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『六人の嘘つきな大学生』あらすじネタバレ解説|結末まで二転三転【映画原作小説】

浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』を読みました。

結論からいえば、最っ高におもしろかったです!

一流企業の最終選考に残った六人の就活生。内定を勝ち取れるのはたった一人だけ。【犯人】はとんでもない手段で他の候補者を蹴落とそうとするのですが……。

いったい誰が犯人なのか?

すべてがひっくり返る結末には感嘆のため息がもれました。

今回は小説『六人の噓つきな大学生』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。

ぱんだ
ぱんだ
いってみよう!

あらすじ

IT企業「スピラリンクス」の最終選考に残った波多野祥吾は、他の五人の学生とともに一ヵ月で最高のチームを作り上げるという課題に挑むことに。

うまくいけば六人全員に内定が出るはずが、突如「六人の中から内定者を一人選ぶ」ことに最終課題が変更される。

内定をかけた議論が進む中、発見された六通の封筒。

そこには「●●は人殺し」という告発文が入っていた――。

六人の「嘘」は何か。伏線の狙撃手が仕掛ける究極の心理戦!

(文庫裏表紙のあらすじより)

六人の大学生

スピラリンクスはTwitter、LINE、PayPay、そのぜんぶをあわせたような大企業です。

初任給は破格の五十万円。新卒募集に当たっては実に五千人もの就活生がエントリーシートを提出しました。

その中から選抜されただけあって、最終選考まで残った六人の大学生は全員が優秀です。

【九賀蒼太】は非の打ちどころのないリーダータイプ。しかも爽やかなイケメン。

【袴田亮】は明るいムードメイカー。体育会系の頼れる大男。

【矢代つばさ】は広い人脈をもつモデル風の美女。

【嶌衣織】は洞察力に優れた清純派女優風の美人。

【森久保公彦】はデータ分析に優れた秀才タイプ。ちなみに眼鏡。

そして最後に【波多野祥吾】は一歩引いて全体を俯瞰する参謀タイプ。

六人が信頼を築き上げていく一か月の準備期間、そして事件が起きる最終選考、読者はそれらを波多野の視点で眺めることになります。

だから、最初に小さなネタバレをしておくと、波多野は犯人ではありません。

以下は、小説冒頭の一ページです。

※以下、小説より一部抜粋

…………

もうどうでもいい話じゃないかと言われれば、そのとおりなのかもしれない。

それでも僕はどうしても「あの事件」に、もう一度、真摯に向き合いたかった。

あの嘘みたいに馬鹿馬鹿しかった、だけどとんでもなく切実だった、2011年の就職活動で発生した、「あの事件」に。

調査の結果をここにまとめる。

犯人はわかりきっている。今さら、犯人を追及するつもりはない、

ただ僕はひたすらに、あの日の真実が知りたかった。

他でもないそれは、僕自身のために。

波多野祥吾

封筒事件

最終選考は「六人の中で誰が最も内定に相応しいか」を議論するというものでした。

内定を得られるのは議論で選出された一人だけ。

いったいどう立ち回るのが正解なのか? 波多野は考えを巡らせます。

“自分を推してもらわなくてはならない。しかし自分の素晴らしさを声高に主張したところで評価は上がらず、かといって他の誰かの評価を落とすような発言も憚られる”

なるほど、これはとんでもない難問だといえるでしょう。しかし結果からいえば、議論は波多野が思考したうちの後者で進行していくことになります。

他でもない、六通の封筒によって。

ぱんだ
ぱんだ
封筒?

それは扉の陰に隠すように置かれていました。いつから置いてあったのか、誰が置いたのか、なにもわかりません。六通の封筒の表にはそれぞれ「●●さん用」と書かれています。

もしかしたら議論を進めるための小道具なのだろうか? 九賀蒼太が最初に封筒を開いたのは、そんな気持ちからだったのでしょう。

しかし、封筒から出てきたのは【袴田亮】の罪を告発する資料でした。

高校野球部時代の写真。そして新聞記事の切り抜き。見出しは次の通りです。

【県立高校野球部で部員自殺 いじめが原因か】

記事の下には封筒を用意した犯人が記したであろうメッセージが添えられていました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

袴田亮は人殺し。高校時代、いじめにより部員「佐藤勇也」を自殺に追い込んでいる。

(※なお、九賀蒼太の写真は森久保公彦の封筒の中に入っている)


封筒の告発により、事実上、袴田亮は内定レースから脱落しました。

いじめに加担するような人間が「最も素晴らしい学生」として内定者に選ばれるはずもありません。

あの袴田がいじめに関わっていたはずがない、波多野はそう信じようとしました。

しかし、デマだと一蹴するには袴田は取り乱しすぎていましたし、なにより彼は口を滑らせてしまいます。

…………

「この佐藤って人が自殺したのは本当なの?」

「そうだよ! ただこの佐藤のクズのことは」

袴田くんはそこで慌てて言葉を切った。口にしたと同時に失策に気づいたのだろうが、放たれた言葉は僕らの耳にはっきりと、悲しいほど鮮明に、焼きついてしまっていた。

僕らの疑うような視線を浴びた袴田くんは慌てて挽回の言葉を探すが、

「……今、何て言ったの?」

矢代さんの言葉が先に覆い被さる。

「自殺した人のこと、『クズ』って言った?」

…………

袴田は態度で、言葉で、封筒の告発が真実であると認めてしまっていました。繰り返しになりますが、もはや袴田に内定はありえません。

残る封筒は五通。そのどれもが犯人による《罪の告発》であることは容易に察せられます。

健全な議論に軌道修正するためには、これ以上、封筒を開けるべきではない。九賀は冷静に判断します。一方で、袴田が消えたいま、その九賀こそが最も内定に近しい人物であることもまた確かでした。

つまり、他の候補者が内定をつかみ取るためには、九賀を蹴落とさなければなりません。

そして、そのための《武器》はすでに配られていました。

(※なお、九賀蒼太の写真は森久保公彦の封筒の中に入っている)

森久保にはどうしてもスピラリンクスに入社しなければならない理由がありました。内定を掴むためなら手段を選ばない覚悟が、彼にはありました。

森久保は九賀の罪を暴くため封筒を開きます。

そこからはもう、止まりませんでした。

封筒を開いた人物の秘密が、次の封筒によって暴かれていきます。それは能力人格ともに優れていたはずの、最終選考が始まるまでの彼らからは想像もつかない醜い負の連鎖でした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

九賀蒼太は人でなし。恋人である原田美羽を妊娠、中絶させ、その後一方的に恋人関係を解消している。

矢代つばさは商売女。錦糸町にあるキャバクラ店「Club Salty」で働いている。

森久保公彦は詐欺師。高齢者を対象としたオーナー商法の詐欺に加担している。


幕間

これまでに四通の封筒が開かれ、四人の《秘密》が暴かれました。

ここで一度、犯人について考えてみましょう。

大前提として、封筒を用意した犯人は六人の中の誰かです。企業側や第三者による犯行ではありません。

では、犯人はなぜ罪を告発する封筒で最終選考を混乱させたのでしょうか?

いわゆる犯行動機にあたる問いですが、答えは簡単ですね。もちろん犯人自身が内定を勝ち取るためです。

内定者は六人の投票によって選出されます。致命的なスキャンダルを暴かれた人物は当然、票を得られません。他の候補者を貶めることで、犯人は相対的に内定へと近づくことになります。

素直に考えれば、犯人は「秘密を暴かれなかった人物」ということになりそうです。しかし、ことはそう簡単ではありません。ひとりだけ秘密を暴かれなかった学生がいたとしたら、どう考えたってその人物こそが犯人です。

したがって、犯人は自分自身の封筒もちゃんと用意しているものと思われます。罪の内容を比較的軽いものにしておけば、内定を勝ち取ることができるでしょう。

この時点で暴かれた罪は四つ。

  • いじめ
  • 妊娠中絶
  • キャバ嬢
  • 詐欺

この四つのなかでは矢代つばさの「キャバクラで働いている」という告発が最も軽傷だといえるでしょう。彼女は犯人として疑わしいともいえますが、一方で、単純にそれ以上の罪を犯していないだけであるとも考えられます。

ぱんだ
ぱんだ
むむむ……

謎が深まってきたところですが、実は読者視点における犯人候補はこの時点でかなり絞られています。

というのも、小説では会議室での最終選考と並行して、八年後の物語が描かれているからです。

八年後の物語はインタビュー形式で、【スピラリンクスで働いている人物】がかつての最終選考メンバーに取材していきます。

そして、その取材の中では確かに「犯人は死亡している」という情報が出てくるのです。

ぱんだ
ぱんだ
なぬ!?

ああいや、殺されたというわけではなく病死なのですが……。それはともかく、この情報によって、八年後に取材を受けている人物は必然的に犯人候補から外してよいということになります。

そして、インタビュー形式の幕間は封筒の開封後に、秘密を暴露された人物のものが差し込まれていました。

袴田の秘密のあとには、袴田のインタビュー。九賀の秘密のあとには、九賀のインタビューといった具合です。

これまでに封筒を開けられた、

  • 袴田亮
  • 九賀蒼太
  • 矢代つばさ
  • 森久保公彦

の四人は全員、八年後の世界で取材に応じていました。つまり、彼らは犯人ではありません。

そしてインタビュワーを除外すれば、犯人たりえる人物はもう一人だけです。

波多野祥吾と嶌衣織。どちらがスピラに入社した内定者で、どちらが犯人なのか。

読者は小説冒頭の一ページを思い出すことになります。

※以下、小説より一部抜粋

…………

もうどうでもいい話じゃないかと言われれば、そのとおりなのかもしれない。

それでも僕はどうしても「あの事件」に、もう一度、真摯に向き合いたかった。

あの嘘みたいに馬鹿馬鹿しかった、だけどとんでもなく切実だった、2011年の就職活動で発生した、「あの事件」に。

調査の結果をここにまとめる。

犯人はわかりきっている。今さら、犯人を追及するつもりはない、

ただ僕はひたすらに、あの日の真実が知りたかった。

他でもないそれは、僕自身のために。

波多野祥吾

<すぐ下のネタバレに続く>


犯人

犯人は波多野祥吾、あるいは嶌衣織である。

実のところ、これは二択の問題にすらなっていません。なぜなら、波多野祥吾が犯人でないことは読者にとって明らかであったからです。

物語は波多野の視点で語られていました。波多野が心の中で「あの封筒はなんだ? 誰がこんなことを?」と混乱していたことを、読者は知っています。

もし波多野が犯人なら、表面上の態度ならともかく、心の中でまでいち被害者のふりをするでしょうか? もちろんそんな意味のわからないことをする人間はいません。

小説冒頭の一ページを鑑みても、八年後のインタビュワーは波多野だと推定するのが自然です。

それでは一度、ここまでの情報をまとめてみましょう。

1.封筒事件の犯人は嶌衣織である。

2.八年後の取材者=スピラリンクスの社員=内定を勝ち取った人物は波多野祥吾である。

ぱんだ
ぱんだ
ふむふむ

謎はすべて解き明かされたように思われました。

しかし、こういってはなんですが、どうにもあっさりしすぎているような気もします。

読者がたどりついた【真相】は本当に正しいものだったのでしょうか?

八年後の森久保のインタビューによって、読者は致命的な思い違いをしていたことに気づきます。

※以下、小説より一部抜粋

…………

自分に惚れている人間に封筒を持たせる。

これだけで、簡単に自分への告発は回避できたんだ。

だからこそ、誰が誰の写真を持っているか示すために、封筒の中には、「なお、誰々の写真は誰々が持っている」っていう文言を記載しておく必要があった。

(中略)

アリバイ工作の方法についてはわからない。いずれにしても天才的だなって思ったよ。

おめでとう。見事内定を手に入れて、すでに十年近く働いて、年収はいくらになったの? 仕事は楽しい? 自分のことを好いてくれていたい人を踏みにじってまで手に入れるだけの価値は、やっぱりあった? あっただろうね。あると思うよ。

君は本当に素晴らしい行動力の持ち主だった。

 

ねぇ、嶌さん。君こそが「犯人」だったんだろ?

波多野祥吾はきっと「犯人」じゃなかったんだ。

ぱんだ
ぱんだ
んん!?


内定

最終的にスピラリンクスの内定を勝ち取ったのは嶌衣織でした。

封筒事件の犯人は嶌衣織だったのです。そのうえで、彼女は罪を波多野祥吾になすりつけました。

詳しくは後述しますが、嶌はアリバイによって自らの潔白を証明しつつ、アリバイのない波多野こそが犯人であると他の大学生たちを納得させたのです。

そのうえ、波多野祥吾の告発文は次の通りでした。

波多野祥吾は犯罪者。大学一年生のとき、サークルの飲み会で未成年飲酒をしていた。

※以下、小説より一部抜粋

…………

なんて、軽い罪なんだ。

そして僕は同時にもう一つの衝撃に、意識を飛ばしそうなほど驚愕していた。写真の中――カメラに向かってキリンラガービールを掲げる、少しピントのずれた自分と目が合った瞬間に、犯人の正体がわかってしまったのだ。

なるほど、そうか、そうだったのか。僕はなんて愚かだったのだろう。

ゆっくりと顔を上げて、犯人の顔を覗き見る。僕は目で罪を告発したつもりだった。

君が犯人だったのか、君が僕を陥れたのか。酷いじゃないか、僕は君のことを心から信じていて、そして君のことが本当に、本当に大好きだったのに――と。

しかし犯人の演技は芸術的と言っていいほどに完成されていた。僕の瞳をそのまま鏡に映したように、犯人は僕に対してまったく同じ表情を見せつける。

まるで、君こそが裏切ったのだ、心から君のことを信じていたのに――そんなことを言いたげに、儚げに瞳を潤ませる。

皆さん聞いてください、犯人がわかりました。この人です。僕じゃありません。

指を差してみようかとも思ったが、結局はできなかった、混乱してはいたが、ここで真犯人を指摘することによって形勢逆転が可能であると考えるほど鈍感ではない。

もはや、どうあがこうとも無理だった。そして僕がそうできないことも、犯人は織り込み済みだったのだ。僕を陥れるためだけに、あらゆる仕掛けが巧みに作用していた。

(中略)

自暴自棄になろうとする心をどうにか律し、最善の策を考える。捻り出すようにして最後の反攻の手立てを講じた僕は、奥歯を思い切り噛みしめてから言葉を紡いだ。

「……そのとおりだよ」僕は自分に配布された――嶌さんへの告発が封入されているはずの封筒を掴み取った。

「みんなの汚点を調べて、封筒に入れて、森久保くんの家の郵便受けに投げ入れたのは僕。自分の罪だけ比較的軽いものになるよう調整して、最終的に内定を手に入れようと企んでたんだ。みんなの予想どおりだよ。ただ本当は全員分の悪事を暴きたかったんだけど、どうしても嶌さんの悪事だけは見つけることができなかった。だから自分で封筒を持つことにしたんだ。最後まで開けなければこの封筒の中身が『空』だってこともバレないから」

僕は言い終えると、封筒をジャケットの内ポケットの中にねじ込んだ。さらにかき集めるようにして手帳をはじめとする私物を鞄の中に押し込んでいく。

会議終了前にもかかわらず部屋を出る準備をしていた僕を誰も止めようとしなかったのは、哀れな犯人に最後の情けをかけてくれたから、というわけではない。彼らは彼らで、内定者を選ぶために最後の投票を急がなければならなかったのだ。

「僕は嶌さんに入れる」

口頭でだけ伝え、挙手には参加しなかった。

投票の結果は、改めて確認する必要もなかった。

 

おめでとう嶌さん。素敵な社会人生活を。

(中略)

ポケットに入れていた入館証を受け付け台に投げるようにして返却し、エレベーターに乗り込む。

下降し始めたと同時に、涙があふれてきた。リクルートスーツが汚れるのも構わずその場に崩れ落ち、ビル全体に響くような雄叫びをあげた。

エレベーターは、いつまでも、いつまでも、下降を続けていた。


第二部

『六人の噓つきな大学生』は二部構成になっています。

第一部では最終選考の顛末が描かれ、嶌衣織がその策略によってまんまと内定を手に入れたという結末を、わたしたちは見届けました。

一方、第二部では最終選考から八年後の世界が舞台になっています。嶌衣織がかつての候補者にインタビューをしていた、第一部においては幕間だったあの世界です。

……なにかおかしい、と思いませんか?

ぱんだ
ぱんだ
へ?

嶌衣織はどうして、最終選考の真相を探るような取材をしていたのでしょうか?

被害者たる波多野祥吾ならともかく、犯人である嶌衣織がそんなことをする理由がいったいどこにあるというのでしょう?

むずかしく考える必要はありません。

前提が間違っていたという、ただそれだけのことです。

嶌衣織は、封筒事件の犯人ではありませんでした。

ぱんだ
ぱんだ
なぬ!?

第二部の主人公は嶌衣織です。

波多野祥吾の訃報をきっかけに、彼女は再び忌まわしき封筒事件と向き合うことになります。

波多野祥吾の署名で終わる例の短い文章を覚えているでしょうか?

“それでも僕はどうしても「あの事件」に、もう一度、真摯に向き合いたかった。”

これは波多野祥吾の遺品、USBメモリの中に入っていたテキストファイルの文章です。

文章が示すとおり、波多野祥吾は独自に事件の再調査を行っていました。

その結果、彼がたどり着いた答えは――

『犯人、嶌衣織さんへ』

それは同じくUSBメモリに入っていたZIPファイルのタイトルでした。パスワードが設定されているため中身を確認することはできません。とはいえ、波多野の結論は見てとれます。

森久保がそうであったように、波多野もまた嶌衣織こそが犯人だという誤った答えにいきついてしまったのでしょう。

それも無理からぬことです。結局のところ内定を手にしたのは嶌衣織だったのですから。

しかし、念を押すようですが、嶌衣織は犯人ではありません。

それは彼女の独白が証明しています。

※以下、小説より一部抜粋

…………

『犯人、嶌衣織さんへ』

こんな言葉を残しているということは、にわかには信じがたいことではあったが、波多野祥吾は犯人ではなかったということなのだろう。

しかしだからといって、なぜ私が犯人扱いされなくてはいけないのだ。どうして私があんな事件を起こさなくてはいけないのだ。

波多野祥吾、犯人はあなたじゃ――なかったのか。

もはや詳細は思い出せない。それでもあの日、あらゆる証拠が、情報が、状況が、彼が犯人であることを示していたはずだ。間違いなく犯人は波多野祥吾だったのだ。

もちろん、簡単に信じられることではなかった。波多野祥吾は信頼に足る人物で、とても親切な人間であると、あのグループディスカッションが始まる前までは思っていた。

犯人だと判明してからも、心のどこかでは信じ切れていなかった。まさかあの波多野くんが――しかし、最終的には彼自身の人間性よりも、示された証拠の妥当性を信じた。

何せ、一見して素晴らしい人格者だと思える人であっても、心の中に何をしのばせているのかはわからない。仏のような顔で笑いながら、胸に悪魔を飼い慣らしている人間は大勢いる。

どころかほとんどの人間が仮面を被って生きている――そんな事実を教えてくれたのが、他でもない、あのグループディスカッションだったのだ。

だが、真犯人は波多野祥吾ではなかった。

なら、誰が。


アリバイ

衣織は封筒事件の真犯人を追い求めます。

なぜか? いまさら真犯人の罪を告発するためでも、自身の潔白を証明するためでも、ましてや亡き波多野祥吾の無念を晴らすためでもありません。

衣織の目的は封筒です。

八年前のあの日、衣織の罪を告発する封筒は開けられることなく、波多野祥吾が持ち帰ってしまいました。そして、波多野の遺品のなかに当該の封筒はありませんでした。

封筒の中に入っていた《秘密》はなんだったのか? 衣織はそれを確かめずにはいられませんでした。

(封筒は、未だ行方不明。なら、あの封筒の中身は――)

衣織がそうまでして隠しておきたい《秘密》とはいったいなんなのでしょうか? 気になるところですが、いまはひとまず封筒事件の再検討を進めていきましょう。

ぱんだ
ぱんだ
はーい

波多野祥吾が犯人の汚名を着せられることになったのは、ただひとりだけ《犯行》が可能であったからでした。

というのも、各人の罪を告発する写真はどうやらすべて同一の日、四月二十日に撮られたものであったようなんですね。写真に写っていた当人たちが証言したことですから、疑いようもありません。

写真にはどれも特徴的なノイズが写り込んでいました。これはすべての写真が同じスマホで撮影されたことを意味しています。用途が用途ですから、まさか犯人が第三者に証拠写真集めを頼んだとは思えません。

つまるところ、封筒事件の犯人は四月二十日に、自分自身で告発資料となる写真を撮って回ったということになります。

そこで、彼らは四月二十日のアリバイを参照することにしました。

写真が撮られた時間と場所は次の通りです。

・午後二時――森久保――一橋大学

・午後四時――九賀――慶応大学

・午後五時――矢代――錦糸町

午後二時から午後五時にかけてのアリバイが証明できれば、その人物は犯人ではないということになります。

たとえば、衣織の場合は午後二時に授業、午後五時にバイトがありました。会議室内での電話は禁止されていなかったため、それらのスケジュールが嘘でないことが電話によって確認されました。

そうして一人一人のアリバイが証明されていくなか、たったひとりだけなんのアリバイもなかったのが――

ぱんだ
ぱんだ
波多野くんだった

そのとおりです。真犯人は最初から波多野を犯人に仕立て上げるつもりだったのでしょう。波多野に反論の余地はなく、あわれ犯人として蔑みの視線を浴びることになってしまいました。

一見すると、彼らの結論は妥当であるように思われます。

しかし、波多野が犯人でないことも、もはや覆りようのない事実です。

ならば考えられる可能性は一つしかありません。前提となる情報がそもそも間違っていたのです。

かつて大学生だった彼らの【見落とし】に気づいたのは、波多野の妹、波多野芳恵でした。

…………

「無理じゃないですか?」

「……無理?」

「一日でこの三枚の写真、撮れないですよ。とてもじゃないけど、こんなペースで回れる距離にないです」

「無理ってことはないでしょ。一橋は国立で、慶応は三田、そこから錦糸町でしょ。割と小さい三角形だと思うけど」

「この九賀さんって人、総合政策学部です」

「それが?」

「キャンパス、神奈川県ですよ」

…………

神奈川県にある慶応大学湘南藤沢キャンパスから錦糸町までの移動には、どんな手段を使ったとしても一時間半は必要です。午後四時に九賀の写真を撮り、同日の午後五時に矢代の写真を撮ることは――不可能でした。

この事実は何を意味しているのでしょうか?

まっさきに思い浮かぶ可能性は――

「……共犯だったんじゃ?」

なかなかゾッとする指摘ですが、却下です。六人中三人が結託していたのだとすれば、もっとスマートに会議の流れを掌握できていたはずです。

だから、真相はもうひとつの可能性のほう、つまり、

「……脅されてたのか」

伏線は矢代つばさのインタビューのなかにありました。一度目は聞き流していた言葉の中に重要なヒントが隠されていたことが、いまならわかります。

“――私も会議で「犯人」に脅されて、平気で嘘ついたしね。え? あぁ、そういえばそうだね。……あれ、そんな記憶があったんだけど、気のせいかな。なんか他の企業にも写真ばらまくぞ、的なことを言われて、それが嫌ならこう言え、みたいな脅しを受けた記憶があるんだけど――”

真犯人は握った弱みをちらつかせて噓のスケジュールを証言させていました。気づいてさえしまえば、その方法はわかりやすいものでした。

彼らの封筒には告発の資料とは別に、もう一枚、別の紙が入っていたのです。

衣織は社内から持ち出した最終選考の映像を再生します。すると、彼らがこっそり小さな【別紙】を封筒から取り出し読んでいる姿が見てとれました。

ぱんだ
ぱんだ
ということは……

九賀蒼太、森久保公彦、矢代つばさの三人は、犯人から脅されて嘘のスケジュールを証言させられていました。

では、封筒事件の犯人は袴田亮だったのでしょうか?

いいえ、そうとも限りません。三人のうちの誰かが被害者を装って自身の封筒に二枚の紙を忍ばせていた可能性もあります。

波多野祥吾を陥れたアリバイのからくりはわかりました。しかし、肝心の犯人が誰なのかはいまだ謎のままです。


違和感

真犯人を特定するためのヒントは、波多野の告発に使われた写真にありました。

写真の中――カメラに向かってキリンラガービールを掲げる、少しピントのずれた自分と目が合った瞬間に、犯人の正体がわかってしまったのだ。

まさか【少しピントのずれた】が大事な伏線だったとは……。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと?

波多野の未成年飲酒を告発する写真は、彼が所属していた散歩サークルのサイトに掲載されているものでした。

そのサイトではよく撮れている綺麗な写真を掲載しているほか、クオリティの低い『ボツ写真』のページも用意されていました。

そして、波多野がキリンラガービールを掲げている例のピントのずれた飲酒写真は『ボツ写真』の中の一枚でした。

これはどうにも妙な話です。

というのも、わざわざ『ボツ写真』を漁るまでもなく、『新歓コンパ』のページには波多野がスミノフを飲んでいる映りのいい写真が掲載されていたのです。

衣織にいわせれば、

私が犯人であったなら、こちらの画像を使わない理由が見つからない。

と、こうなります。

犯人はどうしてわかりやすくクオリティの高い方の写真を使わなかったのでしょうか?

衣織は違和感の正体について頭を巡らせます。

※以下、小説より一部抜粋

…………

気まぐれだと割り切るには、あまりにも奇妙だった。

二つの画像で異なっているのは、写真のクオリティを別にすれば、持っているお酒の種類、それだけ。

それはつまり、

つまり。

刹那、脳内で小さな花火が三つほど迸った。

結論を急ぐ頭を落ち着かせるために、ジャスミンティーを喉に流し込む。自分でも情けなくなるほどに何度もキャップを絞め損ねながら、予測に誤りがないことを確信する。

あまりにもささやかな、実にくだらない事実ではあったが、ここにきて二つの疑問がいっぺんに解消された。

どうして、波多野祥吾は私が犯人であると誤認してしまったのか。

そして、真犯人が、誰であったのか。


真犯人

ピンボケ写真ではキリンラガービール。質の高い写真ではスミノフ。

なんのことはありません。

真犯人はスミノフが酒だと知らなかったのです。

だから、衣織が見せた写真にもこんなコメントをしてしまいます。

「これ、間違ってない? よく似た写真だけど、あの日、封筒から出てきたものとは違うでしょ。持ってるのがお酒じゃないし」

いきなりですが、衣織は下戸です。

それは六人そろっての飲み会でも明らかになっていて、だからこそ波多野は衣織が犯人だと誤認してしまったのでしょう。しかし、衣織はプロントで働いていて、飲めないながらもお酒の知識がありました。

では、真犯人は誰なのか? 最終選考前の飲み会では理由をつけてお酒を飲まなかった人物がいました。下戸を隠していた人物。スミノフがお酒だと知らなかった人物。

「九賀くん、お酒興味ないって言ってたもんね」

封筒事件の真犯人は、九賀蒼太です。

思えば、会議はずっと九賀に先導されていました。最初に封筒を開けたのも九賀なら、写真に同一のノイズがあると指摘したのも九賀でした。

それでも九賀が疑わしくなかったのは、彼がずっと揺るぎないリーダーであったからという理由と、もうひとつ。告発による九賀のイメージダウンがあまりにも顕著で、とても内定などとれないと誰もが確信していたからでした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「なんで、九賀くんはあんなことをしたの? あんなやり方じゃ、内定は取れない」

「内定は、別にいいやって気持ちになってたんだよ。そんなの眼中になかった」

「……なら、波多野くんを貶めることだけが目的だったの?」

「やめてやめて。そんなんじゃないんだ。ただなんて言うんだろう、当時は若かったんだよ、僕も。だから本当、説明するのも難しくて……でも強いて言うなら、そうだな。とんでもなく腹を立ててたんだよ」

(中略)

「学生はいい会社に入るために嘘八百を並べる。一方の人事だって会社の悪い面は説明せずに嘘に嘘を重ねて学生をほいほい引き寄せる。面接はやるにはやるけど人を見極めることなんてできないから、おかしな学生が平然と内定を獲得していく。

会社に潜入することに成功した学生は入社してから企業が嘘をついていたことを知って愕然とし、一方で人事も思ったような学生じゃなかったことに愕然とする。

今日も明日もこれからも、永遠にこの輪廻は続いていく。嘘をついて、嘘をつかれて、大きなとりこぼしを生み出し続けていく。

そういう社会システム、すべてに、だね。やっぱりものすごく憤ってたんだ。だから『あんなこと』をやってしまったわけだよ」

(中略)

「ま、とにかく、本当に馬鹿だったと思う。何をやってるんだよ、って、今の僕ならそう思える。でも当時はそうは思えなかった。

僕が代わりにやってやろうって思ったんだ。この間抜けな社会の欠陥まみれのシステムにクソを投げつけなくちゃ、って。

それが混乱した就活生である僕にとっての『フェア』だったんだ」


デキャンタ騒ぎ

九賀は欠陥だらけの就活システムにどうしようもなく憤っていて、そのために封筒事件を引き起こしたのだといいます。

そうして彼が一線を越えたのには、二つの出来事が強く影響していました。

1.尊敬する友人が落ちたこと

九賀にはすべてにおいて自分より優秀だと思う友人がいました。名前は川島和哉。その川島がスピラリンクスの二次面接であっさり落とされたことが、すべてのはじまりでした。

「信じられない思いだった。(中略)とにかく、ここで僕はとんでもなく大きな疑問にぶつかったわけだよ。『企業は本当に、優秀な学生を選抜できているのか?』って。さらにはもっと根源的なところまで話を敷衍させてもいい。言い換えるなら、『就活って、本当に機能してるのか?』」

九賀はいま川島の会社に勤めています。創業四年で売上三百五十億円突破の企業。川島が優秀な人物であることは結果が証明しています。そんな川島の能力を見抜けなかった面接官、ひいては就活システムに九賀は疑問を抱いたわけですね。

とはいえ、九賀は慎重でした。川島の件はたったひとつの事例でしかない、と判断するだけの冷静さを持ちあわせていました。

……このときまでは。

ぱんだ
ぱんだ
不穏!

2.デキャンタ騒ぎ

まだ最終選考では全員に内定が出ると誰もが信じていた一ヵ月の準備期間。九賀は前向きに準備に取り組んでいましたが、あるとき、森久保の噂を耳にします。

『そいつって、あれじゃないか。詐欺セミナーやってたやつだろ』

五千人の応募から選ばれた六人の最終選考メンバー。そのなかにクズが紛れ込んでいたと知って、九賀の不審は一気に加速します。

『デキャンタ騒ぎ』はそんな九賀の疑念を確信に至らせた出来事でした。

最終選考メンバー六人そろっての飲み会の日。物語序盤で語られたその場面は、まさに青春の一ページという表現がピッタリの楽しそうなシーンだったのですが……。

※以下、小説より一部抜粋(めちゃくちゃ伏線です)

…………

「嶌さんも覚えてるでしょ。最終選考メンバーで何回か集まって打ち合わせを重ねてたあるとき、みんなで飲み会をしようってなったこと。細かいことは忘れたけど、僕は用事があったから少し遅れて行くことになったのは覚えてる。

お店はいわゆる学生が好きそうな安い居酒屋じゃなくて、少し雰囲気のいいスペインバルみたいなとこだったのも、なんとなく覚えてる。

あの時点で僕らはだいぶ打ち解けてもいたから多少は騒がしくはしてるかもしれないとは思ったけど、到着したとき、目に飛び込んできた馬鹿騒ぎにはさすがに吐き気がしたよ。

百歩譲って酒好きが酒を飲んで騒いでるだけなら好きにしたらいいとも思えた。でも彼らはお酒が飲めないと言っていた君の前に大きなデキャンタを置いて、これを今日は飲み干させるんだと豪語した。

当時は隠してたけど、こっちもお酒は苦手な質だったからね、唖然としたよ。その幼稚さに、下品さに、すべてにおいてのレベルの低さに。

リクルートスーツ着て優秀な社会人の卵ぶった態度をとりながら、その実なんてことはない。ただの馬鹿な大学生じゃないか」

 

「……そんなこと、あったっけ」

 

「忘れるわけないよ、あんなグロテスクな光景。仮に君が覚えていないのだとしたら、お酒を飲まされすぎて記憶がなくなってたんだ。それくらい醜い飲み会だった。

ま、いいや。何にしても、選考方法変更の連絡が来たのは、その飲み会が終わった直後だった。僕は一人でメールの文面を何度も読み返しながら、決意しちゃったわけだ。

青臭くね。見せつけてやろう、って。きちんと教えてあげよう、って。ここにいる六人、残らず、全員、最終選考に残すべきではないろくでもないクズだったってことを。

……誰にって、それはもちろん、無能な『人事』、ひいてはこの『社会』にね」


最後の封筒

犯人も動機もあきらかになりましたが、物語はまだ終わりません。

衣織の封筒にはどんな告発が入っていたのか?

波多野が遺したZIPファイルの中には何が入っているのか?

これらの謎がまだ残っています。

ただまあ、前者についてはあっさり開示してしまってもいいでしょう。読者目線でもかなりわかりやすかったことなので。

衣織の封筒に入っていた告発は次の通りです。

嶌衣織の兄は薬物依存症。嶌衣織の兄は歌手の『相楽ハルキ』。二人は現在同居している。

告発された内容は事実です。衣織の兄は歌手の『相楽ハルキ』であり、相楽ハルキはかつて薬物を使っていました。世間を騒がせた事件だったので、もし封筒が開かれていたら衣織の内定にも影響が出ていたかもしれません。

ただ、だからなんだというのでしょう。

封筒に入っていたのは、衣織自身の罪ではありませんでした。

実のところ、衣織が封筒を追い求めていたのは罪を隠すためではありません。むしろ、逆です。思い当たる罪がなかったからこそ、彼女は自分がどんな罪を犯したのか不安に苛まれていたのです。

なんのことはありません。嶌衣織は潔白でした。

あの嘘だらけの六人の中、衣織と波多野だけは清い人間だったのです。

ぱんだ
ぱんだ
うんうん

……と、言いたいところですが、

ぱんだ
ぱんだ
うん?

【どんでん返し】はいつもわたしたちを驚かせてくれますが、なかでも『六人の噓つきな大学生』のそれは強烈でした。

二転三転とはまさにこのことです。

物語前半では、さわやかで優秀だったはずの六人の大学生の【裏の顔】が明らかになりましたね。

でも、その裏の顔にさらに裏側があったとしたら……?

ぱんだ
ぱんだ
裏の裏……?


あの日の真実

物語終盤、衣織は波多野が遺したZIPファイルに手をつけます。

「犯人、嶌衣織さんへ」と題された鍵のかかったファイルです。

パスワードのヒントは「犯人が愛したもの」

読者目線では衣織が愛飲している《ジャスミンティー》が正解であるように思われました。

しかし、

残りの入力回数が減っている。パスワードが、間違っていたのだ。

作中ではこれみよがしに何度も衣織がジャスミンティーを飲んでいるシーンが登場していたので、これはなかなかの驚きでした。

では、正解のパスワードはなにか?

衣織はふと、ひとつの可能性に気づきます。

『犯人、嶌衣織さんへ』

いままで「犯人である嶌衣織さんへ」と読んでいたこの題は、もしかしたら「犯人と嶌衣織さんへ」という意味だったのではないか?

だとすれば、パスワードは犯人、つまり九賀蒼太が愛したものということになります。

パスワードを入力できるチャンスは残り一回。衣織が打ち込んだ文字列は――

『fair/フェア』

そうして、ZIPファイルは開かれました。

保存されていたテキストファイルを読むと、波多野が真犯人に気づいていたことがわかります。彼は九賀が下戸であることも、衣織がプロントで働いていたことも知っていました。

プロントで働いている彼女が有名なウォッカの瓶を知らないはずがない。なら犯人はもう一人の下戸、九賀くんでしかありえない。

伏線はあった、と波多野は綴っていました。

九賀が心底失望したあの飲み会の日。九賀は波多野をトイレに連れ出し、お酒の飲めない衣織にデキャンタでワインを飲ませるなんてどうかしていると詰め寄ったのだといいます。

波多野はちゃんと事情を説明したのですが、九賀は納得しませんでした。

「僕は酒を飲まないんだ。詳しくもない。だからウェルチがどんな酒なのかも知らない。でもアルコール度数が低かろうと飲めない人間には飲めないんだよ」

ぱんだ
ぱんだ
ウェルチ!?

はい、衣織が飲んでいたのはワインではなくぶどうジュースのウェルチでした。九賀が封筒事件を起こす引き金になった「デキャンタ騒ぎ」はまったくの勘違いだったのです。

ぱんだ
ぱんだ
なんてこった!

波多野にも落ち度はありました。九賀の見当外れな指摘を聞いて、思わず笑ってしまったのです。笑い上戸である、という伏線が最悪に作用した瞬間でした。

かくして九賀は他のメンバーを「最低だ」と断定し、やがて事件に至ることになります。

不幸なすれ違い、としか言いようがありません。もし九賀が飲み会に遅れず、最初から参加していたら……。

「デキャンタ騒ぎ」の件だけではありません。九賀はあの日を振り返って次のように言っていました。

「多少は騒がしくはしてるかもしれないとは思ったけど、到着したとき、目に飛び込んできた馬鹿騒ぎにはさすがに吐き気がしたよ」

しかし、この「馬鹿騒ぎ」にも実は理由がありました。以下は、衣織の回想です。

※以下、小説より一部抜粋

…………

波多野祥吾の手記を見て、ようやく九賀蒼太が『デキャンタ騒ぎ』と呼んだ出来事について思い出した。

あの日は最終選考メンバーで懇親会をやろうという話になり、矢代つばさがとっておきがあるといってお洒落なお店を紹介してくれたのだ。

予約は森久保公彦が担当することになった。値の張る店だったので、軽い食事と一、二杯のお酒を――という話だったのだが、情報がうまく伝わっておらず森久保公彦は値段を見ずに飲み放題コースを予約してしまった。

値段は二時間で六千八百円。学生が簡単に払える金額ではないということを知ったのは、森久保公彦と袴田亮が二人して店に到着した後だった。

さすがにキャンセルしようという話になったのだが、当日になってからのキャンセルは不可能ですの一点張り。森久保公彦は絶望し、とんでもないことをしてしまったと途方に暮れた。

その落胆ぶりがほとんど自殺寸前のように見えたので、袴田亮は私と、波多野祥吾、矢代つばさの三人を入り口で待機させると、

「悪いんだけど、三人とも今日はお酒がめちゃくちゃ飲みたくて仕方なかった――って感じで店に入ってきてくれないか?」

「何それ?」と矢代つばさが尋ねると、

「いや、もうなんかな、森久保が自分のせいでみんなにとんでもない支払いをさせてしまう――ってめちゃくちゃ落ち込んでるんだよ。だから、小芝居を打ってほしいんだ」

「僕は構わないけど、嶌さんは確かお酒飲まないよね?」

そんな私は、店の前に飾ってあった飲み放題メニュー表の中にウェルチの文字があったことに気づく。さすがに値の張る飲み放題メニューなだけあって、変わり種のドリンクが用意されている。

お酒は飲めないが、デキャンタになみなみ大好きなウェルチを注いできてもらえば、私は無限に飲んでいられると言って親指を立てた。まるで赤ワインのように見えるのではないだろうか。

「それでいこう。みんなマジで頼む。本当に森久保の落ち込み方すごいから、お酒が飲める組はガンガン飲んでくれ。お願いしていいよな?」

誰も嫌がりなどしなかった。たった一人を励ますために、みんな大いに楽しんだ。


裏の裏

九賀はまったくの思い違いをしていました。

衣織の前に置かれていたデキャンタの中身はぶとうジュースでしたし、彼らが大いに飲んで騒いでいたのは森久保を励ますためだったのです。

それだけではありません。

九賀が最終選考メンバーに失望するきっかけとなったのは、森久保の噂を耳にしたからでした。しかし、ここにもやはり九賀があずかり知らない【裏の事情】があったのです。

ぱんだ
ぱんだ
裏の事情?

ありていにいえば、森久保は悪くなかったのです。

ただのバイトのつもりが蓋を開けてみれば詐欺だった、といった次第でして、ある意味では森久保も騙された被害者だったといえます。

森久保は二日目でバイトを辞めましたし、バイト代も受け取っていません。それどころか自分の不利になると知りつつ大学に報告までしています。

友人曰く――

嘘がね、嫌いなんですよ、森久保は。ちょっと神経質なくらい。(中略)ちょっと面倒くさいやつではあります。ケチなところもありますしね。ただ好きですよ、僕は。自慢の友だちです。間違いなく。

九賀が耳にした森久保の悪評は過分に脚色されたものでした。

いいえ、森久保だけではありません。九賀の調査は物事の一面だけを切り取ったものにすぎませんでした。

たとえば、袴田亮はいじめで野球部員を自殺に追い込んだとされていました。しかし、野球部内でいじめをしていたのは亡くなった部員のほうだったのです。

「そうだよ! ただこの佐藤のクズのことは」

後輩からいじめを受けていると相談された袴田は、真っ青になって学校に報告しようとしました。しかし、それでは袴田たちが大会に出られないからと後輩に止められ、彼は方針を変えました。

それまで佐藤が後輩にしてきたいじめの数々を、本人に味わわせてやることにしたのです。

といっても、その内容は厳しいトレーニングを課すというもので、ケガ人まで出していた佐藤の理不尽なしごきに比べればずいぶんと健全なものだったといいます。

しかし――

佐藤先輩が首吊ったの、その翌日なんですよ。信じられなかったですよ。遺書もあったんですけど、あろうことか、野球部内で自分がいじめに遭ってるって書いてあったんです。

はたして袴田亮は加害者だったのでしょうか、それとも被害者だったのでしょうか。

佐藤からいじめを受けていた野球部の一年生曰く、

僕は袴田先輩に感謝していますし、袴田先輩は何も悪いことはしてないと断言したいです。

矢代つばさについても同じです。彼女にもやはり語られていなかった【裏の事情】がありました。

自費で海外に行っては現地でボランティア活動をしていた、といえばおおよそ察せられるでしょうか。

友人曰く、

あの子は、よくも悪くも誰にも媚びないんだよね。それがときにワガママに見えたり、ヒステリーを起こしているように見えたり、軽い雰囲気に見えたりする。欠点は多いっちゃ、多いんじゃないかな。でも、そういうとこ含めて、私は好きだよ。いいやつって言っていいんじゃないかな。

さっきから差し込まれているこれら関係者の証言は、波多野の音声ファイルとして波多野のZIPファイルに保存されていたものです。

以下、波多野が遺したテキストファイル【犯人、嶌衣織さんへ】から引用します。

…………

僕はあえて自分のことを信じてみることにした。やっぱりあの五人は、みんないい人だったのではないだろうか、と。

だって、そうではないか。九賀くんは写真を用意することによって何かを証明してみせたつもりになっていたのかもしれないが、やっぱりあんなものは所詮、ただの写真にすぎないのだ。

というわけで今さらながらではあるが、あの日の九賀くんの宣戦布告を真っ向から受けようと決めたのだ。彼が全員の悪事を暴いたつもりになっているのならば、僕はそのさらに裏側を調査してやろうではないか。

結論から言うと、この勝負については僕の「勝ち」と言ってよかったように思う。

長々と九賀くんの用意した封筒に対する反証をここに書き連ねるのも何か違うような気がするので、三つの音声データをZIPに同封しておく。

重要な『証人』による、袴田くん、矢代さん、それから森久保くんについての貴重な話が録音されている。

おそらくは九賀くんも知らなかった事実に違いない。きっといつか君に聞かせてやりたい。


結末

最後にもう一人、認識をあらためなければならない人物がいます。

封筒事件の犯人、九賀蒼太です。

ZIPファイルの中、波多野は九賀へのメッセージを用意していました。

…………

九賀くんへ。

封筒を用意したことはもちろん許されないことで、下品な行いだったと心から思う。

でも君が自身がクズである証明として語った「孕ませて堕ろさせて振った」というエピソードについては一言だけ言わせてほしい。

君は、まったく、悪くないじゃないか。

会ってきたよ。君との子供を諦めざるを得なかった、原田美羽さんに。彼女は君のことを何時間もかけて、涙ながらに擁護していた。彼は悪くない、彼は悪くない、彼女は何度も僕に訴えた。

二人の間のことは二人の間のことだから、知ったようなことを書きたくはないし、あえて彼女とのインタビューを録音したファイルはここに残さない。

でももう少し、自分のことを許してあげたらどうだい。

君はたぶん厳しすぎるんだ。他人にも、社会にも、そして何より自分にも。すべては君らが選んだ道で、どうしようもなかったことじゃないか。

僕はもう少し、君が楽になってもいいんだと、そう思う。

…………

袴田、矢代、森久保、それから九賀。物語が進むにつれ、彼らへの印象はくるくるとひっくり返っていきました。善人から悪人へ、そしてまた善人へ。

人事が学生の本質を見極めることができないように、わたしたちもまた彼らに誤った印象を抱いてしまっていました。

波多野はこう綴っています。

※以下、小説より一部抜粋

…………

僕が最近、折に触れて思い出すのは嶌さんが話してくれた月の裏側の話だ。

月は地球に対して常に表側だけを見せているそうで、裏側を地球から見ることは叶わないらしい。果たして月の裏側はどんな様子なのだろう。

実際に調査された結果によると、月の裏側は表側に比べて起伏が大きく、クレーターの多さが目立つらしい。言ってしまえば、ちょっと不細工なんだそうだ。

ある意味でそれはあの封筒の中身にも似ているなと、そんなことを考えた。

封筒の中には紛れもない、僕らの一部分が封入されていた。日頃は見えていない、見ることの叶わない『裏側』が封入されていた。

何よりもフェアを大事にする九賀くんらしく、そこには必要以上に煽るような文句は何も記されていなかったが、誰にとっても知られたくない一面であったことには違いあるまい。

僕らは封筒の中に隠されていた一部分を見て、勝手に失望して、あろうことか当人全体のイメージを書き換えてしまった。

月の裏側に大きなクレーターがあることを知った途端に、まったく関係のなかったはずの表側に対する印象も書き換えてしまったのだ。

当たり前だが、彼らは全員、完全な善人ではなかったかもしれない。でも完全な悪人であるはずがなかったのだ。

おそらく完全にいい人も、完全に悪い人もこの世にはいない。

犬を拾ったからいい人。

信号無視をしたから悪い人。

募金箱にお金を入れたからいい人。

ゴミを道ばたにポイ捨てしたから悪い人。

被災地復興ボランティアに参加したから絶対に聖人。

健常者なのに優先席に遠慮なく腰かけていたから極悪人。

一面だけを見て人を判断することほど、愚かなことはきっとないのだ。

就活中だから本当の自分があぶり出されてしまうのではなく、就活中だから混乱してみんなわけのわからないことをしてしまう。

グループディスカッションでは確かにみんなが醜い部分を見せ合ったかもしれないが、そんなものはやっぱり、月の裏側の、ほんの一部にすぎないのだ。


六人の嘘つきな大学生

人には誰しもちょっと不細工な『裏側』があるけれど、だからといってその人のいいところまで否定されるわけではない。断片的な情報だけで人を判断するのは愚かなことである。

教訓にできそうなオチがついたところですが、物語はもうちょっとだけ続きます。

波多野の手記には衣織へのメッセージも残されていました。

またいつかデキャンタで乾杯しましょう。あなたのことがとても、とても、好きでした。

美しく、あるいは切なく締めくくられたメッセージには、波多野が利用していた貸し倉庫の番号が記されていました。

衣織はそのコインロッカーほどの貸し倉庫で例の封筒を見つけることになります。あの日、波多野が持ち帰った、衣織の兄が相楽ハルキであることを暴露する封筒です。

そして、貸し倉庫にはもう一通、床面の下にA4サイズの封筒が隠されていました。

波多野が用意した、でも結局は送らなかったのだろうと推測されるその封筒の宛名は――

『株式会社スピラリンクス人事部 鴻上達章 様』

※以下、小説より一部抜粋

…………

拝啓 貴社におかれましてはますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。

この度は、先日の貴社新卒採用試験、最終選考(グループディスカッション)について、やり直しをお願いしたくご連絡させていただいた次第です。

グループディスカッションにおいては私が他の候補者を妨害するような工作を行ったというあらぬ嫌疑をかけられましたが、まったくの濡れ衣です。

犯人は私ではなく九賀蒼太であることを、私は証明することができます。その場ですぐに反論できなかったことを、現在は深く反省し、後悔しております。

つきましては、貴社におかれましても、晴れて内々定となりました嶌衣織氏に対する告発内容が気になっているのではないでしょうか。

私が持ち帰った封筒を同封いたしますので、ご確認いただければ幸いです。

(何を隠そう、グループディスカッションの際には、この封筒を円滑に持ち帰るために、自身が犯人であると罪を被るような発言をしました

内容をご確認の上、嶌衣織氏が内定に相応しくないと判断された場合は、どうか再度の選考を実施していただければ――

…………

繰り返しになりますが、波多野はこの封筒を送っていません。

ただ、彼にもちょっと不細工な『月の裏側』があったのだということがわかります。

衣織は封筒の文書の【裏切り】を目にして、ふわりと笑いました。

私は文書を封筒に戻すと、それをゴミ袋の中にそっと放り込んだ。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「さっきの質問だけど」

「はい?」

波多野芳恵は作業を中断し、こちらを振り向いた。

私は笑いながら、

「波多野くんのこと、どう思ってたのかって質問だけど」

「あぁ、はい」

「好きだったよ」

波多野芳恵は一瞬だけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに満更でもなさそうに微笑んだ。私は改めて天国の彼に礼を言う。

ありがとう、波多野くん。嫌味でも、皮肉でも、お世辞でもない。本当にありがとう。

波多野祥吾。最終選考をともに闘った戦友にして、泣いていた私にブランケットをかけてくれた――好青年のふりをした腹黒大魔王さん(※)

<おわり>

※伏線回収。サークルのサイトで波多野につけられていたキャッチコピー

 

【補足】嶌衣織の嘘

このラストシーンにはニクイ演出が効いています。

というのも、衣織が当時好きだったのは波多野ではない、と考察できるからです。

衣織が「好きだったよ」と口にした少し前、波多野芳恵は最終選考の投票システムについて次のようにコメントしていました。

「あんなのほとんど好きな人投票みたいなものじゃないですか。好きだから票を入れちゃうんですよ。『あなたが優秀だと思う』と『あなたが好きです』の境界って結構曖昧ですよ」

衣織の反応はこちら↓

なかなか鋭い考察だなと感心しながら当該のロッカーまで案内し、私は鞄にしまっておいた鍵を彼女に差し出す。いやはや、本当に鋭い考察だ。

小説では赤字の部分に強調のための点(傍点)がつけられていました。いかにも意味ありげです。

そこで最終選考での衣織の投票を振り返ってみると……彼女はずっと九賀に投票していました。つまり、衣織が好きだったのは波多野ではなく九賀だったのです。

そう考察した上で衣織が「好きだよ」と言った気持ちを考えてみると……いやはや、本当にニクイ台詞ですね。

ぱんだ
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まとめと感想

今回は浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。

叶うことなら就活生のときの自分にこの小説を読ませたかった、心からそう思います。

作中では人事がぶっちゃける本音として、次のようなセリフが登場します。

相手の本質を見抜くなんてね、保証しますけど、絶対に、百パーセント、不可能です。(中略)面接なんて長くたって一時間かそこらです。そんな短時間で、相手の何がわかるっていうんですか。何もわかりなんてしませんよ。

大人になった今なら冷静に「そうだろうな」と納得できるセリフです。でも、大学生のときにこの文章を読んでいたら相当な衝撃を受けていただろうなと思います。

面接ではちゃんと優秀な人材が順当に採用されるのだと、当時のわたしは信じてたような気がします。そう思わないとやっていられなかったのか、面接官もまたわからないなりに質問しているのだという内情に思い至っていなかったのか、今ではもう思い出せませんが。

就活の成否は多分に『運』によるのだと当時のわたしに伝えたら、どんな顔をするでしょうか。がっかりするでしょうか、不安に思うでしょうか。九賀のように怒りを覚えるかもしれません。

どうせ最後は運で決まるのだから気楽にやれ、と言ってやりたいところですが……これは当事者じゃないから好き勝手に言ってるだけかもしれませんね。それでも、面接に落ちたってそれは面接官の見る目がなかっただけなのだと言ってやれれば、いくらか気は楽になったでしょうか。

そんなこんなで、この小説はめちゃくちゃ読みやすくておもしろいミステリでありながら、就活生(ひいては大学生)に是非とも読んでほしい一冊でもあります。

一方、就活のとき自分はどんなだったっけ? と記憶が薄れかかっている大人のみなさんにおかれましては、単純に「とてつもなく完成度の高いミステリ」としておすすめです。

巧みな伏線、読者心理を計算しつくした構成、誇張でもなんでもなく頭一つどころか二つ三つ抜けていると思いました。

この記事はなんと二万文字の大長編(最後まで読んでいただきありがとうございます)なのですが、正直な話、作品の持つおもしろさの三割も伝えられていない気がしています。

なので、読んでください! 絶対おもしろいから! 文庫あるから!

浅倉秋成さんの小説を読むのは初めてだったのですが、「この人の他の小説も読みたい!」と思わされました。

語彙が乏しくなってきたのでそろそろ終わりますが、つまるところ、最高におもしろかったです。

 

ちなみに漫画版もあります。

 

映画情報

キャスト

未発表(2024年1月現在)

公開日

2024年秋公開

ぱんだ
ぱんだ
またね!


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