました。

そのために用意しておいたのが、佐久間家の墓の花立に入れたUSBメモリです。

「データの中身は、佐沼から受け取った音声、僕や美鈴の過去をまとめた報告書、再審請求の法的要素を記載した文書、そして、殺人未遂を捏造するための美鈴と馨の打ち合わせの様子を録音したものだった」

USBメモリは美鈴に裏切られた場合の保険です。数々の証拠が美鈴の有罪を裏づけます。

しかし、これはどうにも妙な話です。

「僕が父親を階段から突き落としたことを、馨は見抜いていた。共犯者の一人に証拠を託すなんて、揉み消した方がいいとアドバイスしているようなものだ」

花立の中には、USBメモリの他に小さな金属製の物体が入っていました。

無辜ゲームの象徴である天秤……ではなく、十字架のペンダントトップでした。

馨の真意はわかりません。

赦しのシンボルとしての十字架なのか、それとも戒めのシンボルとしての十字架なのか。

いずれにせよ、清義は馨から託された想いを踏まえて決断を下しました。

美鈴を無罪にして、自らは警察に出頭する……。

馨がこの結末を望んでいたのかは、今となっては知るよしもありません。

ぱんだ
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まとめ

今回は五十嵐律人『法廷遊戯』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。

二万字に達する大長編となってしまったにもかかわらず、最後までお読みいただき本当にありがとうございます。

当初はもっと短くまとめるつもりだったのですが、美しい論理といい、ラストに待ち構えている驚きといい、あまりにも魅力的すぎて長くなってしまいました。

「これは、おもしろい!」と声を大にしておすすめできる作品です。

ミステリとして完成されているのはもちろん、清義・美鈴・薫、三者三様の想いが交錯するドラマにも深く胸打たれました。

わたしには幸せになりたかっただけの清義と美鈴を否定することはできません。一方で、馨は純然たる被害者である馨には同情しますし、安易な復讐に走らなかった彼には尊敬の念を抱きます。

いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょう。いったい誰が、何が、間違っていたのでしょうか。

この記事は大長編になったと言いつつ、いろいろとおもしろいエピソード(特に無辜ゲーム関連!)を取りこぼしています。

彼ら三人の胸の内を想像しながら、ぜひ小説も読んでみてください。

 

映画情報

キャスト

  • 永瀬廉(King & Prince)
  • 杉咲花
  • 北村匠海

公開日

2023年11月10日公開

ぱんだ
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