知念実希人『仮面病棟』を読みました!
いわゆる『ラストには驚きの結末が!』系の正統派ミステリーで、真相を推理しながら読み進めていくのが楽しかったです。
今回はそんな伏線に気づいていく感覚を味わえるように、伏線をちりばめたあらすじネタバレを書きました!
ぜひ「こいつ、怪しいな……!」と疑いながら読んでみてください!
目次の長さからもお察しなんですが、今回の記事はべらぼうに長いです。
さくっと結末だけ知りたい人は目次の項目を押して後ろの方から読み始めてもいいと思います。
『謎解き』あたりからスタートするのがおすすめです。
Contents
あらすじ
速水秀悟は総合病院に勤める外科医。
先輩医師の小堺に紹介されて、ときおり近所の個人病院で夜の当直のバイトをしている。
バイト先の田所病院はいわゆる療養型病院で、入院患者のほとんどが寝たきりの老人だ。
だから、当直といっても特にやることはない。楽なバイトだといえる。
◆
その夜は、本来なら田所病院に行く予定はなかった。
ところが、小堺の患者の容体が急変したため、代わりに当直に行かなければならなくなった。
秀悟はため息をつきながら田所病院に足を踏み入れる。
「あれ? 今日は速水先生の日でしたっけ?」
「いや、小堺先生が来られなくなってね。ピンチヒッターなんだ」
「そうなんですか。お疲れ様です」
入れ替わりに出ていった仕事終わりのスタッフとあいさつを交わしてから、秀悟は当直室に向かった。
◆
「速水先生、すぐに来てください」
看護師に呼び出されて1階に行くと、そこにはグロテスクなピエロのマスクを被った男が立っていた。
「あんたが医者か? なら、こいつを治療しろ」
ピエロが自分の足元を指さす。
その先に視線を動かして……秀悟は息をのんだ。
若い女性が倒れている。
腹部からは血が流れだしている。
「なんでこんなに出血を……」
秀悟のつぶやきに、ピエロが答えた。
「俺がこいつで撃ったからだよ」
無骨な回転式拳銃の銃口を押しつけながら、ピエロは楽しそうに言った。
ネタバレ
何はともあれ、今は治療が最優先だ。
秀悟は女性を背負って手術室へと向かう。
初めて足を踏み入れた田所病院の手術室は、まるで大学病院の最新鋭の手術室のようだった。
古びた療養型病院の手術室にしては設備が整いすぎている。
(なぜだ?)
ちらりとよぎった違和感を追いやると、秀悟は女性の治療に取りかかった。
◆
当たり所がよかったおかげで、女性の傷は比較的軽傷だった。
女性ということもあり、秀悟は傷跡が残らないように丁寧に傷口を縫合した。
女性の名前は川崎愛美。
年齢は19歳。近くの女子大に通う学生だという。
「あのピエロは誰だかわかる?」
「知りません。コンビニに行こうとしていたら、急に襲われて……」
どうやら彼女はただ巻き込まれただけの被害者のようだ。
◆
説明を求めると、ピエロはスマホの画面をこちらに向けて掲げた。
液晶画面にはニュース番組が映し出されれている。
『……くり返します。先ほど午後8時30分ごろ、調布市のコンビニエンスストアに男が押し入り、拳銃のようなものを発砲して金を奪っていくという事件がありました。男は仮面をかぶっており、逃走の際に女性を連れ去ったという情報も入っています』
ピエロは画面を消すと、おどけるように肩をすくめた。
「ちょっとドジを踏んじまってな。とりあえずここでかくまってもらうぜ」
あと7時間
ピエロはコンビニ強盗で、愛美はその人質。
愛美を治療させたのは、逮捕されたときに罪が重くならないようにするため。
ひとまず状況はわかった。
「治療は終わった。もう病院から出ていってくれ」
「いいや、まだだ。今はまだ警察がうろうろしてるからな」
ピエロはまだ居座るつもりらしい。
朝の5時には業者が来て異変に気づくだろう、と伝えると、ピエロは少し考えてから言った。
「……5時か。よし、5時にはここを出ていってやる。ただし、警察に通報したり、1人でも逃げだしたりしたら、お前らも入院患者も全員ぶっ殺してやる!」
◆
田所病院には、かつて精神科病院だったころの名残がある。
- 窓には鉄格子がはめられている。
- 1階には階段を封鎖する鉄格子が設置されている。
ピエロは私たち病院スタッフを2階に追いやると、1階の鉄格子に鍵をかけた。
もう、階段で1階に降りることはできない。
エレベーターは動くが、当然、1階のエレベーターはピエロによって見張られている。
鉄格子が邪魔で、窓から出ることもできない。
つまり、脱出不可能。
朝の5時まで、誰もこの病院から出ることはできない。
◆
田所病院に監禁されたのは、以下の5人(入院患者のぞく)
- 速水秀悟……当直バイトの外科医
- 川崎愛美……ピエロに拉致された人質
- 田所三郎……田所病院の院長
- 東野良子……ベテランの看護師
- 佐々木香……小心者の看護師
現在時刻は夜の10時。
ピエロが立ち去るまで、あと7時間。
新宿11
監禁されているとはいえ、5階建ての田所病院のうち、2階以上のフロアなら自由に動き回ることができる。
ピエロは1階のエレベーターを見張っているので、会話や行動を知られることもない。
秀悟は「通報しましょう」と訴えたが、田所院長の強い反対により、大人しく朝まで待つことになった。
「入院患者の安全を守るためだ」というのが田所の主張だったが、どうもそれだけではないように思われてならない。
- 入院患者を秀悟に診させようとしない
- 通報させないため、固定電話の電話線を切る
- スマホを没収する
田所は異常なまでに警察への通報を嫌っている。
何かを隠しているのか?
病院内はいつのまにか圏外になっていた。
これも田所の仕業なのだろうか?
田所は2人の看護師を連れて3,4回の病室の見回りへ。
秀悟と愛美は2階の透析室に残されている。
◆
男のうめき声が聞こえた。
3階に上ると、声の主は入院患者の1人だった。
半身が麻痺しているうえ、失語症で言葉を話せないようだ。
ベッドの名札には『新宿11』と書かれてある。
「この『新宿11』っていうのは何なんですか?」
「名前だよ。身元不明の患者は、こういうふうに見つかった場所と番号で呼ばれることになるんだ。この人はこの病院で11人目の、新宿で見つかった身元不明患者っていう意味だ」
田所病院は積極的にこういう身元不明患者を受け入れている。
さらにいえば『新宿11』のように会話ができない患者や、そもそも意識不明の患者が非常に多い。
おそらく、文句の言わない患者に過剰医療を施し、医療費を稼ぐためだろうが……。
◆
『新宿11』は腹部から出血していた。
入院着をはだけさせると、左上腹部に大きな傷口があり、そこから血が流れだしていた。
「これは手術痕……? 縫合糸が……切られている……?」
メスで切られた手術の傷口。
おそらく手術は最近行われている。
「誰かが傷口を縫合している糸を切ったうえで……傷口を殴った?」
秀悟のセリフを聞いて、愛美は目を見開いた。
「誰がそんなことを!?」
ピエロは一階にいるし、そんなことをする動機もない。
わからないことだらけだった。
◆
看護師の東野と佐々木に『新宿11』のことを尋ねると、2人の口から声にならないうめき声がもれた。
この2人は何か知っている。
秀悟は確信した。
「説明してください。この人は何でこんなことになっているんですか?」
「……知りません」
何を聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りだった。
やがて現れた田所は「腸閉塞の手術をしたんですよ」と言ったが、納得できる説明ではなかった。
「速水先生、ありがとうございました。この患者さんに気づいてくださって感謝しています」
秀悟の反論を封じるようにいった田所の言葉は、暗に「これ以上関わるな」と言っているようだった。
……この病院はいったい何を隠している?
謎
田所たちの目を盗んで『新宿11』のカルテを調べた。
……やはり、妙だ。
- そもそも全身麻酔を使うような大きな手術を療養型病院で行うことが不自然。
- 症状が出てから手術開始までの時間が短すぎる。
- 手術の執刀医は田所で、補助は東野と佐々木だった。
まるで最初から予定されていたかのような手術。
しかも、関わったのは今夜この病院に閉じ込められているメンバー。
……これは偶然か?
◆
「秀悟さん、カルテにこんなものが……」
愛美から手渡されたのは1枚のメモだった。
3階 神崎浩一 山本真之介 新宿11 明石洋子
4階 池袋8 川崎13 南康生
調べろ
リストのなかには『新宿11』も含まれている。
「調べろ」というのは、こちらに向けたメッセージなのか?
だとしたら誰からのメッセージだ?
……あのピエロか?
今、この病院で起こっているのは単なる籠城事件じゃない。
そんな確信が胸に湧きあがりつつあった。
◆
メモに従い、リストの患者のカルテを調べる。
結果から言えば、メモの患者にはある共通点があった。
- この病院で大きな手術を受けていること。
- そのすべてが緊急手術だったこと。
- すべての手術に田所・東野・佐々木が関わっていること。
くり返すが、そもそもこの病院で大きな手術を行うこと自体が不自然すぎる。
本来なら大きな病院に搬送し、そこで手術を受けさせるのが筋だ。
それに、すべての手術が同じメンバーによって行われているのも気になる。
この病院には田所しか医師はいない。
だから、すべての手術の執刀医は田所になる。それはいい。
問題は看護師の方だ。
田所病院には20人以上の看護師が在籍している。
それなのに毎回、東野と佐々木が夜勤の時に限って緊急手術が行われている。
「これって偶然……じゃないですよね? どういうことなんですか?」
「わからない。ただ、確かなのは、田所たちは何かを隠しているってことだ。そして、誰かがそのことを俺たちに伝えようとしている」
◆
「……私たち、無事に解放されるんでしょうか?」
心細そうな愛美の声。
「大丈夫だよ」
気休めにしかならないとわかっていても、そう言うしかなかった。
「……秀悟さん、優しいんですね」
「え?」
「こんな状況なのに、私のこと安心させようとしてくれていることです。それだけじゃなくて、ずっと私のことを守ってくれている。まだすごく怖いけど、秀悟さんがいるおかげで、私、耐えられているんです」
愛美は少し頬を赤らめながらはにかむ。
いまさらながら、秀悟は愛美がずば抜けた美少女であることに気がついた。
少しメイクが濃いが、それとは関係なく顔立ちが整っていることがわかる。
魅了されたようにまじまじと顔を見つめていると、愛美と視線がぶつかった。
「秀悟……さん」
ささやくように言って、愛美はまぶたを下した。
その唇に引き寄せられるように、いつのまにか秀悟は愛美にキスしていた。
「ご、ごめん!」
「いえ……あの、気にしないでください。私もぼーっとしちゃって……」
桜色のチークを塗った愛美の頬が、赤みを増していた。
ピエロの目的
5階にある院長室が荒らされていた。
ピエロに問うと「金になるものを探していた」という。
「……いくら払えば出ていってくれる?」
「そうだな……1千万だ」
「……わかった。ついてきてくれ」
田所はピエロを院長室へ連れて行くと、床下の隠し金庫から現金3千万円が詰まったバッグを取り出した。
「これを持って行っていい。だから出ていってくれ!」
「……これは何の金なんだ?」
ピエロの口調からは、大金が手に入った喜びはみじんも感じられなかった。
「それは……私の個人的な金で……」
「いいから正直に答えろ! これは何の金なんだ? 金庫に入っていたのは金だけじゃなかったはずだ。金庫に入っていたものをどこに隠した!?」
激昂したピエロが銃の引き金に指をかける。
「やめて!」という愛美の制止がなければ、あのまま田所は撃たれていただろう。
秀悟は田所を救った愛美の勇気に感心した。
◆
ピエロが院長室を荒らしたのは、金ではない《何か》を探していたからだ。
ピエロの目的はその《何か》を手に入れること。
やはり、ピエロは偶然この病院に来たわけではなかった。
田所たちが隠している《秘密》が、あのピエロを呼び寄せたのだ。
佐々木の耳打ち
2階。透析室。
田所と東野が熱心に何かを話し合っている。
距離が離れているので、会話の内容は聞こえない。
そんな2人からじりじりと離れて、看護師の佐々木がこちらに近づいてきた。
その目はじっと愛美のことを凝視している。
「あの、私がなにか?」
佐々木は愛美にだけ聞こえるように、耳元でなにかをささやいた。
「え? あの……なんのことでしょう?」
愛美がいぶかしげに眉をひそめると、佐々木は「いえ、なんでもないんです」と頭を下げて離れていった。
そして、そのまま1人で階段を上って行った。
◆
「佐々木さん、なんだって?」
秀悟が尋ねると、愛美も同じように首をひねった。
「いえ、よくわかりません。なにか『もう1人いる』とか、『院長に気をつけて』とか言ってきて」
なにかの警告だろうか?
『もう1人いる』
……もし、ピエロの男が2人いるとしたら?
ピエロ男の素顔はわからない。
どこかのタイミングで2人のピエロが入れ替わっていたとしても、すぐにはわからないかもしれない。
だとしたら……。
秀悟が頭を悩ませていると、愛美が何も言わずに立ち上がった。
「どこに行くの? 危険だ。俺もついていこう」
「いえ、あの……お手洗いに……」
「ああ、あの……ごゆっくり」
「知りません!」
頬を膨らませて、愛美が扉に歩いていく。
あの先には当直室とトイレしかない。
危険はないだろう。
ブランク
愛美がピエロに連れていかれた。
『朝までの時間、俺の相手をしてもらう』
その言葉を聞いた瞬間、秀悟は我を忘れてピエロに殴りかかり……返り討ちにされた。
愛美が「言うことを聞きますから、その人を殺さないで!」と懇願しなければ、きっと逆上したピエロに撃たれていただろう。
それから、ピエロに顔面を蹴られて、気絶して……。
そうだ!
愛美は1階に連れ去られてしまったんだ!
早く愛美を助けに行かなければ!
◆
秀悟は鉄格子で封鎖された1階の階段まで駆け降りると、大声でピエロを呼び出した。
「なんなんだよ、うるせえなあ。いいところだったのに集中できねえだろ」
「……彼女をここに連れてこい」
「は? てめえ、撃たれたいのか?」
もちろんピエロが大人しく言うことを聞くわけがない。
秀悟は田所から取り返したスマホを掲げて見せた。
「俺がボタンを押せば、警察にメールが送られる。撃たれたとしても、メール送信ぐらいならできるはずだ」
「……お前、正気かよ?」
「正気かどうかなんてどうでもいいんだよ。彼女を解放するか、それとも通報されるか、好きな方を選べ!」
ハッタリだった。
スマホはまだ圏外で、電話はもちろんメールを送ることもできない。
もし、ピエロが意図的に病院の電波を遮断しているのだとしたら、こんなハッタリは通じない。
賭けだったが、どうやらピエロは圏外と無関係なようだった。
◆
憎々しげに秀悟をにらんでいたピエロが、ふと、皮肉っぽく唇をゆがめた。
「……お前、惚れたのか?」
「なんの話だ?」
「お前、惚れたんだろ。じゃなきゃ、なんで今日会ったばかりの女のために、そんなに必死になってんだよ。いいか、お前は異常な状況であの女に会った。だから運命みたいなものを感じて、あの女に夢中になっているだけだ」
ピエロは唇の片端を持ち上げる。
「だから、大人しく上で待ってな。あの女がどんな目に遭おうが、お前には何の責任もないんだからよ」
「……言いたいことはそれだけか?」
秀悟の口から感情を含まない、乾燥した声が漏れる。
「なら、1分以内に彼女をここに連れてこい。さもないと俺はメールを送信する。脅しじゃないぞ」
「この馬鹿野郎が!」
悪態をつくと、ピエロは身をひるがえし、消えていった。
そして、1分後。
「秀悟さん!」
「愛美!」
愛美は無事に帰ってきた。
「これで通報しないんだな。……さっさと行けよ」
ピエロは低い口調で言った。
「さっさと行って、朝まで大人しくしていろ。朝までには終わるからよ。……全部な」
ピエロの最後の言葉が、なぜか無性に不吉に感じられた。
◆
ふと、思い出す。
スマホを取り返す際、田所は「通報するつもりだろう!?」となかなか渡そうとしなかった。
ピエロだけじゃなく、田所も、圏外のことを知らなかった。
……じゃあ、誰がここを圏外にしているんだ?
最初の犠牲者
3階のナースステーションで佐々木の死体が発見された。
第一発見者は病室を見回るため上階に上った東野。
佐々木の胸には深々とナイフが突き立てられていた。
- ナイフは正面から刺されていた
- 遺体に争った形跡はなかった
これらの状況から、犯人は佐々木に警戒心を抱かせない人物だったと考えられる。
つまり、ピエロではない。
遺体の状態から、刺されたのは発見からおよそ10分ほど前だと考えられる。
そのとき、秀悟は1階でピエロにハッタリを仕掛けていた。
このことからも、ピエロが佐々木を刺した犯人ではないとわかる。
◆
犯人はおそらく田所だろう、と秀悟は思った。
佐々木は見るからに気が弱く、強く問い詰めれば《秘密》を口にしそうだった。
だから口封じのために始末したのだろう。
◆
秀悟は4階の病室の空きベッドからシーツを持ってきて、ひとまず佐々木の遺体にかけておいた。
失敗と発見
秀悟は状況を打開するため、ある計画を立てた。
それは、唯一外部とつながっている手術室の電話から通報すること。
手順は次の通り。
- 3階で大音量でテレビを流し、ピエロを引きつける。
- その隙に階段で1階に下り、愛美がピエロからこっそりとってきた鍵で鉄格子の南京錠を解錠する。
- 手術室へ行き、通報する。
……というのが計画の半分。
秀悟の真の狙いは愛美を裏口から逃がすことに他ならなかった。
「でも、私が逃げたら秀悟さんたちが……」
「いいから行くんだ!」
そう言って、秀悟は泣きそうな顔の愛美を送り出した。
◆
計画は何もかも失敗に終わった。
手術室の電話線は切られていたし、裏口も封鎖されていた。
しかも、愛美が戻ってきたところで、上階からピエロが下りてきてしまった。
明らかに秀悟たちを探している様子だ。
背後の手術室に隠れられるスペースはない。
絶体絶命のピンチ。
どうにかモノが乱雑に置かれている廊下に隠れられる場所はないかと探しているなかで……愛美が《それ》に気づいた。
「秀悟さん、そこの壁、ちょっと変じゃないですか?」
手を伸ばして力を入れてみると、はたして壁は横にスライドした。
壁の奥から現れたのは……
「エレベーター?」
1階、手術室前の廊下には隠しエレベーターがあった。
ピエロから身を隠すため、秀悟と愛美は行き先不明のエレベーターに乗り込んだ。
田所病院の秘密
エレベーターは5階に直通していた。
目の前の引き戸を開けると、そこはホテルの一室のような部屋。
中心に設置されている患者用のベッドがやけに不釣り合いに見える。
ベッドの上には、小学生くらいの少年が横たわっていた。
左上腹部に大きな手術痕がある。
おそらく、手術はごく最近行われたものだろう。
膨れ上がった腕の血管は、透析を行うためのものだ。
きっとこの子は腎不全で……。
そこまで考えて、秀悟はハッと息をのんだ。
- 腎不全の少年
- 左上腹部の手術痕
- 最新の手術室
- 二台並んだ手術台
- 金庫の大金
- 身寄りのない患者たち
「……移植」
秀悟は呆然とつぶやいた。
「この子は……腎臓を移植されたんだ。さっき3階で倒れていた《新宿11》の腎臓を」
胃の奥から吐き気がこみあげてきた。
◆
腎臓のドナーは少ない。
腎移植の手術を望んでも、長い長い順番待ちをしなければならないのが現状だ。
順番が回ってくるまでは、長く苦しい透析をずっと続けなければならない。
たとえどんなに大金を積んだとしても、順番が早く回ってくることはない。
……通常ならば。
◆
田所病院は違法な手術が行われている。
金持ちの客に、身寄りのない入院患者の腎臓をこっそり移植している。
60人以上の入院患者は、いわば腎臓のストックだったのだ。
これだけの数があれば、希望者に適した腎臓も見つかりやすいというわけだ。
「この病院はある意味、移植臓器の見本市なんだ……」
隠しエレベーターも院長室の3千万円も、すべてはここにつながっていた。
……では、ピエロは?
ピエロは田所病院の《秘密》とどう関係している?
腎臓は1人に2つあり、片方だけでも役割を果たすことができます。
だから、腎臓を抜かれた入院患者がただちに命を落とすようなことはありません。
そして、そもそも入院患者のほとんどは意識不明の状態です。
もし後で意識を取り戻したとしても、「別の手術をした」といえば納得させられます。
というわけで、田所病院の秘密はこれまで明るみに出てこなかったわけですね。
裏切り
田所たちと合流すると、秀悟はすぐに《秘密》のことを糾弾した。
「あんたたちはこの数年間で、何人もの入院患者から腎臓を抜き取り、大金を受け取って他人に移植していたんだ。そして、それを隠すために警察への通報を妨害したんだ!」
ここまではっきり指摘されては、もはや言い逃れはできない。
田所は開き直って秀悟に言った。
「いったいなにがいけないっていうんだ! ああ、君の言うとおりだ。私は入院患者の腎臓を腎不全の患者に移植した。それがどうしたっていうんだ! 私はただ人助けをしただけだ!」
生ける屍のような患者の腎臓を使って、未来ある患者を治療した。
田所が罪の意識から逃れるためにでっちあげた言い訳は聞くに堪えなかった。
「ふざけるな! 深昏睡状態からだって意識が戻ることもあるだろ!」
そう叫んだ瞬間、田所と東野の表情に動揺が走ったのを、秀悟は見逃さなかった。
「……いたんだな? 臓器を摘出した患者の中に、意識を取り戻した患者が。その患者は……どうなったんだ?」
田所は慌てふためいて弁解した。
「違う! 君が考えるようなことはしていない。その患者は事故前の記憶を完全に失っていたんで、手術痕はもともとあったものだと納得してもらった。いまはしっかりリハビリもやらせていて、そのうち社会復帰させるつもりだ」
「……どんなに取り繕おうが、あんたは患者の体を勝手に切り刻んで金儲けをした。その事実は変わりないだろ」
◆
病院から出たら通報すると宣言した秀悟に、田所は媚びるように提案した。
「なあ、もし黙っていてくれたら、君にも分け前を渡そう。かなりの大金だよ。もちろん、そちらの女性にもお礼を払わせてもらう」
「いくらですか?」
予想だにしなかった秀悟の言葉に、愛美は耳を疑った。
「秀悟さん!?」
「これだけの目にあってなんのリターンもないなんてありえない。こうするのが一番いい方法だよ」
「患者さんはどうなるんですか!? さっき、意識が戻った患者さんもいるって……」
「大丈夫、片方腎臓が残っていたら日常生活は問題なく送れるよ」
秀悟は淡々という。
愛美は大きく手を振りかぶると、秀悟の頬を平手打ちした。
「……満足かい?」
感情のない声でいう秀悟から、愛美は視線を外した。
その顔は痛みに耐えるかのように歪んでいた。
◆
「あのピエロ、いなくなりますかね?」
秀悟はぼそりとつぶやく。
ピエロの目的が田所病院の《秘密》にあるとしたら、『ピエロは朝5時に出ていく』という前提が崩れる。
ピエロは目的を果たすまで病院に居座り続ける可能性が高い。
「院長先生、もう『共犯』になったんだから教えてください。あのピエロの正体に心当たりはないんですか?」
田所はぶるぶると首を横に振る。
ピエロの正体に思い当たる節はないらしい。
しかし、ピエロはどんな形にせよ病院の関係者に違いない。
奴はいったい誰なんだ?
そこまで考えたとき、秀悟の背後からぽーんというどこか陽気な電子音が響いた。
反射的に振り返った秀悟の喉から、くぐもったうめき声が漏れる。
「こんなところにいやがったか」
エレベーターから降りてきたピエロは、笑みを浮かべるその仮面には似合わない剣呑な声でいった。
秀悟たちがいたのは5階の秘密部屋。
ピエロの指示で一行は2階の透析室へと降りる。
包囲
2階へ降りると、ピエロはきょろきょろと辺りを見回して言った。
「おい、そういえばもう1人の女はどうした。あの影の薄そうな看護師、どっかに隠れていやがるのかよ。ふざけやがって」
イライラした声。ピエロは佐々木のことを知らない……?
「なにしらを切っているのよ! あなたが殺したんじゃないの!」
泣き叫ぶ東野の声に、ピエロは明らかな動揺を見せる。
「殺した……? 俺は誰も……え? ほ、本当に人が死んでんのかよ? 嘘だろ?」
ピエロの混乱ぶりは、とても演技とは思えない。
やはり、佐々木を刺した犯人はピエロではないらしい。
では、いったい誰が……?
◆
『あの音』が聞こえた。
窓のカーテンをずらしたピエロの横顔が、赤い光に照らされる。
「……これはどういうことだよ?」
病院の駐車場に、サイレンを鳴らしたパトカーが何台も走りこんできていた。
「誰が通報したんだ?」
低い声でピエロがすごんだ。
◆
誰が、どうやって通報したのか?
それは秀悟にとっても大きな疑問だった。
通報者は秀悟ではないし、一緒にいた愛美でもない。
《秘密》を守る立場である田所と東野が通報するとも思えない。
そもそも、病院内は圏外だし、固定電話もコードが切られていて使えない。
通報した人間も、通報した方法も、まったくわからなかった。
◆
『通報手段』については、すぐに答えが出た。
いつのまにか電波が復活している。
田所の携帯電話に警察からの着信が入ったことで、秀悟はそのことに気がついた。
ピエロの指示で、秀悟が警察からの電話に出る。
警察に伝えるよう指示されたのは『昼前に要求を伝える』という一言だけだった。
※現在時刻は朝の6時。
罠
これまでの出来事を振り返り、秀悟は1つの仮説を立てた。
そして、その仮説を信じて行動を開始した。
秀悟がとった行動は『勝手に警察に食事を要求し、それを田所に取りに行かせること』
部屋を出る田所に、秀悟はちらりと目配せをした。
田所はハッとした顔で、何かを察したようだった。
◆
田所は1階の裏口に食事を取りにはいかず、隠しエレベーターに乗ってまっすぐに5階の備品倉庫に向かった。
乱雑に積まれてある段ボールの中から、1冊のバインダーを取り出す。
そのバインダーこそは『秘密の手術を受けた患者のリスト』
田所が客の弱みとして握っていた武器であり、同時に田所の罪を証明する致命的な弱点でもある。
ピエロが院長室を荒らすより前に、田所はバインダーを金庫から備品倉庫へと移していた。
さきほどの秀悟の目配せ。
あれは『警察が突入してくる前にリストを処分しろ』という意味に違いない。
これさえシュレッダーにかけてしまえば、臓器移植の証拠は消えてなくなる……!
急いでシュレッダーのある部屋へ向かおうとした田所の足が、その瞬間、ピタリと止まった。
「よう院長先生、飯は持ってきたかい?」
5階の廊下には、ピエロの男が立っていた。
手にした拳銃の銃口が田所に向けられている。
「な、なんで……」
ピエロは親指で自分の背後を指さした。
そこには秀悟と愛美の姿が見える。
「あの若先生のおかげだよ」
「速水先生……? これはいったい……」
「だまされたんだよ」
秀悟の代わりにピエロが声を発した。
「だま……された?」
「ああ、そうだ。あんたはそこの若先生に騙されたんだ」
◆
謎を解くカギは、正体不明の通報者だった。
田所には通報する動機がない。
東野はスマホを没収されていて、通報する手段がない。
秀悟も愛美も通報には失敗している。
ならば、答えは1つしかない。
「彼ですよ。彼が通報して警察を呼んだんです」
秀悟はゆっくりと指さす。マスクから露出した唇を挑発的に歪めるピエロを。
「あ、あの男が……? なんで? 警察が来たらあいつが逮捕されるんだぞ」
パニック寸前の田所をじっと見つめながら、秀悟は探偵のように謎解きを始めた。
謎解き
「最初からその男の行動はおかしかったんですよ」
- 病院スタッフを監視下に置かず、自由に歩き回らせたこと
- 田所から3千万円渡されても喜ばなかったこと
「つまり、その男の目的は金じゃなかった」
「金目的じゃないなら、なんでコンビニ強盗なんてしたんだ!」
怒鳴り散らす田所に、ゆっくりと突きつける。
「この病院の《秘密》を日本中に知らせるためですよ」
「に、にほんじゅう……?!」
「そう、最初からその男は『病院の秘密』を暴くために行動していたんですよ」
ピエロはまさに今、田所が手にしている『患者リスト』を探していた。
スタッフを拘束せず、病院内を歩き回らせたのは、田所を泳がせて『患者リスト』の在りかを特定するため。
同時に、ピエロは『新宿11』の傷口を殴って開いたり、カルテにメモを挟んだりして、秀悟にも病院の秘密を探らせるように仕向けた。
しかし、朝の5時近くになっても『患者リスト』は見つからなかった。
だから、ピエロは自分で通報し、警察に病院を包囲させた。
警察に田所病院の《秘密》を暴かせるために。
「しかし、警察が来ればそいつは逮捕されるんだぞ!?」
田所はうすら笑いを浮かべるピエロを指さす。
「彼は逃げるつもりなんてないんですよ。最初から逮捕されるつもりでここに立てこもったんです」
秀悟の言葉を聞いて、田所の顔が驚愕に歪んだ。
「その男がわざわざコンビニで発砲したのも、愛美さんを途中で拉致したのも、すべては日本中の注目を集めるためです。実際、ほとんどのテレビ局が、いまこの病院を中継しています。昼になり、多くの人たちがテレビを見る時間帯になったら投降して、すべてを発表するつもりだったんです。僕はそういうことだと考えました」
秀悟はずっと黙ったまま、楽しげに解説を聞いていたピエロを見る。
ピエロは芝居じみた仕草で大きく腕を広げた。
「ご名答だよ、若先生。あんたには心から感謝しているよ。おかげで必死に探していたものを見つけられたんだからな」
◆
秀悟は田所に気づかれないよう、ピエロに『計画』を伝えていた。
田所を部屋から出したのは、泳がせて『患者リスト』を処分しようとするところを捕まえるため。
もちろん田所の『共犯』になったのも、信用させるための演技だった。
「なんで……君は言ったじゃないか、共犯者になってくれるって。金さえもらえれば黙っていてくれるって……。それになのになんでこんな馬鹿なことを……」
秀悟は田所に冷たい視線を向けた。
「馬鹿なこと? 本当に馬鹿なことをしていたのは誰だ? あんたは自分の患者から臓器を摘出したんだぞ! あんたは守るべき人たちから臓器を盗み取ったんだ! あんたは医者じゃない、たんなる犯罪者だ!」
秀悟の怒声が容赦なく田所に打ちつけられる。
田所は顎を打ち抜かれたボクサーのように崩れ落ち、その場に膝をついた。
「さて、もういいだろ。そろそろそのバインダーを渡しな」
ピエロがゆっくりと田所に近づいていく。
◆
「秀悟さん」
隣に立っていた愛美が小声で言う。
「ごめんなさい。私、本当に院長先生の共犯になったと思っちゃって……」
「気にしなくていいって。全然説明できなかったから、そう思って当然だよ」
しゅんとしている愛美の頭を、秀悟は撫でた。
長い黒髪の柔らかい感触が手のひらに伝わってくる。
「……もう、これで終わったんですか? もう安全なんですよね?」
「ああ、たぶん……」
そう言いながらも、秀悟はなにか得体のしれない不安を感じていた。
ピエロの正体
「と、取引をしよう!」
唐突に田所が甲高い声を上げた。
「金ならいくらでも払う! だから見逃してくれ!」
田所のみじめな発言は、ピエロの逆鱗をそのまま逆なでした。
「金? 俺が金が欲しくてこんなことをしたと思っているのか!」
怒りの感情そのままに、引き金に置かれたピエロの人差し指に力がこめられていく。
愛美が「やめて!」と言って目を覆った。
このままでは、田所が撃たれてしまう!
「復讐だ!」
秀悟は腹の底から声を出した。
「……なんだって?」
ピエロの視線がこちらに向く。
「あんたは復讐のためにこんなことをした。あんたにとって大切な誰かが、この『秘密の手術』の犠牲になったんだ。そうだろ?」
「……そうだ」
ピエロは陰鬱な口調で話し始める。
「こいつらは俺の大切な人を切り刻んだ。意識がないことをいいことに、彼女の腹を切って、内臓を取り出したんだ」
「その人はあんたの……」
「恋人だ」
「大切な人だったんだな」
秀悟の言葉にピエロがゆっくりとうなずいた。
「大切な人だ。彼女のためなら何でもできる。命を捨てたってかまわない」
「だったらバインダーを持って投降しろ。そうして、警察とマスコミに向かってこの病院の秘密を日本中に伝えてこい。それがお前の目的なんだろ」
感情のまま撃つべきか、冷静に目的を果たすべきか。
苦しげに悩むピエロの耳に、か細い声が聞こえた。
「お願い……もうやめて」
祈るような愛美のつぶやき。
ピエロの手からふっと力が抜けたのがわかった。
あるいは、愛美に亡き恋人の姿を重ねたのだろうか……。
「そのバインダーを渡せ。早くしろ」
恋人の復讐のため、日本中を巻き込んだ事件を起こしたピエロの男。
短絡的で直情的なタイプであるように思われた彼は、しかし最後に懸命な判断をくだした。
乱心
それは一瞬の出来事だった。
田所はピエロの右腕に隠し持っていたメスを深々と突き立てると、そのまま腕を切り裂いた。
「うあああー!!」と叫び声をあげてピエロが拳銃を手からこぼす。
田所は拳銃を拾うと、まるで壊れたロボットのように淡々とその銃口をピエロの頭に押しつけた。
そのまま何のためらいもなく引き金に指をかける。
「院長先生、落ち着いてください! あなたのやっていたことはもう、ここにいる全員が知っているんです! 彼を撃ってもどうせ全部バレるんです」
「それなら、ここにいる全員を殺せばいいだけじゃないか」
「全員……?」
秀悟は耳を疑った。
「そうだよ。この男の次は速水先生とそこの女性を。あと東野君も。それで『秘密』を知る者はこの場にいなくなる」
東野も佐々木も、個人的な事情で金が必要で、そのために田所に協力していた。
田所はそんな協力者の口さえも封じるのだと、本当に何でもない事のように言った。
幕切れ
秀悟が決意を固めるまで、それほど時間はかからなかった。
愛美さえ守れるのなら、それでいい。
一か八か、田所に体当たりをして拳銃を奪う……計画とも呼べない捨て身のプラン。
きっと田所に撃たれる。
当たり所によっては1発で死んでしまうかもしれない。
でも、愛美が逃げるための隙をつくれるのなら、それで十分だ。
「俺が合図をしたら、階段に向かって体をかがめて全力で走るんだ。絶対に振り向かないで。警察の助けを呼んできてくれ」
「……秀悟さんは?」
「俺は大丈夫だ。だから何も考えずに逃げてくれ」
「……すぐにまた会えるんですよね?」
「ああ」
秀悟はうなずくと、愛美は嗚咽をこらえるように、ピンク色の唇を震わせながらうなずいた。
……そう。それでいい。
秀悟はひっそりと穏やかにほほ笑んだ。
◆
視線を愛美から田所に移すと、ピエロの男のマスクを剥いでいるところだった。
短く切りそろえられた髪があらわになる。
ピエロの背中側に立つ秀悟からは、その素顔を見ることはできなかった。
「な!? ……お、お前!?」
ピエロの素顔を見た田所と東野の目が驚愕で見開かれる。
……いまだ!
「愛美、走れ!」
合図を口にすると、秀悟は田所に向かって一直線に突っ込んでいった。
◆
ピエロに気を取られていた田所は、あっけなく体当たりではじけ飛んだ。
その手から拳銃をこぼれ、秀悟もろとも床に倒れ伏す。
あとはあの拳銃さえ拾い上げてしまえば……!
床を這い、拳銃に手を伸ばす。
あと少しで拳銃に手が届くという、その時だった。
秀悟の全身が激しく痙攣した。
何が起こったのかわからなまま、指の一本さえ動かせなくなる。
いったい何が……?
じっと床を見つめることしかできない秀悟の耳に、発砲音が聞こえた。
1発、2発、3発。
3度目の銃声から少しだけ間をおいて、今度は外を取り囲んでいた警察が突入してくる音が聞こえた。
意識が遠のいていく……。
◆
次に目を覚ました時、秀悟は救急車に乗せられていた。
意識が覚醒すると同時に、脳裏に愛美のかわいらしい笑顔が浮かぶ。
「愛美は!? 彼女は無事なんですか!?」
「それは誰のことですか?」
「俺と一緒に2階で人質になっていた女性です。警官隊が突入する前に、病院から逃げ出しているはずなんです!」
救急隊員は一瞬、お互い顔を見合わせると、どこかためらいがちに口を開く。
「いえ、突入の前に、病院から逃げ出した人質はいませんでした」
「そ、そんな……。そ、それじゃあ、2階にいたはずです。俺以外に2階から助け出された人質はどこにいるんですか?」
秀悟は救急隊員に向かって、助けを求めるように手を伸ばしながら叫ぶ。
隊員は露骨に視線を外すと、陰鬱な表情を浮かべた。
「……残念ですけど、あなた以外に助け出された人はいません。2階にいたあなた以外の人は全員……死んでいました」
事件の全貌
事件から2日後。
秀悟は事情聴取のために警察へ行き、中年の刑事からもろもろの説明を受けた。
◆
警察が突入してきた時、現場には4人の人間が倒れていたのだという。
気絶していた秀悟。
そして、銃弾により絶命していた田所・東野・ピエロの遺体。
田所や東野と違って、ピエロの銃創はこめかみに銃を押しつけた状態で銃弾が発射されたことを物語っていた。
ここから、警察はあの時起こった出来事について、次のような結論を出した。
- まず、ピエロが秀悟をスタンガンで麻痺させた
- ピエロはそのまま銃を拾い上げ、
- 田所と東野を撃ち抜き、
- 最後に自分で自分の頭を撃ち抜いて自決した。
◆
ピエロの男の本名は『宮田勝仁』
名前を聞いてもピンとこなかったが、説明されて秀悟は驚愕した。
宮田は田所の病院のスタッフだ。
あの夜、田所病院に入る秀悟とすれ違いざまに退勤していた男に他ならない!
◆
宮田が仇を討とうとしていた恋人の存在は、やや、曖昧だった。
- 若い女性であること
- 手術後、亡くなっていること
この条件に当てはまる被害患者が1人しかいなかったため、消去法で『佐倉江美子』という患者が宮田の恋人だったのではないかと推測されているらしい。
◆
すべてが解決したかのように思われた悪夢の事件だったが、疑問点も残っている。
まず、宮田がかぶっていたピエロのマスクの内側には小型のスピーカーと発信機が取り付けられていた。
つまり、共犯者がいた可能性が高い。
田所がピエロに提示した3千万円入りのバッグが消えていることも奇妙な点だといえる。
ただ、何より意味が分からないのは
『あの病院に川崎愛美なんて女性はいなかったことになっている』
ということだ。
- 病院から逃げ出してきた人間はいない
- 病院内にも愛美の姿は影も形もなかった
- 65人すべての患者も調べたが、愛美が紛れ込んでいたりはしなかった
事情を知らない警察からすれば「そんな人間はいなかった」と言わざるを得ない状況だ。
また、そもそも愛美が拉致されたという情報も公衆電話からの匿名通報であり、イタズラだった可能性も無視できないと警察はいう。
しかし、確かに愛美はいた。
いたはずだ。
では、愛美はどこに消えたのか?
◆
警察署から出て、ふらふらと街を歩く。
……ひどく気分が悪い。
いったい愛美は……愛美はどこにいるのか?
そのとき、ふと、秀悟は刑事が何気なく言った数字を思い出した。
「……65人?」
刑事は間違いなく「65人の患者全員を確認した」と言った。
田所病院は4人部屋の病室が3階と4階に8部屋ずつある。
つまり、入院できる患者は64人。
隠し部屋にいた少年を含めれば、たしかに65人になる。
けれど、それはおかしい。
4階の一番奥の病室、そこに空いているベッドが1床あったはず。
俺はその空きベッドのシーツを使って、佐々木の遺体を隠した。
それなのに刑事は65人の患者がいた、つあmりは田所病院は満床だったと言っていた。
秀悟は天を仰いだ。
つじつまが合う説明は1つしかない。
愛美は患者のふりをしたんじゃない。
「愛美は……もともと田所病院の患者だった?」
ならば、そもそもピエロに拉致されたという証言も嘘だったということになる。
やはり、納得できる答えは1つしかなかった。
「愛美が……共犯者……」
あまりの絶望的な答え。
秀悟は両手で顔を覆った。
本当の真実
愛美はピエロの共犯者だった。
そう考えると、いろいろなことに説明がつく。
きっと佐々木は愛美に「もう1人いる」なんて言っていない。
佐々木はこう言ったのだ。
「あなた、この病院に入院している患者さんじゃない?」と。
愛美は濃いメイクで素顔を隠していた。
田所と東野は気づかなかったようだが、佐々木だけは愛美が患者の1人であることに気づいたのだ。
愛美が否定した後、佐々木は1人で階段に向かった。
あれは4階の一番奥の病室に行って、そこに愛美がいるかどうかを確かめに行っていたのだ。
そこまで考えて、秀悟はハッとした。
……そのあと、いったい何が起こった?
- 最初に、愛美がトイレに行った
- 次に、愛美がピエロに連れていかれた
- そして、秀悟が愛美を取り返し、
- 佐々木の遺体が発見された。
愛美はトイレに行くふりをして、ピエロに自分を1階に連れて行くように指示していたのだろう。
そして、秀悟とピエロが押し問答をしている隙に……
愛美が、佐々木を刺したのだ。
佐々木にとって愛美は警戒対象ではなかった。
だから、無防備に正面からナイフを刺されていたのだ。
◆
ピエロの言う『恋人』とは愛美のことだったのだ。
しかし、愛美の方はそう思ってはいなかった。
なぜなら、愛美は最後にピエロの頭をも拳銃で撃ち抜いている。
おそらく利用するだけ利用して、最後には始末する計画だったのだろう。
宮田はあわれにも愛美に踊らされていたのだ。
……そして、それは秀悟も同じだ。
愛美を守るためなら、命さえ投げ出しても構わないとすら思った。
愛美には男を虜にする天性の才能がある。
宮田も秀悟も、愛美によっていいように操られていた『駒』にすぎない。
◆
あのとき、最後に何が起こったのか。
今ならば、そのすべてがわかる。
愛美は田所に体当たりして倒れた秀悟をスタンガンで麻痺させた。
そして拳銃を拾い、田所と東野を撃った。
宮田だけは、自殺に見えるように工夫して始末した。
そうして、愛美は3千万円のバッグを奪い、4階の病室に戻ると、メイクを落として患者の1人に戻った。
警察が愛美の存在に気づけなかったのは当然だ。
もともと入院している患者の1人なのだから。
◆
川崎愛美とは何者なのか?
秀悟はカルテに挟まれていたメモのことを思い出す。
『新宿11』と同じように田所によって臓器を抜き取られた被害者たち。
その中には『川崎13』という名前があった。
『愛(I)するに美(3)しいで、愛美』
……そうか。
そういうことか。
愛美は1人だけいたという『手術後に意識を取り戻した患者』だったのだ。
田所はうまく誤魔化したつもりだったのだろうが、愛美は自分の体に何が起こったのか、気づいていた。
そして、復讐を計画した。
田所・東野・佐々木、そして手術を受けた金持ちの客を裁こうとした。
だから愛美は『患者リスト』のバインダーを手に入れるため、宮田を誘惑し、ピエロに病院をジャックさせた……。
◆
最初に愛美の姿を見たとき、彼女は腹に銃弾を受けて倒れていた。
奇跡的に銃弾は内臓を傷つけないように撃ち込まれていた……と思っていたが、そうではない。
すべては愛美の計画通りだったのだ。
銃弾が撃ち込まれた場所。
そこには本来、何があった?
『新宿11』の腹にもあった、手術痕だ。
愛美は自分の腹に銃弾を撃ち込むことで、秀悟に傷口を縫わせ、手術痕を隠した。
同時に、その場の人間たちに愛美が哀れな被害者であることを印象づけたのだ。
◆
全部、嘘だった。
撃たれたという傷も。
庇護欲をあおる不安げな表情も。
あの唇も、頬も、瞳も、全部全部嘘だった。
◆
俺は、それでも愛美に感謝するべきなのかもしれない。
夜空を仰ぎ見ながら、秀悟は思った。
スタンガンで動けなくなった俺を、彼女は撃つこともできたはずだ。
けれど、彼女はそうしなかった。
俺が生きていることで、自分の正体がバレるリスクが上がるかもしれないのに。
わずか数時間だけの関係だったが、その間にほんの少しでも情がわいたのだろうか。
あるいは、突然代打の当直医としてやってきた俺のことを憐れんでくれたのだろうか……。
そこまで考えたとき、秀悟は目尻が裂けそうになるほどに大きく目を見開いた。
もともとの計画なら、本来の当直医である小堺はどうなっていたのだろうか?
秀悟は呆然とつぶやく。
「医者が足りない……」
なんで今まで気づかなかったのか。
生体腎移植の手術をするためには、最低でも医師が2人必要になる。
小堺だ。
小堺は『秘密の手術』に関わっていた。
小堺もまた、愛美の標的だった。
事件に区切りがついた今、彼女は小堺のことを諦めるだろうか?
……そんなはずがない。
彼女は自分の体を切り裂き、内臓を奪った者たちを許さないだろう。
秀悟はスマートフォンで小堺の番号をコールした。
……つながらない。
不吉な予感が胸を満たしていく。
秀悟は勤務先の総合病院に向けて走り出した。
エピローグ
総合病院は赤い光を放つパトカーに囲まれていた。
関係者として規制線をくぐり、手近な看護師に状況を尋ねる。
「それがですね、泌尿器科の小堺先生が刺されたんです。3,40分前に胸を刺されて倒れているのが見つかって、蘇生しようとしたんですけど……だめだったみたいで」
……間に合わなかった。
俺は、彼女を止められなかった。
ふらふらと病院を出ると、遠くの道に愛美の後ろ姿が見えた。
「愛美!」
秀悟は力の限り叫ぶ。
彼女は一瞬足を止めた後、すぐに再び歩き出した。
ゆっくりとした足取りで。
まるで秀悟が追ってくることを待っているかのように。
彼女を追おうとして持ち上げた足を、秀悟はゆっくりとその場におろす。
小さな背中が人の波に消えていくのを、秀悟は立ち尽くしつつ静かに見送った。
<完>
来年公開の映画『仮面病棟』がおもしろそう❗️
結末に『どんでん返し』があるミステリーが好きな人には特におすすめ😆
ぜんぶの伏線が一気につながるラストは必見です❗️🧐#坂口健太郎#永野芽郁
⬇️原作小説のあらすじが読めるよ⬇️https://t.co/hl8dTI897c— わかたけ (@wakatake_panda) October 4, 2019
まとめ
今回は知念実希人『仮面病棟』のあらすじネタバレをお届けしました!
では、最後にまとめです。
- 真犯人は川崎愛美。
- 愛美は田所病院が隠している違法手術の被害者だった。
- 結末。違法手術の関係者はみんな愛美に葬られた。
とにかく伏線だらけな小説でした。
あらすじを読んでいて「どうしてこんな部分を強調しているんだろう?」と思った場所がありませんでしたか?
それ、ぜんぶ伏線です。
結末までわかったうえでもう一度読むと、どんなに愛美が怪しいことをしていたのかわかると思います。
私は特に愛美が佐々木を刺す時間を手に入れるために一芝居打ったシーンが好きでした。
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