仁科裕貴「初恋ロスタイム」を読みました。
『ロスタイム』というSF設定に目を引かれる今作ですが、基本的な枠組みは『青春恋愛 × 病気』(あ、ネタバレですね)
どうもこの手の物語には涙腺が決壊していまいます。
今回は映画化もされた小説「初恋ロスタイム」のあらすじネタバレをお届けします!
『ロスタイム』とはいったい何なのか?
悲恋かハッピーエンドか……感動の結末とは!?
Contents
あらすじネタバレ
午後1時35分。
毎日この時間になると、世界の時が止まる。
止まった世界は何もかもカチコチに固まっていて、物音ひとつしない。
そんな静止した世界のなかで、なぜか僕だけは動くことができる。
時間停止の基本的なルールは次の通り。
1.固まった物質に強い力を加えると、元の状態に戻る(凍結と解凍)
2.時間停止の制限時間は1時間。その間に起こったことはすべてリセットされる(復元)
補足しておくと、たとえ強い衝撃を与えたとしても人間が動き出すことはない。
ただ手触りが元に戻るだけで、きっとそこに意識はない。
また、制限時間が終わると僕は強制的に時間停止が始まったときにいた場所に戻される。
時間停止中にしたことはすべて『なかったこと』になるけれど、記憶だけはなくならない。
僕がこの不可思議な現象に気づいたのは一週間前のこと。
僕はひそかにこの現象を《ロスタイム》と名づけた。
この現象が起きている理由なんて皆目見当もつかない。
問題は、この時間をどのように利用するかだ。
答えはすぐに出た。
高校一年生の男子が時間停止を利用してすることなんて、ひとつしかない。
女子とお近づきになるのだ。
もちろん物理的に。
第1章 静止した街の中で
僕が通う須旺学園は男子校だ。女子はいない。
というわけで、その日、僕は《ロスタイム》に突入すると同時に学校を飛び出し、共学の超名門校「吉備乃学院」へと向かった。
総合病院の敷地内をつっきる近道を通って片道15分。
吉備乃学院に到着すると、おあつらえ向きに中庭でひとりスケッチをしている女生徒を発見した。
今日の目標はそうだなぁ……まずは隣に座ってみることから始めてみよう。
そんなことを考えながら近づいていくと……
「……誰?」
驚くべきことに、彼女は振り返った。
《ロスタイム》の中で。
「何なのあなた? ここで何をしているの?」
僕がしどろもどろになっていると、警戒から彼女の目がどんどんつり上がっていく。
非常にマズイ。
僕はとっさに「時間停止の謎を解き明かしたい」だの「他に動ける人がいないか探していた」だの、それらしい言い訳を並び立てる。
その結果、なんとか通報を思いとどまらせるくらいには、彼女の警戒レベルを下げることに成功した。
予定とはずいぶん違うボーイミーツガール
ただ、落ち着いて見てみると、彼女はびっくするほどの美人だっった。
瞳が琥珀色なのは、外国の血が混ざっているからだろうか?
◆
それは成り行きで彼女と時間停止中の街をパトロールしているときのことだった。
僕たちが目撃したのは「横断歩道をわたる幼稚園児たち」と「居眠り運転のトラック」
つまり、数秒後には事故が起きる現場だ。
なんとかしたいのはやまやまだけれど、僕たちにはどうすることもできない。
僕たちが何をしても、《ロスタイム》が終わればなかったことになってしまうからだ。
だというのに、彼女はなんとか惨劇を回避しようとあらゆる手段を試している。
その姿を見て、僕は「美しい」と思った。
せめて彼女の気休めになればと、思いついた手段を試してみる。
うまくいけばいいのだけれど……。
――午後1時35分01秒。
《ロスタイム》が終わると同時に、僕は学校を飛び出して現場に急行した。
◆
「子どもは無事だって」
一足先に来ていた彼女の言葉に、僕は心から安堵した。
「あなた、何をしたの?」
種明かしをすれば、なんてことはない。
僕はただ車の中から不在連絡票を見つけて、ドライバー直通の電話番号を暗記しただけだ。
あとは《ロスタイム》が終わった直後に電話をかけるだけ。
ドライバーが目を覚ましたのは、僕の電話に気づいたからからもしれないし、ただ単に起きただけかもしれない。
僕の説明を、彼女は感心しているような悔しがっているような表情で聞いていた。
◆
「ねえ、たまにならパトロール、つき合ってあげてもいいわ」
「え、本当に!?」
願ってもない言葉に、僕は天にも昇るほど喜んだ。
これで終わりだなんてあっけなさすぎる。
「よろしくね、相葉孝司くん。わたしの名前は篠宮時音よ。覚えておいて」
第2章 時間泥棒に気をつけて
あれから僕は《ロスタイム》の度に、彼女に会いに行くようになっていた。
どうにかもっと彼女とお近づきになれないものか。
明日は休日。
彼女が好きそうな動物園に誘ってみると……
「行く!」
二つ返事でOKだった。なんなら、ちょっと食い気味だった。
彼女は動物と触れ合いたいだけなんだろうけど、まぎれもなくこれはデートだ。
僕は心の中でガッツポーズを決めた。
◆
《ロスタイム》中の動物園は、いつもと一味違う。
なんといっても、どんな動物も直接触りたい放題なのだ。
満面の笑顔の彼女に引っ張られるようにようにして動物たちを見て回る。
園内を一周するころには、さすがの僕もくたくたになっていた。
「ちょっと休憩にしない?」
やや不服そうな彼女を説得してベンチに腰を下ろすと、僕はすかさずバッグから水筒と手作り弁当を取り出した。
エビフライ、ハンバーグ、カキフライ、etc……。
自信作だったのだけれど、おかずを見た彼女は「ごめんなさい。それは食べられないの」と暗い顔で言った。
……やっぱり男子の手作り弁当はキモかったのだろうか?
僕がそそくさと弁当をしまおうとした、その時だった。
「……待って!」
篠宮さんはベンチの上で前のめりになり、僕の手をはっしと掴んだ。
「どうして今まで気づかなかったの? 今はロスタイムだもの。時間が動き出せば、すべてがなかったことになるはず……」
彼女の目がみるみる輝いていく。
「食べるっ! わたし食べるわ!」
「えっ?」
そこからの彼女の食べっぷりは見ていて気持ちいいものだった。
何を食べても「お、おいしいっ!」とオーバーリアクションで、最後には僕の分の弁当まで平らげてしまった。
きっとダイエットを気にしていたに違いない。
《ロスタイム》中なら体重は増えないから、安心して食欲を満たせるというわけだ。
彼女たっての願いで、これから《ロスタイム》には弁当を彼女に持っていくことになった。
料理をこんなに喜んでもらったのは初めてのことで、僕もなんだか嬉しかった。
◆
これが恋かどうかは、まだわからない。
ただ、僕は確実に篠宮さんのことを好きになっていた。
……けれど、彼女はいったい僕のことをどう思っているのだろう?
毎日顔を合わせているとはいえ、《ロスタイム》の外で彼女と話したのは、最初に出会った日の事故現場で一度きり。
動物園でも《ロスタイム》が終わるとさっさと帰ってしまったようだし、彼女はきっと《ロスタイム》の外で僕と会うことを嫌っている。
篠宮さんは自分のことを何も話そうとしないし、僕との関係をリアルに持ち込みたくないのかもしれない。
僕たちは、ただの《ロスタイム》友達。
それはそれで悪くない間柄だと、僕は自分に言い聞かせた。
欲を持って、今の関係を失うことだけは嫌だったから。
第3章 僕と彼女の特異点
その日、いつもより早い時間に吉備乃学院に到着した僕は、近くのコンビニに入って《ロスタイム》を待っていた。
午後1時35分。
《ロスタイム》に突入したことを確認してコンビニの外を見ると、歩く彼女の姿が見えた。
…………え?
たった今、授業中に《ロスタイム》を迎えたはずの彼女が、どうして吉備乃学院に向かって歩いているんだ?
◆
本当はとっくに気づいていた。
篠宮さんには何か『秘密』がある。
だって、彼女はあまりにも自分のことを話さない。
僕がこれまでそのことに言及しなかったのは、そこに何かとんでもない『真実』があるような気がして怖かったから。
僕にとって、篠宮さんとの毎日はかけがえのないものだ。
もしそれが失われてしまったらと考えると……だめだ、とても耐えられない。
篠宮さんに会えば不用意なことを口にしてしまう気がして、その日、僕は初めて彼女とのランチタイムをすっぽかした。
◆
きっと、その日が転換点だったのだ。
「彼女のことが知りたい」という想いはどんどん大きくなっていく。
そしてついに、僕は意を決して吉備乃学院で非常勤講師をしている姉に尋ねた。
「姉さん、篠宮時音、という生徒を知ってるかい?」
姉の顔が一瞬で曇る。
どうしてもと頼み込むと、姉は戸惑いながらぽつりとつぶやいた。
「……篠宮さん多分、もう学校、辞めてると思う」
「辞めてる……?」
彼女はいつも吉備乃の制服を着て中庭にいた。
彼女もまた、僕と同じように外から紛れ込んでいただけ……?
「詳しい話を聞かせて……頼むから」
「わかった。でもね、聞いたらすごく、つらいかもしれないよ」
翌日、僕はいつも通り道にしている総合病院へと足を運んだ。
時刻は午後1時35分。
入口の外で待ち構えていると、やがて待ち人は現れた。
「……どうしてここに?」
凍りついた表情の篠宮さんに、僕は努めて冷静に告げる。
「篠宮さんのお見舞いに来たんだ」
ビクッと彼女の肩が震えた。
「……だったらもう、全部知ってるんだ」
「いいや、全部じゃないよ。正直に言うけど、僕はこの病院にたどり着くくらいの情報しか持っていない。だからその先は、篠宮さんに説明してほしいんだ」
毅然として言う。そして彼女と目を合わせ、意志の強さを伝えた。
すると彼女はふっと諦めたように微笑して、ゆっくりと僕に背を向けた。
「わかった。いいよ。そういう日がくるかもとは思ってたから……ちゃんと説明する。中に入ろう?」
◆
「ウィルソン病って知ってる?」
彼女が患っているのは肝臓。
食べ物に含まれる『銅』を体外に排出できないせいで、やがて臓器や脳に異常をきたしてしまう病気らしい。
あとで調べてわかったことだけれど、彼女の琥珀色の瞳もウィルソン病の症状の1つだった。
「その病気、治らないの?」
「ううん、治るよ。生きてる人から直接、肝臓の一部を移植してもらえばね」
「ドナーがいればいいってこと?」
「ううん。誰でもいいわけじゃないの」
臓器を提供できるのは、彼女の肉親だけ。
篠宮さんの母親はすでに他界しているため、事実上、ドナーになれるのは彼女の父親だけということだった。
「なら、お父さんに頼めば」
「そうね、それしかないんだけど……断られたの」
「……は?」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
篠宮さんの両親はずいぶん昔に離婚しているらしいけれど、だって、血を分けた娘じゃないか。
篠宮さんは母方の祖父母との確執が原因だろうと言う。でも、だからって移植手術を断るなんて……。
身の上話を語る篠宮さんの目からは、いつしか熱い滴がこぼれ落ちていた。
「お父さんにとって、わたしはとっくに他人だった! 死んでも関係ないって思われてる!」
「………」
僕は何も言うことができない。
「そのことをわたしが知った時刻が、午後1時35分」
「……え?」
「だから、わたしが原因なんだと思う」
「原因って……」
《ロスタイム》の原因が彼女?
もうさっぱり、意味がわからない。
混乱する僕を置き去りにして、篠宮さんはさらに言葉を続けた。
「毎日、その時刻が来るたびに思い出した。私はお父さんに見捨てられて、もうすぐ死ぬ運命だって」
「……そんなに、もう、容態は悪いの?」
「うん」
彼女は真顔で答えた。
「移植の話が出てくる時点で、ほとんど猶予はないんだってさ」
「――――」
絶句した。
彼女が《ロスタイム》を自覚してから、すでに2か月が経過している。
おそらくは、末期。
そんな状況なのに、彼女は毎日笑っていた。
僕は……気づけなかった!
どうして……!
「そんな顔しないで。感謝してるんだよ? 相葉くんがいなければ、あの空白の時間はつらいだけだったと思うから」
「僕は、何も」
「ううん、そんなことない。生きてるって思えたんだよ。すごく嬉しかった……。毎日が楽しすぎて、一瞬で過ぎていって……」
彼女の手が僕の頬に触れる。その手は、まるで体温がないかのように冷たかった。
「ありがとう。だけど、もう終わりにしよう」
一方的に告げると、彼女はすっと僕から離れた。
「何、言ってるんだ」
「最初から決めてたの。あなたが病院に来るようなことがあれば、この関係は終わりにしようって」
僕がどんなに「嫌だ」と言っても、彼女は頑なに受け付けなかった。
「ごめんね、巻き込んで。きっとあなたに助けを求めてたんだと思う。でも、それってエゴだから。ここで解放してあげなきゃ駄目なんだよ」
彼女が何を言っているのか、さっぱりわからない。
ただ、胸が張り裂けそうなほど苦しい。
「これで、さよならにしよう。じゃあね。もうここに来ちゃだめだよ」
「待っ――」
手を伸ばしたその瞬間、景色が一転した。
《ロスタイム》が終わったのだ。
病院の外から、入院棟を眺める。
きっと病室を訪ねても、拒否されるだけだろう。
体に降り積もる雪を払うのも忘れて、僕はただ、呆然と立ち尽くしていた。
第4章 時の鼓動が聞こえる
《ロスタイム》の原因が篠宮さんだとして、なぜ僕だけがその中で動ける?
そこには何か『理由』があってしかるべきだ。
彼女は僕に助けを求めていたという。
そして、彼女を救う方法は父親からの生体肝移植だけ。
ならば、答えは……!
◆
午後1時35分。
《ロスタイム》に突入すると、僕はいつものように教室から出た。
だけど、今日は彼女のもとには向かわない。
須旺学園の外にも出ない。
だって『彼』に用事があるのだから。
僕はくるりと180度向き直ると、教室へと取って返した。
「忘れ物をしましたっ!」
大声で『彼』に呼びかけると、その人物はゆっくりと振り返った。
「……気づいていたのか、相葉」
「高町先生が篠宮さんのお父さんだなんて、とても意外でした」
◆
高町先生は僕の担任教師だ。
なんでもそつなくこなす優秀な人物で、家庭では美人の奥さんと3歳の赤ちゃんに囲まれている幸せ者。
そして、篠宮さんの実のお父さんでもある。
……実は疑念は以前からあった。
《ロスタイム》中に校庭から教室を見上げると、先生の姿勢が変わっているような気がしていたのだ。
やっぱり、先生も《ロスタイム》に巻き込まれていたのか……。
◆
『父親のいる須旺学園の生徒だから』
おそらく、これが僕が選ばれた理由だろう。
別に誰でもよかったんだ。
どこかでたまたま僕のことを知っていた、程度のことでしかない。
でも、それがどうした。
僕はとっくに彼女に恋している。
ならば、やるべきことはひとつだけだ。
「単刀直入に言います。高町先生、彼女と話をしてください。実の娘である篠宮時音さんと」
「断る」
「なぜですか!」
「家族がいるからだよ」
高町先生の言葉に迷いはなかった。
「手術に同意すれば、ドナーは肝臓の60%を摘出される。手術は長時間に及び、致命的な合併症を引き起こす可能性もある。死亡例すらあるんだよ」
「……知ってます」
新しい家族のために、命をかけるような手術には同意できないということか。
悔しいけど、先生の言葉は理解できる。
でも、だからってここで引き下がるわけにはいかない。
「ドナーになれとは言いません。ただ篠宮さんと話をしてください」
「意味がない」
僕は何度も頼み込んだけれど、先生の決意は固く、びくとも動かなかった。
でも、それでも……!
「先生、この時間停止現象の原因は篠宮さんです。先生と篠宮さんが、自分を見つめて、各々に答えを出すための時間です。そのために神様が与えてくれたんだって僕は思います。先生たちしかいない、雑音のない世界で、ただ二人だけの答えを出すために!」
「……」
「時間はもう、ないそうです」
先生に向かってまっすぐに頭を下げる。
「一度だけでいいです。篠宮さんと話をしてください。お願いします!」
「…………いまさら何話せってんだよ、馬鹿野郎」
高町先生の溜息混じりの悪態を最後に、会話は途切れた。
あとは信じるしかない。
きっとまだ希望はある。
だって、高町先生は彼女のお父さんなのだから。
時は流れて、三学期最後の日。
あれから高町先生と篠宮さんがどうなったかは、まったくわからない。
ただ、先生は休職届を出した。
学校では何か大きな病気で手術をするらしい、という噂が広がっている。
だから、たぶん、うまくいったのだろう。
最近では《ロスタイム》が短くなってきている。
きっと彼女のストレスの原因が取り払われたせいに違いない。
彼女と過ごした日々を懐かしく思いながら歩いていると、いつのまにか吉備乃学院にたどり着いていた。
校門の影から中庭をのぞく。
我ながら、ちょっとした不審者である。
そんなことを考えているときだった。
「わっ!!」
背後からの大声にビックリして、僕は尻もちをついてしまった。
この声は……
「ごめんね。びっくりした?」
そこには、篠宮時音がいた。
「……なんでここに?」
彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「実は転院することになったの。だから最後に学校を見ておこうと思って、それで来ちゃったのよ」
「転院ということは、もしかして手術を?」
「うん、そうなの」
彼女はにこやかに口元を緩める。
「ちょっと前にね……ロスタイムの間に、お父さんが病室まで会いに来てくれたの。他愛もないことを話して、一緒に笑って……」
「それで?」
「最後に親らしいことをさせてくれって、そう言ってくれたの」
篠宮さんは幸せそうに笑っている。
「……そっか、よかった」
本当に、よかった。安心したとたん、全身から力が抜けていくようだった。
「ありがとうね」
「え、何が?」
「全部だよ。わたしのロスタイムに意味をくれたこと。一緒に過ごしてくれたこと。そしてお父さんに会わせてくれたこと。全部あなたのおかげだから」
◆
《ロスタイム》が終わると、彼女の姿も消えた。
手術が受けられるようになって、本当によかったと思う。
ただ、消える直前の彼女の言葉だけが気にかかった。
「あのね、手術の成功率は高いらしいんだけど……10人に1人は失敗するんだって。だからもし、このままわたしがいなくなったら。ちゃんと忘れてほしいの。ちゃんとわたしを、過去にしてね」
弱気な彼女の微笑に、胸が痛んだ。
きっと、大丈夫。
今は少しのあいだ、離れるだけ。
そう、これはあくまで一時の別れのはず……。
エピローグ
半年後。
彼女のいない日々を淡々と過ごしていた僕の前に、高町先生が現れた。
先生は僕を総合病院へ連れていくと「804号室」とだけ告げて去っていく。
804号室。もしかしてそこには……
僕は病院の中を走り抜けて、個室のドアを勢いよく開けた。
「篠宮さんっ!」
「久しぶりね」
広い病室の真ん中に置かれた大きなベッドの上に、彼女はいた。
前よりもずっと痩せているようだ。
体には何本ものチューブが刺さっている。
……半年も経つのに、まだ投薬治療が続いているのだろうか?
僕は思い切って尋ねた。
「あのさ、体の調子は……?」
彼女は弱々しい微笑を浮かべ、困ったように笑った。
「手術は成功したのよ。でもね、もともと肝機能が弱っていたせいで、体のいろんな場所が脆くなっててね」
「え……」
「最初は全部うまくいって、リハビリとかもしてたんだけど……。脆くなってた血管が体内で破れて、それで意識を失って……」
それから篠宮さんは、まるで他人事のように経過を語った。
なんと彼女はこの半年で4回も手術を受けたのだという。
そして……
「無理言って、ここに戻してもらったの。相葉君がいるこの街で、最期は過ごしたかったから」
「最期……?」
一瞬遅れて理解した。
駄目だったのだ。
彼女の病気は治ってない。
それどころか、手の施しようもないほど悪化している。
「ロスタイムがね、長くなってるの」
彼女の言葉に、僕は愕然とした。
僕の《ロスタイム》はとっくの昔に消えている。
一方で、彼女は今やほとんど《ロスタイム》の住人になっていた。
現実の彼女は1日のうち23時間は脳死に近い状態にあるという。
じゃあ、もしもこのまま《ロスタイム》が拡大し続けたらどうなる?
彼女は《ロスタイム》から抜け出せなくなり、永遠に眠り続けるのではないか?
「そんな……」
言葉が出なかった。
「だからね、お父さんにわがままを言って、あなたを連れてきてもらったの。わたしはもう歩くこともできないから」
ごめんね、とひどく申し訳なさそうに彼女は言う。
僕はなんて馬鹿だったのだろう。
10人に9人は助かる手術だと思って楽観視していた。
いつか元気な姿で戻ってきてくれると信じて疑わなかった。
忘れていたんだ。
現実は、残酷だ。
「篠宮さん」
震える声で僕は訊ねた。
「僕は何をしたらいい? 何ができる?」
「ベッドの隣に座って、わたしが眠るまでそばにいてほしいの」
「それだけ……?」
「うん」
彼女は弱々しくうなずいた。
間もなく、午後1時35分になる。
彼女にはもうわかっているのだろう。
次に時間が停止してしまえば、二度と帰れないということを……。
僕はパイプ椅子を引き寄せて座ると、やせ細った彼女の手を握った。
「ずっとここにいるから」
「……うん」
彼女は笑顔のままうなずき、やがて目を閉じた。
そしてすぐに、安らかな寝息を立てはじめた。
直感的に僕は理解する。
多分、彼女はもう目を覚まさない。
意外なことに、僕は冷静だった。
彼女から手渡された遺書代わりのスケッチブックを開くと、そこには最終ページまでびっしりと絵が描きこまれていた。
学校の中庭にいた猫。
動物園で見たホッキョクグマやライオンやペンギン。
《ロスタイム》から戻ってきた彼女が描き残していた記憶の数々。
その中に、ひとつだけ見覚えのない絵があった。
かなり最初の方のページだ。
自転車を懸命にこいでいる、眼鏡をかけた男子生徒。
「ああ、そうか……。そうだったのか」
理解したとたん、感情が決壊した。
「うう……っ、ぐっ、うぅ、ぁああ……」
間違いない。この絵は僕だ。
僕はよく近道として総合病院の敷地内を通り抜けていた。
そんな僕を、彼女は病室から見ていたのだ。
だから僕は《ロスタイム》の中で彼女に会うことができたのだろう。
すべてはこの病室から始まった。
だから彼女はここで終わることを選んだ。
彼女は今、永遠の世界に旅立った。
そしてその世界には、きっと動かない僕がいる。
彼女はそのために僕を呼んだのだから。
ああ神様。どうか彼女が、幸せでありますように――。
篠宮さんと過ごす終わらない日々を想像しながら、僕は病室に慟哭を響かせる。
終わらない初恋の歌を、いつまでも歌い続けた。
エピローグ(Side・篠宮時音)
ロスタイムが訪れ、私の時は止まった。
恐らくもう永遠に動き出すことはないだろう。
「ごめんね」
もう一度彼に謝った。最後にひどいトラウマを植え付けてしまったかもしれない。
目尻に涙をためた彼の頬に、そっと指を走らせる。
冷たい。やはり凍結している。
でも愛おしさが胸の内からあふれてきた。
このまま永遠を彼と一緒に過ごせることが、たまらなく嬉しいのだ。
「何から話そうか……そうね」
わたしは、わたしの物語を話すことにした。
覚えている限り正確に、どんな些細なことも割愛せず、冗長で退屈な人生をそのまま彼に語ってきかせた。
日は落ちず、時計の針は動かず、話は最初に戻りもう一度。
それが終わったらまた最初から。
リピート。リフレイン。エンドレス。
どこまでも続く。どうやっても終わらない。
だけど最後には必ず幸せになる物語。
終わらない初恋の歌を、わたしはいつまでも歌い続ける。
ロスタイム
あれからどれだけ時間がたったのかわからない。
ふと目を醒ましたわたしは、変わらず病院のベッドにいた。
どうして意識が戻ったのかわからない。
永遠の時間に耐えられず、とっくに気が触れているものだと思っていたのに。
そうだ。確かノックのような音が聞こえた気がしたのだ。
でも、気のせいに違いない。
ロスタイムの中で音がするはずが……
そう考えていた私の目に、信じられないものが映った。
病室のドアがゆっくりと開き、白衣を着た医師が入ってきたのだ。
「あ……」
その医師の顔を見た瞬間、わたしはすべてを悟った。
忘れられるはずがない。あの無垢な目元を。
人の好さそうな素朴な顔立ちに、申し訳なさそうに頬を歪めるだけの微笑を。
わたしはもう一度、口を動かしてみる。
「――背、伸びたね」
がらがらの声でそれだけ言うと、彼はやはり目尻に涙を浮かべて、くしゃくしゃの笑顔になった。
「――君はずっと変わらないけどね」と彼。
自分ではよくわからない。一体あれから何年経ったのだろうか。
彼の姿を見る限り、四半世紀は経っていないと思うけれど……。
「なんか、実感湧かないな。わたしもあなたも、ちゃんと生きてる? 幽霊じゃない?」
「もちろんさ。ほら」
彼の手が私の指先に触れる。
ああ……本当だ。そこには確かに、温かい時間の感触があった。
彼はゆっくりと顔を近づけると、昔と変わらぬ優しい声で耳元でささやいた。
「迎えに来たんだ」
自然に涙があふれて、止まらなくなった。
胸の中が大きな幸せに満たされて、もういつ死んでもいい気持ちになった。
でも終わらない。
医者になる夢を叶えた彼が、終わらせてくれないだろう。
「――おかえり、篠宮さん」
「ただいま」
泣きながらかろうじて答え、彼の頬にそっと額を押し当てた。
わたしの初恋ロスタイムは、まだ続いていくみたいだ。
<初恋ロスタイム・完>
まとめ
今回は仁科裕貴「初恋ロスタイム」のあらすじ・ネタバレをお届けしました!
まさかの結末……と思わせてからのハッピーエンド!
ラストは感情があっちこっちに揺さぶられて、泣きっぱなしでしたよ!
『青春恋愛 × 病気』ジャンルはご都合主義な結末になりがちなのでラストが難しいのですが、その点、「初恋ロスタイム」は絶妙なさじ加減でしらけさせることなく感動させてくれました。
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