中村明日美子『ウツボラ』を読みました。
最高なことに、この作品はラストまで読んでも真実が見えてきません。
ならばと2周目に繰り出せば、いくつかの伏線に気づきます。しかし、それらを統合しようとすると途端に頭が混乱してなにがなんだかわからなくなってしまいます。
はたして最初に飛び降りたのはどちらの女だったのか?
この記事では漫画を開いたり閉じたりしつつ、スッキリした解釈を目指して『ウツボラ』の真相について考察していきたいと思います。
この記事は『ウツボラ』を読んだ方に向けて書いています。未読の方は、全二巻でべらぼうにおもしろい漫画なので、ご一読のうえ考察を楽しんでいただければ幸いです。
考察
考察にあたり、まずは前提条件を設定したいと思います。
【1】ふたりの女のうち、片方は飛び降りて亡くなっている
※二人とも生きている可能性は考えない
【2】すべては現実世界で起きた地続きの物語である
※「ウツボラ」の作品世界と現実世界が混在して書かれている可能性は考えない
【3】飛び降りた方が「ウツボラ」の作者(藤乃朱)である
※そうでない可能性については後述(第三の仮説)
ここまでいいでしょうか。
物語には整形によって瓜二つになった二人の美女が登場します。
一人は学生の秋山富士子。
もう片方は横領容疑で警察に追われていた元OLの「浅なんとか」
不便なので元OLのほうは浅井と呼ぶことにしましょう。
秋山と浅井のうち、
- 冒頭で飛び降りたのはどちらなのか
- 三木桜として溝呂木に接触したのはどちらなのか
- ウツボラの作者・藤乃朱はどちらなのか
この点を整理するのが今回の目標です。
要点がわかりやすくなるよう、今回は二つのパターンに分けて考察してみたいと思います。
すなわち、
- 秋山が藤乃朱だった(飛び降りた)パターン
- 浅井が藤乃朱だった(飛び降りた)パターン
のふたつです。
秋山が朱だった場合
漫画『ウツボラ』の真実を探るうえで無視できない台詞があります。
【#13】の溝呂木の台詞です。
「君は『ウツボラ』の作者じゃない。僕は『ウツボラ』の作者には一度きりしか会っていない。そうだね?」
この台詞が正しいと仮定してみると、飛び降りた女は秋山富士子だったということになります。
ポイントは溝呂木と秋山が会った「一度きりの機会」がいつだったのかということです。
【#12】の冒頭、溝呂木のモノローグを引用します。
最後に朱と会った夜、部屋は真っ暗だった。(中略)手を触れると、その腕はいつもより温かかった。
続いて、【#13】の回想シーン。秋山と浅井の会話から引用します。
「どうしても心配なら部屋を真っ暗にしておくといいわ」「……桜さん。ありがとう」
この文脈を整理すると、溝呂木がパーティで出会った朱は浅井だったということになります。
※【#11】の望月の台詞により、整形の順番が「浅井→秋山」だったことがわかります。なので、「桜さん。ありがとう」と言っている女は秋山ということになります。
浅井は朱として、溝呂木と数度の情事を重ねました。
その後、秋山の整形が完了。秋山はそれまでの朱(浅井)と同じ人物を装い、溝呂木に抱かれました。
以上が溝呂木と秋山が会った「一度きり」です。
桜(浅井)「たった今からあなたが藤乃朱よ」
【#12】のこの台詞は少しややこしいですね。たった今からも何も、もともと藤乃朱とは秋山のことです。しかし、このとき浅井はすでに朱として溝呂木に接触しています。
つまり、この台詞は「溝呂木にとっての朱は秋山になる」「溝呂木に抱かれる朱は秋山になる」という意味あいなのです。このように解釈すれば矛盾はありません。
「桜さん。ありがとう」の台詞からわかるように、溝呂木に抱かれることは秋山の望みでした。
それはなぜか? 彼女が溝呂木舜の熱狂的なファン(藤乃朱)だったからです。
【#8】の秋山富士子の部屋を見てみると、壁一面に溝呂木の記事が貼り付けてあります。
また、【#7】の冒頭で桜(浅井)に声をかけられた秋山は溝呂木の著作を読んでいて、しかも「いつも同じ作家の本を読んでいる」ということでした。
「秋山富士子=藤乃朱」の構図に違和感はありません。
さて、このあたりで話をもう一段階先へと進めましょう。
秋山富士子はなぜ飛び降りたのでしょうか?
【#12】で浅井が飛び降りる場面から引用します。
私は先生を愛してた。(中略)でも先生は誰も愛してなかった。作家は自分の作品しか愛していない。だから……きっと書いてくださるわ。先生きっと、私のことを書いてくださるわ。
これは溝呂木が書いた『ウツボラ』の一節であり、実際のモノローグではありません。ただし、今回はこの内容を是として話を進めていきたいと思います。
また少しだけややこしいのですが、引用中の「私」とは秋山のことです。
『ウツボラ』の主人公は藤乃朱(=秋山)であり、引用文は現実の浅井飛び降りではなく、物語中の朱(=秋山)飛び降りにかかっているわけですね。
現実に飛び降りた秋山の目的は、物語中の朱と同じだったものと思われます。
すなわち、溝呂木に愛されたかった。溝呂木の作品の登場人物になるために飛び降りた。一連の顛末を『ウツボラ』として溝呂木に書かせようとした。
こんなところでしょうか。
既読の方にはあらためて説明するまでもないことですが、溝呂木は性的不能者でした。
だから、厳密には秋山は溝呂木に抱いてもらえなかった、ともいえます。
「溝呂木に抱かれたい」から「死んで溝呂木のキャラクターになりたい」へと秋山の目的が変化した理由は、そのあたりにあるのかもしれません。
※あるいは、肉体的にどうこうというより、精神的に愛されないと悟ったからかもしれません
「秋山=朱」を支える状況証拠は他にもいくつかあります。
まず単純な話、名前です。
「アキヤマフジコ」と「フジノアキ」
本名をもじったペンネームとしては妥当な変換のように思われます。
第二の状況証拠は、作中に登場する二種類のケーキです。
秋山の兄によれば、秋山富士子の好きなケーキはショートケーキでした。
一方、【#1】で三木桜(浅井)はチーズケーキを好んで注文しています。
わざわざ作中にこの違いを入れているのには意味があるに違いなく、だとしたらやはり飛び降りたほうが秋山だったということになるのではないか、というわけですね。
ただまあ、正直なところ
「ショートケーキが好きな人でもチーズケーキを注文することもあるだろう」
「兄が覚えている妹のケーキの好みなんてあてになるのか?」
「別人を装うためにわざと好みでないケーキを注文したのかもしれない」
などなど、反論のしようはいくらでもあるので、あくまで状況証拠のひとつに過ぎないのですが。
疑問点
「秋山富士子=藤乃朱」説はなかなかに筋が通った解釈であるように思われます。
とはいえ、まるっと納得できたかと言われれば、そうでもありません。
特に気になるのは浅井の行動です。
そもそも、浅井はどうして図書館で秋山に声をかけたのでしょうか?
秋山と浅井の間に肉体関係があった(#9)ことを踏まえると、一目惚れしたから……? いやいや、無理があるでしょう。
浅井は勤めていた保険会社の金を横領して警察に追われていた人物です。
- 警察から逃げおおせていた点
- 整形で容姿を変えている点
これらを踏まえると浅井の横領は計画的なものと思われます。となれば浅井には何か金を盗むだけの目的があったと考えるのが自然です。なのに、それがわからない。
浅井は初対面の秋山に偽名(三木桜)を名乗っています。
つまり、時系列的には横領(整形)後のタイミングであり、やはり浅井には秋山に声をかけた目的があるはずです。ところが、それについてもまったくわからないまま物語は終わります。
作中において、秋山に先立たれた浅井は終始、秋山の協力者として立ち回っていました。
その行動原理は秋山への愛情(あるいは友情)であるように思われます。
では、なぜ浅井は「会社の金を横領して逃げている人物」でなければならなかったのでしょうか? その設定が(未解決要素として)浮いているように思われてなりません。
浅井が朱だった場合
最初にぶっちゃけると、「浅井=藤乃朱」を裏づけるような確たる証拠(台詞・場面)はほとんどありません。
しかしながら、感覚的には浅井が朱である(秋山が生き残っている)と捉えたほうがしっくりくるような気がします。
みなさんは秋山と浅井にそれぞれどんなイメージをお持ちでしょうか。
わたしの場合はこうです。
秋山は「皆勤賞クラスの出席率で一つの単位も落とさずにそこそこ優秀な成績で順調に進級していた【#9】」ことから、田舎から出てきた真面目で引っ込み思案な文系女学生。
浅井は保険会社の金を横領し逃げていることなどから、常識にとらわれない価値観と大胆な行動力の持ち主であり、浮世離れした雰囲気のミステリアスな人物。
このうち、どちらか片方が飛び降りた藤乃朱であり、もう片方が溝呂木に接触した三木桜だとして……いかがでしょうか?
【#13】でボロボロと泣き、無邪気な素顔の笑顔を見せていた彼女が秋山(純朴な女学生)と考えたほうが、わたしにはどうもしっくりきます。
同じように、自らの価値観に従って突飛な行動をとる浅井こそが溝呂木を狂信する藤乃朱であり、溝呂木の作品の登場人物(キャラクター)になるべく飛び降りた彼女であると考えたほうが、やはりわたしにはしっくりきます。
他にも気になる点はあります。
飛び降りた彼女はからっぽで生活感のない例の部屋を契約していたわけですが、そんな財力がただの女学生である秋山にあったとは思えません。
※あの部屋には浅井が横領した金が隠されてあったと考えるとしっくりきます。「あなたに遺したものを置いてあるから【#12】」
生きている方の三木桜はバージンだったわけですが、これもどちらかといえば秋山(純朴な女学生)の人物像に近いでしょう。
【#8】で望月が「彼女が秋山富士子だ」と断言していた点も無視できませんし、【#6】の溝呂木のモノローグも引っかかります。
三木桜の身体はあたたかい。藤乃朱の身体はつめたかった。
↑これをそのまま受け取ると「三木桜=秋山」ということになり、やはり生き残っていた方が秋山だということに……なり……。
いや?
ちょっと、待ってください。
たった今、【答え】のような考えが閃きました。
項をあらためて考察します。
本来、この項では浅井(藤乃朱)が横領したのは整形して溝呂木に接触するためだった、という仮説を掘ってみようと思っていました。
第三の仮説【結論】
あまりにしっくりくる閃きでした。わたしとしてはこれが結論ということで問題ありません。
まず、飛び降りたのは浅井です。
必然的に、三木桜として溝呂木の前に現れた人物は秋山富士子ということになります。
そして(ここが肝なのですが)藤野朱とは秋山富士子のことです。
わたしはこれまで「飛び降りた人物=藤乃朱」として考えていました。
なぜなら、飛び降りの目的は溝呂木に《書かれる》ためであり、それは藤乃朱の行動原理であるはずだったからです。
でも、もし飛び降りたのが藤野朱じゃなかったとしたら?
第一に、次の二点について矛盾がなくなります。
・秋山(朱)は浅井のお膳立てにより、真っ暗な部屋で溝呂木に一度抱かれている
・溝呂木が三木桜(の身体)に抱いた「温かい」という印象は、真っ暗な部屋での情事のときに秋山(の身体)に抱いたものと一致している
とはいえ、作中の発言や描写はすべて、疑おうと思えば疑える(否定できる)ものです。
それこそ「身体が温かいだの冷たいだのという溝呂木の感覚は当てにならないだろう」とかね。
ただ、それでもわたしはこの説を強く推したいと思います。
わたしにはどうしても【#13】でボロボロと泣き、無邪気に笑っていた《三木桜》が浅井だとは思えません。
回想のなかではいつも、浅井は秋山を翻弄する立ち位置にいました。
そもそもの出会いも、出版社に原稿を送ったときも、独断で溝呂木を脅迫したときもそうです。浅井は秋山の予想を超えた行動をとり、彼女の生活を引っかき回していました。
浅井は感情の起伏が少ない、それどころか生への執着すらないのではないかと思わせるような人物、というのがわたしの認識です。
特に【#4】の浅井はそんな印象でした。
「……もう、私の心はすっかり凍えて固まってしまっているので……」
今。たった今です。またしても閃きました。しっくりきました。
この『第三の仮説』最大の問題は「じゃあ、なんで浅井は飛び降りたんだ?」という点にあります。
浅井が朱ではないのなら「じゃあ、なんで飛び降りだんだよ」という話です。
ここでもう一度、今度は長めに【#4】の浅井の台詞を見てみましょう。
「先生に興味がありますの。情熱を喚起するもの、人を動かす力を持つもの、捕らえた心を狂わすもの。……もう、私の心はすっかり凍えて固まってしまっているので……そういった熱を帯びたものに、とても魅かれるんです……」
これは私見ですが、浅井にはもともと自分の欲望とか目的とかは、あまりなかったんじゃないでしょうか。
【#12】の回想、飛び降り直前の電話で浅井は次のように話しています。
「あなたのおかげよ。私、全てわかったの。私の……本当に私の欲しかったものが」
あらためてこの台詞を見てみると、藤野朱の台詞としては少し変ですね。
「欲しかったもの」が溝呂木からの愛だとしたら、それは朱にとってずっと前から欲しかったものでしょうし。
では、飛び降りたのが浅井だとして、彼女を飛び降りさせるに至った「欲しかったもの」とはいったい何なのでしょうか?
この点については、いくつかの解釈があると思います。
言語化がとても難しいので明言は避けますが、溝呂木あるいは秋山の《熱を帯びた情熱》(※)に関係しているのではないかと考えています。
※前述の台詞で浅井が「魅かれる」と言っていたものですね
秋山と浅井は親密な中でした。恋人同士だったのかもしれません。
【#12】「きっと彼女のことを書いてくださいね」が秋山(=朱)の台詞だとして、矛盾はないでしょう。
繰り返しになりますが、その後の「先生に愛されたかった」というモノローグは溝呂木の創作です。この部分に「飛び降りた人物=朱」を証明する能力はありません。
※もちろん、逆にこのモノローグが実際に浅井(≠朱)の動機だったという可能性もありますが
というか、あれですね。
【#12】で才能が枯渇したと叫ぶ溝呂木に対する、三木桜の台詞、これってモロに溝呂木の長年のファン(秋山=朱)のものっぽいですね。
「甘ったれないでよ……だったらそのウソ一生つき通しなさいよ! 書いてよっ……」
話がそれました。軌道修正します。
物語を読み解く鍵は《情熱》です。
この記事を書き始めたときの(閃く前の)わたしにはこのキーワードが見えていませんでした。
浅井は情熱に魅かれ、秋山は溝呂木への情熱をたぎらせ(※)、溝呂木は情熱に呪われていました。
※【#12】「実際、大変な情熱ですよね。藤乃朱さん。僕が先生の担当についてまだ1年くらいですが……それでも50通は超えてるんじゃないですか?」
前述【秋山が朱だった場合】でわたしは「浅井が秋山に声をかけた理由がわからない」と書きましたが、これは今なら簡単に説明できます。
情熱を求める者が情熱を燃やす者に魅かれた、という構図ですね。
スッキリできる解釈が見つかってよかったです。というわけでこのあたりで〆にしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
補足(おことわり)
漫画読了直後にはちんぷんかんぷんで、他の考察を読んでもいまいち納得できなかったわたし個人としては、今回の考察によって納得できる結論を得ました。
とはいえ、わたしは「浅井飛び降り、秋山生存、藤乃朱=秋山」説が客観的な【答え】であるとまでは主張しません。
「それは違うんじゃないか?」と思ったあなたは、あなたの直感を大事にしてください。
たとえば、わたしの最終結論は【#13】の溝呂木の決定的な一言と矛盾します。
「君は『ウツボラ』の作者じゃない。僕は『ウツボラ』の作者には一度きりしか会っていない。そうだね?」
この溝呂木の台詞が是であると仮定した瞬間に、わたしの説は崩壊します。
わたしとしては、だから、この溝呂木の発言は非であると解釈しているのですが、このあたりは受け取る側の考え方次第としかいいようがありません。
「溝呂木の発言を三木桜(わたしの解釈では秋山)は肯定していない」
「ウツボラを書き上げた溝呂木は、死の直前でもあり、表情からもまとも精神状態ではなかったことが読み取れる」
などともっともらしく理由付けしてみても、納得できない方は納得できないでしょう。
それは素晴らしいことだと思います。
『ウツボラ』は真実を意図的にあいまいにしている作品であり、さまざまな解釈を楽しめるところもまた魅力なのですから。
あなたは『ウツボラ』をどのように解釈しましたか? コメントで教えてくれるとうれしいです。
まとめ
今回は中村明日美子『ウツボラ』のネタバレ考察をお届けしました。
約10年前の漫画なので考察としては今さらではあるのですが、とにかく謎だらけでおもしろかったので考察せずにはいられませんでした。
まさに不朽の名作ってやつですね。
映像化(後述)をきっかけに、多くの新しい読者が『ウツボラ』を知って、解釈に頭をひねり、考察がまた盛り上がればいいなと思います。
中村明日美子『ウツボラ』を読みました❗️
読後の考察が本番と言っても過言ではないほど、謎だらけの漫画でした。全二巻と短い物語をもう何度繰り返し読んだでしょうか。
ようやく納得のできる結論にたどり着きました。#前田敦子 さん主演でドラマ化
⬇️ネタバレ考察✒️📖https://t.co/kmG8XbFovR— わかたけ@小説読んで紹介 (@wakatake_panda) April 14, 2022
ドラマ情報
キャスト
- 前田敦子(主演)
公開日
WOWOWにて放送・配信(2022年4月中旬現在、放送日未定)
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少女漫画が好きなら、一度はチェックしておきたいアプリです。
↓配信中タイトル
- 『ハニーレモンソーダ』
- 『君に届け』
- 『NANA-ナナ-』
作品の冒頭にあるよう
「世界のさかいめが分からなくなった」
すなわち「”自分”が何者(秋山なのか浅井)なのか分からなくなった」
(浅井は、もしかしたら、今までも整形を繰り返し
他人のふりをして生きることに慣れた人間なのかもしれません)
そのような[虚ろな人間が自己の存在を問う」
これが本作のプロットの主軸であると考えると
初めは何の感情もない(冷たい身体)浅井が
溝呂木という男を知る過程でいつの間にか愛している(身体が温かい)
自分に気付き、次第にその感情をあらわにする(後半の表情の豊かさ)
それは秋山としての感情なのか本心なのか
その葛藤を描いた作品だということが見えてきます
最後の補足部分についての考察です。
藤乃朱を名乗る2人は(浅〜+秋山)、ウツボラの登場人物を演じており、作者ではないからこの発言になったのではないでしょうか。
秋山の「うまくやれた」は、登場人物である藤乃朱をうまく演れた、
飛び降りるシーンでの「きっと彼女のことを書いてくださいね」は、秋山と浅〜が演じた”藤乃朱”のことではないでしょうか。
そうすると、溝呂木が会ったいたのは”作者ではなく登場人物”の藤乃朱ということになります。
最後の補足部分の考察です。
藤乃朱は作者ではなく、登場人物であるために
「作者には1度しか会っていない」と、言ったのではないでしょうか。
藤乃朱を演じる浅井+秋山は作者では、なくこの作品の登場人物になりたかった。
最後の秋山の「うまくやれた」は藤乃朱をうまく演れたか
それに対して「(登場人物なのだから)君は作者じゃない」と応えたのではないでしょうか。