新川帆立『元彼の遺言状』を読みました!
2021年『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した本作。
毎年の「このミス大賞」とは比較にならないくらい書店でずっと推され続けていて気になっていたのですが、今回読んでみて納得しました。
ただの本好きであるわたしにもわかるくらい、この作品はクオリティが段違いです。
くわしい感想は長くなるので後半に回すとして、めちゃくちゃおもしろかったとだけ先にお伝えしておきましょう。
今回はそんな話題の小説『元彼の遺言状』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。
あらすじ
「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」
元彼の森川栄治が残した奇妙な遺言状に導かれ、弁護士の剣持麗子は「犯人選考会」に代理人として参加することになった。
数百億円ともいわれる遺産の分け前を勝ち取るべく、麗子は自らの依頼人を犯人に仕立て上げようと奔走する。
ところが、件の遺書が保管されていた金庫が盗まれ、さらには栄治の顧問弁護士が何者かによって殺害され……。
(文庫裏表紙のあらすじより)
弁護士・剣持麗子
物語は麗子がプロポーズをバッサリ断る場面から始まります。
理由は「婚約指輪のダイヤが小さいから」
婚約指輪は世間の平均程度の品だったのですが、麗子は軽く見られたものだと心底彼氏に失望しました。
それもそのはず。麗子は年収2000万円の高給取りです。
お金を稼ぐためならあらゆる苦労をいとわず、どんな強敵とも闘ってきた麗子が、たった40万円ぽっち(麗子の感覚です)の指輪に満足できるわけがありません。
麗子は呆然とする彼氏を置き去りにして、さっさとレストランから出て行ってしまいました。
冒頭のエピソードからもわかるように、麗子はいろんな意味で《強い》女性です。
作戦は常に「ガンガンいこうぜ」
彼女は自分の欲にまっすぐな女性であり、
「私はもっと、お金が欲しい」
弁護士としての能力にも、人目を引く美貌にも、絶対の自信を持っています。
(彼女は)私のように西洋風のはっきりとした美人ではなくて(以下略)
プライドの高さに比例した性格のキツさが玉に瑕ですが、姿勢が一貫していてブレないという点では実に痛快なヒロインです。
大学時代に三か月だけつき合っていた元カレ【森川栄治】が残した奇妙な遺言状を巡る騒動に、麗子は巻き込まれ……いいえ、自分から首を突っ込んでいきます。
森川栄治の遺言状
亡くなった森川栄治は大手製薬メーカーである森川製薬の御曹司でした。
森川製薬の持ち株を含めた遺産総額は驚愕の1000億円オーバー!
そんな莫大な資産が栄治を殺した犯人に支払われるというのですから、まあ、意味がわかりません。
犯人特定の制限時間は三か月。
期間を超過した場合、もしくは病死などにより犯人不在の場合、栄治の財産は国庫に帰属することになります。
死因について
栄治は病死だったと診断されています。
具体的にはインフルエンザです。
30歳(※)という若さながら栄治はうつ病により心身ともに弱っていて、インフルエンザに抵抗できず亡くなりました。
※ちなみに麗子は28歳
遺言状に当てはめれば、犯人不在のケースですね。
文面をそのまま事態に適用するなら、栄治の遺産は国に納められることになります。
医者が正式に診断している以上、栄治を殺した犯人もなにもないような状況です。
しかし、麗子は「犯人になりたい」というクライアントの依頼を引き受けました。
「完璧な殺害計画を立てよう。あなたを犯人にしてあげる」
麗子の計画
麗子の依頼人は栄治の幼なじみだった篠田という男です。
篠田は栄治の誕生日パーティーに参加していたのですが、それはちょうどインフルエンザが治ったばかりのタイミングでした。
というわけで、麗子側の主張は次のとおりです。
「栄治の死因であるインフルエンザは篠田が(故意に)うつしたものだった。だから犯人は篠田である」
正直、これで誰が納得するんだという感じですよね。
もちろん麗子も本気で「インフルエンザ殺人説」を押し通すつもりなんてありません。
栄治の遺産を受け取る《犯人》は犯人選考会によって選出されます。
森川製薬の幹部三人による面接の上、「この人こそ犯人だ」と三人全員が認めた人間が晴れて犯人になれるという仕組みです。
森川製薬にしてみれば、犯人不在により栄治の持ち株が国に流れてしまってはおもしろくありません。
※というか、わかりやすく不利益ですね
だから、森川製薬としては犯人をでっちあげてでも自社株を守りたいというのが本音です。
とはいえ、当然ながら誰が犯人になってもいいというわけでもありません。
犯人に指名する人物は新しい株主になるわけで、経営に口を出せる立場になるからです。
犯人選考会とは名ばかりで、その本質が「新株主選考会」であることを麗子は見抜いていました。
となれば、あとは簡単です。
派閥争いをしている現社長と専務。そして外部から森川製薬を乗っ取るために送り込まれた副社長。
変則的な三つ巴で権力争いをしている三者の均衡を崩さないような、バランスの取れた経営プランを提案することで、麗子は「新株主(=麗子の依頼人)は誰にも肩入れしないし、誰の邪魔もしない」と示しました。
「僕は、君のクライアントが犯人ってことでいいと思う」
副社長の平井はニヤリと笑って麗子のプランを認めましたが、他の二人が即決しなかったため犯人認定はひとまず保留となりました。
麗子の報酬は依頼人が得る利益の50%。遺言状に左右されない家族への遺留分や相続税を差し引いても、麗子の手元には150億円ほどの大金が転がり込んでくる計算です。
金庫盗難と殺人事件
麗子の完璧な計画は予期せぬ事件によって大きく狂わされます。
栄治の顧問弁護士だった村山が毒殺され、さらには村山が保管していた遺言状の原本(の入った金庫)まで盗まれてしまったのです。
このままだと遺言状の一切合切は無効になってしまいます。
(森川家関係者による犯行だろうか?)
麗子は思案しますが、それではつじつまが合いません。
遺言状が無効になって最も得をするのは栄治の父親で森川製薬現社長でもある森川金治です。
栄治には子どもがいないため、順当な手続きを踏めば遺産は親のものになります。
栄治の持ち株を手に入れられれば金治は権力争いにおいて有利になるわけで、なるほど遺言状を始末した犯人としての動機は十分です。
しかし、金治は麗子の師匠ともいえる津々井弁護士を雇い、遺言状の有効性を裁判で争おうとしていました。
その姿勢がフェイクだった(本命は遺言状の処分だった)とは麗子には思えません。
一方、金治と権力闘争中の専務や副社長はどうでしょう。
前述の通り、遺言状が無効になれば金治が有利になってしまいます。
彼らには遺言状を消す理由がありません。
次の項↓で紹介している他の関係者にしても同じです。
遺言状を盗むメリットが見当たりません。
はたして村山を殺し、遺言状を盗んだ犯人は誰なのでしょうか?
そして、麗子は無事に莫大な遺産を手に入れることができるのでしょうか?
<ネタバレにつづく>
登場人物
長女家族
真梨子 | 森川家長女 |
定之 | 真梨子の夫・森川製薬専務 |
拓未 | 真梨子の長男・森川製薬課長 |
雪乃 | 拓未の妻 |
紗英 | 拓未の妹 |
長男家族
金治 | 森川家長男・森川製薬社長 |
富治 | 金治の長男・文化人類学者 |
栄治 | 金治の次男・故人 |
次男とその他登場人物
銀治 | 森川家次男(独身)・人気の動画投稿者 |
平井真人 | 森川製薬副社長 |
原口朝陽 | 栄治の元カノの一人・看護師 |
堂上 | 栄治の家に出入りしている獣医 |
ネタバレ
遺言状の盗難によって犯人選考会がうやむやになりつつあるなか、麗子は栄治の死の真相を探り始めます。
というのも、栄治が本当に他殺だった可能性が急浮上してきたからです。
専属看護師として遺体を清めた朝陽によれば、栄治の身体には不審な注射痕がありました。
にもかかわらずきちんと解剖(検死)されなかったのは、ただの偶然でしょうか……?
遺体の第一発見者だった雪乃(※)に事情を尋ねると、彼女の口からは驚くべき《真相》が飛び出しました。
※栄治の従兄弟にあたる森川拓未の妻
「私が殺したんです」
もちろんこんな物語中盤で真犯人が自白する展開なんてありえません。
雪乃の話を整理すると次のようになります。
【1】栄治は自分に開発中の新薬を投与し、その副作用で死んだ。
【2】新薬は筋肉増強薬である。
【3】かつて雪乃は栄治の恋人だったが「筋肉のない男は嫌い」という名目(※)で振った。
※本当はうつ病により出世の見込みのなくなった栄治を見限った
まとめると、栄治は雪乃にフラれたせいで筋肉のなさをコンプレックスに思っており、そのために開発中の筋肉増強薬を注射してその副作用で亡くなった……という話です。
正直、「そんなことある?」と疑いたくなるような話です。
ただ、雪乃が乗り換えた拓未は筋肉質な男でしたし、朝陽も「たしかに栄治は筋肉のなさを気にしていたようだった」と証言しています。
この話が本当なら、結局、栄治の死の真相は事故死です。
犯人不在のケースに当てはまり、遺産は国庫に帰属することになります。
【補足】死因の隠ぺいについて
発売を控えた新薬の副作用が世に出回れば、森川製薬は大打撃を受けることになります。
新薬開発の中心である定之(専務)と拓未は立場を失い、社内の勢力争いから脱落することになるでしょう。
その事態を回避するため、雪乃の次に現場にあらわれた真梨子(※)は真相の隠ぺいに乗り出しました。
※真梨子は定之の妻で、拓未の母
真梨子は現場の注射器を処分し、製薬会社として癒着していた病院側に「インフルエンザによる病死」と診断書を書かせました。
容疑者
新たな発見により、栄治事故死説は覆されます。
注射痕は左太腿の付け根にありました。ところが、栄治は【家の中では】左利きであり、自分で注射したのだとすると右太腿に痕が残っていなければつじつまが合いません。
このことから、一気に他殺の疑いが濃くなりました。
栄治はいつも右手を使っていて、本来の左利きに戻るのは自宅にいるときだけでした。
親しい関係の人間なら知っていることですが、森川家の全員が知っていたわけではありません。
※たとえば雪乃、朝陽、富治は栄治が左利きだと知っていた(=容疑者から外れる)
利き手の矛盾は、雪乃が嘘をついていた事実を浮き彫りにしました。
雪乃は栄治の元カノであり、左利きのことも知っています。
第一発見者である雪乃は、遺体の右手に注射器が握られていた時点で他殺だと気づいたはずです。
それなのに麗子たちに「栄治は自分で注射したようだ」と言って真相を隠していたのは、いかにも怪しいですよね。
少し先回りしてネタバレしますが、雪乃は夫である拓未が栄治を殺したのではないかと疑っていました。
犯人を庇うような嘘をついたのは、夫を庇おうとしての行動だったというわけです。
拓未と栄治は森川製薬の後継者の立場を争うライバル関係にありました。
また、拓未は栄治が亡くなる直前のタイミングで、何度も家に訪れています。
二人の間になんらかのトラブルがあったと考えれば、拓未犯人説にも筋が通りそうです。
【補足】拓未のアリバイ
拓未犯人説にはひとつの壁があります。
ズバリ、拓未には栄治の死亡推定時刻のアリバイがあったのです。
栄治の死亡時刻は1月30日の深夜0時~2時の間。
一方、拓未は深夜0時まで人と会っていました。
0時時点から急いで栄治の家に向かっていたとしても移動に2時間はかかるため、犯行には無理があるというわけです。
解任
ひとまずここまでの流れを整理しておきましょう。
第一に、麗子の目的は栄治を殺した犯人を突き止めることではありません。
あくまで麗子の目的は依頼人を犯人に仕立て上げることであり、その報酬としての150億円です。
その目的さえ果たされるのなら、真犯人の正体なんてどうでもいいと麗子は思っています。
依頼人を犯人にするためには森川製薬幹部の三人に認められなければなりません。
そのための最大の障壁は元専務(※)である森川定之の説得だったのですが、もし拓未が栄治を殺した真犯人だったのなら話は簡単です。
※定之は病院に贈賄し、栄治の死の真相を偽装していたとして役職を解かれています
「拓未が犯人だって証拠がつかめたら、それを持って定之元専務のところに交渉にいけるでしょ。お宅の息子さんと私のクライアント、犯罪者にしたいのはどちらですかって」
それっぽく言ってますが、まあ、要するに脅しです。
犯人選考会の情報は秘匿され、警察にも情報は洩れません。そのため遺産を受け取る《犯人》は逮捕されないのですが、麗子は「拓未を警察に突き出してもいいのか?」と脅迫すればいいと言っています。
遺言状が盗まれた以上、その有効性を争う裁判では苦戦を強いられるかも知れませんが、まだまだ勝機はあると麗子は踏んでいました。
ところが……
※以下、小説より一部抜粋
…………
「麗子ちゃん」
篠田(依頼人)が悲しそうに眉尻を下げて言った。
「もう終わりにしよう」
「えっ? 終わりって?」
「この件を追うのはもうやめだ」
篠田はキッパリと言った。太い腹から出る太い声だった。
「終わりってどういうことよ。あと一歩なのよ。あとは定之元専務を説得して、津々井先生を倒せば、百五十億円ずつ手に入るんだよ?」
篠田は首を横にふった。
「僕はお金が欲しいんじゃない。栄治の身に起きたことが知りたいだけだ」
「なによそれ――」
言葉が続かなかった。心底驚いて、何度も瞬きしながら、篠田の顔を見つめた。
私には篠田の考えていることが分からなかった。
「目の前に百五十億があるっていうのに手を伸ばさないの? もう、ほんとあと一歩なのよ。篠田さんはもともとお金持ちだから、もうお金はいらないってこと?」
篠田は私に対して、あわれむような視線を落とした。
「君には、お金よりも大事なものがある人の気持ちがわからないんだろう。君は代理人で、僕がクライアントだ。クライアントの望むことを理解できない弁護士はクビだよ」
篠田はテーブルから伝票を取ると、席を立ってラウンジを出て行った。
呆気に取られながら、どんどん小さくなる篠田の丸い背中を見つめていた。
私がクビ――?
クビって、解任ってこと?
私はクライアントから解任された弁護士ってこと?
いつもは高速回転する私の脳みそが、その場でフリーズしてしまった。
再起
篠田から解任され、麗子は人生初の挫折を味わいます。
仕事一筋だった日常は崩れ去り、無気力に引きこもる日々が続きました。
なにより麗子を苦しめたのは、篠田から投げかけられた言葉です。
「君には、お金よりも大事なものがある人の気持ちがわからないんだろう」
この指摘は見事に麗子の弱点を撃ち抜いていました。
(そう、確かに私は理解できない)
麗子がひたすらお金を稼いでいたのは、他に大事だと思えるものがなかったからです。
麗子は冷静に「お金さえ稼いでいれば問題ない」と思う一方で、人として弁護士としての使命感に欠ける自分をやや情けなくも思っていました。
そうした理由もあって、篠田からの解任は百五十億を手に入れるチャンスを失ったという以上に麗子にはショックな出来事でした。
とはいえ、いつまでも沈みっぱなしの麗子ではありません。
再起のきっかけは、兄嫁がなにげなく口にした言葉でした。
「麗子さん、小学校の文集に『よわっちいお兄ちゃんを悪い人から守るために、べんごしになります』って書いたらしいじゃない。雅俊さん、恥ずかしかったらしいわよ」
それは麗子がすっかり忘れてしまっていた、弁護士を志した始まりの記憶でした。
(自分はいったいどうして弁護士をしてるのだっけ?)
どうしても思い出せなかった自分への問いかけに、麗子はようやく答えを得ました。
※以下、小説より一部抜粋
…………
――弁護士は悪い人から弱い人を守る仕事ではない。
(兄嫁と話した)携帯電話を見つめながら、私は自分の頭に浮かんだ言葉に引っかかりを覚えていた。
そうだ。法律の前では、悪い人も良い人も、強い人も弱い人も平等で、どんな悪どいしょうもないクズ野郎であっても、高貴な善人と同じだけの権利を持っている。
私はそこが好きだった。
私自身の金勘定にうるさい性格のせいで、そうではない、道徳的に正しい感じの人たちに対して、私はどこか引け目を感じていた。善良な人は私のことを見下しているのではないだろうかと不安であった。
しかし、法律は、そんな私も、善良で品行方正な人たちと同じ人間であって、同じだけの権利があるんだと教えてくれた。それが私にとっては救いだったのだ。
だから私も、どのような人間も等しく持っているその権利を実現する仕事がしたいと思ったのだ。
お金とは別のものを求めるクライアントに対して、私は勝手に引け目を感じて、手助けを拒否していたのだろう。それでは、悪人も人間であることを理解しない人と同根だ。
別にクライアントの気持ちに共感する必要はない。
彼らが求めるものをよく聞いて、それにプロとして応えれば良いだけだ。
私を必要とするクライアントがいる限り――。
真犯人
解任のショックから立ち直った麗子のもとに新たな依頼が舞い込みます。
依頼人の名前は森川銀治(※)
※栄治の叔父。森川家とは距離をとっている
銀治は開口一番、麗子に言いました。
「盗まれた金庫が見つかったんだ」
銀治は大学の研究室と協力して、遺言状入りの金庫が川底深くに沈められていることを突き止めていました。
場所が分かっているのですから、あとは引き上げるだけ……だったのですが、なぜかヤクザも川の中の金庫を探していて、銀治は目的のポイントに近づけずにいます。
なんとかヤクザの妨害をすり抜け、金庫を回収したいというのが銀治の依頼でした。
麗子の導き出した解決策はシンプルにして大胆、そしてとってもお金のかかるものでした。
ヘリコプターで川の上空まで移動し、直接ダイバーを潜行させたのです。
ヤクザたちは手も足も出ず、川べりで何か怒鳴っているようでしたが、上空の麗子たちの耳には全然届きませんでした。
さて、金庫の回収に成功した銀治ですが、その目的は栄治の遺言状(=遺産)ではありませんでした。
銀治が取り戻したかったのは、村山弁護士が遺言状と一緒に金庫に保管していた《とある書類》です。
具体的にはDNA鑑定による親子関係を証明する書類です。
親は森川銀次、子は……
銀治「平井真人。森川製薬の副社長さ」
銀治と平井は実の親子でした。
しかし、その事実を平井は知りません。
そのあたりの事情は話せば長くなる……のもアレなので短くまとめますね。
【1】銀治は若い頃に家政婦と恋に落ちた。
【2】しかし、恋人である家政婦は親によって追放されてしまった。
【3】その後、家政婦が一人で産んだ銀治との子どもこそ平井である。
家政婦と同じ平井という名字。そして面影のある顔立ち。
銀治は平井を一目見た瞬間に直感しました。
そうしてこっそりDNA鑑定をした結果こそ、金庫に収められていた書類というわけです。
書類には銀治と平井の他にもう一組、証明された親子関係が記されていました。
「栄治くんと亮くんの父子関係の検査だよ」
亮というのは栄治の家に出入りしている獣医の子どもです。
そして、栄治を殺した真犯人は亮の(血の繋がらない)父親であるその獣医です。
事件の真相
順を追って説明していきましょう。
すべての始まりは【すぐ女に手を出すやつ】こと栄治の不倫です。
相手は獣医の妻である堂上真佐美。
栄治は不倫関係をきっかけに、真佐美の夫である堂上(獣医)に犬の世話を頼むようになり、さらには屋敷の隣の土地を売って堂上夫妻を隣に住まわせました。
そうして、堂上夫妻の子どもとして亮が誕生します。
栄治は隣人の子である亮をひどく可愛がりました。
「もしかしたら自分の子どもかもしれない」という予感もあったのでしょう。
栄治は銀治にも「亮が僕の子供だったらいいのになあ」などと漏らしていて、それで銀治は平井との血縁を確かめるついでに栄治と亮の父子関係も鑑定に出していたというわけです。
前述の通り、結果は大当たり。
栄治がその事実を知ったのは、1月29日(亡くなる前日)の夕方でした。
亮という実子が現れた以上、遺言状の内容は変更するべきだと栄治は考えます。
翌30日に村山弁護士と打ち合わせる予定を入れつつ、栄治は堂上を呼び出し、亮に遺産を渡すつもりだと伝えました。
※栄治は病気で死の間際だったため、行動を急いでいた
ここからは堂上の視点に切り替えてみましょう。
そもそも堂上は亡くなった妻(※)の日記を見て、亮の出生の秘密を知っていました。
※真佐美は亮の出産後に死亡
それでも亮を自分の子どもとして育てていたところに、栄治からの呼び出しです。
遺言状が書き換えられれば、妻に浮気されていたことも亮が実子でないことも公表されてしまいます。
堂上は栄治への殺意を抱きました。
そして……
※以下、小説より一部抜粋
…………
日をまたいで一月三十日未明、屋敷に忍び込み、死体解剖をしても検出されにくい塩化カリウムを静脈注射して殺した。
堂上は以前、試作品を見せてもらったことがあったので、栄治の屋敷のどこにマッスルマスターゼット(筋肉増強の新薬)が保管されているのか知っていた。
保管場所から、マッスルマスターゼットの注射器を一つ持ち出して、栄治の手に握らせたという。
(中略)
栄治を殺すときは、いずれあと数日で死ぬ人間なのだから、その寿命を数日間だけ縮めてもバチは当たらないだろうという悪魔の声に負けてしまったという。
しかしいざ栄治を殺してしまった以上、妻の不倫が外部にバレたら、「殺しのモトがとれない」ような気がしてきたという。
村山から、亡き妻の元カノとしての相続分(※)を堂上が代わりに受け取るか問われたとき、村山を殺す決意をしたらしい。
※栄治は「元カノリスト」を作成し、かつての恋人たちに遺産の一部を分配するよう書き残していた。真佐美の名前もリストにあった。
堂上は、動物用の治療漢方薬として所持していた附子(ぶし)をタバコに塗り付けることで、村山を殺害したという。
村山と話した時に、元カノリストが金庫の中に入っていることを聞いていたから、金庫ごと盗んで近くの川に捨てたらしい。
結末
麗子の活躍により事件の全貌は暴かれました。
堂上は「妻の不倫を知っている人間」を全員始末しようとしていて、元カノリストのコピーを所持していた森川紗英(拓未の妹)をも殺そうとしていたのですが、これも麗子の大立ち回りによって未然に防がれます。
ただ、紗英を助けるために麗子はかなり無茶をしました。
警察にもめちゃくちゃ迷惑をかけてしまった結果、堂上の逮捕やら供述やらは留置所で伝え聞くハメになってしまいました。
※前項の引用文に「~らしい」「~という」といった語尾が多用されていたのはそのためです
栄治を殺した真犯人は堂上だったわけですが、森川製薬の幹部たちは「堂上を犯人とは認めない」という声明を発表しました。
憎むべき殺人犯である堂上にむざむざ莫大な遺産を与えてやることはない、という至極まっとうな理由に基づく決定です。
遺言状に記されていた制限期間の三か月はもうすぐそこに迫っています。
必然的に、栄治の遺産は国庫に納められることになるでしょう。
ただし、実子である亮には遺留分として遺産の半分を受け取る権利があります。
1000億円の遺産を巡る騒動は、こうして静かに(そして順当に)幕を閉じたのでした。
エピローグ
物語も残すところあとわずか。「もうすっかり謎は解けました」みたいな雰囲気を出していますが、実のところ本番はここからです。
だって、物語最大の謎がまだ残っています。
栄治はそもそもどうして「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」なんて奇妙な遺言状を書いたのでしょうか?
当然ながら、栄治は堂上に殺されるなんてこれっぽっちも予見していませんでした。
いいえ、そもそも犯人が堂上だろうと誰だろうと、自分を殺した人間に全財産をプレゼントするなんて意味不明すぎます。
栄治に正常な思考能力があったのならば、論理的に導き出される《真相》はひとつしかありません。
つまり、栄治には犯人に全財産を譲るつもりなんてハナからなかったのです。
言い換えれば、財産を国庫に納めることこそが栄治の真の目的でした。
ミステリ小説の探偵役らしく、ここは麗子にズバリ言ってもらいましょう。
「これは、ゲノムゼット社の株式を国庫に帰属させるための大掛かりな仕掛けね」
……ええ、わかっています。過程をすっ飛ばしているので「なんのこっちゃ」という感じですよね。ちゃんと説明します。
ポイントは拓未が開発に携わっている例の新薬(マッスルマスターゼット)です。
拓未は開発のために遺伝子技術に優れた【ゲノムゼット社】を買収したのですが、これは大きな失敗でした。
ゲノムゼット社(の株)はその優秀な技術を悪用しようとするヤクザから狙われていたのです。
拓未はゲノムゼット社の株式を持て余しました。
周辺にヤクザがうろついているという噂が立つだけでも迷惑ですし、嫌がらせの実害も出始めています。
とはいえ、簡単に株式を手放すわけにもいきません。
ゲノムゼット社と共同開発中の新薬は発売を控えた今が一番大事な時期ですし、ヤクザに悪用されるとわかったうえで株式を売るというのも後ろめたいわけで……。
それに出資者として株式の50%を保有している栄治まで巻き込んでしまっている状況も問題です。
拓未と栄治は解決策を話し合い、そうして考え出されたのが例の遺言状でした。
「財務局の管轄(国庫)に入ってしまえば、さすがの指定暴力団も手出しできないし、ゲノム編集技術が悪用されることもない。株式が国庫に帰属するまでの三ヶ月の期間を使って、あなた(拓未)は新薬マッスルマスターゼットの認可が滞りなく下りるよう、官庁との調整に奔走した」
繰り返しになりますが、栄治と拓未の目的はヤクザに狙われているゲノムゼット社の株式を安全に手放すことにありました。
遺言状に従って栄治の持ち株が国庫に帰属すれば、拓未も自然な流れでもう半分の株を国に渡すことができます。
ただ、この説明にはひとつ穴があります。
「最初から、国庫に帰属させる、と書いてしまえばいいじゃない」
たしかに拓未には新薬認可の調整のために三か月という時間が必要でした。
しかし、それだけなら別に「殺人犯に遺産を渡す」なんて奇天烈な遺言状にする必要はありません。
実は遺言状にはさらにもうひとつ、大事な役割が託されていました。
※以下、小説より一部抜粋
…………
「それは栄治の発案です。僕を守るためにね」
拓未が遠くを見つめるような目をした。
「僕と栄治はライバルだとか色々言って比較する人はいますけど、少なくとも僕たちはお互いのことが好きだったし、いい関係でした」
今回のことが露見し、拓未のキャリアに傷がつくことを栄治は心配したという。
※買収する前にちゃんとゲノムゼット社を調べなかったのは拓未の落ち度であるため
そして、病床の自分の命が短いことを利用して、ゲノムゼット社にまつわる拓未の失敗を、森川家や会社の人間から隠蔽しようとした。
――どうせ僕はもうすぐ死ぬ。ここはいっそ僕がピエロになろう。お前は僕の分まで出世してくれ。
栄治はそう言ったらしい。
すべては病床の栄治の奇行のせいであり、それに巻き込まれた拓未は致し方なく、ゲノムゼット社の自身の持ち分も国庫に渡すことになった。
そのような筋書きを通すことで、拓未のキャリアに傷をつけないようにしたのだ。
【補足】遺言状の真相のまとめ
遺言状には三つの役割がありました。
【1】ゲノムゼット社の株の処分
【2】新薬開発のための調整の時間稼ぎ
【3】拓未の失敗の隠ぺい
犯人選考会の役割は主に副社長である平井の足止めです。
(母親の復讐として)森川家の人間を森川製薬から追放しようと目を光らせている平井を犯人選考会にかかりきりにさせることで、拓未の失敗を隠そうという魂胆でした。
※遺言状には他にも「森川家の立会いのもと手渡しすること」と指定された数々の細かい遺贈が記されていました。それらも森川家の人間の目を拓未から逸らすための仕掛けでした。
ラストシーン
※以下、小説より一部抜粋
「あと一週間で、栄治と僕の計画は成就します。マッスルマスターゼットの発売に向けた根回しも完了し、再来年には販売開始する予定です。しかし、あとは麗子さんの判断にお任せします。僕たちの企みを平井副社長に告げてもいい。その時は、僕は正直に全てを話し、森川製薬の経営の舞台から降ります」
覚悟はしているらしく、拓未は口を真一文字に結んで、私を見つめた。
私はここにやってくる前から決めていたことがあった。
拓未が抵抗したり、言い訳したりするようであれば、経営者としての資質がないものとみなし、つかんだ情報を平井副社長に売り飛ばしてしまおう。
だがもし、正面から認めるのであれば――。
「このことは一つ、貸しにしておくわ」
私はそう言ったが、拓未はまだ表情をゆるめない。
「でもね、私も弁護士よ。もし平井副社長や金治社長が私を雇って、このことを調べろと命じられたら、それは従うしかない」
私はニッコリ笑って言った。
「だから、どうでしょ? 今のうちに私に唾をつけておくというのは?」
拓未は驚いたように瞬きをしたが、すぐに口元をゆるめた。
「あなたを顧問弁護士にしろ、ってことか?」
「別に、私はどっちでもいいのよ。ただ、先に顧問契約を結んでおけば、平井副社長や金治社長から依頼があっても、私は利益相反(コンフリクト)でその依頼を断らざるをえないでしょうね」
拓未は一気に破顔して、「ハハハ」と声を出して笑った。
「さすが、栄治が惚れた子だな。よし、乗ったよ。僕と顧問契約を結ぼう」
拓未が大きい手を差し出した。
「さっさと出世して、ゆくゆくは私を森川製薬の顧問弁護士にしてちょうだい」
私も手を出して、拓未と握手を交わした。春の光が、私たちの手の上に落ちて、きらりと輝いた。
栄治の手のひらも重ねられているように思われた。
<おわり>
感想
めちゃくちゃおもしろかった!
とても新人賞の作品とは思えません。本家『このミステリーがすごい!』1位の作品だと言われても全然納得するくらいの完成度でした。
- 魅力的なキャラクター
- 上質な謎
- 読み心地のいい文体
『元彼の遺言状』はおよそ現代のエンタメミステリ小説に求められるすべてのポイントを完璧に押さえています。
悪いことは言いません。未読の方は、この先6か月でこの1冊だけでいいので読んでください。それだけの価値があります。
「もう読んだよ」という方はわたしと一緒に小躍りして喜びましょう。
「この人の本が読みたい!」と思える作者さんに出会えることは本当に幸運なことです。いわんやそれが若い新人作家さんならなおさらです。やったー!
ミシュラン三ツ星の小説
『元彼の遺言状』は、まるで超一流レストランでいただくフルコースのようです。
美味であることはもちろん、細部にまで気が配られていて、皿ごとの流れや関係性も綿密に計算されています。
もちろんサービス面も万端です。店の内装から給仕の一挙手一投足までうっとりするくらいに完璧で、味覚のみならず五感すべてを楽しませてくれます。
余韻と一緒にデザートを味わう頃には「さすがは一流店」と期待していた以上の満足度に唸らされることになるでしょう。
半分くらいはノリで書いているので深くは考えないでください。
お伝えしたかったのはとにかくおもしろかったということ。そして、精密な計算によってぎゅうぎゅうに詰め込まれた伏線が絶妙なバランスで成立している、その料理の腕に脱帽したということです。
しつこくフルコースのたとえを続けると、小説の序盤は前菜、中盤は魚料理、クライマックスにしてメインディッシュの肉料理があり、〆のデザートという具合でしょうか。
どの皿にも「次はどうなるの?」というワクワク感があり、次の皿は決してその期待を裏切りません。フルコースではそうもいきませんが、小説なら一気読みコースまっしぐらです。
『元彼の遺言状』がフルコースだとするなら、わたしが特に印象深かったのはラストのデザートです。
クライマックス(肉料理)でもうお腹いっぱいになっているところに、とどめとばかりに明かされる真相の数々!
食事なら胃のキャパシティオーバーで動けなくなるくらいの追撃も、小説なら「あの伏線はこういうことだったのか!」と膝を叩きながら楽しめます。
ドロドロのお家騒動めいた雰囲気から一転、実は登場人物の多くが愛嬌のある善人で、それなりに幸せな結果をつかむという気持ちのいい終わり方も個人的には大好きでした。
※恋人と再会できて浮かれまくってる銀治とかよかったですよね。
小説『元彼の遺言状』を読みました❗️
2021年『このミステリーがすごい!』大賞を受賞🥇
読んでみてびっくりしたのですが、想像の10倍おもしろかったです!
莫大な遺産を犯人に与えるという変な遺言状の真意とは?#綾瀬はるか さん主演で春に月9ドラマ化
⬇️あらすじと感想✉️https://t.co/PMHyZlv4YK— わかたけ@小説読んで紹介 (@wakatake_panda) January 25, 2022
まとめ
今回は新川帆立『元彼の遺言状』のあらすじネタバレ解説(と感想)をお届けしました!
もう耳たこ(※)かと思いますが、文句なしにおもしろい小説でした。
※死語……?
弁護士という職業のお仕事ものとしても興味深く読めますし、ミステリとしても新しい切り口と鮮やかな謎解きが同居していて、もうホント【全部盛り】という感じです。
予告というわけでもありませんが、シリーズ二作目も読んでご紹介しようと思っています。
今作を読んで、一発で新川帆立先生のファンになりました。
【追記】続編も読みました!
ドラマ情報
キャスト
- 主演:綾瀬はるか
放送日
2022年4月スタート 毎週(月)21時~21時54分
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