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池井戸潤『ハヤブサ消防団』あらすじネタバレ解説|二転三転の結末【ドラマ原作小説】

池井戸潤『ハヤブサ消防団』を読みました。

自然豊かな田舎の美しい四季の移ろいを背景に繰り返される連続放火事件。

《とある組織》の関与を疑いはじめた主人公は、田舎の住民たちのなかに裏切者が潜んでいることに気づきます。

裏切者は誰なのか?

連続放火事件の真の目的とは?

今回は小説『ハヤブサ消防団』のあらすじがよくわかるネタバレ解説をお届けします。

ぱんだ
ぱんだ
いってみよう!

あらすじ

東京での暮らしに見切りをつけ、亡き父の故郷であるハヤブサ地区に移り住んだミステリ作家の三馬太郎。

地元の人の誘いで居酒屋を訪れた太郎は、消防団に勧誘される。

迷った末に入団を決意した太郎だったが、やがてのどかな集落でひそかに進行していた事件の存在を知る───。

(単行本帯のあらすじより)

ハヤブサ地区のモデルは岐阜県加茂郡八百津町久田見地区といわれています。池井戸潤さんの出身地ですね。

ハヤブサ消防団

物語の舞台であるハヤブサ地区は星空が澄んで見えるような高原の集落です。

住人たちのつながりは密接で、すれ違う人の名前も家もぜんぶ知っている……といえばどのくらいの《田舎》なのか想像しやすいでしょうか。

そんな土地ですから立派な消防署があるはずもなく、火事の際には町の消防団の分団であるハヤブサ消防団が活躍します。

消防団と言ってもほとんどボランティアのようなもので、有志による自警団のようなものですね。とはいえ消防車はちゃんと四台も備えています。

主人公でミステリ作家の三馬太郎はちょっぴり強引な勧誘により、ハヤブサ消防団に入団します。

折しもハヤブサ地区では不審な火事が立て続けに起こっているところで、在宅仕事の太郎は緊急時の動員としてうってつけの人材でした。

消防団員の藤本勘介は言います。

「これはたぶん――連続放火や」

その年三軒目の火事……焼け落ちた江島波夫の家を前にしての発言でした。


江島家の火事

まずは江島家の火事について検討してみましょう。

前提条件として、江島は深刻な財政難に陥っていました。

その点からは火災保険目当ての自作自演という可能性が浮かび上がってきます。いわゆる焼け太りというやつですね。

とはいえ、火災には江島の妻も巻き込まれていました。介護が必要だった妻ごと……などという恐ろしい思惑があったのなら別ですが、まさか金銭のために妻のいる家を燃やしはしないでしょう。

ぱんだ
ぱんだ
ふむぅ

そこで次に検討したいのは「怨恨による放火」という可能性です。

江島は当面の資金を調達するため、畑を売っていました。売却先はタウンソーラーという太陽光発電の会社です。

畑はソーラーパネルに置き換わり、のどかで美しかった景観はぶち壊し。

そのことで恨みを買っていた……というと突飛な話に思われるかもしれませんが、事実として江島はそのことでトラブルに巻き込まれていました。

文句を言ってきたのは山原浩信という問題児の若者です。ヤクザとも関りがあると噂されています。

火事当日に江島家の周辺で浩信を目撃したという証言(※)

※郵便局長・吉田夏夫による証言

そして浩信が火事の数日後から行方不明になっているという事実。

前の二軒の火事の犯人に罪をなすりつける狙いで、浩信が江島家に放火したという可能性も考えられました。

ところが……

ぱんだ
ぱんだ

山原浩信は遺体で発見されました。

現場は山奥に位置する「一の滝」の滝つぼで、事故や自殺の線も考えられます。

ただ、傍若無人だった浩信が自ら命を絶つでしょうか?

一介の消防団員でしかない太郎には、警察が死因をどのように判断したか知る方法はありません。

共通点

次に燃えたのは消防団員でもある山原賢作の家でした。

母屋は無事だったものの(林業会社の)作業場はほぼ全壊。

太郎は火事で失われるものの大きさを噛み締めます。

「家が燃えたんじゃない。人生の一部が燃えたんですよ」

今回の家事では賢作の設置した防犯カメラに人影が映っていました。

人相も体格もはっきりとはしませんでしたが、放火である裏づけにはなりそうです。

とはいえ、現状はまだまだ情報不足と言わざるを得ません。

放火が四件、死体がひとつ――、だが、放火犯が同一人物かどうかはわからない。浩信がなぜ死んだのかも。

そんななか、太郎は被害者たちに思わぬ共通点があったことに気づきます。

それはハヤブサの住人たちの菩提寺である随明寺を訪れたときのことでした。

  • 江島波夫:300万円
  • 山田崇彦:150万円
  • 富田和夫:100万円
  • 山原賢作:80万円

それは寺の屋根修繕のために寄進された金額を示す短冊でした。

山田と富田は一軒目と二軒目に燃えた家です。

寄進金額の多い家ばかりが放火されているようでした。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと?

直感的には随明寺、ひいては住職である江西佑空(えにしたすく)が怪しいように思われますが、そうではありません。

寄進額の多い家とはすなわち熱心な檀家です。彼らの家が被害に遭ったことは随明寺にとってむしろマイナスでしかありません。

別の切り口からこの事実を眺めてみましょう。

寄進金額の大きさは地元で有力な家であることの証でもあります。

たとえば江島は財政的に困窮していながら、古くからの名家という理由で300万円も寄進しています。田舎ではそういう体裁も大事なのでしょう。

彼ら名家はおうおうにして山や畑といった土地を所有しています。

田舎なので資産価値としてはほとんど二束三文ですが、なにせ広大な土地です。

たとえば、太陽光パネルの設置にはうってつけだと言えるでしょう。

ぱんだ
ぱんだ
!!

頑固な賢作は別として、これまでの被害者たちは火災後の物入りのために土地を手放していました。

売却先はタウンソーラーです。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「土地を売らせるために、家に火をつけて回っとったってことかよ」

「ひとつの仮説さ」


容疑者とアリバイ

タウンソーラーの営業マンは真鍋という男です。太郎の仮説によれば放火の容疑者ということになります。

これまでの連続放火では「不審な目撃情報がない」という点が不可解でした。

ハヤブサの住民たちは基本的に一定の行動範囲のなかで生活しています。放火のためにその生活範囲を離れようものなら「〇〇はあんなところでなにをしているのだろう?」と他の住民たちの記憶に残っているはずなのです。

最初の二件は平日昼間の犯行でしたから、なおさらですね。

この点、真鍋ならば営業のためにハヤブサ地区のどこをうろついていても不自然ではありません。

そこまでやるかとは思うものの「土地を売らせるため」という動機もあります。

真鍋が有力な容疑者であるという仮説はそれほど悪くないように思われました。

ところが……

ぱんだ
ぱんだ
ん?

真鍋にはアリバイがありました。

四軒目。賢作の家に火がつけられた時間に、真鍋は営業の真っ最中でした。

証言したのは消防団員の若手である徳田省吾です。犯行時刻の前後を含めて、真鍋はずっと省吾の家に居座っていました。

まるでアリバイをつくろうとしているかのような行動だと疑いたくもなりますが、真鍋が賢作の家に放火できなかったこともまた揺るがぬ事実です。

真犯人はまったくの別人だったのか……?

突破口を開いたのは賢作でした。

「あのタウンソーラーっちゅう会社、このオルビスなんとかと関係あるんやないか」

ぱんだ
ぱんだ
オル……?

オルビス

突然ですが、ミステリ小説では最初のほうに「主な登場人物」が記載されていたりしますよね。

ふだん読み始める前にこの名簿を見ても特に感想なんて湧かないものですが、『ハヤブサ消防団』では違いました。

二名ほど明らかに場違いな説明の人物が記されていたからです。

  • 高斎道春……オルビス・テラエ騎士団教祖
  • 杉森登………オルビス十字軍総長
ぱんだ
ぱんだ
なにこれ

田舎を舞台にした連続放火事件の物語に、どうして騎士団や十字軍が?

順を追って説明していきましょう。

第一に、オルビス・テラエ騎士団がありました。これは高斎を教祖とする新興宗教団体です。

オルビス・テラエ騎士団は危険なカルト宗教でした。彼らが脱退しようとした信者12人を拷問して惨殺するという凄惨な事件を起こしたのは、つい数年前のことです。

高斎と一部の幹部が逮捕され、表面上、オルビス・テラエ騎士団はすでに解散したことになっています。

ぱんだ
ぱんだ
でもホントは……?

はい。オルビスの残党は今も活動を続けています。それがオルビス十字軍です。

トップである杉森登はかつてオルビス・テラエ騎士団で広報を担当していた人物でした。

……と、ここまでが前ふりでして。

もう一度、賢作の発言をふり返ってみましょう。

「あのタウンソーラーっちゅう会社、このオルビスなんとかと関係あるんやないか」

賢作は聡明な人物です。この発言にはもちろん根拠があります。

三年前、賢作のもとに「山を売ってほしい」と打診してきた男がいました。当時は身分を明かさなかったものの、その男は後に逮捕されたオルビス・テラエ騎士団の幹部でした。

そして今回、タウンソーラーが欲しがっている土地は三年前とまったく同じ場所だったのです。


静かに迫る危機

そこまで引っ張ることでもないのであっさりネタバレすると、タウンソーラーの正体はオルビス十字軍のフロント企業です。

太陽光パネルの事業は資金調達のため。けれど、それだけではありません。

彼らが賢作たちの持つ土地を欲しがる本当の理由は、教団の施設を造るためです。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと!?

事件により弱体化したオルビス十字軍が勢いを取り戻すには、聖地とも呼ぶべき本拠地の存在が必要不可欠でした。

そうして白羽の矢が立ったのが、何の因果かハヤブサ地区の山奥の土地だったというわけです。

賢作は火災後も土地を手放しませんでしたが、火事以外にも住民にはそれぞれ事情があります。すでにタウンソーラーに山を売ってしまった家も少なくありません。

このままタウンソーラーを放置すれば、やがてハヤブサ地区はオルビスの聖地となってしまうでしょう。それはハヤブサ地区が教団に乗っ取られるということを意味しています。

ぱんだ
ぱんだ
そんな……

まさに最悪のシナリオです。それだけは防がなければなりません。

立木彩

オルビス十字軍(タウンソーラー)の目的はハヤブサ地区に新たな本拠地を造ること。

太郎たちがそんな教団の内部情報を入手できたのは、身近に関係者がいたからです。

ぱんだ
ぱんだ
関係者?

立木彩。太郎と同年代の映像クリエーターで、数年前に東京からハヤブサに移住してきたという経歴の持ち主です。

彩は映像作品による村おこしを企画していたり、それ以前に若くて美人ということで(主に男性の)住民たちに慕われていました。

だから、彼女がオルビス・テラエ騎士団の信者だったという一報は、太郎にとってまさに青天の霹靂でした。

しかもただの信者ではありません。彩は杉森登の部下として教団のPR動画を撮っていたのだといいます。

「――彼女は危険です。三馬さん、くれぐれも近づかないように、十分お気をつけください」

事実確認に一役買ってくれた担当編集者の中山田はこのように忠告してきましたが、太郎は保身より事件解決を優先します。

危険を承知で彩に疑念をぶつけると、彼女は思いつめた顔でオルビス信者だった過去を認めました。

彩には申し訳ないのですが、ダイジェストでまとめるとこんな感じです。

不遇だった東京時代。身も心も疲れて入信。皮肉にもオルビスでは映像の仕事をさせてもらえた。ハヤブサへの移住は教団から逃げるためだった。教団は解散したが、今も追っ手に怯えている……。

大事なポイントとしては、現時点で彩はオルビスの信者ではないということです。元信者という肩書きになります。

教団は脱退者を決して許しません。ハヤブサ地区がオルビスに乗っ取られるような未来は彩にとっても回避すべきです。

こうして彩もまたハヤブサで密かに結成された対オルビスチーム(※)の一員に加わったのでした。

ハヤブサの味方として、彩は言います。

「このハヤブサには、すでにオルビス十字軍の信者が存在しているのではないでしょうか?」

<すぐ下のネタバレにつづく>

 

【※】チームハヤブサ

連続放火事件の裏にはオルビスの暗躍。強大な敵組織に立ち向かう我らが三馬太郎の仲間はもちろんハヤブサ消防団!……というわけでもなくて、この三人です。

  • 山原賢作……消防団員。頼れる地元住民。
  • 立木彩………元オルビス信者。
  • 江西佑空……随明寺住職。事情通。

太郎の推理や新事実など、情報は基本的にこのメンバー間でのみ共有されます。

誰が《隠れオルビス信者》かわからないので、いたずらに仲間の輪を広げるわけにはいきません。


ネタバレ

ここで一度、話を連続放火事件へと戻しましょう。

犯人が真鍋という個人ではなくオルビス十字軍という組織だとすれば、先ほど議題に上ったアリバイ問題は解決したも同然です。

賢作の家に火をつけたのは真鍋以外の信者(共犯者)だったのでしょう。

彩の指摘によれば、その人物は太郎や賢作も知っているハヤブサ地区の住民の誰かです。

いったい誰が信者(裏切者)なのか……?

疑い始めればキリがありません。疑わしいというのなら元信者である彩がいちばんあやしいともいえます。こうなってはもう疑心暗鬼です。

ぱんだ
ぱんだ
むう……

そんななか怪しい動きをキャッチしたのは江西和尚でした。

随明寺に離檀、つまり「檀家をやめたい」という申し入れがあったというのです。

オルビスに改宗したためか? 身構える太郎でしたが、どうも様子が妙です。

離檀を決めたのはハヤブサ地区の住人ではありませんでした。

信岡信蔵。ハヤブサ地区を含む八百万町の町長です。

込み入った事情は省略するものの信岡はもともとハヤブサの出身で、亡き父親の姓は山原でした。賢作の従兄弟にあたる人物です。

彼がどうして離檀を申し入れたのはわかりませんが、子どもの頃の苦い経験からハヤブサをひどく憎んでいる人ですから、そんな場所にいつまでも菩提寺を置いておきたくなったのかもしれません。

結局、太郎たちの捜査には進展なし……で終わろうとしていた矢先の出来事でした。

新たな放火事件。燃やされたのは信岡町長の自宅でした。

ぱんだ
ぱんだ
えっ

信岡は母親の姓を名乗っているものの、山原本家だった父親の遺産を継いでいます。そのなかには教団が欲しがっている例の土地も含まれていました。

今度もまた土地を狙っての放火とみて間違いないでしょう。

ただ、信岡はむしろタウンソーラーにいろいろと便宜を図っていた人ですから、太郎たちからすれば彼がオルビスから《裏切られた》のは少し意外でもありました。

隠れオルビス

あいかわらず太郎はオルビスに入信した住民を探します。そこで目をつけたのは仏壇です。

オルビスは西洋宗教の流れを汲んでいて、信者にはマリア像や十字架を売りつけています。

信者としては仏教からキリスト教に改宗するようなものです。そのため不要になった仏壇を処分しようとするのではないか、と太郎は考えました。

結果は大当たり。

野々山映子という老婦人の家にマリア像が飾られていることを、太郎はその目で確かめました。

ぱんだ
ぱんだ
なんと!

野々山は不幸な身の上の人物でした。かつての彩と同じく弱った心につけこまれて、救いを求めてしまったのでしょう。

では、そんな彼女が放火に関わっているのかといえば、首をかしげざるをえません。

太郎が引っ越してきてから、すでに半年以上が経過しています。

その間に増えた《隠れオルビス》がまさか野々山ひとりとも思われません。

 

ロレーヌの十字架と山原一本矢

思いっきり伏線になっているエピソードをひとつご紹介します。

野々山映子がなぜか山原本家の墓を清掃していた、という場面です。

山原本家の墓といえば、信岡町長の父方の墓ですね。江西和尚に離檀が申し込まれ、いずれは場所を移すことになっている墓です。

なぜ野々山は他人の家の墓を気にかけているのでしょうか?

太郎は山原本家の家紋に注目しました。

「山原一本矢」と呼ばれる家紋は横線二本を縦線一本が貫いているかたちをしています。横線は上の方が短く、ちょうど漢字の「土」から縦線を下方に伸ばしたようなかたちですね。

それはオルビスの象徴である「ロレーヌの十字架」とそっくりでした。

これはいったい?


郵便局長

連続放火事件を大きく解決へ導くであろう手がかりは、意外なかたちで訪れました。

以前、深夜に不審者が太郎の家の敷地に侵入するという事件があったのですが、その犯人がにわかに判明したのです。

決め手となったのは「エンジンの音」でした。

「不審者に気づいて外に出たとき、畑の向こう側でエンジンの音がしたんです。クルマのエンジンがかかる音です。咳き込むような独特の音でした」

最近になって太郎はもう一度、その特徴的なエンジン音を耳にしています。

そのトラックの持ち主も、ばっちり特定できました。

「誰のクルマや?」「――吉田夏夫さんです」

吉田夏夫は郵便局長であり、一言でいえば人格者です。さすがの賢作も信じられないという顔を返してきました。

「PTAに交通安全協会、社会福祉協議会とか、面倒な仕事を頼まれるまま引き受けてくれてな。町長選にも出んかっていわれたこともあるぐらいの人やで」

※以下、小説より一部抜粋

…………

「人間は、変わる」

ぼそりと、江西がいった。

「あの方は、一昨年やったか奥さんを亡くされてましたな。御母堂も同じ頃に亡くなられて、随分肩を落とされとったと思ったが。息子さんは名古屋の会社勤めですが、そこの嫁さんと夏夫さんのソリが合わんとかで、めったに寄りつかんようです」

(中略)

「実はもうひとつ、夏夫さんが疑わしいと思えることがあるんです」

太郎が告げた。「浩信くんの件です」

「浩信の?」

聞き捨てならぬとばかり、賢作は眉を上げてきいた。「どういうことや」

「江島波夫さんの家が燃えた後のことです。ぼくは偶然、サンカク(居酒屋)で夏夫さんと会ったんですが、そのとき夏夫さんはこんなふうにおっしゃいました。あの火事の直前、江島さんの家の方から、浩信くんがやってくるのを見てしまったと。その後、浩信くんはご存じの通り、亡くなりました。いまだに事故なのか、事件なのか、原因はわからないままです。だけど、本当に夏夫さんは浩信くんを目撃したんでしょうか」

太郎が投げかけた疑問は、あの吉田夏夫のエンジン音を聞いた直後から浮かび、ずっと胸の奥につっかえていたものだ。

「ハヤブサで起きた連続放火のいくつかは、日中に発生しています。最初の二件は平日でした。つまり犯人はその時間、ハヤブサをうろついていても怪しまれることのない人物だと思われます。たとえばタウンソーラーの真鍋氏はその条件を満たしているひとりです。そして実際、放火された家はどこもタウンソーラーから土地買収を持ちかけられていた。でも、それに共犯がいたとすれば、真鍋氏と同じようにこの土地を歩き回っても疑われない人物である可能性は高いと思います」

「たしかに、夏夫さんはその条件に合うな」

腕組みして考え込む賢作に、太郎は続ける。

「吉田夏夫さんは郵便局長です。どこで見られても、地元の人は疑わないでしょう。郵便局の仕事だろうと思うからです。あのとき――吉田夏夫さんは、浩信くんが江島さんの家の方から下りてくるのを目撃したといいました。でも、本当は逆かも知れません。夏夫さんが江島さんの家から下りてきたところを、浩信くんに目撃された。だから、浩信くんの口を封じたとも考えられます」

「あの夏夫さんが人を――浩信を殺した……?」

あまりに突飛に思えたのか、賢作はもはや、呆れたような笑いを浮かべるしかない様子だ。

「あんな善人がかよ? オレには信じられんな」

「あくまで仮説に過ぎません」


粛清

太郎は馴染みの居酒屋に吉田夏夫を招待し、揺さぶりをかけてみました。

エンジン音の手がかりについて話すと夏夫はとたんに表情を変え、警戒と不安をあらわにしました。手はかすかに震え、落ち着かない様子です。

――やはり、夏夫が犯人だ。

太郎は確信しました。全部の実行犯ではないにせよ、少なくとも事件について重大な何かを知っているだろうことは間違いないと思われました。

そそくさと逃げるように居酒屋から去っていった夏夫から電話があったのは、それから幾日も経たない頃でした。

「ちょっと相談に乗ってもらうわけにはいかんやろか。電話ではなんやし、もしよかったらウチで話せんやろうか。他人の耳のあるところでは話せんことやもんで。太郎くんなら、わかってもらえると思うんや。オレはもう、どうしてええかわからんようになっちまって――」

切羽詰まった声から、夏夫がのっぴきならない状況にあることが伝わってきました。

一方で罠、という可能性もあります。太郎は近隣の土田市に出ているという賢作が戻ってくるのを待って夏夫を訪ねてみることにしました。

しかし、事態は思いもよらない方向へと転がっていきます。

吉田夏夫の家が火事になったのです。

急行した太郎が見たのは倒れている夏夫と賢作でした。夏夫の頭部にはおびただしい血が見てとれます。

合流する予定だった賢作がなぜ先に家の中にいて倒れているのか?

夏夫は誰かに襲われたのか?

浮かんでくる疑問を確かめている余裕はありません。懸命な救命活動、消火活動が続きます。

そして……

※以下、小説より一部抜粋

…………

放水で水浸しになったその場所に立った太郎は、足元に転がっているものを見つけ、拾い上げてみる。

一体の石像であった。

「これは……」

火事によって煤(すす)け、一部が破損しているそれは、紛れもないマリア像だ。

ロレーヌの十字架を抱いた、オルビスの象徴である。

この信仰を守るために、果たして夏夫がいままで何をしてきたのか。そして、今日何を太郎に相談しようとしたのか。

だが、それを知ることは不可能であった。

つい先ほど、吉田夏夫の訃報がもたらされたからであった。

救急隊員がやってきたとき、夏夫はすでに心肺停止の状態で、そこから戻ることなくこの世を去ったのである。


失踪の理由

これまでの放火は土地売却を巡るものでしたが、吉田夏夫の一件は毛色が違いました。

「これはぼくの推測ですが、夏夫さんは秘密を全て話そうとしていたんじゃないでしょうか。オルビスは、全力でそれを阻止しなければならなかったはずです」

口封じ、証拠隠滅のための犯行だったというのが太郎の見立てです。

しかし、その場合、とある疑問が浮上してきます。

オルビスはどうやって夏夫の裏切りを知ったのでしょうか?

あの時、夏夫から電話があったと知っていたのは、太郎と賢作、そして賢作が連絡していた彩と江西和尚の四人だけです。

太郎本人と、犯人に襲われて大怪我を負った賢作をのぞけば、残るは二人。

立木彩と江西佑空のどちらかがオルビスに情報を流したということになります。

「――彩ちゃんか」

事件以来、彩は音信不通になっていました。

夏夫の葬儀にも姿を見せず、姿を消してしまっています。

やはり彩はまだオルビス側の人間だったのでしょうか?

その答えを語るべく、太郎はもう一度最初から夏夫の事件をふり返ります。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「いまわかっていることを、ぼくなりの推測を含めてお話してもいいでしょうか」

ひと口茶をすすり、太郎は改まった口調になる。返事はなく、賢作は無言で先を促した。

「吉田夏夫さんが、話を聞いてくれ、とぼくのところに連絡をくれたのか、あの事件直前のことでした。ぼくはその電話を聞き、すぐに賢作さんに連絡を入れました。賢作さんは、ぼくからの連絡を受けて、立木彩さんと江西和尚のふたりに知らせた。それは間違いないですよね」

賢作が小さく頷いて同意する。

「そのとき賢作さんが、土田市内にいることを話しましたか」

「話したな」

記憶をたどり、賢作はいった。「ちょっと仕事の打ち合わせがあったもんで、土田におるけど、戻り次第、夏夫さんの話を聞きに行くわって、ふたりにはそう伝えたはずや」

「おそらく、夏夫さんの話はオルビスの秘密に関わることでした。一連の放火のことや、浩信くん殺害についての情報だったかもしれません。誰が犯人なのか、夏夫さんは知っていた。犯人にしてみれば、夏夫さんがそれを口外することは絶対に阻止しなければなりません。ですから、すぐさま行動を起こす必要があったんです」

賢作の目が瞬きすら忘れて、太郎に向けられている。

「まさか……」

「問題は誰が殺したのか、ということです。いまの話でわかるように、夏夫さんの裏切りを知り得たのはふたりしかいません。立木さんか、江西和尚か。そのどちらかなんです」

「そやけど、彩ちゃんは、あの事件以来、姿をくらましとるぞ、太郎くん。てっきり彩ちゃんが怪しいとオレは睨んで……」

太郎はゆっくりと首を横に振った。

「ちょっと立木さんの視点で考えてみてください。今回の一連の動きを振り返ってみて、どうでしょう」

賢作は頭の回転の速い男である。

すぐさま、太郎のいわんとすることを悟ったに違いない。

「賢作さんからの連絡を受け、夏夫さんを殺せるのは、自分か江西和尚しかいない――そう立木さんは考えました。その時点で、立木さんにいは誰が犯人なのかわかってしまったんです」

すさまじいほどの形相で、賢作が太郎を見ている。

「それだけではありません。江西和尚の立場から考えたらどうなりますか。自分が犯人であることを立木さんに気づかれた可能性が高い、そう思うでしょう。つまり、その瞬間、立木さんは、江西和尚から命を狙われる存在になったというわけです」

太郎は少しの間を挟んで続けた。

「あの事件の後のことです。ぼくが火事場から自宅に戻る途中、立木さんから身の危険を感じているという連絡を受けました。そこで警察とも相談の上、立木さんは一旦、ハヤブサから避難する形で、名古屋市内の友人のところに身を寄せることになったんです」


枢機卿

江西和尚が怪しい。太郎はオルビスにくわしいフリー記者・田村富市をあたります。

《江西佑空》の名前は、田村の情報網に引っかかっていました。

「枢機卿だそうですよ」

情報提供者の話によれば、江西和尚は杉森登総長のオブザーバーのような立ち位置であり、枢機卿の位を授けられているということでした。

オブザーバーというからには杉森に何らかの助言をしているものと考えられますが、くわしいことはわかりません。

とはいえ、江西和尚とオルビスが裏でつながっていた事実は収穫です。

太郎は警察署長である永野誠一に直訴することにしました。

しかし……

※以下、小説より一部抜粋

…………

「時間がないで、手短に話しとくよ」

肘掛け椅子から腰を上げた永野は、決然とした面持ちでそう太郎に切り出す。

「吉田夏夫さんが殺された後のことやけど、随明寺の江西和尚から、命を狙われとるかもしれんという相談があったんやて」

「どういうことです?」

頭が混乱し、太郎はきいた。

「自分は吉田夏夫さんが殺されたとき寺におった。夏夫さんを殺したのはたぶんオルビスで、それを知っとる自分が次に狙われるんやないかっちゅう話やった」

あ然とした太郎に、永野は強く言い含める。

「君がいろいろ調べたのは大したもんやけど、和尚は犯人やない。調べたら、ちょうど犯行当時、寺に電話をかけて和尚と話した人がおった。どういうことか、君ならわかるな」

太郎は信じられない思いで、ただ永野の顔を見返すことしかできない。

「でも和尚は、オルビスの枢機卿で――」

「その通りや。そやけど、犯人は和尚やない」

永野は太郎の言葉を遮(さえぎ)って断じた。

吉田夏夫の裏切りを知ることができたのは、ふたりしかいない。

江西と彩だ。しかし、その江西は犯人ではないと永野はいっているのである。

「彼女がどの程度、この件と関わっとるのか、詳しいことはわからん。そやけど、女の細腕で、吉田夏夫さんを殺したり、賢作さんに姿を見られることなく大怪我を負わせたりすることは無理やと思う。それについては、君もそう思うやら。おそらくやったのは、オルビスの実行部隊や。もしかすると、彼女も手を貸した可能性がある。彼女は、危険や。これ以上、近づいたらあかん」

直接対決へ

敵は彩なのか江西和尚なのか? 目まぐるしく変化していく状況に取り残されそうになりますが、少なくても吉田夏夫の事件において江西和尚にはアリバイがあります。

ということは、オルビスと通じている裏切者の正体は彩?

それをはっきりさせるための……いいえ、すべてを終わらせるための作戦が太郎にはありました。

「今夜たぶん、立木さんの家を見張ることになると思います」

それは本来、江西和尚から彩を守るための計画でした。しかし、もし彩がオルビスだとすればどうでしょう?

「ええか、三馬くん。おそらく、立木彩はオルビスの幹部や。オルビスにとって、君らは邪魔な存在以外の何者でもない。連中の次のターゲットは君やぞ、三馬くん」

永野の忠告はもちろん織り込み済みです。そのうえで太郎は言います。

「それならなおのこと好都合かも知れません。ぼくがターゲットになって真鍋をおびき寄せて現行犯で逮捕すれば、それでいいじゃないですか」

※以下、小説より一部抜粋

…………

「あかんて、そんなこと」

即座に異を唱えた永野に、「ハヤブサは、ぼくらの町なんですよ」、太郎は静かに言い返した。

「もはや警察が当てにならないことはよくわかりました。ならば、自分たちでできることをする。これ以上、教団の手で人びとの幸せや命が奪われることがないよう、自分たちの町は自分たちで守らないといけない。そうするべきなんです」

――ハヤブサは、オレらハヤブサ分団で守らなあかん。

それは、いつかハヤブサ消防団に太郎が誘われたときの、宮原(分団長)の言葉であった。

太郎を消防団に導き入れたこの言葉こそ、ハヤブサの住人として、ハヤブサ消防団としての有るべき姿ではないか。

少なくとも、太郎はそうした心意気に感動し、消防団の一員に加わったのだ。

「現行犯なら、ぼくらだって逮捕できます」


彩の真実

決戦の夜。彩の家で真鍋らの襲撃を待つ太郎に、一通のメールが届きます。

緊急で送られてきたメールの内容は、あらたに判明したオルビスの司教(幹部)の存在を知らせるものでした。

添付ファイルには紺の僧衣のようなものを着ている彩の画像。

どのくらいその画像を凝視していたのか、ふと気づくとその彩が背後に立っていて、悲しそうな表情をしていました。

「いままで、ぼくに話したことは、嘘だったんでしょうか」

太郎が問うと、

「嘘をつくつもりはなかったんです」

静かな口調で彩は答え、今度こそ嘘偽りのないこれまでの経緯について話し始めました。

身もふたもなく言えば、彩は教団から逃げられなかったのです。

教団に協力するか、さもなくば粛清か。

彩に選択肢はありませんでした。彩はオルビスの指示に従ってハヤブサへとやってきます。

「私はこのハヤブサにきて地元のコミュニティに入り込み、信者となった人たちの面倒を見るようになりました。生活の相談に乗ったり、ときに寄進を勧めたりするのが仕事です。吉田夏夫さんも信者のひとりでした」

ハヤブサにオルビスを定着させる役割を担っていた彩でしたが、放火についてはまったく関わっていませんでした。むしろ太郎たちの推理によってはじめて気がついたのだといいます。

逃げるならこのタイミングでした。しかし、彩の動揺を読み取ったかのように杉森は彼女を司教の位に任じます。

「私を幹部に抜擢することで、杉森は私を組織に縛り付け簡単に離れられないようにしたかったんだと思います。さっきの写真は、そのときの任命式のものです」

ぽつぽつと話す彩からは後悔の念が伝わってきます。ある意味、彩もまたオルビスに囚われた被害者なのです。

ただ、太郎にはひとつだけ確認しなければならないことがありました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「吉田夏夫さんから電話があったとき、ぼくたちが向かうことを、杉森に話したんですか」

応えるまで、ほんのわずかな間が挟まった。

「話しました」

太郎を真っ直ぐに見て、彩は頷いた。

「吉田夏夫さんはきっと知っていることの全てを話してしまうだろうと思いました。真鍋のことや放火との関わり、浩信くんのことも何かあっただろうと私は思います。私は杉森の命令でこのハヤブサに来ましたが、思いがけず素晴らしい人たちと出会うことができました。その人たちとの関係は私にとって宝物です。それが一気に壊れてしまう。そう思ったら怖ろしくなり、杉森に連絡してしまったんです。夏夫さんに思いとどまるよう説得してくれないかと。でも、杉森が下した決断は三馬さんもご存じの通りです。まさか、あんなことになるとは思わなかったんです」

あのとき、オルビス十字軍という組織の怖ろしさに太郎は戦慄した。しかしそれは彩も同じことだったのだろう。

教団に取り込まれ、そのグロテスクな全容を徐々に知ることになる。真っ当に生きようとする者にとってそれは、恐怖以外の何ものでもなかったはずだ。

「だけど、私はもうこの状況を終わらせようと思います」

彩はいい、何事もなく平穏なままの窓の外に視線をやった。

「私は教団を抜け、知り得た情報の全てを公にするつもりです。そのことを杉森にも先ほど伝えました。いま狙われているのは、三馬さんや賢作さんではありません。真鍋が殺しにくるのは――私です

結末

真鍋はいつどうやって襲ってくるのか? 本丸である彩を守るのは太郎と、猟銃で武装した賢作、そして協力に応じてくれたハヤブサ消防団と、ひそかに待機している警察の部隊……。

ぱんだ
ぱんだ
多っ!

はい。いくらなんでも多勢に無勢です。

罠とも知らずのこのこやってきた真鍋と実行部隊の男はあっさりと現行犯逮捕されました。

太郎が肩に銃弾を撃ち込まれるというアクシデントこそあったものの、彩には傷一つありません。ハヤブサの勝利です。

この夜の決戦により、ハヤブサを騒がせた一連の事件は完全に幕を閉じました。

※以下、小説より一部抜粋

…………

真鍋の自供によって、事件の真相は徐々に明らかになろうとしていた。

江島波夫の家を放火したとき家から出るところを浩信に目撃された真鍋は、吉田夏夫に命じて浩信をそれとなく呼び出させ、殺害したという。

次にその夏夫を殺害したのは、真鍋と、あの夜真鍋と一緒に逮捕された実行部隊の信者の男であった。

太郎を撃った猟銃は、やはり夏夫の家から奪ったもので、真鍋は、放火と殺人容疑の他、銃の不法所持と太郎への殺人未遂の疑いで再逮捕されたという。

東京のオルビス十字軍本部に捜査が入り、杉森以下幹部らが逮捕されたのは、事件から三日後のことであった。


エピローグ【前】

結局、連続放火の犯人は真鍋とその仲間であるオルビス信者でした。浩信と夏夫を殺害した犯人も左に同じです。

真鍋たちは逮捕され、すべての元凶であるオルビス十字軍の杉森以下幹部も逮捕されました。事件は解決したと言っていいでしょう。

しかし、ミステリ小説としてはまだ解明されていない謎が残っています。

なぜ、ハヤブサだったのでしょうか?

賢作によれば三年前、まだオルビス・テラエ騎士団だった頃から教団はハヤブサの土地を狙っていたとのことでした。

オルビス十字軍の象徴であるロレーヌの十字架が「山原一本矢」と類似している点も気になりますし、オルビス十字軍の信者だった野々山が山原本家の墓を清めていた理由にもまだ説明がありません。

そうそう、説明がないといえば江西和尚がオルビスの枢機卿に任じられていたことも謎のままですね。

物語最後にして最大の謎、オルビスとハヤブサの関係性。

その謎を解き明かすには、ひとりの女性の人生を語らなければなりません。

江西展子(のぶこ)

江西和尚の姉にして、信岡町長の妹でもあり、そしてオルビス・テラエ騎士団教祖・高斎の右腕でもあった人物です。

ぱんだ
ぱんだ
どゆこと!?

順を追って説明します。

展子は妾の子として生まれました。父親は山原信匡。信岡信蔵の父親です。つまり、信岡にとって展子は異母妹だったわけですね。

やがて悪名高い高利貸だった信匡が亡くなると、家族はハヤブサから逃げるように母親の実家がある八百万町へと移り住みます。

しかし、妾の子である展子はこのとき養子に出されました。

展子を引き取ったのは名古屋の繊維問屋でした。これが江西家です。やがて佑空が生まれ、展子は姉になります。

江西家の家業が倒産したのは、展子が高校生の頃でした。

家族は離散。展子と佑空は親戚筋の家に預けられましたが、決して裕福な家ではなく、その家には小学生の兄妹がいたため、肩身の狭い思いをしたといいます。

やがて高校を卒業すると展子は税理士事務所で働き始めました。そして後に都内の中堅商社に転職。ちょうど佑空が大学に入学した時期でした。

給料も上がって、これで一安心かと思った矢先、今度はその商社が倒産します。

「姉は、財務部にいて、倒産後の後始末を最後まで引き受けたそうです。家業の倒産で受けた心の傷が癒えたかと思った頃に、自分の職場で同じことが繰り返されたわけで、ほとほと嫌気が差したのでしょう。倒産処理が終わると、姉はなけなしの預金をはたいて海外へひとり旅に出たのです。もともと、そういう思い切ったところのある姉でした」

展子は旅で立ち寄ったイスラエルで自称宗教家の高斎道春に出会います。後のオルビス・テラエ騎士団教祖ですね。

帰国した展子を待っていたのは(江西家の)父と母が相次いで亡くなるという不幸でした。

「しばらく途方にくれたように何も手につかなかった姉が、放浪の旅で出会った高斎道春と運命的に再会したのはその頃でした」

失意の底にいた展子は高斎の教えに感化され、オルビス・テラエ騎士団に入団します。

「当時のオルビスは、鳴かず飛ばずでいまにも解体寸前だったそうです。ところが、そこで税理士事務所や商社で働いて専門知識のある姉のキャリアが役立ちます。展子は教団の幹部になると、教団経営で手腕を発揮し始めたのです」

展子は組織運営の面で高斎を献身的に支えました。オルビス・テラエ騎士団が信者を集めて巨大組織になれたのはまさしく展子のおかげでした。

しかし……

「好事魔多しで、展子を思いがけない悲劇が襲います。無理がたたったのか、展子はがんに冒され、気がついたときにはすでに手遅れの状態だったのです」

享年二十九。死の間際に展子はハヤブサでの日々を回顧し「あの頃が一番楽しかったな」と涙を流したといいます。

江西展子の人生はあまりにも不遇なものでした。彼女の生きた証として世に残ったのはオルビス・テラエ騎士団でしたが、その教団も展子を失ったことにより迷走を始めてしまいます。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「やがてオルビス・テラエ騎士団の悪い話が時折、マスコミを賑わすようになりました。信者への暴力や常軌を逸した洗脳、勧誘。そしてついに、社会を震撼させる事件を起こすに至ります。おそらく、姉が生きていたらオルビスはこんなふうにはならなかったでしょう。姉のやってきたことが何の意味も価値もなくなり評価もされない。このまま江西展子という存在は忘れられ、埋もれてしまうのか。そう考えていたとき、密かに姉の存在に注目し、再評価しようという者が現れました。それが高斎の高弟で、オルビス十字軍の創設者・杉森登です。オルビスの思想を受け継ぐ杉森は、入信の頃から姉に面倒を見てもらい、深く心酔していたといいます。新教団を立ち上げた杉森は、今はまだ誰にも話していないが、いずれ姉にひとつの地位を授けオルビスの象徴とする計画だと打ち明けました。『聖母』としての地位です」

「聖母……」

太郎は顔を上げ、オルビス十字軍の象徴であるマリア像とロレーヌの十字架に思いを馳せた。それが展子と山原家の家紋ではないかという太郎の推測は、まんざら間違っていなかったのかも知れない。

だが、実際には教祖の高斎が逮捕され、高斎を戴(いただ)くわけにはいかないという事情があったのではないかとも、太郎は考えた。

どちらが正しいのか、あるいは正しくないのかはわからない。

「最初に杉森が私を訪ねてきたのは、オルビス・テラエ騎士団の高斎らが逮捕された年の秋でした。その頃から、すでに杉森はオルビスの再興を期しており、まもなくオルビス十字軍という新しい教団を立ち上げたのです」

「杉森と会ったのか、和尚」

硬い声で問い、賢作が眉をひそめた。

「会いましたな」

江西は、あっさりと認めた。

「ですが、それには理由があります。杉森は私の知らない姉を知っていたからです。私には話さなかった幼い頃の話を、オルビス・テラエ騎士団の高斎や杉森には話していたというのです」

(中略)

「姉が大事にした杉森という男を、私はどうしても拒絶することができませんでした。怖ろしい男だろうと推察していましたが、杉森は、姉につながる唯一の人間だったからです。そのうち、杉森は私にある提案をしました。オルビス教団の幹部として入団しないか、と。枢機卿……杉森は私のことをそう呼びました。入信した暁には、その称号を与えるというのです。私が展子の弟だから、というのがその理由です」

「まさか、それを受けたわけやあるまいな、和尚」

ぐいと睨みつけた賢作に、江西は「まさか」と首を横に振った。

「これでも仏に仕える身です。しかし杉森は、早晩、随明寺の檀家がいなくなると断言しておりました。それがいかなる理由によるものか私が知ったのは、もう少し後になってから……このハヤブサで何軒もの家が燃え始めてからのことです」

オルビスがハヤブサを聖地にしようと画策していたのは、教団の功労者である江西展子の故郷だったからでした。

この計画の立案者はもともと高斎だったのだといいます。三年前、賢作がオルビス・テラエ騎士団から土地買収の話を持ち掛けられていたのは、当時から計画が進行していた証です。


エピローグ【後】

三月。太郎がハヤブサ地区に引っ越してきてようやく一年が経過しようとしています。

いろんなことがありました。焼け落ちた家があり、いなくなった人がいます。

墓地から山原本家の立派な墓が撤去されたのも、またひとつの変化でした。

信岡町長が離檀を申し入れて撤去した墓は、いま、山をずっと分け入った場所にある山原本家の跡地に移設されています。

その場所で太郎は、合掌して首を垂れる男の姿を目にします。信岡信蔵でした。

※以下、小説より一部抜粋

…………

「ここが一番ふさわしいと思ったんや」

墓石を見上げたまま、信岡がつぶやくようにいった。「展子はうちの宗派やないでな。そのまま墓石に名前を刻むわけにはいかなんだ。そやけど、こういう形なら、ええやらと思ってな」

「ぼくも、これがふさわしいと思います」

異教に身を投じた展子のために、信岡は精一杯の墓を作ったのだ。

「オレは、展子を本当の妹やとばっかり思っとった。あんた、うちの叔母に話を聞きに行ったらしいな。事情はそこで聞いた通りや。仲の良かったオレら兄妹は引き離され、展子は名古屋の家に養子に出されちまった。向こうの親が迎えにきたとき、泣きじゃくってな。お兄ちゃんって、オレに助けを求めてきた。オレはどうすることもできなんだ」

信岡の声が震え、絞り出すように語ったとたん、頬に涙が伝った。

「そのとき展子は小学二年生やった。名古屋にいっても、拙い字で何度も手紙をくれて、ハヤブサに帰りたいと書いてきた。展子と離れ離れになって一年ぐらいしたときやろうか。展子が突然、八百万にある信岡の家にオレを訪ねてきたことがある。昔みたいに一緒に暮らしたかったんやろうな。電車に乗ることを覚えて、小遣いためて、心細い思いでひとりでやってきたんや。ところが、うちの母親は展子を家に入れなんだ。そのとき展子は玄関先でオレのことを何度も呼んだ、『お兄ちゃん、お兄ちゃん』ってな。あれから何十年も経つのに、その声はオレの胸に染みついて離れん。なんであのとき迎えに出てやらなんだんや。ずっとオレは自分のことを責めてきた」

墓を見上げ、信岡は誰はばかることなく涙を流しながら、語りかけた。

「いまさら遅いけれども、これがいまオレができる精一杯の償いや――ここに帰ってきたかったんやな。もう安心やぞ、展子。こんどこそ、オレがお前を守るでな」

その言葉に応えるかのように、一陣の風が木々を騒がせ、枯葉を舞い上げた。

もうすぐ、ハヤブサに春がくる。

そのとき、この場所は輝くばかりの緑に囲まれ、慎ましくも凛と美しい野の花を咲かせるだろう。

<おわり>

ぱんだ
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まとめ

今回は池井戸潤『ハヤブサ消防団』のあらすじネタバレ解説をお届けしました。

春夏秋冬。作中では季節の移ろいとともに色とりどりの花が咲き、たとえば夏には蛍を見にいったり、太郎の視線をとおして田舎の美しい暮らしを堪能できました。

自然だけではなく、人と人とのつながりもまた然りです。

都会暮らしの人は田舎特有の距離の近さに憧れたりしますが、『ハヤブサ消防団』ではまさにそんな人間関係が描かれていました。

連続放火事件によって人の生活が損なわれる重大さが身に染みたのは、そうした日常の場面がしっかり描かれていたからでしょう。

オルビスの企てた事件の全貌はすでにご紹介の通りですが、気が向きましたら一度小説も読んでみてください。登場人物の心情、田舎の美しさ、胸に迫ってくるものがきっとあります。良作でした。

 

ドラマ情報

2023年夏ドラマ化

ぱんだ
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またね!


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