真保裕一『おまえの罪を自白しろ』を読みました。
誘拐事件の真相はもちろんのこと、本作の見どころは政治家の処世術をお腹いっぱい味わえることにあります。
次から次へと登場する政治家たちは、その秘書を含めて誰一人として本音を口に出しません。
聞こえのいい言葉の裏には別の思惑が隠れていて、一秒ごとに自分の利益を計算しています。
老獪な古狸たちを相手に、宇田一家は生き残っていけるのか?
そして、誘拐事件の意外すぎる真相とは?
今回は小説『おまえの罪を自白しろ』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。
あらすじ
衆議院議員・宇田清治郎の孫娘が誘拐された。
犯人からは「記者会見で、すべて罪を自白しろ」という前代未聞の要求が届く。
清治郎の次男で秘書を務める晄司は、父と幼い姪を救うために奔走する。
総理官邸と警察組織の入り乱れる思惑、命のタイムリミットが迫るなか、宇田家の運命を背負った晄司の決断は?
(文庫裏表紙のあらすじより)
記者会見のタイムリミットは「明日午後五時まで」 この物語の九割は24時間以内の攻防を描いたものになります。
宇田清治郎の疑惑
犯人が宇田清治郎に自白させたい罪とはなんなのか?
真っ先に思い浮かぶのは現在進行形で追及されている公共事業にまつわる不正の件です。
上荒川大橋の建設にあたり、清治郎には「国交省や県に圧力をかけて用地を変更させたのではないか?」という疑惑がかけられています。
橋の建設のために買い上げられた土地には、総理の友人の会社が所有するものが含まれていました。
もともと一億円だった土地が、八億円で買い上げられたといいます。
総理友人にしてみれば濡れ手に粟の大儲けです。
清治郎は総理に媚びるために圧力をかけて強引に橋の用地を変更させたのではないか、そう疑われているわけですね。
これまで清治郎は政治家らしく知らぬ存ぜぬを貫いてきました。
疑惑が本当なのかどうか、新米秘書である晄司にはわかりません。
宇田晄司
宇田晄司は今でこそ清治郎の秘書を務めていますが、もともとは父親に反発していました。
宇田家は埼玉に根を張る政治家一族です。一歩外に出れば有権者の目があり、人間関係には政治的な思惑がついてまわります。
代議士の息子に生まれたからといって、いいことばかりではありませんでした。
幸い、晄司には優等生の兄・揚一朗がいます。
父の支えは兄に任せ、晄司は会社を立ち上げました。店舗デザインと内装の会社です。
しかし、結果として会社経営は失敗に終わりました。
一緒に会社を立ち上げた親友に手酷く裏切られてしまったのです。部下と顧客を引き連れて独立した副社長のせいで、晄司の会社は三千万円の負債を抱えることになりました。
晄司はやむなく父を頼り、借金の清算と引き換えに秘書になったという次第です。
秘書になってまだ五か月。晄司は父親に仕えるほか五人の秘書にはまだ遠く及ばない駆け出しです。
晄司にとって誘拐された柚葉(3歳)は姉の娘にあたります。姉の夫である緒形恒之は市会議員。兄の揚一朗は埼玉県議を務めています。
犯人の謎
清治郎に罪を告白させて、いったい犯人にどんな利益があるというのでしょう?
要は犯行動機ですが、いちいち可能性をあげていたらきりがありません。
たとえば、清治郎の失脚後は別の議員が埼玉を支配することになるでしょう。その議員の差し金とも考えられますし、その議員とつながりのある企業の思惑が絡んでいるのかもしれません。
あるいは、犯人の狙いは清治郎ではなく総理? 上荒川大橋の一件が総理の指示によるものだとしたら、その罪を暴き総理を引きずり下ろすことこそが犯人の真の目的なのでは?
加えて、清治郎個人への恨みという線も捨てきれないわけで……。
どうにも謎だらけの犯人ですが、実は(読者目線では)名前は判明しています。
寺中勲。
物語冒頭のプロローグは柚葉ちゃんを誘拐しようとする寺中の視点で描かれていました。
ただし、寺中は誘拐の実行犯ですが、事件の黒幕であるとは限りません。
以下は、誘拐直前の場面です。
タイミングさえ間違えなければ、捜査線上に自分たちが浮かび上がることは、絶対にない。
寺中勲は単独犯ではありません。共犯が存在します。
清治郎のウェブサイトに書き込んだ際の犯人の自称は「正義を守る会」でした。
練り上げられた誘拐計画。匿名化ソフトを使いIPアドレスを隠す技術。ある程度の規模の組織が犯行を計画した可能性も、大いに考えられました。
ネタバレ
最初にはっきりさせておくと、取り沙汰されている清治郎の疑惑は事実です。
清治郎は県職員に働きかけて、上荒川大橋建設の用地を変更させました。
それによって総理の友人が利益を得ると承知していての行為です。
ただ、この一件が政治家としての道義に反する不正なのかというと、一概にそうとはいえません。
清治郎には政治家として、地域を発展させる責務があります。
その点、大橋の建設は雇用を生むうえ、完成後は市民の暮らしを豊かにする事業です。
たとえ総理のご機嫌取りという一面があったとしても、国から予算を引っ張るため、ひいては住民のためだと解釈すれば、なるほど政治家としての本分を果たしているともいえるでしょう。
不正にともない清治郎が金を受け取っていたなどという事実はありません。「圧力をかけた」という報道もやや間違いで、実際には穏当に話を通した(説得した)だけです。
実際、法的に清治郎が罪に問われるかどうかは微妙なところだというのが弁護士の見解でした。
とはいえ、記者会見でこの事実を認めた場合、世間からの批判は免れないでしょう。
よくて離党、最悪の場合は議員辞職。
かといって軽微な罪を告白したところで、誘拐犯が納得するとも思えません。
「何を告白するのか」「どこまで告白するのか」慎重な見極めが求められる状況でした。
「おれは何としてでも柚葉を助けだしてみせる。だが、こんな理不尽なことで、議席を失いたくはない。今日まで何のために働いてきたのかわからないじゃないか」
無情
犯行手口からは、犯人が用意周到に計画を準備していたことがうかがえます。いくら警察が捜査員をつぎ込んだとしても、翌午後五時までに犯人を逮捕するのは難しいでしょう。
幼い柚葉ちゃんの命を救うためには、もはや記者会見で罪を自白するほかありません。
追い込まれた清治郎に残された希望は、政府中枢からの支援でした。
法務大臣による指揮権発動。乱暴な説明になりますが、指揮権発動が約束された場合、清治郎は罪を告白しても逮捕されません。
誘拐事件は報道協定により一般には伏せられているものの、政府関係者にはすでに伝わっています。
幼い命を救うため、当然、最大限の助力があるものだと晄司は期待していました。
しかし、いざふたを開けてみれば官房長官も法務大臣も雲隠れしていて連絡がつきません。
清治郎は憤怒の形相で晄司に語ります。
※以下、小説より一部抜粋
…………
「汚い手を使うやつが裏にいるな」
意味がわからず、父を見た。
「もっと頭を使え。犯人が要求した会見まではまだ時間がある。そう理屈をつけて、おれを焦らす戦法だろうよ」
父が、今度はドアを蹴りつけた。靴底の跡が残るほどの一撃だった。
「おまえがもしおかしなことを口走るようなら、絶対に指揮権発動の確約は与えられない。泣いて懇願して、額を床にこすりつけて頼むのであれば、考えてやってもいい。今はまだ力の差を見せつけて、この先の主導権を握っておくべき。そう薄汚い知恵をつけたやつが、官邸周辺にいやがったんだよ」
父の裏読みに、慄然とした。
事実であれば、空恐ろしい。幼い子の命より、自分たちの地位と政権の先行きこそが重い。
手を貸さない、と言っているのではない、が、孫を救うために血迷ったあげく、とんでもない記者会見を開かれたのでは困る。
力の差を見せつけることで、父を巧みに操ろうという魂胆なのだ。
頭に血が昇った。腹の奥底から熱い怒りが湧き出してくる。
父は、総理への影響を考えたから、まず官房長官に相談を上げたのだ。その話を直接聞こうとせず、接触の窓口さえ閉ざし、折り返しの連絡も寄越そうとはしない。
これが、孫を誘拐された仲間への、国のトップが取る態度なのだった。
「いいか。忘れるなよ、晄司。力を持つ連中のやり口は、いつもこうだ。頼ってきた者にすぐ手を差し伸べたのでは、自分の価値が高まりはしない。人は、本当に困り果てた時でないと、その相手に服従してもかまわないとまでは考えない。そう経験から知ってるんだよ」
そう語る清治郎自身、晄司の会社が潰れる寸前まで手を差し伸べませんでした。莫大な借金を肩代わりしてもらった引け目があるからこそ、晄司は秘書になったのです。
駆け引き
記者会見まで残り十時間。清治郎はようやく官房長官との対面を果たします。
こちらの要望は指揮権発動。一方、官邸は清治郎の議員辞職を条件として提示してきました。
上荒川大橋の一件における総理の関与を否定し、すべて自分の責任だと発表しろというのです。
孫を助けるため、汚名を一身に浴びる覚悟があるなら、指揮権発動を考えてもいい。圧倒的に不利な条件だった。
この際はっきりさせておきますが、清治郎が用地変更に乗り出したのは、総理サイドからの要請を受けてのことでした。
その事実を伏せて罪を被れというのは、つまりトカゲの尻尾切りです。
孫娘の誘拐という弱みを見せた清治郎を利用したうえで見捨てようというのです。
孫娘の命がかかっている以上、清治郎に選択肢はありません。命令されるまま、罪を自白するしかないでしょう。
ただし、清治郎はただ黙って党の言いなりになるような男ではありません。
罪を被るにあたって、ひとつ条件を突きつけ返します。
「わたしが仮に辞職するしかなくなった場合、直後の補選は、我が党から誰が出ても厳しい結果になるものと思われます。勝負ができるのは、その次の選挙でしょう。その際には、この晄司を担ぐつもりで、わたしはおります」
官房長官はもちろん、晄司にとっても寝耳に水な話でした。
確かに大橋の一件には長兄の揚一朗も一枚嚙んでいるため、清治郎の後継者としては不適格です。有権者からは同罪とみなされ、むしろ共倒れの危機に直面することになります。
他の候補としては娘婿の緒方恒之が挙げられますが、野心ばかりが先行する欲深い男であり、代議士の器ではありません。
その点、長らく民間にいた晄司なら、仮に清治郎がどんな罪を告白したとしても影響はありません。恒之と違って宇田家の人間であり、父親の地盤を継ぐ資格は十分にあります。
自身の政治生命が終わることを覚悟した清治郎は、宇田家存続のため跡目として晄司を指名したのでした。
さきほどの清治郎の発言の真意は次の通りです。
すべての罪を被る。だから、将来の公認を保証してくれ。
※以下、小説より一部抜粋
…………
「お願いいたします、湯浅先生(官房長官)」
言葉で懇願しながらも、父は頭を下げなかった。
ここで断るのであれば、罪は被らず、事実をありのままに自白するしかない。
総理のライバル派閥には、きっと感謝されるだろう。今ここで望んでいた回答が得られないとわかれば、直ちに幹事長の下へ馳せ参じて、同じ相談をしてもいい。
あなた(湯浅)自身も将来の総理の座を狙っているはず。いずれ安川総理から禅譲される道を探るのであれば、息子の公認ぐらいは簡単なものだろう。
父と湯浅の間で、見えない天秤が揺れていた。
傾く先は決まったらしい。湯浅が息をつき、父を見つめ返した。
「総理に相談してからで、かまわないだろうね」
「はい、ありがとうございます」
父が席を立ち、体をふたつに折って頭を下げた。
黒幕は誰だ?
記者会見まで残り三時間。清治郎たちは追い詰められていました。
というのも、官邸から一切の連絡が入らないからです。指揮権発動の確約も、晄司の公認の保証も、宙に浮いている状態です。
「ぎりぎりまで答えを引き延ばし、力の差を見せつけて恩を売り、離党したあともおれをあごで使う気だ。息子たちのためには、必ず総理を守るしかない。一生、宇田親子は下僕も同じ。そう軽んじられてるんだぞ。おまえたちは悔しくないのか!」
大前提として、柚葉ちゃんを救うためには罪を告白しなければなりません。
そのうえで争点になるのは総理の関与についてです。
関与を認めれば総理を道連れにできますが、宇田家は政界から追放されます。
関与を否定した場合は罪を被ることになりますが、晄司や揚一朗にバトンをつなぐことができます。
一族の繁栄を望むならば、清治郎は後者を選ぶほかありません。
晄司がハッと気づいたのは、このときでした。
誘拐によって最も利益を得た人物は誰なのか?
「なあ、兄さん。こうなることが犯人の本当の目的だったんじゃないだろうか」
※以下、小説より一部抜粋
…………
「だって、そうじゃないか。父さんに罪を自白しろと脅迫する。けど、息子も県会議員を務めているから、親子共倒れにならないよう、宇田清治郎は絶対、総理を守ろうと動く。息子を将来必ず公認すると確約を与えてやれば、トカゲの尻尾を見事に務めてくれる……」
「ふざけやがって……」
父がペットボトルを手で払いのけた。窓際へ飛んで、カーテンに染みが広がった。
それだけでは収まらず、ソファのクッションをつかんで振り上げた、サイドテーブルのインターフォンめがけて振り下ろした。二度、三度。受話器が飛び、プラスチックの砕ける音が響き渡る。見かねた牛窪(秘書)は後ろから制止にかかった。
「先生、どうか気を落ち着けてください」
「うるさい。おれに指図するな!」
クッションを振り回して牛窪にたたきつけた父が、急に晄司を振り向いた。
「何してる、晄司。さっさと高垣(警察)に電話を入れろ。犯人は総理の近くにいる。そう教えてやれ。絶対に突き止めて、総理もろとも刑務所送りにしてやるんだ。ほら、早く電話をかけろ!」
「父さん、悔しいけど、証拠はない」
兄が苦しげに首を振った。
「どこかにあるはずだ。見つけてこい。揚一朗、晄司、この恨みを絶対に忘れるな。宇田の力を結集して、目にもの見せてやるんだ。総理が裏で動いてるに決まってるだろうが!」
結局、官邸から指揮権発動や公認の保証を伝える一報はありませんでした。清治郎はなんの後ろ盾もなしに記者会見に臨むことになります。f
記者会見
午後五時。清治郎は神妙な顔でカメラのフラッシュを一身に浴びていました。
時刻はちょうど夕方のニュースが流れる頃で、各局は生放送で現場の様子を伝えています。もちろん誘拐犯も放送を見ているでしょう。
清治郎は罪を自白し始めます。
ひとつ。秘書を殴って怪我を負わせたこと。(ただし、その秘書は政治資金を着服していた)
ひとつ。懇意にしている建設会社(の子会社)から裏金を受け取ったこと。
ひとつ。その子会社の経営する駐車場を公金で買い上げたこと。
ひとつ。受け取った裏金でライバル議員のスキャンダルを暴き、失脚させたこと。
「……多くの混乱を引き起こした責任は、このわたしにあります。安川総理と党にも多大なご迷惑をおかけいたしました。今後は日本新民党を離れ、支援者のかたがたから多くのご意見をちょうだいし、己の政治活動を見つめ直していきたいと考えます。本日はお時間を割いていただき、まことにありがとうございました」
上荒川大橋の件についての言及がないと見るや、記者たちは声をはりあげて質問をぶつけてきました。しかし、清治郎はそれには答えず会場を後にします。
会見で告白した罪は、時効が成立していたり、秘書の罪にすることができたり、いずれも(比較的)浅い傷で済むようなものばかりでした。
有権者からは厳しい批判が集中するでしょうし、党も離れることになりましたた。しかし、やがて返り咲く道は残されています。
とにもかくにも、重要なのは要求通りに記者会見で罪を自白したということです。
あとは、誘拐犯が人質を解放してくれるかどうか――
犯人から次の脅迫が清治郎のウェブサイトに書き込まれたのは、会見直後のことでした。
『記者会見は見せてもらった。だが、要求は果たされずに終わった。おまえにはまだ罪があるはずだ、五時間後の午後十時まで待とう。それまでにもう一度記者会見を開き、おまえの罪を洗いざらいすべて国民の前で自白しろ。要求が満たされない場合、人質は二度と帰らない』
起死回生
記者会見の直前、晄司たちは総理こそ事件の黒幕なのではないかと疑いました。
しかし、物語の裏の主人公ともいえる刑事の平尾に言わせれば、ほとんど陰謀論といっていい理屈です。
総理の座を守るために、誘拐という重罪に手を染める者が本当にいるだろうか。万が一の予測もしないミスから発覚しようものなら、日本の政治史に残る一大汚点となる。
ともかく、清治郎は再び記者会見に臨まなければなりません。
犯人の要求が罪の自白である以上、次は上荒川大橋の一件について、総理サイドから要請があったことまで含めて白状するしかないでしょう。
それはとりもなおさず宇田家の没落を意味しています。あれほど猛々しく気力に満ち満ちていた清治郎も、今はがっくりと肩を落としています。
いいえ、まだ諦めていない男が、一人います。
宇田晄司です。
晄司はこれまで見逃していた謎に目をつけました。
そもそも、上荒川大橋の不正はなぜ嗅ぎつけられてしまったのか?
用地変更による便宜供与というだけなら、清治郎には前例があります。懇意にしている建設会社の子会社が所有している駐車場を高値で買い上げた。会見で告白した罪がそうです。
駐車場買い上げの一件は自白するまで表に出ていませんでした。
では、なぜ上荒川大橋の件では情報が洩れたのか……晄司は一人の人物を頭に思い浮かべます。
山本忠孝。大橋の件で国交省から埼玉県の建設局に出向してきたその官僚は、清治郎とは長い付き合いのある人物です。
だから、見過ごしてしまった。
もし、山本が別の新民党議員とつながっていたとしたら?
「その議員がもし野党に追及材料をリークしたのであれば、総理のスキャンダルを表に出す意図があったことになる。つまり、安川総理と父さんたち九條派議員のライバル派閥の者だってことだ」
不正の露見がライバル派閥の議員の仕業だったとしたら、清治郎への追及がそもそも総理を失脚させるための策略の一部だったとしたなら、そこには活路があります。
柚葉を救い出し、議席も守る。起死回生の一手。
「晄司、おまえ……。この土壇場で総理を裏切って、ライバル派閥の側につけ、と言う気か」
※以下、小説より一部抜粋
…………
「山本に情報を上げさせ、あえて野党にリークした議員がいたとすれば、絶対に次の総理の座を狙う側の者のはずだ。その正体を暴いたうえで、取引を持ちかける。
あんたがリークさせた事実には口をつぐもうじゃないか。総理の座に就きたいのなら、手も貸そう。その代わり、次の総選挙には宇田の家族を公認すると約束してくれ」
思惑どおりに密約が結べたなら、父は総理と政権に与える影響を斟酌(しんしゃく)することなく、すべてをありのままに自白できる。柚葉を救い出せる公算が高くなる。
「晄司……」
「おまえ、とんでもないことを……」
父は驚きを見せながらも、希望を託すように言って身を起こした。兄は寒気を払うように肩先を振っている。牛窪はただうなずくのみ。
(中略)
宇田の家のためなのだ。柚葉を救い、地元のために祖父や父が流してきた汗を無駄にしないためには、ほかに方法はなかった。
やるしかないのだ。この政界で、与党の中で、生き残っていくためには――。
政治家
晄司は国交省に乗り込むと、山本忠孝を脅して事実関係を白状させました。
「三歳の女の子の命がかかってるんだ。おまえに責任が取れるのかよ。もし柚葉が犯人の手にかかろうものなら、おれはおまえら一家に一生つきまとってやるからな、単なる脅しじゃないぞ。わかるか。おまえに子どもはいるか」
鬼気迫る晄司の迫力を前に、山本はただ震えて言い訳を並べることしかできません。
総理を蹴落とそうとする企みの背後にいたのは、党幹事長の木美塚壮助でした。
タイムリミットまで残り一時間。
晄司は(かなり強引な手で)木美塚を交渉の場に引きずり出すことに成功します。
指定された場所は虎ノ門アークホテルの十一階。会議室のように広い部屋で、木美塚は泰然と待ち構えていました。
ここが天王山。宇田家の未来だけではなく、今後の政界の勢力図をも左右する大一番です。
その証拠に、なんと晄司のもとに安川総理から直々の電話がかかってきました。清治郎につないでほしいという用件でしたが、罪を背負わせたいという魂胆が透けています。
晄司(宇田家)の思惑をはやくも察知し、思いとどまらせようというのでしょう。しかし、遅きに失したと言わざるを得ません。
※以下、小説より一部抜粋
…………
「では、頼んだからね」
押しつけがましく念押ししてから、通話は切れた。
総理自ら動くとは、切迫した状況になっているとの自覚があるからだろう。ここまでくると、現政権においての指揮権発動は難しい、と自ら伝えるようなものに思えてならない。
※指揮権発動は政権への批判を招く可能性が高いため
公認の件も、官房長官が一筆認(したた)めればすむ話で、総理がわざわざ秘書に電話をかけてくる必要はないはずなのだ。
いい話であるわけがなかった。そう予見できてしまうため、こちらがますます幹事長を頼るほかないと考える結果を呼ぶだけの気がしてしまう。それでも、ここは形振(なりふ)り構わず、あらゆる手段を講じてでも、強引に説得すべしと考えたらしい。
総理サイドの慌てぶりがうかがえる。
晄司はスマホを下ろして、木美塚に向き直った。
「大変失礼いたしました」
「どうした、すぐ宇田君に連絡しなくていいのかね」
動こうともしない晄司を見て、木美塚が問いかけてきた。多くの意味を持つ言葉に聞こえた。
晄司は迷わずに答えた。
「はい。木美塚先生との話が終わってから、じっくり考えたいと思います」
「いいのかな。総理直々の電話だったんだろ? 無下にしたのでは、あとで問題になるんじゃないのかな」
冗談めかした口調だった。
晄司も口元に笑みを作って言葉を返した。
「仕方ありません。早々とその座を追われる人より、未来の総理とお話しできる機会のほうが遥かに大切ですので」
木美塚の表情が崩れ、肩が大きく揺れた。やがて野太い笑い声が広い部屋に響き渡った。
自白
二度目の記者会見。清治郎は上荒川大橋の用地変更に《とある議員》が関与していたことを認めます。
「その議員とは、わたしが所属しております水明政策研究会の筆頭幹事、九條哲夫先生です」
九條は安川総理の後見人にあたる大物議員です。安川総理を擁する九條派のトップでもあります。
黒幕は、派閥の長、九條哲夫でした。
続く清治郎の話はこれまでのまとめのようなものです。
清治郎はかつて用地変更によって懇意にしている建設会社の子会社を助けた。その手法を聞いた九條は、同じように業績が悪化している総理の友人の会社を利するよう持ちかけた。
「君の力で、橋の建設地を変えることができれば、次の内閣改造が楽しみになる。そう言われたのでした」
政治家らしい言い回しでわかりにくいですが、大臣ポストをほのめかしている発言です。
清治郎は大願成就のため、国交省の官僚を説き伏せたのでした。
「今思えば、将来の大臣ポストを期待するあまり、恥ずかしいことをしたと猛省するほかはありません。(中略)ご迷惑をおかけいたし、申し訳ありませんでした。わたしは真実をありのままに、すべて打ち明けさせていただきました。以上です」
『日の出町緑地を探せ』
犯人からウェブサイトに書き込みがあったのは、会見の直後でした。指定された場所は都内の河川敷。
晄司たちが現場に到着する前に、第一報はもたらされました。
※以下、小説より一部抜粋
…………
晄司のスマホがまた鳴った。今度こそ高垣部長補佐からだった。
「見つかったんですね!」
「はい、無事です。意識はあります。手足を縛られたまま、河川敷に倒れていました。大きな怪我はしていないようです!」
「無事だ。生きてる。解放された!」
晄司は歓喜の叫びを上げた。隣で父が両手に顔を埋めた。兄が握った拳を突き上げる。
「今すぐ駆けつけます。もう土手の近くに来ています」
(中略)
車が停まると、父を支えながら降り立った。兄も反対側に回り、三人で柚葉のもとへ走った。
「柚葉、おじいちゃんだぞ!」
父が力の限りに叫んだ。救急車のハッチが開いたままになっていた。その前に立つ救急隊員が中へ手を伸ばすのが見えた。
隊員が体を引き戻す。その腕に柚葉が抱き留められていた。
柚葉は無事だ。まだ恐怖が続いているのだろう、ひしと隊員に抱きつき、怯えた表情のままだった。涙は枯れ果てたのか、引きつる表情だけで泣いていた。
「柚葉!」
父が晄司たちの手を振りほどいた。歩み寄る隊員ごと両手で受け止めた。晄司は後ろから父を支えて抱きしめた。
「おじいちゃん……」
「もう大丈夫だぞ。すぐ母さんのところに帰ろう。おばあちゃんも待ってるからな」
柚葉が声を上げずに泣きだした。肩を震わせ、しゃくり上げるが、涙は出ない。
もっと泣いていいんだぞ、柚葉……。晄司は姪の肩先に頬を押し当てた。はっきりと命の温かみが感じられた。
真相
すっかり大団円の雰囲気ですが、ある意味、本番はここからです。
結局、誘拐の黒幕は何者だったのか?
清治郎は記者会見で九條の関与について自白しましたが、連鎖的に総理にも責任が及ぶ内容でした。やはり総理の失脚が狙いだったのか、それとも九條派への攻撃だったのか。
動機という点では木美塚派の思惑が絡んでいるようにも思われます。
誘拐犯が逮捕されたのは人質解放から一週間後のことでした。
いち早く真相に気づいたのは晄司で、巧妙な罠を仕掛ける一幕もあったのですが、ここでは割愛します。
犯人の名前は寺中勲。プロローグで名前だけは判明していた男です。
同じくプロローグでは組織あるいは団体の関りがほのめかされていました。
では、寺中はいかなる陣営の刺客だったのでしょうか?
真相は実に意外なものでした。
結論からいえば、寺中のほかに誘拐に加担していたのはたった一人だけでした。
光山初美。埼玉県内でセレクトショップを展開する会社の社長で、寺中の事実上の妻といっていい人物です。
誘拐の背後にはいかなる政党も潜んでいませんでした。正真正銘、すべては寺中と初美による犯行です。そして彼らは政治とは無関係の人々です。
清治郎が推し進めていた公共事業は、なにも上荒川大橋の一件だけではありません。
水面下では、老朽化した競艇場の移設と跡地の再開発という計画が進行していました。
競艇場の移設先は同じく老朽化した研修センター。取り壊しにあたっては緑地公園も巻き込まれる予定で、それが寺中たちにとっては大問題でした。
なぜなら、緑地公園には死体が埋められていたからです。
24年前のことです。初美は寺中と共謀して夫を殺そうとしました。いわゆる保険金殺人です。
しかし、結果として計画は失敗に終わります。夫が計画に気づいてしまったからです。
怒り狂った夫は寺中勲のマンションに怒鳴り込み、口論の末に(返り討ちにあって)撲殺されました。
これが遺体の一人目。
もう一人、緑地公園には初美の弟も埋まっていました。こちらは口封じのためです。
「ひどい話だ……。夫が行方不明になったのでは、金をもらって姉の素行を調べていた弟が犯行に気づいてしまう。だから、ですか」
当時は今のように防犯カメラが多い時代ではありません。雨の夜を選べば、遺体を埋める姿を見とがめられる心配はありませんでした。
しかし、今では付近にマンションも建っています。
競艇場の移設のため緑地公園が掘り起こされるからといって、事前に遺体を掘り起こすわけにはいきません。夜中だろうと上から見られたら一巻の終わりです。
初美たちはより安全に罪を逃れる方法を模索しました。
その結果が、この誘拐事件です。
初美は県下に七軒もの店を展開するセレクトショップの社長です。地元の企業として、揚一朗の後援会に入っていました。
宇田清治郎が失脚すれば、新競艇場の計画は白紙に戻される。宇田が逮捕されれば、緑地公園の芝生が掘り起こされることはなくなる。地元の会合でそんな情報を掴んだ初美は、寺中とともに計画を練り上げたのでした。
晄司は言います。
「感心するしかない計画ですね。要するに、父の自白は何でもよかったのでしょうからね」
寺中たちにとって上荒川大橋における総理サイドの関与などどうでもいいことでした。
清治郎を確実に失脚させるため、当初から二度目の会見を要求する計画だったのです。
実際、彼らの計画はほとんど完璧でした。
唯一の誤算……晄司さえいなければ。
真相を見抜いた晄司が三度目の記者会見を開いて「地盤調査を行う(掘り起こす)」と発表したため、彼らは遺体を掘り返すほかなくなり、あえなく警察に逮捕されたのでした。
警察の記者会見
※以下、小説より一部抜粋
「あの会見で地盤調査を行うと発表されましたが、事実ではありませんでした。宇田議員の親族が、県と第三セクターの関係者を説得したうえ、偽の情報を会見で伝えたのでした」
宇田晄司の要求は、つつがなく履行された。
真実が明らかにされ、会見場は驚きの渦に呑みこまれた。テレビの前で多くの国民も瞠目したはずだ。
これが宇田晄司の狙いなのだった。
政治家として致命的な罪を自白するしかなかった宇田清治郎。親族も批判の矢面に立たされた。そのくせ、悪あがきのような記者会見を開き、まだ地元のために働いていくと身勝手な所信表明をして、さらなる世間の批判を浴びた。
が、すべては犯人逮捕のため、警察の捜査を進展させる狙いを秘めた演技だった。
しかも彼らは、天候を考え、会見を一日先送りした。その日の夜半から、天候が崩れるとの予報が出ていたからだ。
雨が激しく降れば、地面を掘り起こす姿を少しは隠してくれる。そう寺中勲は判断し、宇田親子の思惑通りに現場へ駆けつけたのである。
うなるしかない見事な一発逆転だった。
このあと、宇田親子は多くのメディアを集めて、誇らしげな顔で記者会見を開くことになっている。
犯人逮捕に協力できて、喜びにたえない。世間を誤解させる会見を開き、申し訳なかったが、どうかご理解いただきたい。これで柚葉を安心して外で遊ばせることができる。今後も地元のために力をつくしていきたい。
そういう決意表明で、記者会見はしめくくられるのだろう。
あるいは、もう新民党の幹部と話がついていて、次の総選挙に息子の一人が立候補すると表明される運びになっているのかもしれない。
すべてが宇田晄司が描いたストーリーどおりに運んでいくのだろう。
警察に先んじて犯人をおびき出す方法を見出し、あえて批判を浴びる会見を開いてみせた。その明晰さと決断力が賞賛され、世間は喝采を送るだろう。
宇田清治郎は罪を犯したが、優秀な息子が見事なまでに汚名をそそいでみせた。賞賛に値する。一躍、メディアによって時の人に祭り上げられるだろう。
もしかすると……。平尾は思う。
晄司自らが立候補する気ではないのか。
自分の手柄をアピールして、栄誉を一手に握ることができれば、兄たちを差し置いて代議士への道が開ける。そこまで考えての行動だったとすれば……そら恐ろしくもある。
だが、誰が代議士になろうと、平尾たちの仕事にさしたる影響はなかった。ただ犯罪者を憎み、摘発のために日々汗を流すのみなのだ。
結末
選挙が終わり、晄司は清治郎の後継者として初当選していました。
つい先日まで駆け出しの秘書だったとは思えないほどの貫禄は、誘拐事件を乗り切ったことで生来の素質が一気に花開いたのでしょう。
実のところ晄司の会社を潰したのは清治郎だったのですが、今となっては晄司の適性を見抜いていたのだと納得できます。
その清治郎は地元財団の理事に収まっていて、晄司の援護射撃に余念がありません。
一方、母の和代からは縁談をまとめるための電話がかかってきます。
いわゆる政略結婚でした。自白の影響で切れてしまった業界との結びつきを取り戻すための一手です。
晄司には恋人がいましたが、政治家としてどちらを優先するべきかはわかっていました。
そう、晄司は政治家になったのです。
※以下、小説より一部抜粋
…………
デスクの電話で内線ランプが光った。外から電話が入ったのだ。木原(秘書)と視線を交わした。
母に断って電話を切り、受話器を取り上げた。
「――幹事長からお電話です」
予想よりもかなり早かった。つまり、それなりのポストを用意してくれたことになる。
ある意味、当然かもしれない。父とともに、安川泰平を総理の座から蹴落とし、木美塚壮助に最大の援護射撃をしたも同じだった。
今回の表に出せない密約は、今後も宇田一族を守ってくれる。
晄司は胸を張って息を整え、議事堂を見つめながら回線ボタンを押した。
「――はい、宇田晄司です。お世話になっております」
戦いはまだ始まったばかりだった。
<おわり>
小説『おまえの罪を自白しろ』を読みました❗️
「記者会見を開いて罪を自白しろ」
幼い女の子を誘拐された宇田家は慌ただしく根回しを始めます。
衆議院議員・宇田清治郎の罪とは?
誘拐犯の真の目的とは?この秋 #中島健人 #堤真一 さんで映画化
⬇️あらすじと結末📸https://t.co/wTb6x06CCf— わかたけ@小説読んで紹介 (@wakatake_panda) April 13, 2023
まとめ
今回は真保裕一『おまえの罪を自白しろ』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。
誘拐の発覚から人質解放まで約一日。一分一秒を争う緊急事態において、晄司は政治家としての階段を一段飛ばしで駆け上がっていきました。
物語序盤と終盤とを比べてみると、ほとんど別人と言ってもいいでしょう。
清治郎のお付きでしかなかった晄司が、父さえも考えつかなかった掟破りの抜け道を示して窮地を脱する。安川総理を見限って幹事長サイドに寝返った場面にはしびれました。
その後も犯人逮捕に協力したり、そのどさくさで宇田家の信頼を取り戻したり、覚醒後の晄司のかっこよさ(恐ろしさ)ときたらとどまるところを知りません。
意外すぎた誘拐の真相はもちろん、晄司が政治家になる物語としてもおもしろかったです。
映画情報
キャスト
- 中島健人(宇田晄司)
- 堤真一(宇田清治郎)
公開日
2023年10月20日公開
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