伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」は感動の連作短編集。
5つの『出会い』の物語が一気につながるラストは必見です!
今回は映画化もされた小説「アイネクライネナハトムジーク」のあらすじネタバレをお届けします!
- タイトル「アイネクライネナハトムジーク」の意味とは?
- 時系列はどうなってるの?
- 物語の結末は?
Contents
第1話「アイネクライネ」
登場人物
佐藤
市場調査を請け負う会社で働いている。27歳。彼女なし。
藤間の尻ぬぐいで街頭アンケート調査を行った。
藤間
佐藤の先輩社員。39歳。
妻が家を出ていったショックから仕事上のトラブルを起こす。
織田一真
佐藤とは大学の同級生。THE・適当な男。由美の夫。
織田由美
佐藤とは大学の同級生。
誰もが憧れる高嶺の花だったが、意外なことに一真と結婚した。
織田美緒
一真と由美の娘。6歳。
あらすじネタバレ
「なかなか、出会いがなくて」
佐藤がそうこぼすと、友人の織田一真は顔をしかめた。
「出会いがないって何だよ。それは要するに、外見が良くて、性格もお前の好みで、年齢もそこそこ、しかもなぜか彼氏がいない女が、自分の目の前に現れてこねえかな、ってそういうことだろ? そんな都合のいいことなんて、あるわけねーんだよ。しかも、その女が、お前のことを気に入って、できれば趣味も似てればいいな、なんてな、ありえねえよ。どんな確率だよ。ドラえもんが僕の机から出てこないかな、ってのと一緒だろうが」
一真の話はだいたい暴論だ。思いつきで話しているから着地点もあやふやになる。
案の定、そのあと一真の話はどんどん訳が分からなくなっていった。
一方、かつて大学のアイドルだった由美は『出会い』を「小さく聞こえてくる夜の音楽みたいなもの」だと表現した。
そのときは何の音かわからなくても、後から思い返してみれば「あれは曲だったのか」とわかる。
同じように『出会い』とは後から思い返してみて「あれが出会いだったのか」と気づくものであり、出会ったときには「これが出会いだ」とは気づけない。
その話を聞いて、佐藤はある女性のことを思い浮かべた。
街頭アンケートに答えてくれた求職中の女性。
誰もが無視して通り過ぎていく中、彼女だけが佐藤の言葉に耳を傾けてくれた。
…ああいうのも、ひとつの出会いといえるのだろうか?
◆
再会は突然だった。
夜の道路工事現場。
佐藤が乗る車に指示を出した係員は意外なことに女性で、よく見るとアンケートに答えてくれた彼女だった。
いつもであれば、そうとわかったところで声はかけない。
だが、一真や由美の台詞が頭に残っていたからだろうか。
佐藤は「あの」と声をかけた。
彼女は一瞬きょとんとし、不審そうな表情を浮かべたが、思い出してくれたようで「ああ」と微笑んだ。
…小さな夜の曲のような出会い。
車を発進させながら、佐藤は「明日もここを通れるだろうか」と考えた。
<アイネクライネ・完>
補足解説
「アイネクライネナハトムジーク」といえばモーツァルトの有名曲で、タイトルの意味はドイツ語で「ある、小さな、夜の曲」
一方、伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」のテーマは『出会い』
1話で由美が『出会い』を小夜曲にたとえた台詞には、モーツァルトと伊坂幸太郎をつなげる役割があったわけですね。
第2話「ライトヘビー」
登場人物
美奈子
美容師。彼氏なし。27歳。
板橋香澄
美奈子の客。プライベートでも仲の良い美奈子に、恋人候補として弟を紹介する。
学
香澄の弟。香澄の紹介で美奈子と電話する仲になる。
山田寛子
美奈子の大学時代の友人。
日高亮一
美奈子の大学時代の友人。
織田由美
美奈子の高校時代の友人(1話にも登場)
ウィンストン小野
ボクシングヘビー級世界チャンピオンに挑戦するボクサー。
斎藤さん
客の気持ちに合わせて、とあるアーティストの曲の一部を流すという商売を路上でやっている。本名不詳。
あらすじネタバレ
「わたしの弟、彼氏にどう?ちょっと頼りないけど、まじめな奴だよ」
自由奔放な香澄のゴリ押しで、美奈子と学はときどき電話する関係になった。
もちろん美奈子は香澄の打診も断っていたし、最初は電話だってする気はなかった。
だけど、話してみると意外と居心地が良く、偶然にも学が同じ年だったことなども手伝い、なんとなく関係は続いていった。
電話のペースは週に1、2回。
必ず学の方からかかってくる。
内容はとりとめのない雑談ばかり。
学は仕事の関係で定期的に音信不通になることがあったが、1か月も経つ頃には再び電話がかかってくるようになる。
でも、事務職だという学にいったいどんな繁忙期があるというのだろうか…?
◆
そんな関係が、約1年間ほど続いた。
美奈子は学と電話する時間を楽しみにするようになっていたし、気になる異性として学のことを意識するようになっていた。
しかし、いまだに美奈子と学は直接会っていない。
それどころか美奈子は学の顔さえ分からない。
「今度、会いませんか」の言葉は、いつまで待っても聞こえてこない。
このままずっと電話友達のままでいるのだろうな、と美奈子は思っていた。
電話口から聞こえてくる学の人物像は「まじめで大人しい、線の細い優男」という感じだ。
きっと勇気を出して一歩踏み込んできてはくれないだろう…。
◆
ある日、美奈子は香澄の部屋に招待された。
香澄はボクシングの試合を一緒に観ようという。
ヘビー級世界チャンピオンに日本人のウィンストン小野が挑む注目の一戦。
「もし挑戦者が勝ったら、弟は美奈子に告白するつもりだ」と香澄は告げる。
そんな他力本願な、と美奈子は思ったが、勇気をもらえるということもあるのかな、と思い直す。
テレビの中でゴングが鳴った。試合開始。
やや劣勢ながらもチャンピオンに食らいついていくウィンストン小野。
白熱の試合に、普段は格闘技が苦手な美奈子も手に汗を握って応戦した。
やがて、決定打となる重い一撃がさく裂。
試合終了のゴングが鳴り響く中、リングに立っていたのは新チャンピオンとなったウィンストン小野の方だった。
試合が終了したらすぐに電話がかかってくると思っていたのに、予想に反して学からの電話は一向にかかってこなかった。
落胆する美奈子に、香澄が声をかける。
「電話はしばらくかかってこないよ。テレビに引っ張りだこだろうからね」
…テレビ?
「ウィンストン小野ってリングネーム。わたしの旦那が提案したの。ほら、学って名前じゃあ弱そうでしょ」
混乱する美奈子に、香澄はあっけらかんとネタばらしをした。
- ウィンストン小野の本名は「小野学」で、板橋香澄(旧姓:小野)の弟。
- 格闘技が苦手な美奈子のために、学は「ジム」とかけて事務職だと説明していた。
- 連絡がとれない期間は試合までの調整期間だった。
学は美奈子が想像していた線の細い男ではなく、ヘビー級のチャンピオンだったのだ。
ごつい体格からは想像できない丁寧な口調で、新チャンピオンはマイクに向かって言った。
「次の挑戦は、ある女性に会うことです」
テレビの中の学は精悍で鋭い顔つきを崩して、恥ずかしそうな表情を浮かべている。
◆
「テレビ番組を通じて、こんなこと言われてもねえ」
にやにやしている香澄の言葉に、美奈子は苦笑しながら「重いですよ」と返した。
そして、心の中で少しだけつけくわえる。
(まあ、人によりますけど)
重い告白も、相手次第ではヘビーからライトヘビーくらいまでには軽くなる。
<ライトヘビー・完>
補足解説
第2話のキーパーソンは登場人物紹介の中にしか出てこなかった「斎藤さん」
美奈子と学がいい結末を迎えられたのは、実は斎藤さんがチョイスした曲のフレーズに2人が勇気づけられたおかげだったりします。
で、その斎藤さんが贈った楽曲を歌っているアーティストというのは…もちろん斉藤和義さん!
伊坂幸太郎さんと斉藤和義さんとのつながりについては、後の方で解説しています。
第3話「ドクメンタ」
登場人物
藤間
妻に家を出ていかれた(1話にも登場)
佐藤
藤間の後輩(1話にも登場)
あらすじネタバレ
妻が娘を連れて出ていった。
といっても、どちらかが浮気をしたとか、そういう話ではない。
原因を一言でいえば「性格の不一致」ということになるのだろう。
大雑把で繊細さに欠ける夫に、几帳面な性格の妻がとうとう愛想を尽かした。
日々の小さな不満の積み重なりが、決定的な別離を決意させた。
きっとそういうことなのだろう、と藤間は分析する。
後悔先に立たず。
覆水盆に返らず。
自業自得。
いくら反省したところで、もう遅い。
◆
別居生活が始まって半年。
いまだに妻は戻ってこない。
家に届いた運転免許更新の案内状を見ながら、藤間はある女性のことを思い出した。
運転免許センターでたまたま知り合った、藤間と同じズボラな性格の女性。
最初の出会いは10年前、彼女は赤ちゃんを抱えていた。
5年前に運転免許センターで再会した彼女は、ズボラな性格のせいで夫に逃げられたと言っていた。
その話を聞いたときは、まさか自分が同じ窮地に陥るとは思ってもみなかった。
(今年もまた、彼女に会えるだろうか)
藤間はカレンダーを見ながら考える。
彼女の夫は戻ってきたのだろうか?それとも離婚してしまったのだろうか?
子供を持つのも、パートナーに逃げられたのも、彼女の方が先だった。
彼女の『今』が自分の『未来』を暗示しているようだ、と藤間は思った。
◆
運転免許センターで、藤間は例の女性と5年ぶりの再会を果たした。
聞けば、出ていった夫とはヨリを戻し、今は平和に暮らしているのだという。
復縁のきっかけは「通帳の記帳」
何年かぶりに彼女が通帳の記帳を行うと、定期的に100円だけ振り込まれていたそうだ。
振り込み元の名前は『オレモワルカッタ』
彼女はすぐに夫からのメッセージだと気がついた。
「慌ててわたし、旦那に電話をして、謝って。旦那はわたしが記帳して、このメッセージに気づいたら戻ってこよう、と決めてたらしくて」
彼女の話を聞いて、藤間はハッとした。
半年以上前から、藤間は通帳の記帳をしていない。
…もしかしたら、あるいは?
◆
銀行で、藤間はじっと順番を待っている。
何年も記帳していなかったので、窓口で処理してもらわなければならなかったのだ。
焦る気持ちを落ち着かせるように、藤間は考える。
もし違ったとしても…もし記帳に妻からのメッセージが残っていなかったとしても、こちらから送ることはできる。
そして、確かに言えることは…
(僕の妻は、僕とは違い、こまめに記帳をしている)
藤間の番号が呼ばれた。
<ドクメンタ・完>
第4話「ルックスライク」
登場人物【高校生編】
久留米和人
高校1年生。隣の席の美緒のことが好き。
織田美緒
高校1年生。母親に似てかなりモテる(1話に登場)
藤間亜美子
美緒の友だち。クラスメイト(3話の主人公である藤間の娘)
深堀先生
和人たちの担任教師。年齢は30代後半。
和人の父親
平凡なサラリーマン。顔が和人とそっくり。
登場人物【若い男女編】
笹塚朱美
大学生。ファミレスでバイトしている。
邦彦
朱美の彼氏。
あらすじネタバレ【高校生】
和人と美緒は駅前の地下駐輪場にいた。
目的は『犯人さがし』
この駐輪場の利用者は前払いで60円の駐輪代を支払い、その証のシールを自転車に貼る。
犯人はそのシステムを利用して、他人の自転車からシールをはがして自分の自転車に貼りなおしている卑怯者。
こうして美緒が特に仲がいいわけでもない和人を誘って駐輪場を見張っているのは、卑怯者の犯人を見つけるためだった。
あらすじネタバレ【若い男女】
バイト先のファミレス。
大声で怒鳴り続ける老人のクレームに、朱美はじっと耐えていた。
店長は見て見ぬふり。朱美は屈辱に耐えて謝り続けている。
そんな不穏な現場に、いきなり男が割って入ってきた。
「あの、こちらの方がどなたの娘さんかご存知の上で、そういう風に言ってらっしゃるんですか?」
「はあ? 何だそれは」
「いえ、誰の娘かも知らずに怒っているんだとしたら、あたながちょっと心配になっちゃいまして。命知らずだな、と」
おどおどした様子の男は「じゃあ、僕はこれで」と言い残し、そそくさと去っていった。
老人はさすがに不安になったのか、それまでの勢いを失って、あっさりと朱美を解放した。
ちなみに、朱美の父親は耳鼻科医である。
◆
嘘八百で朱美のピンチを救った男の名前は邦彦。
ファミレスでの事件をきっかけに、朱美と邦彦はつき合い始めた。
◆
交際して1年半、朱美は邦彦への不満を日に日に膨らませていた。
といっても、邦彦が何か悪いことをしたというわけではない。
相性の問題、というべきだろう。
邦彦は典型的な「与える人」であり、誰かを喜ばせることに楽しみを見出すタイプだ。
サプライズが大好きで、他人を笑顔にすることを至上目的としているタイプ、と言ってもいい。
そんなだから、邦彦は朱美から「受けとること」をあまり喜ばない。
例えば、朱美が邦彦のために何かをしたとしよう。
もちろん邦彦は笑顔になるし「ありがとう」とも言うが、心の底から喜んでいるわけではない、と朱美にはわかってしまうのだ。
そのことが、朱美にはどうしても不満だった。
結末
犯人を見つけて声をかけたところまでは良かった。
だが、さすがは60円の駐輪代をちょろまかす犯人。
「俺がやったっていう証拠は?」から始まり、「大人に難癖をつけて、いったい何が目的なんだ。人生経験ゼロの高校生が」まで。
50過ぎのさえないおじさんは決して犯行を認めようとしないばかりか、偉そうに上から目線で美緒たちを叱りつけてきた。
最初は断固とした態度で接していた美緒も、さすがに剣幕に圧されて怯え始める。
このままでは男が暴力をふるうのではないか、と和人が危惧し始めた、その時。
和人たちがよく知っている顔が近づいて来て、男に声をかけた。
「あの、こちらがどなたの娘さんか、ご存知でいらっしゃるんですか? 知ってて、そんな口調で怒っているだなんて、ずいぶん命知らずだな、と思って」
男に意味深な忠告をしてから、深堀先生は「じゃあ、わたしはこれで」と言い残して去っていった。
急に不安そうな表情を浮かべる男に、美緒はむすっと言う。
「あの、60円の件ですけど」
男は「分かったよ。払えばいいんだろうが」と乱暴に言うと、気まずそうに去っていった。
男の背中が見えなくなると、和人と美緒は深堀先生の姿を探した。
ちなみに、美緒の父親は居酒屋の店長である。
◆
聞けば、美緒と和人がデートしていると思い込んだ男子生徒が、深堀先生に密告したらしい。
深堀先生がタイミングよく登場したのは、そういう理由から。
和人が「よくもまあ、そんな妨害工作をするものだ」と感心していると、聞きなじみのある声が聞こえてきた。
「和人、学校帰りか」
現れたのは和人の父親。
さえない父親の登場にため息をつきながら、和人は担任教師に父親を紹介する。
「はじめまして。いつも和人がお世話になっています」
平々凡々な保護者の挨拶に、深堀先生はいたずらっ子のような目をして意外な言葉を返した。
「はじめまして、ではないんですけどね。お久しぶりです」
目をぱちくりさせて首をひねっている久留米父に、深堀先生は「『この子がどなたの娘かご存知ですか』作戦は、20年近く経ってもまだ有効だったよ」と嬉しそうに続ける。
その言葉でようやく息子の担任教師の正体に思い当たった久留米邦彦は、呆然とした表情でつぶやいた。
「…え、朱美?」
「息子の担任を、馴れ馴れしく呼び捨てにしない方がいいと思いますよ」
茶目っ気たっぷりに深堀朱美は言う。
「結婚して、今は深堀です」
信じられないという表情であたふたする邦彦を見つめながら、朱美は笑う。
「あの頃に抱いていた念願、ついに叶ったよ」
「念願?」
「わたしがサプライズする側になってみたかったから。和人君の担任になった時から狙ってたの。いつか会ったら言ってやろうって」
「言うって、何を?」
朱美は満面の笑みを浮かべ、両手を広げて、その言葉を口にした。
「サプラーイズ」
<ルックスライク・完>
補足解説
高校生の和人と美緒、大学生の朱美と邦彦。
この短編では2つの物語が同時進行していくのですが、結末ではそれぞれの物語に20年間の時差があったことが明かされました。
【若い男女】から20年後の【高校生】において、朱美は深堀先生になっていて、邦彦は和人の父親になっていた、というオチですね。
結局、朱美と邦彦は別れたということになるのですが、笑って再会できているところを見るとケンカ別れしたという感じではなさそうです。
ちなみに【高校生】に登場する織田美緒は、第1話時点でまだ6歳だった一真と由美の娘ですね。
高校1年生と言えば16歳の年ですから、時系列的には
【若い男女】→約10年後→【第1話】→約10年後→【高校生】
という順番になります。
第5話「メイクアップ」
登場人物
窪田結衣
化粧品メーカー勤務。28歳。旧姓は高木。
小久保亜季
広告会社勤務。結衣とは高校時代の同級生。
山田寛子
結衣の上司(2話にも登場)
佳織
結衣の同期。
あらすじネタバレ
結衣には苦い記憶がある。
今でこそ美人な結衣だが、高校時代は太っていて、クラスではいじめられていた。
結衣をいじめていたのは、クラスの中心人物だった小久保亜季。
女子らしい陰湿ないじめに、当時の結衣は耐えることしかできなかった。
◆
広告会社との打ち合わせ。
照川という有名なディレクターが指揮を執るその広告会社には、驚くべきことに小久保亜季が在籍していた。
故郷を遠く離れた東京の地で、約10年ぶりの再会。
小久保亜季は洗練された印象の美人に成長していた。
「窪田さん、はじめまして」
その第一声で気づく。
亜季は結衣のことを認識していない。
結婚して苗字も変わったし、何より外見が全然違うのだから、それは仕方のないことだといえる。
…しかし、これはどうしたものだろうか?
◆
事情を同期の佳織に説明すると、彼女はすかさず「復讐しよう!」と言った。
確かに今の彼女が広告会社の人間であるのに対して、結衣はプレゼンを受けるメーカー側の人間だ。
選ぶ立場である結衣からしてみれば、亜季に復讐することは簡単だと言える。
とはいえ、結衣は佳織のように激しい気性の持ち主ではない。
とりあえずの方針として、結衣は亜季を見定めることにした。
10年の歳月で亜季が人間的に成長しているというのなら、いまさら復讐することもないだろう。
◆
結論から言えば、亜季の本質は高校時代から変わっていなかった。
表面的には洗練されているものの、その本性は他人を蹴落とすことにためらいのない、あの頃のままだ。
亜季に誘われて参加した合コンで、結衣は目撃した。
辻井という目当ての男を手に入れるために、亜季は「あの子には彼氏がいるからダメですよ~」と嘘をついたのだ。
いや、正確には辻井が気にしていた女子には確かに彼氏がいたが、破局寸前であり、次の恋を探すために合コンに来ていた。
合コンの幹事である亜季は、もちろんそのことを知っていた。
知っていて、わざと辻井に言わなかった。
自分が辻井を手に入れるために、だ。
そのやり口は高校時代の亜季から何も変わっていなかった。
◆
そして、復讐するには絶好の機会が巡ってきた。
場所はおしゃれな北京ダックバー。
結衣と佳織が食事をしていると、デート中の辻井と亜季が入店してきた。
亜季はプレゼン先の人間と仲良くなっておくべきだと考えたのだろう。
同じテーブルを囲むことを提案し、佳織が勝手に了承した。
そうして今、亜季はトイレのために席を離れている。
仕返しの方法は実に簡単だ。
同じ席の辻井に「実は彼女、良くない噂があって」とか「意中の男性が社内にいるそうですよ」とか言えばいい。
おあつらえ向きに、辻井はこう尋ねてきた。
「彼女のこと、どう思う?できれば彼女ともっと親しくなりたいんだけど、僕はあまり見る目がなくて」
佳織がじっとこちらを見つめている。
言うか、言わないか。
さんざん頭のなかで考えを巡らせてから、結衣は答えた。
「小久保さんとはそれほど親しくはないんですけど、辻井さんのことは気になっているみたいですよ」
亜季を許したわけじゃない。
ただ、ここで仕返しをすると、あの頃の自分を否定してしまう気がした。
(わたしは、あの頃のわたしのことが好きだ)
だから、復讐はしないことにした。
…というかそもそも、性格的に復讐なんて向いていなかったのだ。
怒っているかと思って隣を見ると、佳織は穏やかに笑みを浮かべていた。
◆
亜季が戻ってきたところで、結衣と佳織は店を出た。
すると、一人の女性が追いかけてくる。
「さっき一緒にいた男の人なんですが…」
その女性によれば、辻井は既婚者だということを隠して女遊びをする性質の悪い最低男に似ているのだという。
気をつけた方がいいかもしれない、という助言を残して、その女性は去っていった。
「本当だったら、小久保さんも騙されちゃうかもしれないね」
結衣はその言葉にハッとして店に戻ろうとしたが、佳織に止められる。
「別人かもしれないし、これは彼女の問題でしょ。まあ、これも一つの復讐ということで」
そういうものかなあ、と疑問に思いつつも、結衣はそのまままっすぐ家路についた。
◆
出張から帰ってきた夫に事の顛末を話すと、彼はだいたい佳織と同じような反応をした。
「すべてがうまくいかれるのは腹立たしいからさ、どっちかは失敗してほしいよな」
プレゼンか恋愛。
どっちかひとつくらいは失敗するべきだ、と夫は言う。
「一勝一敗なら、許してあげようよ」
驚くべきことに亜季は予言通り一勝一敗の結果になるのだが、それはまた別の話。
<メイクアップ・完>
補足解説
登場人物の1人である山田寛子の年齢から、第5話が第2話から見て約10年後の話であることがわかります。
ここまでの話を時系列順に整理すると
【第4話(若い男女)】→約10年後→【第1話~第3話】→約10年後→【第4話(高校生)、第5話】
ということになりますね。
ちなみにプレゼンと恋愛、どっちで亜季が失敗したのかは不明です。
第6話「ナハトムジーク」
第6話はこれまでの物語の総決算!
各話の登場人物の「その後」や「つながり」が、ウィンストン小野(学)の物語を中心として描かれています。
また、第6話はこれまでの短編とは違って、ころころと「視点」や「時代」が入れ替わりながら進んでいくのも特徴の1つ。
- 基準の年(第1話~第3話)
- 10年後の時代(美緒が高校生の時代=第5話の時代)
- 20年後の時代(初出)
という3つの時代が登場します。
今回はわかりやすさを重視して、ウィンストン小野の物語を軸にあらすじをまとめてみました!
あらすじネタバレ
チャンピオンになった学は宣言通り美奈子に告白し、晴れて二人は恋人同士になった。
そうして二人は今、織田夫妻の家に遊びに来ている。
美奈子とは高校の同級生だった由美の夫である織田一真が「チャンピオンに会いたい!」とわがままを言ったからだ。
部屋の中には一真、由美、美奈子、学、まだ6歳の美緒。
そしてもう一人、この場に向かっている人物がいる。
織田夫妻とは大学の同級生だった佐藤だ。
一真からチャンピオンが来るという話を聞いた佐藤は、彼にしては珍しく「サインが欲しい」と申し出た。
というのも、奥さんに逃げられた藤間がウィンストン小野のファンだったので、彼を励ますためにサインを贈ろうと考えたからだった。
ところが、織田家に向かう途中で、佐藤はいじめの現場に遭遇。
いじめっ子を追い払った頃には、野次馬根性の一真に連れられた学も公園に姿を見せた。
いじめられていた中学生の男の子は耳が聞こえにくく、そのことが原因でいじめられていたらしい。
「なら、ボクサーになればいい」
いつものように無責任に一真が言う。
一真の指示で学が太い木の枝を真っ二つに折って見せると、男の子は憧れの目で学を見つめた。
◆
世紀の一戦から2か月後、学は元チャンピオンと再戦した。
結果は惨敗。
メディアに追いかけまわされて、トレーニングの時間を十分にとれなかったのが原因だ。
さらに悪いことに、学は試合で重傷を負った。
選手生命を断ち切る重傷に、絶望する学。
彼が自暴自棄にならないように、美奈子は強引に学と結婚した。
試合後、学を励ますファンレターに混ざって、苦情の手紙が届いていた。
『弟がガッカリしている。失望させないでほしい』
あの難聴の男の子の姉からだった。
それから10年後。
学は再び日本中の注目を集めていた。
日本で開催されるヘビー級のチャンピオン戦に、学が挑戦者として出場することになったからだ。
現チャンピオンはKO連発の無敵ボクサー。
名前は「オーエン・スコット」
対する学はチャンピオンより10歳も年上の36歳。
ボクサーとしてはギリギリの年齢だ。
身内びいきの織田一真でさえ「簡単に勝てる相手ではない」と表情を渋くした。
◆
チャンピオンベルトをかけた試合が始まった。
互角に戦っていられたのは最初だけ。
スタミナの差から、試合はオーエン優勢に進んでいく。
倒れはしないものの、学は防戦一方。
9ラウンドを終えたころには意識がもうろうとし、ついに闘志も燃え尽きえしまった。
もうだめだ、と学の炎が消えかかったその時。
学は近くからこっちをじっと見つめてくる視線に気がついた。
顔を上げる。
視線の主は10ラウンドの開始を告げるラウンドボーイ。
モデル事務所から派遣されたそのラウンドボーイは、手話で学にメッセージを伝えた。
『まさかそれでおしまいではないだろう?』
怒気を含んだそのハンドサインに、学はハッとした。
目の前の容姿端麗な青年は、あのときの難聴の中学生ではないか。
学が呆然としていると、青年は『10ラウンド』を記されたボードを高々と掲げ、雄たけびのような短い叫びとともに真っ二つに折った。
それを見た瞬間、学は体の奥の方からマグマのような熱が湧き上がってくるのを感じた。
羽交い絞めにされて引きずられていくラウンドボーイに、学は『大丈夫だ』のハンドサインを返す。
まだやれる。
勝てる。
学の渾身の左フックがオーエンの横顔をとらえ、その体ごと吹き飛ばす。
オーエンがマットの上にひっくり返ったのは、最終12ラウンドの終了ゴングとほぼ同時だった。
◆
結局、オーエンのセコンドが『ゴングの方が先だった』とごねたせいで学のKOは無効になった。
それでも世界中の人々は学こそが真の勝者であるとその健闘を讃えた。
まさに、試合に負けて勝負に勝つ。
そうそう、当時まだ駆け出しのファッションモデルだった例のラウンドボーイは、その後、国外で活躍するモデルになったらしい。
あのとき、彼が鼓舞してくれなければ、きっと学は10ラウンドで大敗していたに違いない。
しかし考えてみれば、もともと学と彼には接点などできるはずもなかった。
その遠い縁が結びついたのは、たまたま学のパートナーである美奈子が由美の同級生だったからで、たまたま由美の夫が一真だったからで、たまたま一真が佐藤のいる公園に学を連れて行ったからで、たまたまそこに彼がいたからだ。
それだけではない。
もし、斎藤さんに励まされていなかったら、美奈子と学はつき合い始めていなかったかもしれない。
もし、藤間がウィンストン小野のファンじゃなかったら、佐藤が織田家に向かう道中でいじめの現場に遭遇することもなかっただろう。
人と人は、つながっている。
だからこそ、出会いは大切にしなければならない。
過去を振り返りながら、学はそう思った。
<アイネクライネナハトムジーク・完>
補足解説
学の物語だけではなく、第6話ではこれまでの物語の「その後」についても描かれていました。
たとえば…
- 美緒(高校生)と和人は恋人になる一歩手前の関係に。
- 藤間は奥さんと離婚。でも、そのくらいがちょうどいい距離感だったのかもしれない。
- 学と美奈子の間には娘が生まれた(オーエン戦の2年前)
などなど。
一方で、第6話には…
- 第1話の佐藤と彼女がその後どうなったのか?
- 第5話の結衣や亜季がどうなったのか?
などの描写はなし。
「想像にお任せ」な結末を迎えました。
伊坂幸太郎と斉藤和義
実は小説「アイネクライネナハトムジーク」はもともと、伊坂幸太郎さんが斉藤和義さんのオファーで執筆したものなんです。
正確には斉藤和義さんは作詞を伊坂幸太郎さんに依頼したのですが、伊坂さんは「作詞はできないから小説を書きます」と返事をして、1つの目の短編「アイネクライネ」を執筆されたんですね。
それで完成した曲が斉藤和義さんの「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」
恋愛をテーマにした斉藤和義さんのアルバム『紅盤』の1曲目で、『出会い』をテーマにした曲です。
歌詞を見てみると短編小説「アイネクライネ」のシーンが詰め込まれていて、実際に作詞の名義も「斉藤和義・伊坂幸太郎」と連名になっています。
その後、「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」がシングルカットされるにあたり、初回限定盤の付録として書き下ろされたのが第2話の「ライトヘビー」
作中には『斉藤さん』という謎の人物が登場し、斉藤和義さんの曲の一部を流すことで、登場人物を応援するというシーンが印象的に描かれていました。
で、それから残りの4つの短編が足されて出来上がったのが連作短編集「アイネクライネナハトムジーク」
伊坂幸太郎さんにしては珍しく、恋愛をテーマに扱った小説になりました。
ちなみに、そもそも斉藤和義さんから伊坂幸太郎さんにオファーがあったのは、伊坂幸太郎さんが大の斉藤和義ファンだったから。
小説のあとがきの中で伊坂幸太郎さんは
『正直なことを言えば僕は「恋愛もの」と分類されるものにはあまり興味がないため、普通であれば引き受けるのにも相当悩んだと思います。ただ、僕は斉藤和義さんの大ファンでしたから、一緒に仕事ができるチャンスを逃したくありませんでした』
とコメントしています。
感想
『明日がきっと楽しくなる、魔法のような小説集』
これは文庫版の「アイネクライネナハトムジーク」の帯に書かれていたキャッチコピーなのですが、読んでみると「その通りだな!」と思いました。
6つの短編の中で描かれているのは、劇的な事件ではなく、身近な日常の物語。
思わず「あるある」と言いたくなるほど共感できる登場人物たちの選択や、台詞や、行動は、なんだか読んでいるこっちにまで勇気や希望を与えてくれるようなものばかり!
読むことで気持ちが少しだけ明るくなるような、少しだけ人生に前向きになれるような、ささやかながらも素敵な小説だと思いました。
ちなみに私が一番好きだったのは、第2話の「ライトヘビー」
私は思いっきり伊坂幸太郎さんの罠にはまっていたので、まさか「学=ウィンストン小野」だなんて思いもしませんでした。
だから、あの結末にはビックリさせられましたね。
それにミステリー的な驚きもさることながら、「ライトヘビー」は美奈子も学も本当にかわいいんです!
だって、1年も電話越しの関係を続けてたんですよ?
なんというか「君たち絶対に両想いじゃん!」という甘酸っぱい雰囲気がたまりませんよね!笑
2人の思いがようやく通じ合った第2話のラストもよかったですし、2人の「その後」にスポットライトが当てられた最終話の「ナハトムジーク」も素敵でした。
美奈子と学の物語もそうですけど、「アイネクライネナハトムジーク」は行間で多くのことを伝えている小説なので、気になった方はぜひ小説をお手に取られてみてください。
きっと温かい気持ちになれますよ。
まとめ
今回は伊坂幸太郎「アイネクライネナハトムジーク」のあらすじ・ネタバレ・解説などをお届けしました!
作品を貫くテーマは『出会い』や『人と人とのつながり』
最後の短編である「ナハトムジーク」では、第1話~第5話までの短編の登場人物がいっせいに登場し、その出会いとつながりが1つの奇跡を起こします。
ちょっと元気がないときに読みたくなるような、心温まる作品でした。
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