東野圭吾「片想い」がWOWOWドラマ化!
中谷美紀さんが主演して話題になりました。
東野圭吾さんといえば作風の幅が広いミステリー作家として有名ですが、今回のテーマは「性別(ジェンダー)」
中谷さん演じる主人公は性同一性障害に苦しみます。
その重大かつ繊細な問題に加えて、東野圭吾一流のミステリーや人間ドラマももちろん健在!
私も小説(約600ページ!)を読んでみたのですが、かなりおもしろかったです!
今回はドラマ化もされた東野圭吾「片想い」のあらすじネタバレ(と感想)をお届けします。
思いもよらない事件の結末とは!?
Contents
あらすじネタバレ
西脇哲朗は年に一回催される大学アメフト部時代の同窓会に出席していた。
大学卒業から10年以上、今や哲朗も30代半ばであり、職業もスポーツライターになっている。
同じくアメフト部の女子マネージャーだった妻の理沙子は仕事のため欠席。
男ばかりの同窓会は二次会に流れることなく終了した。
その帰り道、哲朗は思いがけず懐かしい顔に出会う。
「あれは…日浦?」
日浦美月は、もう一人のアメフト部女子マネージャーだ。
しかし、こんなに近くにいるなら、なぜ同窓会に参加しなかったのか?
それに様子も何だか変だ。
化粧はどう見ても投げやりな仕上がりだし、声を出そうとせず筆談で会話してくる。
落ち着いて話をするため、とりあえず哲朗は美月を自宅へと招いた。
そして、そこで驚くべきことを告白される。
「オレは男だったんだ。ずっと前から。QBたちと出会うより、ずっと前から」
QBとは哲朗のポジション「クォーターバック」のことで、美月はいつも哲朗のことをそう呼んでいた。
間違いない。目の前にいるのは美月本人だ。
性同一性障害。
美月は男性の心を持ちながら、女性の体に生まれてしまったのだ。
※注…ドラマでは美月が主人公ですが、原作小説の主人公は探偵役である哲朗です。
もう一つの告白
化粧を落とし、かつらを脱いだ美月の見た目は、完全に男のそれだった。
手術こそしていないものの、ホルモン注射でうっすらとヒゲも生えているし、声帯を傷つけて手に入れたという声も低い。
哲朗はそんな美月を見て心の底から驚いていた。
美月は結婚して子供もいるし、大学生時代には中尾功輔という恋人もいた。
そして何より、哲朗自身も美月と抱き合った経験がある。
そんな美月の中身が実は男だったなんて…。
美月は語る。
「これまではずっと女の演技をしてきたし、女として生きるために結婚出産もした」
だが、ついに耐えられなくなった美月は家を出た。
今は男として新宿のバー「猫目」のバーテンダーをしているのだという。
いや、正確にはそれも「していた」と表現するべきか。
ここで美月は、もう一つ、衝撃的な告白を口にした。
「QBや理沙子の迷惑になるからオレは出ていく。警察に追われている。人を殺したんだ」
詳しく話を聞くと、事の顛末はこうだ。
「猫目」のホステス・カオリには悪質なストーカーがついていた。
ストーカーの名は戸倉明雄(42)
美月は男として怯えるカオリを家まで送っていたが、ある時、家の近くで戸倉の車を発見。
注意するために乗り込んだが、取っ組み合いになり、気がつけば首を絞めて絶命させてしまっていた。
美月は自首するべきか悩み、気がつけば同窓会の様子を見に来ていたのだという。
哲朗たちに事の次第を話した後、美月は「警察に自首する」と宣言。
しかし、そんな美月を、親友だった理沙子が止めた。
「警察には行かせない」
美月は戸籍上は女。情状酌量の余地があるとはいえ、刑務所に入れば徹底的に女として扱われる。
もちろんホルモン注射も打てなくなる。
それは、男の心を持つ美月にとってあまりに酷な仕打ちだと、理沙子は案じたのだった。
永遠の片想い
哲朗と理沙子は美月をかくまうことに決めた。
しかし、新聞にはすでに戸倉の事件が出ている。警察も動き始めているに違いない。
ストーカー被害者のカオリに近い「猫目」のバーテンダーが怪しいということは、すぐに嗅ぎつけられるだろう。
ただし、美月は「猫目」では神崎カオルと名乗っていたし、見た目には完全に男だった。
美月の正体を知る者は少ないはずだ…。
そんな中、哲朗は思わぬ形でかつての仲間たちと再会する。
1人目は美月の元恋人でもある中尾功輔。
家にかくまっていることでホルモン注射が打てず、体つきが女性に戻っていく中で精神不安になった美月を落ち着かせるために哲朗が呼んだ。
美月が男だったことに驚いていた中尾だったが、今後は美月を隠すことに協力してくれると言ってくれた。
2人目は同じくアメフト部のメンバーだった早田。
今は記者として働いている早田は、戸倉の一件を追っているらしい。
早田はシビアな男だ。もし美月が犯人だと知ったとしても、記者としての使命を優先するに違いない。
つまりは、敵だ。
警察に加えて、優秀な記者である早田までもが敵に回った。状況は悪化している…。
そんな中、美月は哲朗に3つめの告白をしていた。
「オレ、告白ばっかりしてるよな。…理沙子が好きだったんだよ。あの頃からずっと。その気持ちは今も変わらない」
(そうか。だから美月は理沙子の前で女の格好をしたがらないのか…)
「わかってる。何もかもオレの自己満足だし一人相撲なんだ。永遠の片想いってやつさ。だけど、それでもオレにとっては大事なことなんだ」
美月は語る。
あの日、同窓会を見に来ていたのも理沙子に会いたかったからだと。
かつて哲朗と抱き合ったのは、男性として理想的な体格と声を持つ恋敵の哲朗に抱かれることで、理沙子への気持ちを諦めようとしていたのだと。
(永遠の片想い、か…)
美月の決意
哲朗と理沙子は葛藤していた。
美月を警察の目から隠すためには、美月に「女」になってもらうほかない。
しかし、それは精神が男である美月にとって屈辱以外の何物でもない。
…中尾の説得もあり、最終的に美月は「警察に自首しないこと」「女の格好をすること」を了承してくれた。
ここのところ、哲朗は仕事そっちのけで美月に関することばかりを調べている。
そんな中、哲朗は一つ、気になる情報を手に入れた。
『戸倉の家から、なぜか美月の戸籍謄本が見つかった』
理由はともかく、当然、警察は美月に目を向けるだろう。
そのことを知ると、美月はこれまでにない動揺を見せた。
理沙子のいない夜、突然、哲朗に抱かれようとしたり…様子がおかしい。
哲朗が美月を抱かなかった夜、美月は失踪した。
謎を追う
そもそも、なぜ戸倉は美月の戸籍謄本を持っていたのか?
この事件には何か裏があるのかもしれない…。
美月を探し出すためにも、哲朗は原点に立ち返って事件を調べてみることにした。
まず最初に当たったのはバー「猫目」
そこで哲朗は佐伯香里(カオリ)が店から消えていることを知る。
どうやら家にも帰っていないようだ。タイミング的には、美月の失踪と重なる。偶然とは思えない…。
次に哲朗が向かったのは香里の実家。
そこで哲朗は思いがけない事実に行きついた。
『佐伯香里もまた、女の身体と男の心を持つ性同一性障害を抱えていた』
香里の母の話によれば、香織はすでに手術をしており、今は体格も声も男そのものなのだという。
つまり、バー「猫目」のホステスであるカオリは本物の佐伯香里ではなかったのだ。
では、ストーカー被害に遭っていたカオリは誰なのか?
本物の香里はどこで何をしているのか?
謎は深まるばかりだが、哲朗は着実に核心に近づいていた。
メビウスの帯
次に哲朗が向かったのは、男の心と女の身体を持って生まれた人々が働くバー。
そこの店主・相川に美月や香里のことを訪ねてみたが、収穫はない。
代わりに、哲朗は相川から興味深い話を聞いた。
「美月さんは男の心を持っている。でも、同時に女性でもある。私の推測です。もっとも、当たっている自信はあります」
「どういうことですか。彼女は、自分の心は男性だとはっきり言ったんですよ」
「それは、そういうかもしれない。でも、自分でも自分のことがわかっていないというのは、よくあることなんです。特に我々のような人間にはね。…私は、男と女はメビウスの帯の裏と表の関係にあると思っています」
「どういう意味ですか」
「ふつうの一枚の紙ならば、裏はどこまでいっても裏だし、表は永久に表です。両者が出会うことはない。でもメビウスの帯ならば、表だと思って進んでいったら、いつの間にか裏に回っているということになる。つまり両者は繋がっているんです。この世のすべての人は、このメビウスの帯の上にいる。完全な男はいないし、完全な女もいない。ある部分は男性的だけど、別の部分は女性的というのが、ふつうの人間なんです。あなたの中にだって、女性的な部分がいくつもあるはずです。トランスジェンダー、トランスセクシャルといっても、いろいろいます。美月さんにしても、肉体は女で心は男などという単純な言い方はできないはずです」
そういえば美月も、男と女の関係は北極と南極のようなものだと言っていた…。あれは、そういう意味だったのか…。
哲朗は相川から、情報を知っているかもしれない人物を教えてもらう。
この店と同じくトランスジェンダーが集う劇団「劇団金童」の主催・嵯峨。
彼もまた、女性の体と男性の心を持って生まれた人物だった。
しかし、嵯峨は手ごわく、一度目の接触ではなにも情報を得られなかった。
トリック
哲朗は新たな情報を手に入れた。
『偽物の香里は、実は男だった』
本名は立石卓。彼もまた男の心と女の身体を持って生まれた人物であり、容姿は完全に女性だ。
立石は戸籍に関する立場にあったらしいが…?
さらに哲朗は猫目のママ・野末から興味深い話を聞く。
香里(立石)は「私も美月も戸倉の件の犯人じゃない」と言っていたらしい。
事件の真相とは…?
哲朗の推理はこうだ。
『佐伯香里と立石卓は入れ替わっている』
身体と心の性別がバラバラな2人は、戸籍を入れ替えることで性別を一致させたのだ。
そして、その背後には戸籍交換のためのシステムがあるに違いない。
ならば、美月もまた彼らのように誰かと戸籍を交換しようとしていたのではないか?
戸倉の家から美月の戸籍が見つかったのは、香里(立石)の家から捨てられた謄本を、ストーカーである戸倉がゴミの中から取得したからではないか?
この仮説が正しければ、美月は今、香里(立石)と一緒にいる可能性が高いはずだ。
さらに、哲朗はもう一つの事実に気がつく。
『事件の背後には中尾がいる』
ある時から中尾は行方不明になっている。
劇団金童の芝居の中には、中尾しか知らない哲朗の秘密が出てきていた。
そして劇団金童こそが、戸籍交換システムを運営している組織だったのだ。
中尾と嵯峨は旧知の仲であり、システムを立ち上げたメンバーだった。
ということは、中尾は哲朗が呼びだす前から美月と会っていたはずだ。
哲朗たちの前では2人して演技をしていたに違いない。
間違いない…今回の一連の事件の裏には中尾がいる。
もしかしたら今も美月と一緒にいるのかもしれない…。
早田の話
情報交換のために記者・早田と会う哲朗。
早田はずっと戸倉の遺族である母と妻に焦点を当てて、調査を進めていた。
その結果、見えてきた真実は『遺族による脅迫』
戸倉の母と妻は一見仲たがいしているように見えるが、実はそれは演技。
実際には2人は緊密につながっていて、警察やマスコミが犯人を見つけられないように協力しているのだった。
目的は、犯人から金を引き出すこと。
戸倉の遺族が美月や中尾を脅迫して金を手に入れていることは間違いない。
皮肉なことに、遺族たちの隠ぺい工作のおかげで戸倉の一件の犯人はまだ捕まっていなかったのだ。
早田はこのスキャンダルを記事にして世に出すという。
哲朗は頭を下げて目をつぶってくれと頼んだが、早田は聞き入れない。
このままでは美月が危ない…。
哲朗は立石卓(を名乗る香里)を強引に説得して、美月と再び会うための手はずを整えた。
美月が語る真相
久々に美月と再会した哲朗。
哲朗の執念を感じたのか、美月は隠していたことの真相を話しだした。
そもそもの発端は、やはり香里(としての立石)をストーカーしていた戸倉。
戸倉は独自に戸籍交換の事実にたどり着いており、香里が男だということや、美月が女だということを知っていた。
そして、あの日の夜。
香里を家まで送った美月を待ち伏せ、戸倉は美月のことを犯そうとした。
戸倉にとって美月は邪魔な存在であり、男の心を持つ美月に最大限の屈辱を与えようとしたのだ。
また、異常者である戸倉は特異な状況にある美月に興奮もしていたという。
しかし、幸いなことに美月が汚されることはなかった。
美月と待ち合わせていた中尾が現れて、鬼の形相で戸倉の首を絞めたからだ。
そして中尾が気がついたときには、すでに戸倉は事切れていた。
そう、戸倉の命を奪った真犯人は中尾だったのだ。
しかし、ここで1つの問題が浮かび上がる。
中尾は戸籍交換システムの中枢にいる人物だ。
中尾が捕まればシステムが停止するし、警察にそのことがバレれば多くの人間に迷惑がかかってしまう。
美月は自分が犯人だと言って自首することで、最も単純な形で事件を終結させようと考えた。
そんなときに出会ったのが哲朗であり、理沙子。
後から哲朗が呼んだ中尾の説得もあり、結局美月は自首しなかった。
過去の話を終えた美月は、改めて哲朗を見据えて口を開く。
「あいつはすべての秘密を抱えて、自分で自分を葬り去るつもりだ」
戸倉の事件の犯人だという証拠を残して身元不明遺体になれば、警察の捜査はそこで終了する。
システムと、その利用者は守られる。
きっと中尾はそう考えたのだろう。
妻子を愛していながら離婚したのも、そのため。
実は癌に侵されていたという事実も、その結論に至った理由の一つに違いない。
中尾は、システムの秘密ごと消え去るつもりなのだ。
美月の話を聞いて、哲朗は焦った。
中尾は早田の記事の存在を知らない。
もしも中尾が秘密を守ったまま身元不明遺体になったとしても意味がない。
早田の記事が世に出れば、中尾が戸倉の件の犯人であることも、戸籍交換システムのことも明るみに出てしまう。
それに何より、余命が少ないからといって、みすみす友の命が消えていくのを黙って見ているわけにはいかない。
何としてでも中尾を探し出して、止めなければ…!
最後の地へ
中尾の潜伏先は、おそらく三浦海岸。
仮眠をとってから向かうことにした哲朗たちだったが、夜のうちに美月が消えてしまっていた。
(心中するつもりか!)
慌てて哲朗と理沙子も後を追う。
現場へと到着。状況はかなり切羽詰まっていた。
警察はすでに中尾が乗り捨てた戸倉の車を発見し、その周りを張っている。
(肝心の中尾はどこだ!?)
きょろきょろと周りを見回す哲朗に、いきなり中尾から電話がかかってきた。
「そこにいるのは危険だ。あまりその場できょろきょろしないほうがいい。警察が見張っている」
「どこにいるのか教えてくれ。日浦も一緒なのか」
「あわてるな。これから教える。美月はそばにいるから心配しないでいい」
哲朗は中尾に誘導され、乗り捨てた車からほど近い隠れ家へとたどり着いた。
理沙子を残し、中尾と一対一で話をすることに。
「ウェルカム、とでもいえばいいのかな」
最後に見た時よりもさらに痩せこけた姿の友の顔が、そこにはあった。
中尾との会話
哲朗たちの予測通り、中尾の目的はすべての秘密を抱えて身元不明遺体になることだった。
戸倉の車を乗り捨て、通報したのも中尾自身。
心中を覚悟して先駆けた美月は、中尾が睡眠剤を飲ませて眠らせていた。
「見ろよ、西脇。かわいい顔をして眠っている。三十過ぎにはとても見えないよな。この顔は、どう見ても女だと思わないか」
調査を進める中で、哲朗は中尾の出自や能力についても詳しくなっていた。
中尾の母親もまた男の心を持っていたということ。
そして、その影響か中尾には本当のジェンダーを一瞬で見抜く力があるということ。
「美月がふつうの女じゃないことはわかってたよ。だからこそ惚れたんだ。野暮ったい言い方をすれば、母親の面影を追ったってことになるかな。彼女には同じ雰囲気が備わっていたからな」
「心が男だと知ってて恋人にしたのか」
「それは違う。美月は俺にとっては女なんだよ。あの頃も、今も」
哲朗がわからないという浮かべると、中尾は思案顔でさらに言葉を重ねた。
「美月は男であり、同時に女でもあるんだ。肉体が女で心が男というような単純な話じゃない。あいつの心は男でもあるし女でもあるんだ。逆に、そのどちらでもない、という言い方もできる」
「男を黒い石、女を白い石だとするだろ。美月はグレーの石なんだ。どちらの要素も持っている。しかも50%ずつだ。だけど、どちらに含めることもできない。もともと、すべての人間は完全な黒でも白でもない。黒から白に変わるグラデーションのどこかだ。彼女はそのちょうど真ん中ということになる」
哲朗は相川から聞いた「メビウスの帯」の話を思い出していた。
「その日の体調や周りの環境なんかで、そのグラデーションの位置がふらふらとずれたりするんだと思う。俺や西脇だって、日によっては少し女側に寄ったりするんだ。だけど95%黒が90%黒に変わったところで大した影響はない。ところが50%黒が45%になったら大違いだ。白の方が10%も多くなる」
「日浦の心は、そういう微妙なところを行ったり来たりしているというわけか」
「まさにそのとおり」
「…日浦はお前といるときには、女の心が勝っていたのかもな。だからお前には女としか思えなかった」
「そうかもしれない」
哲朗(きっと俺と一緒にいる時も、美月の心は女の側に揺れていた。そして理沙子と一緒にいる時には、たぶん男の側に寄っていた)
中尾が美月の戸籍交換を止めた理由も、ここにある。
美月の場合、性別を逆にしても問題解決にならない。女だった頃の違和感が、反対方向から彼女を苦しめるだけだ。
「俺達のしてきたことはなんだったんだろうと思うよ。戸籍交換システムでは、本質的な解決にはならない」
「その責任を取るとか言うんじゃないだろうな」
「責任なんてとりようがない。今できることは、彼らの秘密を守ることだけだ。命をかけても」
騒ぎの近くに眠ったままの美月を放置するのは危険だ、という理由だけで中尾はここに留まっている。
この場に美月さえいなければ、中尾はすぐにでも計画を実行に移すだろう。
「それで俺を呼びつけたわけか。まさか日浦をどこかに連れて行ってくれとかいうんじゃないだろうな」
「いけないか」
「いけなくはないが条件がある。お前も一緒に来ることだ。…中尾、自首してくれ」
中尾は一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「…この状況じゃ、そうせざるをえないだろうな。自首はするが、美月まで巻き込みたくない。彼女だけは逃がしてやってほしい」
「どうすればいい?」
「俺はこれから車のところへ行く。俺は警察の前で、戸倉の一件の犯人であることを認める。警察が俺に気を取られている隙に、美月を連れてこの街から脱出してくれ。…美月のことを頼むぞ」
「任せてくれ」
最後に、中尾は自分のコートを美月にかけて、キスをする。
そして振り返ることなく、真っすぐに歩いていった。
結末
怒声。車の走り出す音。けたたましいパトカーのサイレンの音が響く。
嫌な予感が哲朗の全身を覆った。
岬から海までの距離は20メートル以上。
その岬から真っ逆さまに落ちたであろう戸倉の車が、岩場で煙を上げている。
警官たちがその様子を岬の上から覗き込んでいる。
哲朗はその場に座り込み、両手で頭を抱え、目を閉じた。
気がつくと、隣に目を覚ました美月が立っている。
「彼は、目的を果たしたんだね」
「俺には奴を止められなかった」
「オレにも…だよ」
美月の目から一滴の涙がこぼれた。
その瞬間、何かに急き立てられるように哲朗は立ち上がった。
「行こう、日浦。ここから逃げるんだ」
「もういいよ。もうどうでもいい」
そう言った美月の頬を叩く。
「あいつと約束したんだ。俺はお前を守るからな」
哲朗は目を腫らした美月と理沙子を車に乗せ、その場から去った。
途中で警察に怪しまれる一幕もあったが、その場に居合わせた早田が助けてくれた。
結局、三浦海岸に飛び込んだ男の身元は分からないままだった。
中尾は灯油をかぶり、豪華に焼かれながら車ごと岬から飛んだのだ。
顔は焼けただれていて判別がつかない。
警察は男が戸倉の件の犯人であると断定。捜査本部は後味の悪さを残して解散された。
エピローグ
今年もまた、年に一度の同窓会の日がやってきた。
仲間の誰かが、懐から絵葉書を取り出す。
「中尾からか。世界中をたびして回ってるってさ。だけど中尾、字がうまくなったな。昔は読めたものじゃなかったのに」
「わかってねぇな。それは日浦が書いたんだ。中尾と一緒に旅しているらしい」
「へええ、そうなのか。そういや日浦も離婚したって聞いたな」
「十数年越しの片想いが実ったんなら幸せなことだ。今じゃ一心同体って感じらしい」
十数年越しの片想い。まさにその通りだ。
そして多くの人間は、自分がメビウスの帯の上にいることに気づかず、片想いを続けている。
<片想い・完>
感想
今では少しずつ認知が広がっているものの、まだまだ世間に浸透していない性的少数派の人々の問題。
小説「片想い」はミステリー作品の形をとりつつ、この繊細な問題の本質を的確に突いている作品です。
恐るべきは、単行本「片想い」が世に出たのが2001年だということ。
今よりもさらに目が届いていなかったトランスジェンダーやトランスセクシャルの問題をいち早く捉えているという点だけ見ても、東野圭吾さんの手腕の程がわかります。
ミステリー(エンタメ)作品として楽しめるのはもちろん、性同一性障害やジェンダーの問題について考えるきっかけとなり、また、それについての1つの答えを得られるような…私は小説「片想い」はそんな一冊だと思いました。
東野ミステリーとしての「片想い」
「片想い」について特筆するべきは、やはりジェンダーの問題に深くメスを入れている点ですが、だからといって東野ミステリーとしての面白さが目減りしているわけではありません。
性同一性障害に端を発する戸籍交換トリックは実に面白かったですし、それ以上に今作では人間関係・人間ドラマが面白かったですね。
主人公たちの年齢は30代半ば。
大学生時代のアメフト部の仲間たちはそれぞれに仕事を持ち、家庭を築いています。
かつての友情よりも記者としての仕事・使命を優先させる早田。
いつしか冷え切った夫婦関係になってしまっていた西脇(主人公)夫妻。
病魔に侵されながら、愛する妻子やかつての恋人を守ろうとした中尾。
それぞれの思惑が交錯するドラマには見ごたえがありました。
さらに、それぞれのキャラクターの立ち位置がかつてのアメフトにおける役割とリンクしているという点がなんともおもしろかったです。
※例えば主人公・哲朗はクォーターバックでありチームの司令塔なのですが、物語(試合)を動かすという点で、もう一つの役割である「探偵役」とリンクしています。
600ページという比較的ボリュームのある物語と相まって、後半に行くほど面白さが加速していくような一冊でした。
まとめ
今回は東野圭吾「片想い」のあらすじ・ネタバレ・感想などをお届けしました!
「日浦美月」は性同一性障害…女性の体と男性の心を持った人物。
物語は彼女がストーカー男の命を奪ったという事件に始まり、難解な展開へと進んでいきます。
ジェンダーに悩める人々と、戸籍交換システム、そのシステムの創始者でもあり美月の恋人でもあった男・中尾の存在。
実はストーカーに直接手を下していた真犯人・中尾がすべての秘密と美月を守るため、自ら命を絶ったところで物語は結末を迎えます。
謎解きが面白いのはもちろん、美月やさまざまな登場人物をモデルケースに「ジェンダーとは何か?そこで苦しんでいる人々は何を思っているのか?」という社会的なテーマについても考えさせられる作品でした。
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