中村文則「悪と仮面のルール」を読みました!
タイトルにもある「悪」に関する考察が独特で、なおかつ説得力もあり脱帽でした。
今回は映画化もされた「悪と仮面のルール」のあらすじネタバレ(と感想)をお届けします!
壮大なサスペンスであり、一途すぎる恋愛小説でもある物語の結末とは!?
Contents
あらすじネタバレ
物語の始まりは「過去編」から!
まだ11歳だった主人公・文宏が恐ろしい父親に呼び出される場面から物語は始まります。
過去Ⅰ「邪の家系」
「お前が14歳になったとき、地獄を見せる」と酔った父・久喜捷三は言った。
父と言っても、文宏は父が60歳の頃の子供なので、年は孫と祖父ほど離れている。
なぜそんな晩年になって父が新たに子供をもうけようとしたのかというと、そこには久喜家の悪しき風習が関係している。
『邪の家系』
久喜家には、晩年の当主が世を不幸で満たすために『悪を成す子供』をつくる風習がある。
文宏は、父・捷三が「邪」にするために意志を持ってつくった子供なのだ。
「邪」とは何か?
それはちっぽけな犯罪者とは比べ物にならない「悪」である。
例えば世の中を混乱に陥れるカルト宗教団体の幹部。
例えば戦争を裏で操る裏社会の権力者。
久喜家の莫大な財産と圧倒的な権力を使って、「邪」は世の中を不幸で満たす。
では、なぜ「邪」はそのようなことを成すのか?
それは、当主の意志によってそのように教育されるからに他ならない。
絶え間のない暴力と飢え、自らが最も価値を置くものをズタズタに傷つけられる絶望。
そのような「地獄」を味わった子供は、やがて世界を恨み憎む「邪」へと成長する。
父は、その3年後の地獄の始まりを、気まぐれで文宏に予告したのだった。
「子供であるお前は私の話など覚えてはいないだろうが…」と付け足して。
そして、父は文宏に同い年の少女・香織を引き合わせた。
「お前はこの少女と親密にならなければならない。この少女は3年後の地獄で重要な役割を担うのだから…」
幼い文宏が、養女として一緒に暮らすようになった久喜香織のことを好きになるまで、それほど時間はかからなかった。
過去Ⅱ「決意」
文宏は13歳になった。
恐らく父の手回しで、香織とは小学校からずっと同じクラスだった。
家に帰っても香織と文宏は一緒で、いつしか2人は早熟にも体の関係を持つようになっていた(最後の一線だけは越えていないが)
文宏にとって、香織と過ごす日々は何物にも代えがたい「幸せ」だった。
だが、ある時、文宏は気づいてしまう。
香織がすでに父に辱められていること。父の言った「地獄」の意味。
1年後、文宏が14歳になれば、すべてが終わる。
おそらく文宏の目の前で、香織は大勢の男たちに汚され損なわれてしまうはずだ。
そうなれば文宏の心は壊れ、この世界を憎悪し、この世界に悪を成す化け物(邪)へと変貌してしまうだろう。
香織の役割は、文宏を「邪」にするための生贄だったのだ。
そんなことを許してはならない。
だが、圧倒的な権力を持つ捷三から逃げることは不可能だ。
ならば方法は一つしかない。
すでに老齢の父を、この世界から消してしまえばいい。
誰にもバレない方法を選ぶつもりだが、万が一ことが発覚しても年齢的に文宏は罪に問われないはずだ。
なんとしても、香織だけは守らなければならない。
過去Ⅲ「邪の誕生」
屋敷には秘密の地下室があり、父はたびたびその部屋に一人で出向く。
文宏はそこに父を閉じ込める計画を立てた。
父がふらりと消えることは珍しくなく、周囲の人間が失踪に気づき騒ぎ始める頃にはすでに父は生きてはいないだろう。
そして、計画実行の日がやってきた。
心の奥までしみ込んでいる父への恐怖を抑え込み、震える足で文宏は父の後をつける。
後は、父が入った地下室のドアのレバーが下がらないように固定するだけ…。
その時、不意にドアが開き、目の前に父が現れた。
文宏はとっさに父を突き飛ばし、しりもちをつかせる。
「…そうか、覚えていたか。俺を始末するのか。いいだろう」
父はそのときすべてを悟り、最後に文宏に長々とした話を聞かせた。
「私を生かしておけば、私は必ず香織を損なう。これは止められない。私を止めるには、私の命を損なうしかない。お前は正しい。だが、そうして私の命を損なえば、それによってお前は地獄を見ることになる。人を手にかけるとはそういうことだ。今後、あらゆる幸せを味わう時、お前は思い出すのだ。自らの手が汚れているという事実を。もうお前はまっとうには生きられない」
「お前は『邪』を避けようとして『邪』になるのだ」
呪いのような父の言葉に激しく動揺しつつ、文宏は予定通り父を地下室に閉じ込めた。
香織を守るためなら、悪になっても構わないと思った。
その日、文宏は香織に「もう大丈夫だ」と告げ、初めて香織を最後まで抱いた。
後日、文宏は再び地下室へと赴き、父が事切れていることを確認した。
過去Ⅳ「絶望と別離」
文宏の、悪夢と幻覚に苦しむ日々が始まった。
今なら父の言葉の意味がわかる。
人を手にかけた人間は「普通」ではいられなくなるのだ。
痩せた父の幻覚を見る。高熱に苦しむ日々を過ごす。
げっそりと痩せた文宏の人相は大きく変化し、驚くべきことに父にそっくりな面構えへと変貌していた。
それが、さらなる絶望へとつながる。
あれだけ文宏と愛し合っていた香織が、父の面影を残す文宏に生理的な拒否反応を示し始めたのだ。
これには香織自信も混乱していた。
文宏が香織に触ると、口では「大丈夫」といいながら、香織の表情はこわばり、鳥肌が立つ。
父の子供である以上、自分と香織が結ばれることはない。
文宏は心から絶望した。
高校進学を機に、香織は屋敷から離れた。
文宏の心は徐々に壊れ、引きこもりになる。
久々に香織に会った時、文宏はまるで別人の仮面を被っているかのようにペラペラと楽し気に話す自分に驚く。
香織に「あのこと」を知られてはいけない。自分のために文宏が手を汚したと知れば、香織は悲しむだろうから。
無機質な笑顔を浮かべながら、文宏はそのことだけを意識していた。
文宏は高校を中退していたが、大検を受け、東北の大学へと進学した。
生きる屍のように過ごす日々。
自分が生きていても誰一人幸せにはできないという絶望感。
文宏は自らの命を絶とうとも思ったが、ただ一点、今どこにいるとも知れない香織のことだけが気にかかる。
そうして、文宏は思った。
自らを消滅させ、香織の周りに漂う空気のような存在になろう、と。
現在Ⅰ「その男、新谷弘一」
文宏は裏の形成外科医にかかり、顔を変えた。
海外で命を落とした「新谷弘一」そっくりの顔となり、彼の身分を手に入れたのだ。
文宏は父が雇っていた探偵・榊原を法外な報酬で雇い、香織のことを調べさせた。
27歳になった香織は現在、高級クラブで働いているらしい。
あわせて、文宏は探偵から「香織に怪しい人物が近づいている」という報告を受ける。
1人は、とある軍需企業が雇っている探偵。
もう1人は、質の悪い結婚詐欺師・矢島。
矢島は狙った女を薬漬けにして依存させる最悪の男だ。
久喜捷三の遺産の一部を継いだ香織の資産を狙っているのだろう。
文宏は探偵に矢島の行動調査を依頼し、その結果をもとに何食わぬ顔で矢島に近づき、足のつかない方法で始末した。
今度は、父の時ほど動揺はしなかった。
ある日、刑事が文宏を訪ねてきた。
矢島の件かと動揺する文宏だったが、会田と名乗る刑事は時効寸前の過去の事件を調べているらしい。
その犯人が「新谷弘一」ではないのか、と。
探偵の調査によれば、新谷弘一にはアリバイがあり、事実上犯行は不可能だったはずだ。
どうやら会田は個人的な感情によって、新谷弘一を犯人にしたいようだった。
この日以降、会田はたびたび文宏の前に現れることになる。
新谷弘一についての情報を集め、完璧になりきる文宏だったが、会田は以前の新谷との違いに違和感を抱いているようだった。
顔を変えて「久喜文宏」を消滅させ、屍のような精神で日々を過ごしていたとしても、身体はどうしようもなく「生きている」
腹も空くし、女を抱きたくもなる。
文宏は金で女を買って抱いた。
女の名前は吉岡恭子。
借金があり、あまりまっとうな人生をおくってはいないようだ。
文宏は不思議と恭子には何でも話してしまう自分に気づく。
そして何故か恭子も、文宏の恐ろしい話を聞いても逃げない。
顔を変えてから徹底して秘密を守ってきた文宏だったが、恭子には電話番号も住所も教えた。
そのうち恭子は、たびたび文宏の部屋に訪ねてくるようになった。
文宏は何度も恭子を抱いた。
だが、女を抱き生を実感する時、文宏は思い出さざるを得ない。
その「生」をこそ、自分は損なってしまったのだと。
自らは「生」を求めるが、他者の「生」は損なった…その矛盾は歪みとなり、今も文宏を苦しめていた。
現在Ⅱ「久喜家の因縁」
久喜家に連なる2人の男が、文宏に接触してきた。
1人目の男の名は、伊藤亮祐。
伊藤は久喜の分家筋に当たり、亮祐もまた『邪』として育てられた存在だった。
そして伊藤は、今、世間を騒がせているふざけたテロ集団『JL』のメンバーでもある。
伊藤は活動資金として香織の持つ久喜の遺産に注目していたが、香織を調査する中で榊原の存在に気づいた。
「榊原を使って香織を探る男=文宏」と推測した伊藤は、文宏を呼び出す。
顔を変えていたことまで知らなかった伊藤は「誰だお前!?」と動揺するも、新谷(文宏)に興味を持ち、仲間にならないかと誘ってきた。
ふざけたイタズラばかりしている『JL』だったが、その本質は『世の中の権威を引きずり下ろすこと。世界に対する侮蔑』
一見未成熟ながらも、伊藤は確かに恐ろしい『邪』の血脈を受け継いでいる存在だった。
同じ境遇の伊藤にわずかに興味を持った文宏は、香織を守るためにも資金提供を約束した。
捷三から莫大な財産を残されている文宏にとって、金など何の価値もない。
文宏に接触してきた2人目の男の名は、久喜幹彦。
文宏の兄、捷三の次男。
幹彦は軍事に関わるいくつもの会社の筆頭株主であり、世界の戦争を動かす裏社会の権力者だった。
幹彦に強引に呼び出された文宏は、その姿を見て足がすくむ。
あまりにも、父に似ている。
顔はもちろん、たたずまいや陰鬱な気配までまるで父そのものだ。
幹彦はゆっくりと、実に憂鬱そうに、戦争と利権の関係について文宏に長い話を聞かせた。
戦争とはビジネスであり大衆はただ煽られて戦っているだけだ、と。
だが、幹彦の目的は金ではない。
幹彦の目的は戦争によって多くの人間が命を失うこと…世界が不幸になること。
後に判明することだが、幹彦は捷三が『邪』にしようと地獄を見せ、途中で飽きて解放した子供だった。
幹彦は地獄によって精神を壊しており、歪な『邪』へと成長した。
今、幹彦はただただ憂鬱に沈みながら、ほとんど興味を持たずに世界を破滅へと向かわせている。
しかし、文宏にとっても「世界の破滅」はどうでもいいことに過ぎなかった。
それよりも問題なのは、この危険な男が香織に興味を抱いているということだ。
探偵を放ち香織を調べていたのも、矢島を香織に近づけたのも、幹彦だった。
「…なぜそんなことを」
「それは、私が憂鬱だからだ。あの娘は父が養女として、お前に地獄を見せるために連れてきた。いわば久喜家の生贄のようなものだ。父が損なおうとしてできなかった女を、その息子である俺が損なう。その反復は、ちょっと面白いだろう?薬漬けにすれば、私はあの娘の身体も精神も長く長く所有することができる。また別な男を、香織に近づけようと思っている」
「やめろ」
「はっは。あの娘に惚れているのか。嘘をつくな」
「お前は、あの娘を損ないたいのだろう? お前は久喜の人間だ。俺にはわかる。お前の無意識は、最大の悪をなしたいと願っている。それは、自分がこの世界で最も価値のあると思っているものを、完全に破壊することだ。つまり香織だ。お前は損なうために香織を好きになり、損なうために自分の人生を香織のために捧げ、損なうために香織を人生の全てと思い込んだ。その香織を破壊する圧倒的な欲望の爆発と、その後に訪れる圧倒的な絶望に焦がれているのだ。その時、お前は圧倒的な快楽に震えるだろう。この世界と自分の人生を、徹底的に侮蔑した喜びとともに」
最後に幹彦は文宏に言った。
「お前が香織を薬漬けにして連れてこい。そうすれば、その間は久喜香織には別の人間は近づけない。お前は少なくとも、私に損なわれる前の香織を味わうことができる。…悪くないだろう?」
現在Ⅲ「久喜幹彦との決着」
幹彦の目をごまかすため、文宏は店の客として香織と会うことに。
10年以上ぶりに再会した香織は、文宏にとって他のどの女性よりも美しかった。
もちろん、香織は自分のことを「新谷」だと思っている。
だが、それでいい。久喜文宏という人間はすでに消滅している。
文宏は、あの時と同じ決断を下した。
幹彦から香織を守る方法は、ただ一つ、世界からその存在を抹消してしまうことだけだ。
文宏は再び幹彦の元を訪れた。
場所はとあるマンションの一室。部屋の中には幹彦と文宏しかいない。
文宏を迎え入れた幹彦は、再び憂鬱そうに口を開いた。
「私のささやかな目的を教えてやろう。まずは、北を刺激してミサイルを日本に撃たせる。そうすれば日本は戦争可能な国へと変わるだろう。軍事ビジネスは盛んになり、大勢の人間が命を落とす。私は見てみたい、すべての建物が崩壊する様を! 人類のすべてが滅びれば、同時に倫理も美も消滅する。そうすれば、この世界に無関心だった神も眉くらいひそめるんじゃないか? これは出来損ないにつくられた人間の、自己崩壊による神に対する復讐だ! 愉快じゃないか、全部消え失せればいい。私の憂鬱の中で、全てが消えろ!!」
言葉を重ねるうちに、幹彦は異常に高揚していった。
そして一種の恍惚状態になると「今だ…」とつぶやき、文彦の手にナイフを握らせた。
「ほら、やれ!逃がすな!」幹彦は文宏に自分の首を切り裂けと命じる。
久喜幹彦はもうどうしようもなく狂っているのだ。今この恍惚の中で果てることこそ、幹彦の望み。
「大丈夫だ、お前は許される。私という巨大な悪を消滅させ、数万の人間の命を救え。私をやれば、すべてが終わるぞ。香織という娘も、お前のものになる。さあ、この首を、一瞬で! 来たぞ、今だ!!」
熱狂した幹彦の首筋が見える。
だが、文宏は「できません」と答えた。
幹彦の熱が急速に冷めていく。
「…とんだ青二才だ。人間を二人手にかけた男が。なんて見込み違いだ。お前はつまらないな。ならば香織という娘は私が損なおう。父の代わりに、私がお前に地獄を見せてやる。その行為は、私の憂鬱を少しだけ紛らわせるかもしれない」
「…全て録音しました。全ての会話を」
さらに、文宏は幹彦の前に持参した資料を積み上げていく。
極めて邪悪な幹彦の政治的活動の裏付け。
異常極まりない残虐行為の証拠。
それは、父・捷三が幹彦を危険視して収集していたものだった。
それらの証拠は「今」のやりとりに関わらず、関係各所に送られる手はずになっている。
これだけの悪事、さすがに幹彦といえど無傷では済まない。
「まあまあだな。…だが、お前は私のことを何もわかっていない。私がそんなことに興味を持つとでも?…お前は本当につまらないな」
文宏はバッグから爆弾を取り出す。伊藤から預かっていたものだ。
「今スイッチを入れました。助かりたければ簡単です。この携帯電話の電源をオフにすればいい。あと30分。命を惜しむ感覚の中で、この電源を切ってください」
「お前は何もわかっていない。仮に、世界がお前の望むように動いたとして、私が司法の手に落ちることはない。なぜなら、そうなっているからだ。結局、何も変わらない。私は憂鬱を抱え続け、お前はあの娘を失う」
「…あなたは香織を手に入れることはできない」
爆弾の起爆時間が近づいていく。
文宏は出口へと向かいながら、もう一度同じ言葉を口にした。
「…命を惜しむ感覚の中で」
「お前は何もわかっていないな。命を惜しむ?」
幹彦は気だるそうにウイスキーを一口飲んだ。
「…何かの冗談だろう?」
文宏はそのまま部屋を後にした。
文宏がマンションから出るまで、久喜幹彦の部屋からはどのような音も聞こえなかった。
現在Ⅳ「文宏と香織」
全てが終わった。
久喜幹彦は爆弾のスイッチに触ることなく、そのままあの部屋で爆発した。
久喜幹彦にとって、命になど価値はなかったのだろう。
幹彦が裏で資金提供していたテロ組織「JL」も、メンバーの一人が逮捕されたことで消滅へと向かう。
「JL」の一部は香織の持つ遺産を狙っていたようだが、これももう心配ない。
幹彦も、JLも、そして文宏も…香織に付きまとっていたのはすべて久喜家の人間だった。
文宏はその因縁を思いながら、これからの自分の身の振り方を考える。
全ては終わった。ならば、もうこの世に居続ける意味もないのではないだろうか。
香織から連絡が来て、文宏は香織に会いに行く。
新谷としての仮面を被って香織と話す中で、話題は久喜家のことに。
香織は久喜家を恨んでいるどころか「申し訳ない」と文宏や捷三に対して、どこか後ろめたい気持ちを抱えているという。
考える暇もなく、文宏の口が開く。
「それは違う。そんな風に思う必要はない。久喜捷三は暴力団に消されたんだ。証拠もある」
「え?新谷、さん…?」
「…僕は、久喜文宏の、知り合いなんです」
とっさにそう言っていた。
「文宏君は、今何を?」
文宏は、もういいのではないかと思った。
幹彦の言う通り、香織を損なってしまいたいという強い欲望が体中を駆け巡る。
鼓動が痛いほど高鳴り、息ができない。
自分を圧迫する執拗な力を感じる中、文宏は、香織と過ごした幸福な日々を思い出す。
その幸福は、確かに文宏の人生の中にあった。
どれだけ苦しくても、あの幸福な記憶だけは消したくない。
化け物になる寸前で、文宏は口を開いた。
「文宏君は…、今、幸せに暮らしていますよ。普通の会社員ですが、結婚もしていて、子供も一人います」
文宏はかつて夢見た『香織との幸せな未来』の想像を話して聞かせる。
そして、いかに文宏にとって香織が生きる希望であったのかも。
新谷という仮面の下から、文宏は香織にありのままの気持ちをすべてさらけ出す。涙まじりの声で。
「あなたのような人がいたから、こんな世界でも、少しは肯定できたって。生きていくことができたって。あなたとの記憶が詰まった自分の意識を、消したくはないって。あの日々は確かにあったって。いつまでも自分のままでいたいって。だから…」
「だから、あなたは幸せにならないと駄目だ」
混乱しつつも、香織も文宏への気持ちを口にした。
文宏の人生を滅茶苦茶にしてしまわないよう、連絡しなったこと。
香織にとっても、あの日々が救いであったこと。
ずっと、文宏の幸せを願っていたこと。
「私も元気でやっていたって、伝えてください。それから、ありがとう、って」
香織の言葉が、温かく文宏の中に入っていく。文宏は涙を拭って「家まで送る」といった。
「あの」
涙をぬぐいながら、不意に香織が小さな声で言った。
「…あなたは、…本当に、幸せなのですか」
「…幸せですよ。結婚もしていますしね」
文宏は運転席から振り返る。やはり、香織は美しかった。
自分の人生がどうであったとしても、世界を肯定したくなるほどに。
「僕は、あなたが好きです。だから、もう会わない方がいいでしょう。…僕は結婚しているから」
香織の家に到着した。
迷いを見せながら、香織が車から降りる。
「僕は、あなたに会えて、本当によかった」
何か言いたげな香織を残して、文宏はゆっくりとアクセルを踏んだ。
帰り道で公園に寄り、ベンチの上でしばらく泣いた。
現在Ⅴ「結末」
結局、文宏は『邪』としては半端だったのだろう。
香織と過ごした日々の記憶だけあれば、もう文宏は生きていける。
文宏はしばらく海外に渡って、身の振り方を考えてみることにした。
その前に、関係した人々と別れのあいさつを交わす。
伊藤には約束通り資金援助をした。
もっとも「JL」が解体されようとしている今、金は逃亡資金になるかもしれないが。
文宏は自分の正体を明かし、同じ『邪』として伊藤に「生きろ」と告げた。
探偵・榊原は最後に「すべての罪が明らかになったとしても数年の実刑で済みはずだ」と告げる。
そして「あなた(文宏)が香織の恋人になるという手もあったはずだ」とも。
「あなたは上手くやったと思います。…上手くいかなかったのは、あなたの恋愛だけです」
文宏は探偵に感謝の言葉を述べる。
「…ありがとうございました」
「いつか、依頼とは関係なく、お酒でも飲みましょう」
空港に着いた。
チケットの手続きを済ませ、ゲートの前に行くと、そこには会田刑事が待っていた。
会田刑事は語る。
「久喜捷三、久喜幹彦、矢島、JL…久喜香織に被害を与えようとしていた人物が、すべて亡くなっている。私は思ったのです。仮に、あなたが久喜文宏であれば、全てがしっくりくる、と」
「しかし、私はその仮説を立てながらも、それを自分の中で確信に結びつけることができない。なぜなら、あなたは久喜文宏とは耳の形まで違うのだから!」
会田は優秀な刑事だったが、文宏の方が一枚上手だった。
ゆっくりと立ち上がる文宏に、会田が最後の問いを放つ。
「あなたは、これからどうするのですか?」
「…生きていきます」
搭乗口へ向かい、チケットを機械に入れる。
飛行機へ伸びる通路を進むと、そこには吉岡恭子がいた。
「は?…なぜ?」
「よれよれのスーツを着たおじさんがさ、あなたが乗るからって、チケット渡しに来たんだよね。…目だけすごく鋭くて、怪しかったけど、本当だった」
文宏は探偵の顔を思い出す。彼がよく使っていた「ルール違反」という言葉も。
恭子はどこかに行くなら連絡しろと拗ねながら、文宏に言った。
「…ほら、まあ、あなたからすると一番じゃないかもだけどさ、私だって悪くはないでしょう?二番が一番になったりするのが人生だし。一番ばかり求めるのも、変な生き方だよ」
「…俺には、もう何もないよ。金だって基金にして寄付するつもりだし、顔まで変えて、人まで手にかけて」
「でも、あなたはここにいるでしょう?」
恭子は、まっすぐに文宏の目を見ている。
「それで、生きていくんでしょう?」
搭乗のアナウンスが鳴る。2人は飛行機の入り口に向かう。
「俺は、日本に帰って自首するかもしれない」
「…数年でしょう? そのおじさんが言ってたよ。そうしたら、まあ、浮気しないように気をつけるよ」
飛行機に乗り込む。離陸。
恭子は自分の人生を語る前に、文宏の人生を教えてほしいと言う。
「…そうか、ちゃんと話したことはなかったから…」
飛行機が雲を抜ける。
「えーっと、そうだな、…十一歳の時にね、父が僕を書斎に呼んで、こう言ったんだ。今からお前に…」
窓から入る太陽の光が、彼女の目に映る。
その目に映った強く小さな光が自分を照らしたことを、文宏はいつまでも覚えておこうと思った。
<悪と仮面のルール・完>
感想と補足
作者のあとがきから言葉を拝借すると、小説「悪と仮面のルール」とは『(邪の)世界に身を置かざるを得なかった主人公が、そこから出る話』であり、『人の命を奪うとはどういうことなのか』に関する考察であり、『結局のところ、これは恋愛小説かもしれない』な物語。
作中には深く考察された重大なテーマがいくつも登場し、それが複雑に絡み合い、『悪の大河』とも言える壮大重厚な物語がつくりあげられていました。
それでいてギリギリのバランスで「頭でっかちな固く難しい本」にもなっておらず、エンタメ小説としても読みやすく、時にハラハラさせられ、時に感動させられる…。
要は「この小説すごいな!」というのが、私の素直な感想です。
ストーリーとしては「邪の家系」の設定や「黒幕・久喜幹彦との対決」なども読み応え十分だったのですが、やはりそれよりも目が行くのは主人公・久喜文宏(新谷弘一)という人間について。
具体的には「果たしてこの過酷な運命に翻弄された青年は救われるのだろうか?」と、主人公に感情移入するタイプの私としては途中から気になってしょうがなかったです。
より具体的には「最後には香織への気持ちが報われて二人で幸せになってくれ!」と強く願う一方で、「でも、作風的にはもう全然夢も希望もない結末かも…」と不安になっているような心境でしたね。
それがどうですか!
あの香織との胸が引き裂かれるほど切ない別れ!
そして、予想だにしていなかった吉岡恭子という新しい救い!
結末の部分では本当にもう作者に心を翻弄されっぱなしでした。
最終的には希望(と愛)のある結末で、心からホッとしました。
(当たり前ですが)作者があとがきに書いているように「悪と仮面のルール」は、これまでとは全く異なる切り口で描かれた、心震える『恋愛小説』だったと思います。
では最後に、作中で「おもしろいな!」と思った考察(設定)についての補足を2つほど紹介しますね。
補足1.邪の家系について
『なぜ、邪の風習は始まり、そして受け継がれているのか?』
最初に邪の子供をつくろうとした久喜家の先祖は、こう思ったのだそうです。
「自分は老いてこの世を去らなければならないのに、なぜこの世界は幸福に続いていくのか?」
ある意味、逆ギレ。逆恨み。
邪の風習は、この「個人的な世界への憎悪」により始まり、そして代々の当主が同じ心境に至ったときに繰り返されてきました。
だから、邪の子供は、当主が老齢になってからつくられるのが一般的。
子供に理不尽な暴力や飢え、絶望を味わわせて「世界への憎悪」を植え付けることで『邪』は誕生します。
そして優秀に育てられた『邪』はやがて裏社会を駆け上がり、世界に不幸をまき散らす化け物へと変貌するんですね。
最初の1人の「俺の命が尽きるのだから、世界も共倒れになれ」という憎悪が、実際に世界に強い影響を与えるに至っていると考えると、なんだか人間というものは恐ろしいやら愚かしいやら、救われないような気持ちになります。
もちろんこの『邪の家系』はフィクションにすぎませんが、作中に出てくる「戦争と利権の仕組み」などには具体的なリアルさがあって、とても架空の世界のこととは思われません。
他にも作中には、作者からのメッセージとして「(現実の)社会の根底にある悪」が描かれているように思われます。
いろいろと考えさせらる部分もあるので、小説「悪と仮面のルール」を読むときはそのことを意識してみるといいかもしれません。
補足2.人の命を奪うということ
『なぜ、人の命を奪ってはいけないのか?』
散々語られているテーマではありますが、この「悪と仮面のルール」における解釈は、個人的にとても腑に落ちるものでした。
それは「倫理的にダメ」「罰せられるからダメ」というものではなく『生物としての本能に逆らうから』というものです。
本来、生物は同種の命を奪うようにはプログラミングされていない(共食い、などは稀有な例)
それなのに、本来のプログラミングに逆らって同種の生物の命を奪えば、生物として『誤作動』が起こる。
例えば文宏のように幻覚が見えるようになったり、幸せの瞬間(生命を感じる瞬間)に「だが、自分は他の生命を奪った」という意識がフラッシュバックしたり。
誤作動によって精神的に追い詰められた人間は、決して「普通」ではいられない。決して幸せにはなれない。
だから、人の命を奪ってはいけない。
このような論理が、作中ではもっと詳しく解説されています。
作品の大きなテーマの一つだけあって「なぜ、人の命を奪ってはいけないのか?」に関する考察は、とても興味深いものでした。
まとめ
今回は小説「悪と仮面のルール」のあらすじ・ネタバレ・感想などをお届けしました!
ミステリー・サスペンスとしても本格的でありつつ、人生訓や犯罪論まで語り、その上「恋愛小説」としても切ない作品なんてそうそうありませんよね。
全体的には陰鬱な雰囲気の漂う作品なのですが、結末は温かなものでした。
奥深いテーマを扱いつつも、手に汗握るストーリーから目が離せなくなるような素晴らしい作品でした。
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