切ない・泣ける

宮下奈都『静かな雨』あらすじと感想!美しい物語には裏がある?

宮下奈都さんのデビュー作『静かな雨』を読みました。

『記憶と愛』を巡る物語。

本屋大賞の『羊と鋼の森』もそうでしたが、言葉選びがとってもキレイな「美しい小説」でした。

今回はそんな『静かな雨』の

  • あらすじ
  • 感想
  • 実は描かれていない裏があった?

などについて書いていきたいと思います。

あらすじ

『静かな雨』は100ページほどの短い小説です。

登場人物はほぼ

  • 行助(=僕)
  • こよみ

の2人だけ。

物語は主人公である行助の視点で語られます。

というわけで以下、あらすじです。

※結末までのネタバレを含みます。

僕の人生で、こんなにおいしいたいやきを食べたことはなかった。

気まぐれで買ったたいやきを一口かじるやいなや、思わず引き返して

「これ、おいしい」

と伝えるなんてらしくない行動をとってしまうほど、そのたいやきは絶品だった。

僕がつたない語彙で感動を伝えると、たいやき屋の女の子は頬をぱっと紅潮させて「ありがとうございます」といった。

心底うれしそうな顔だった。

僕はすぐにたいやき屋の常連になった。

女の子はお客さんから「こよみさん」と呼ばれていた。

こよみさんは毎日あのたいやきを焼けることをよろこんでいて、食べた人がおいしさに驚く顔を見るのを何よりも楽しみにしているようだった。

会うたびに、話をするたびに、こよみさんのまぶしさに目がくらむ。

芯が強い、決してあきらめない人。

生まれたときから足に麻痺があり、松葉杖をついている僕にとっては「高嶺の花」だ。

高い崖の頂に咲く花。

崖を上るべきか、尾根伝いにぐるりとまわるべきか、それとも岩場をこつこつ切り崩すべきか。

さてどうしようかと思案していたところへ、思いがけずもその花がぽとりと落ちてきたのだった。

記憶

完全なもらい事故だった。

こよみさんはただ歩道を歩いていただけだったのに。

意識不明のまま、1か月がすぎ、2か月がすぎていく。

僕は毎日、仕事帰りに病室に通っては痩せこけていくこよみさんの顔を眺めた。

そうして眠り続けるこよみさんのことを、僕は何も知らない。

年齢も、出身地も、どうして1人でたいやき屋をやっているのかも。

病室で他の見舞い人に会うことは1度もなかった。

3か月と3日眠り続けて、こよみさんはようやく目を覚ました。

何の前触れもなく、ぱちりと目を開いた。

驚いて椅子から立ち上がった僕を見て、何度か瞬きをし、口元に笑みを浮かべ、彼女は「おはよう」といった。

こよみさんは事故のことを覚えていなかった。

自分はどうしてここで寝ているのかと何度も聞いた。

さまざまな検査がなされ、あちこち調べられた結果、高次脳機能障害という診断が下された。

「短期間しか新しい記憶をとどめておけないようです」

と医師が言った。

事故以前の記憶はそのまま。

でも、新しい記憶は残らない。

やがてこよみさんは退院したけれど、どうして自分が入院していたのか最後まで覚えられなかった。

こよみさんの記憶はまったく残らないというわけではなかった。

ふつうに話して、ふつうに食べて、ふつうに眠る。

それだけなら支障はなかった。

ただ、眠ってしまうとその日の記憶はするりと消えた。

そうして事故に遭う日までの記憶に戻る。

朝起きて見た空の青さも、昼に会った友人と大笑いしたことも、夜には僕に話してくれたけれど、次の朝、目を覚ますと何も覚えていなかった。

こよみさんからさらさらと流れてくる日々が、僕にだけ積もっていった。

人が上っていく階段を、こよみさんは一段だけ上って、降りて、を繰り返す子供のようだった。

朝から晩までひとりにしておくわけにはいかなかった。

誰かがほんのちょっと気をつけて補ってあげればいいだけなのだが、では一体誰が?

僕がその役をやってもいいだろうか?

日々

毎朝、僕はこよみさんに事故と記憶のことを「宣告」した。

こよみさんはだいたい、特に驚くこともなく事態を受け入れる。

嘆いたり、取り乱したりしないことに僕は驚く。

ひとりになりたいだろうな、と僕はすぐに部屋を出ようとするけれど、こよみさんがいつもお茶を淹れてくれる。

熱いお茶を飲んで、僕は仕事に出かける。

部屋の中にいても、セミの声がうるさいほど聞こえている。

もう夏も終わりだね、と僕はいい、こよみさんはちょっと困ったようにただ笑っている。

こよみさんにとっては、夏は今朝始まった季節なのだ。

こよみさん、と僕はいった。

僕の部屋に引っ越してこない?

部屋の掃除を終えてこよみさんを迎えに行くと、すっかり片付いた部屋でこよみさんはぽつんと座っていた。

迷子の小学生のように心細そうな顔を初めて見た気がした。

こよみさんの荷物は極端に少なかった。

そうして、僕たちは一緒に暮らし始めた。

秋になり、こよみさんはたいやき屋を再開した。

長く休んでいたにもかかわらず、店を開けると次々にお客が来て、手を休める間もない。

こよみさんはブランクなどなかったかのように、頬を紅潮させてたいやきを焼き続けた。

僕などまったく出る幕もない。

こよみさんの底力を見せつけられた気がした。

静かな雨

特別な日の特別な出来事を覚えていられないのは、さびしいけれども我慢ができる。

僕がこよみさんのぶんまで覚えていればそれでいいと思う。

だけど、もっとささやかな、

朝ご飯においしかった干物だとか、

洗濯物を干すときの癖だとか、

ふたりで歩いた帰り道に浮かんでいた月だとか、

そういう日々の暮らしの記憶が積み重なっていかないことがたまらない。

ほんとうは、その些細なことこそが人間をつくっていくのではないか?

「人間ってなんでできてると思う?」

姉に問うと、記憶かな、という答えが返ってきた。

「記憶?」

「そう。生まれてから今までの記憶。意識に上るかどうかは関係なく、経験した全部のことが人をかたちづくってると思う」

人が記憶でできているとしたら、記憶がなくなった人はどうやって生きていけばいいんだろう。

記憶をつくれなくなった人は、生きていく甲斐がないみたいじゃないか。

「僕は、毎日の生活の中での思いで人はできてるんじゃないかと思う」

僕は姉に言う。

人が記憶でできてるだなんて、断固として否定しなくちゃいけない。

ほうとうらしくて、涙が出そうだ。

ふと目が覚めると、部屋はうっすらと明るかった。

明け方だろうか。

こよみさんは窓のほうを向いて眠っている。

静かだった。

窓の外では、音もなく雨が降っている。

雨だ、と僕はそっと声に出してみた。

雨。こよみさんが向こうを向いたままささやいた。

「月が明るいのに雨が降ってる」

泣いている。

こよみさんは泣いている。

ふたりでお月見をした今夜の満月を覚えているのだと不意に思った。

「まるきり思い出せないわけじゃないの」とあるときこよみさんはいったのだ。

「昨日見た夢が脳裏をよぎるみたいに、いつかの場面が一瞬よみがえることがあるの。でも、速すぎてつかまえられない。そこにあった色や形みたいなものが、目の前をかすめていくの、まだ温かいままで。ふっと残像が消えて、もう戻らない」

こよみさんは静かに泣いている。

眠れば消えてしまう月。

その光に照らされて雨が降りつづいている。

こよみさんは静かに泣きつづけている。

結末

脳に記憶が刻まれなくなっても、日々が何も残していかないわけではなかった。

何が、どこに、残るのか。

それはわからない。

だけど、僕とこよみさんは親しくなった。

事故の前により確かに親しくなった。

忘れても忘れても育っていく。

記憶からはこぼれてもこよみさんのどこかに残って育つものがあるのだ。

たとえば僕が死んでもこよみさんは忘れてしまうんだろうけど、そう思ってももう感傷的になることはない。

別に悲しいことなんかじゃないんだ。

明け方の雨に静かに泣いていたこよみさんを僕は忘れない。

僕の世界にはこよみさんがいて、こよみさんの世界には僕が住んでいる。

ふたつの世界は少し重なっている。

それで、じゅうぶんだ。

<完>

ぱんだ
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感想

胸が締めつけられるような、切ない小説でした。

特に中盤、こよみさんが記憶を失うようになってからは、1ページに1回くらい「うっ!」と声が漏れそうになるほど切ない描写があって、読むのが大変でした。

↓こことか切なくてヤバかったです。

もう夏も終わりだね、と僕はいい、こよみさんはちょっと困ったようにただ笑っている。

こよみさんにとっては、夏は今朝始まった季節なのだ。

『静かな雨』のストーリーは『僕』こと行助の視点で語られます。

だから、こよみの心情は一切描かれません。

そこで読者の頼みの綱になるのは行助の心情なのですが、行助も行助でどこか本音の感情を読者に隠しているような感じで、あまり激しい感情の起伏は見受けられません。

そんなわけで、劇的な出来事が起こっているにもかかわらず、物語は淡々と進んでいきます。

……こんなふうに書くと「なんだかつまらなさそう」と思われてしまうかもしれませんね。

でも、実際は真逆です。

感情が書かれていないからこそ、『静かな雨』は感情にあふれています。

「行間を読む」という言葉がありますが、この小説に関しては行間にめちゃくちゃ内容が詰まっているように思いました。

本文が淡々としているぶん、

  • このとき、こよみはどんな気持ちだったんだろう?
  • 行助はどんな気持ちだったのだろう?

と想像が勝手に働くんですね。

きっと宮下奈都さんの美しい言葉選びのセンスも手伝っているのでしょう。

『静かな雨』は100ページほどの物語でしたが、体感的には(行間を含めると)その2倍くらいの物語を読んだような気がします。

とても美しくて、そのぶんだけ切ない小説でした。

結末について

物語はやはり行助の視点で締めくくられます。

「このままでいい」

「記憶には残らなくても、残るものはある」

結末で行助は、そんな悟ったような、「ありのままの今を受け入れる」という心境を読者に示してくれました。

それまでの行助はこよみの中に自分が積み重なっていかないことについて思い悩み、ときにはこよみにまで当たってしまう不安定ボーイだったので、この結末は前向きなものという意味では

『ハッピーエンド』

に近しいものなのではないかと思います。

「こよみの記憶障害が治って大団円!」みたいな奇跡は起こらないだろうな、と思っていましたし、特に劇的なことが起こらない穏やかな結末に不満はありませんでした。

……ただ、小説を読み終わったときになんとなく

「これからの2人は大丈夫なのかな?」

という一抹の不安が胸をよぎったんですね。

どうしてそんな不安が残ったのか少しだけモヤモヤしたのですが、『解説』を読んで「そういうことか」と納得しました。

『静かな雨』には裏がある?

解説のこの部分にわたしはハッとさせられました。

◆以下、解説より一部抜粋◆

(高嶺の花を採るには)さてどうしようかと思案していたところへ思いがけずもその花がぽとりと落ちてきたのだった』

この文章は、これまでのこの小説の文脈と、我々が知る『僕』の気性からはみだした異様な一行である。

花がぽとりと落ちてきた、とは一体どういうことか。

(中略)

『僕』は、何かが起きて、高値に咲くこよみさんが『僕』のところまで落ちてくるような偶然がおきないかと願ったことはなかっただろうか?

(松葉杖を含めて)三本足の『僕』の足許に花が落ちてこないかと祈った、ことは……?

彼女の事故は『僕』が呼び寄せた偶然ではなかったのか。

無論、『僕』は決してそんなことを匂わせはしない。

しかし、『僕』が述べることしか知ることのできない我々には、『僕』が述べなかったこと、述べたくなかったこと、省略したことを推察する自由がある。

(中略)

『僕』はついにこよみさんを『僕』の部屋に引っ越しさせる。

これはまるで監禁のようである。

◆抜粋ここまで◆

ここまで極端なことを思ったわけではありませんが、わたしのモヤモヤの正体は行助に対する不信感だったのだと思います。

解説でも触れられていた『高嶺の花がぽとりと落ちてきた』の一行には、わたしも「あれ?」と思っていました。

行助には生まれつき足に麻痺があり、松葉杖をついています。

直接的に書かれていたわけではありませんが、そのことによる劣等感もそれなりあるように見受けられました。

行助がこよみのことを「高嶺の花」と表現した理由のひとつは、そんなコンプレックスにあったのではないでしょうか。

であれば、問題の一行はこんなふうに解釈できます。

『記憶障害になったことで、こよみがハンデを持つ僕の手の届く低さにまで落ちてきた』

自分で推察しておいてなんですが、これではあんまりです。

あまりにも自分本位すぎます。

行助はこよみが障害を負ったことを、心のどこかでは歓迎していたのではないか?

これがわたしの行助に対する不信感の源泉でした。

もしも事故が起こらなかったら、行助とこよみは一緒に暮らすようになっていただろうか?

そう考えると、ちょっと複雑な気分になります。

こよみはどう思っていたのか?

事故当時、こよみと行助の関係は「たいやき屋と常連客」でしかありませんでした。

恋人はおろか友人という表現も微妙で、出会ってから半年も経っていません。

こよみは毎朝、そんな自分に立ち返るわけですよね。

仮に事故当時のこよみが行助のことを憎からず思っていたとしても、目覚めると同時に隣で寝ている行助が目に入れば恐怖を感じるのではないでしょうか。

もちろん作中にそんなシーンは一切描かれていません。

でも、それは

『そんな出来事が起こらなかったから』

ではなく、

『ただ書かれていないだけ』

なのかもしれませんよね。

そもそも引っ越しにしたって、こよみには選択権はなかったように思われます。

記憶障害を持つこよみには、絶対にサポートが必要です。

しかし、天涯孤独(らしい)こよみに頼れる人は行助のほかにいません。

行助との同棲は、本当にこよみが心から望んだことだったのでしょうか?

嫌々ながら、とまではいかずとも「そうするほかない」という諦めがひとかけらもなかったでしょうか。

わたしたちは想像することしかできません。

あの夜、こよみはどうして静かに泣いていたのでしょうか?

……とはいえ、ですよ。

わたしも別に『静かな雨』を後味の悪い話に仕立て上げたいわけではありません。

こよみは事故の前、行助がちょっと口にしただけの小説のタイトルを調べていました(行助という主人公が登場する小説です)

また、一緒に生活するようになってからは、行助のために「ユキ、ブロッコリ嫌い」というようなメモをいたるところに隠したりしています。

きっとこよみはこよみなりに状況を受けいれ、行助と生きる『今日』を前向きに捉えているのでしょう。

こよみにはそうできるだけの『強さ』があるように思われます。

穿った解釈はちらりと横目で眺めるだけにして、

「きっと行助とこよみはこれからも穏やかな暮らしを続けていくんだろうな」

という想像をしながら『静かな雨』を本棚に差し込むことにします。

まとめ

今回は宮下奈都『静かな雨』のあらすじと感想をお届けしました。

「恋人が記憶を失う」系の作品はいくつもありますが、『静かな雨』はそのなかでもちょっと毛色の違う小説だと思います。

なんていうか、

「どうだ、感動するだろう!」

という主張がぜんぜんないんですよね。

淡々とストーリーが進んでいく様子が印象的でした。

といってもそれは表面上だけのこと。

文字で印刷されていない行間には『切ない』がいっぱい詰まっているので、読み手の胸には『切ない』の矢がグサグサと刺さりまくります。

言葉の選び方が美しく、言葉にしていない行間が切ない小説でした。

映画化情報

そんな『静かな雨』が映画化!

2020年新春に公開されます。

キャストは

  • 仲野太賀(行助)
  • 衛藤美彩(こよみ)

他。

ヒロインの衛藤美彩さんは元乃木坂46のメンバーで、今回が映画初主演とのことです。

小説では描かれなかった2人の表情。

小説では気づけなかった2人の心情。

映画ではどんな行助とこよみが見られるのか楽しみです。

ぱんだ
ぱんだ
またね!

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