東野圭吾さんといえばミステリー小説のイメージが強いですが、「人魚の眠る家」は深いテーマを扱ったヒューマンドラマです。
今回は映画化された小説「人魚の眠る家」のあらすじネタバレをお届けします!
ラストに待ち受けている感動的な結末とは!?
Contents
あらすじネタバレ
プロローグ
小学校からの帰り道にある大きなお屋敷。
そこには宗吾と同い年くらいの可愛らしい女の子が生んでいた。
少女は車いすに乗っていて、そしていつも眠っている。
(きっとあの女の子は人魚なんだ。だからお屋敷で大切に保護されているんだ)
そんなふうに、宗吾は思った。
第1章 今夜だけは忘れていたい
播磨和昌と薫子が結婚したのは8年前のことだ。
結婚2年目には長女の瑞穂が誕生し、4年目には長男の生人が生まれた。
だが、順調な夫婦生活は突如として終わりを迎えることになる。
和昌の浮気が発覚したのだ。
別居期間を置いたが、薫子はどうしても和昌を許す気にはなれない。
こうして和昌と薫子の離婚が決定。
もうすぐ小学生になる瑞穂の『お受験』さえ終われば、2人は夫婦ではなくなる…はずだった。
悲劇の幕開けとなる電話が薫子にかかってきたのは、ちょうど和昌と一緒にお受験の面接練習に来ていた時。
「瑞穂がプールで溺れた」
一気に血の気が引いていく。
とるものもとりあえず、和昌と薫子は急いで病院へと向かった。
病院に到着すると、薫子の妹である美晴が待っていた。
事情を聞くと、瑞穂は排水溝の網に突っ込んだ指が抜けず、プールの底で動けなくなっていたのだという。
無理やり指を引き抜いたとき、すでに瑞穂の心臓は止まっていたそうだ。
そうして瑞穂は救急車に乗せられ…今は集中治療室に入っている。
和昌と薫子にできるのは、ただ祈ることだけだった。
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やがて現れた進藤という医師は、瑞穂の状態について次のように説明した。
「脳が動いていません。このまま意識が戻らない可能性が高いでしょう」
絶望の宣告。
つまり、進藤は『瑞穂は脳死した』と言っているのだ。
心臓はまだ動いている。しかし、脳はもう動いていない。
何も感じないし、何も考えない…空っぽの状態。
瑞穂の体からは、すでに魂が抜けてしまっている。
それはどうしようもないほどに確かな、命の終わりだった。
悲しみに暮れる2人に、進藤は思いがけないことを尋ねた。
「臓器を提供する御意思はおありですか?」
子どもが脳死した場合、臓器提供について両親が決めなくてはならないのだという。
もちろん拒否したところで非難されることはない。
和昌と薫子は一晩考え、瑞穂の臓器を提供することに決めた。
他人を思いやれる優しい瑞穂のことだ。
もし話せるならば、きっと誰かを助けるために自分の身体を使ってほしいと言うに違いない…。
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しかしながら、結局、瑞穂の臓器が取り出されることはなかった。
最後の最後になって薫子が意思を翻し、臓器提供を拒否したからだ。
「呼びかけに応えるように、瑞穂の手がピクリと動いたから」というのが薫子の言い分である。
和昌は内心「きっと錯覚だろう」と思ったが、奇跡にすがりたいという薫子の気持ちも理解できる。
ならば、その思いを受けとめるのは夫の役割だろう…。
和昌は薫子の気持ちを尊重し、臓器提供を拒否することにした。
臓器提供を拒否した場合、瑞穂への延命治療は続けられる。
だが、そうしたところで瑞穂の意識が戻ることはないし、やがては心臓も止まる。
数日か、数週間か…。
いずれにせよ、瑞穂の心臓が止まる日はそう遠くない…はずだった。
1か月後、驚くべきことに瑞穂の状態は安定していた。
といっても、目を覚ましたわけではない。ただ「心臓が動き続けている」という意味だ。
それでも薫子は「やがては在宅介護をしたい」と言い、連日病院に通い詰めては看護師から瑞穂の介護方法を教わっている。
薫子は「瑞穂はまだ生きている」と信じているのだ。
ところで、現実的な問題として、薫子が介護に専念するためには金が必要だ。
3代続く会社の社長である和昌には経済的な余裕があるが、薫子の家は特段金持ちというわけではない。
そうした理由から、薫子は和昌との離婚話を白紙に戻した。
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第2章 呼吸をさせて
事故から2カ月、瑞穂の心臓はまだ動き続けていた。
そんな中、和昌は自社の人間から聞いた『人工知能呼吸コントロールシステム(AIBS)』を瑞穂につけてみないかと薫子に提案する。
脳の機能が停止している瑞穂は、当然ながら自発呼吸を行うことができない。
そのため、今は口元の人工呼吸器によって呼吸を維持している。
だが、その姿はあまりに痛々しいし、「機械に生かされている」という印象が強い。
そこで「AIBS」だ。
詳細は省くが、「AIBS」は横隔膜等の筋肉に刺激を送ることにより、より自然な形で装着者に呼吸を行わせることができる機械である。
これを使えば、瑞穂は自分の身体で呼吸ができるし、何より傍目には「ただ眠っているだけ」のように見えることだろう。
薫子は喜んで手術に同意。
手術は無事に成功し、瑞穂の口元からはチューブが消えた。
「AIBS」は金のかかる最先端技術だったし、なによりも「生きている人間」のために開発されたものだ。
第三者が事情を知れば、きっと「なぜそんなことを?」と疑問に思うだろう。
想定より長く心臓が動き続けているとはいえ、瑞穂が回復することはないし、やがては心臓も止まる。
人工呼吸器からAIBSに換えたところで、それまでの期間が延びるわけでもない。
そう、これは完全な『親の自己満足』なのだ。
和昌はそのことを重々承知している。
ただし、まったく意味のないことだとは思っていない。
寝息を取り戻した瑞穂に感激している薫子の姿を見て、和昌は手術をしてよかったと思った。
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やがて、在宅介護が始まった。
薫子と、その母である千鶴子、二人体制での介護だ。
最初こそ戸惑う場面もあったようだが、1か月も経つ頃にはだいぶ介護も安定してきた。
次に薫子が考えたのは「瑞穂には運動が必要だ」ということだった。
当然のことながら、使わなければ筋肉は落ちる。
筋肉量が減れば見た目にも痛々しく痩せてしまうし、『健康な肉体』を維持するためには一定の筋肉量が必要だ。
相談を受けた和昌は、自社の若手研究者・星野に頼み、瑞穂に「ある装置」をとりつけさせることにした。
『人工神経接続技術(ANC)』に手術は必要ない。
外から簡単な装置を取り付けるだけで、神経への電気刺激により瑞穂の身体を動かすことができるようになる。
動いているのは瑞穂自身の身体なので、筋肉を鍛えることができるという寸法だ。
例えるなら、コントローラーでロボットを動かすようなものである。
操縦者は装置の開発者である星野。
デリケートな装置なので、薫子に扱わせるわけにはいかない。
というわけで、社長命令による星野の播磨家訪問の日々が始まった。
普通なら社長の「個人的な頼み」に付き合うのは、うんざりするような出来事なのかもしれない。
実際、同僚からは同情の視線が送られてきた。
「何の役にも立たないことをやらされて可哀想に」と。
だが、星野はむしろそんな同僚の方をこそ疎ましく思った。
(役に立たないだって?そんなことはない)
瑞穂の腕を動かしたとき、薫子がどんなに喜んだことか。
少なくても娘の回復を信じ続けている母親の役には立っている。
星野は自分を「娘の大恩人」のように扱う薫子をもっと喜ばせようと、装置の改良を進めていった。
星野が瑞穂の筋力トレーニングのため播磨家に訪れるようになって1か月、経過は実に順調だった。
少しずつだが、筋肉がついてきているのがわかる。
この頃、瑞穂は特別支援学校への入学が認められた。
もちろん通学などできないため、これからは週に何度か教師が家に訪れるようになるという。
薫子はすっかり瑞穂のことを「普通の生きている子ども」として扱うようになっていた。
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第3章 あなたが守る世界の行方
さらに半年後(プールの事故から1年後)
瑞穂はますます『健康』になっていた。
肌には張りがあるし、身長だって伸びている。
今や瑞穂はどう見ても「眠っているだけの女の子」だ。
もちろん、その目が覚めることはないのだが…。
星野による装置(ANC)の改良はさらに進んでいる。
「なぜそれほど熱心に取り組んでいるのか?」と聞かれれば、星野は薫子への恋心を自覚せずにはいられないだろう。
もちろん、薫子を和昌から奪おうなどとは思っていない。
しかし、薫子が今最も必要としている人間は自分である、といううぬぼれはある。
「娘の大恩人」「娘の第二の父親」
薫子からそんな扱いを受けるたび、星野の自尊心は満たされた。
実は、星野には川嶋真緒という恋人がいる。
しかし、今や真緒への愛情はすっかり冷めてしまっていた。
若い恋人たちは遠からず破局を迎えることだろう。
薫子はそのことを予感し、密かに「瑞穂のためにはそうなってくれた方が良い」と思った。
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第4章 本を読みに来る人
瑞穂は二年生になった。
新しい担任教師の新章房子(40)は、播磨家に来るといつも瑞穂に向かって本を読み聞かせている。
なぜ本の読み聞かせにしたのか、その理由はわからない。
ただ、薫子は漠然と「新章は何か播磨家の現状に思うところがあるのではないか」と感じていた。
本の内容も瑞穂に聞かせるためというよりは、薫子を非難するようなものであるように思う。
それに、新章には「薫子のいないところでは読み聞かせしていないのでは?」という疑いもある。
きっと内心では馬鹿馬鹿しいことをさせられていると思っているに違いない。
街頭に立ち、懸命に声を張り上げて募金を呼び掛けている一団がある。
「ユキノちゃんを救う会」は文字通り江藤雪乃ちゃん(4)のために立ち上げられた団体だ。
雪乃は重篤な心臓病にかかっていて、助かるには海外で移植手術を受けなければならない。
しかし、その費用は二億円超と莫大だ。
とてもじゃないが、個人にどうこうできる金額ではない。
そこで江藤夫妻の友人である門脇が会を立ち上げ、こうして募金を呼び掛けている、という次第だ。
何を思ったのか、新章房子はその「ユキノちゃんを救う会」に参加した。
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「救う会」での新章は異色な存在だった。
教師という職業柄か、とにかく問題意識が高いのだ。
国内における臓器提供の現状や臓器移植法の改正に関する問題などについて、新章は周囲の人間がたじろいでしまうほど熱く語った。
例えば、雪乃の手術に莫大な費用が必要なのは、海外で手術を受けなければならないからだ。
では、なぜ海外へ行かなければならないかといえば、それは技術の問題ではない。
単純な話、国内には移植用の臓器がほとんどないのだ。
もしも国内に十分な移植用の臓器があれば、雪乃は今すぐにでも手術を受けられるだろう。
それも数十万円という費用で。
では、なぜ国内には(子ども用の)臓器がないのか?
それは、脳死した子どもの親が臓器提供を拒否しているからだ。
ただ、だからといって新章は親のエゴに問題があると指摘しているわけではない。
その根本には法律上の問題があると考えている。
日本という国の制度自体に問題があるのではないか…。
鬼気迫る表情で熱弁する新章を見て、門脇は「きっとなにか個人的な事情があるに違いない」と思った。
門脇の計らいで、新章は江藤夫妻に直接会う機会を得た。
臓器提供を巡る問題について、新章は夫妻に質問を投げかける。
聞く人が聞けば、それが「薫子や瑞穂についてどう思うか?」という質問であることにすぐに気がついただろう。
夫妻の答えは次のようなものだった。
「誤解のないようにいっておきますが、我々はどこかの子どもが早く脳死すればいいなんてこと、少しも考えておりません。移植手術は善意という施しを受けることであり、要求したり期待したりすることではないと考えています。同様に、脳死を受け入れられず、看病を続ける人たちのことをとやかくいう気はありません。だって、その親御さんたちにとっては、その子は生きているわけでしょう?だったら、それもまた大切なひとつの命じゃないですか。私は、そう思います」
本心では移植を待ち望んでいるに違いない親の言葉が、新章房子の中でどのように響いたかはわからない。
しかし眼鏡の向こうで不安定に揺れた新章の黒目は、その内心を示しているようではあった。
雪乃の容体が急変し、そのまま帰らぬ人になった。
「救う会」の立ち上げから3か月後、不可能であるように思われた渡航費用にもう少しで手が届く…というタイミングだった。
江藤夫妻は雪乃の臓器提供に同意。
葬儀には、ボロボロと涙を流す新章房子の姿もあった。
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ある日、播磨家に訪れた新章は思いがけないことを薫子に言った。
「どうやら、私になりすましている人がいるらしいのです」
実は「ユキノちゃんを救う会」に参加していた新章は本物ではなかったのだ。
では、その正体はいったい誰なのか?
考えるまでもない。薫子だ。
きっかけは新章のカバンを盗み見た時にちらりと見えた「ユキノちゃんを救う会」のチラシ。
最初こそ新章に怒りの感情を抱いたが、同時に薫子は「臓器移植を待つ側の立場」についてあまり考えていなかったことに気がついた。
勉強すれば勉強するほど、自分の選択が正しかったのかわからなくなっていく。
そうして薫子は新章房子として「ユキノちゃんを救う会」に参加したのだった。
「向こうの世界に触れてみて、いかがでしたか。何か見えるものはありましたか」
「見えるというか…救われました」
江藤夫妻は瑞穂のことを「それもまた大切なひとつの命だ」と言ってくれた。
その言葉で、薫子がどれだけ救われたことか…。
最後に残った謎は、本物の新章房子の本心。
薫子は疑っていたが、新章はいつも誠実に瑞穂と向き合っていた。
もちろん薫子の選択を非難するような気持ちは少しもない。
薫子の離籍中に本の読み聞かせを中断していたのは理由あってのことだったし、本の選択についても薫子が感じたような思惑はなかった。
結局のところ、薫子の方が新章を信じきれていなかったのだ。
だから、変な疑いを持ってしまった。
「もし播磨さんに異存がないのであれば、これからも朗読を続けていきたいと思いますが、いかがでしょうか」
「もちろんです。よろしくお願いします」
「よかったね、瑞穂ちゃん」
2人は瑞穂に目を向け、そしてお互いに微笑みあった。
新章が本の朗読を選んだのは、それが「自分が瑞穂にしてあげたいと思ったこと」だったからだという。
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第5章 この胸に刃を立てれば
事故から2年半以上が経過した。
薫子や千鶴子、それに星野は変わりなく瑞穂の介護を続けている。
しかし、和昌を始め、瑞穂の介護に迷いを抱く者も増えた。
「いつまでこんなことを続けるのか?」という迷い。
薫子たちは忘れてしまっているかのようだが、瑞穂の脳はもう動いていないのだ。
介護を続けたところで、その目が覚める日はこない。
では、いったい何のために介護を続けているのか…。
あの家では、まるで時が止まってしまっているかのようだ、と和昌は思った。
そして、ついに崩壊が始まった。
きっかけは小学一年生になった生人の叫び声。
「お姉ちゃんが生きてるなんて嘘なんでしょ?ほんとはとっくの昔に死んでるんだけど、ママが生きてるってことにしてるだけなんでしょ?」
薫子は生人の入学式にも瑞穂を連れて行っていた。
それまで生人は無邪気に姉と接していたが、新しい友人たちは「おまえの姉は生きていない。気持ち悪い」と言う。
そのことで生人は大いに傷ついたし、いじめられそうにもなった。
…もう、限界だったのだ。
薫子はとっさに生人を叱ろうとしたが、何も言葉が浮かんでこない。
そして周囲の人間の顔色を見て、薫子は悟った。
生人だけじゃない。
美晴も、若葉(美晴の娘)も…みんな心の中では「瑞穂はもういない」と思っている。
そう思いながら、薫子の前では『演技』をしていたのだ。
深い絶望と孤独が、薫子を襲った。
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事件が起こったのは、生人の誕生日会の日。
薫子は生人の友達を呼んでのパーティーを企画していたが、時刻になっても誰も来ない。
事情を聞くと、そもそも生人は誰にも声をかけていないのだという。
無理もない。
生人の予想通り、パーティー会場には瑞穂の姿があった。
その傍には目立たないように隠した「ANC」が設置してある。
薫子は友人たちの前で瑞穂の身体を動かして見せるつもりだったのだ。
「瑞穂は生きている」と証明するために。
しかし、そんなことになれば今度こそ生人はいじめの対象になってしまうだろう。
だから、生人は記念すべき誕生日会に友人たちを呼べなかったのだ。
生人から事情を聞いた薫子は半狂乱になって息子を叩き、叱りつけた。
いよいよもって、もう限界だ。
和昌は薫子の頬を平手打ちすると、大声で言った。
「いい加減にしろっ!自分が何してるのかわかっているのか。自分の価値観を人に押しつけるな!」
薫子が瑞穂についてどう考えるのかのは自由だ。いつか目を覚ますと信じていたって構わない。
しかし、同じ考えを人に求めるのは間違っている。
「じつは瑞穂は死んでいる…そう受け入れろというの?」
「君に受け入れろと言ってるんじゃない。君がどう考えようと自由だ。でも、そう考える人もいるってことだ。それについて責めちゃいけない」
「…」
よほどショックだったのか、薫子はガックリと床に膝をついて座り込んだ。
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不意に、薫子が顔を上げた。
気迫に満ちた表情。
そのまますっと立ち上がると、薫子はキッチンへと向かった。
「どうした」と呼びかけても反応はない。
次に薫子が戻ってきたとき、その手には出刃包丁が握られていた。
「何をする気だっ」
「…」
和昌の声には応えず、薫子はスマートフォンを掴み、警察に連絡した。
「すぐに来ていただけますか。住所は…」
やがて警察が到着すると、薫子は責任者だという刑事課の渡辺係長に向かって問うた。
「隣にいるのは私の娘です。この春、小学校三年生になりました。今、私がこの子の胸に包丁を突き刺したなら、私は罪に問われるのでしょうか」
混乱しつつも、渡辺は答える。
「当たり前です。罪になります」
「なぜですか?」
「なぜって…」
実のところ、薫子の質問にはある種の筋が通っている。
臓器提供を拒否したため、瑞穂は脳死判定を受けていない。
つまり、法律的には「生きている人間」として扱われている。
事実上、すでに人としての命の終わりを迎えているのに、だ。
では、そんな曖昧な状態の瑞穂に刃を突き立てれば、どうなるのか?
非常に難しい問いだった。
渡辺を始め、警察の人間たちはどう答えたものかと考えあぐねている様子だ。
「さあ、答えてください。今、娘に刃を突き立てたのなら、私が娘を殺したことになりますか?」
渡辺は「仮定の話では答えは出せない」と苦し紛れに応える。
「仮定の話だとだめなんですね?つまり実際に事件が起こればいいわけなんですね」
言うなり、薫子は両手で持った包丁を頭の上まで振り上げた。
「しっかりと、その目で見ていてください」
きゃあ、と美晴が悲鳴を上げた。
「やめろ、薫子!狂ったのか。それは瑞穂なんだぞ。自分の娘なんだぞ。わかってるのか」
「だからやるのよ」
薫子は悲しみを湛えた目で睨みつけてきた。
「今の瑞穂の扱いはあまりに可哀想。瑞穂が生きているのかどうか、法律に…国に決めてもらう。もし瑞穂が生きていたのなら、私は殺人罪に問われる。私は喜んで刑に服しましょう。あの事故の日から今日まで私が介護してきた瑞穂は、たしかに生きていたとお墨付きを貰えたわけだから」
薫子の訴えは、まるで魂からの叫びのようだ。
「でも、もう瑞穂には会えなくなるんだぞ。介護もできなくなるんだぞ。それでいいのか」
「あなた、どうして止めるの?あなたはもう瑞穂は生きていないと思ってるんでしょ?だったらいいじゃない」
「どうしてかはわからない。とにかく君にそんなことをさせたくないんだ。愛する娘の胸に刃物を突き立てるようなことは…」
「私だってやりたくない。でも、もうこうするしかないの。だって、誰も答えを教えてくれないんだもの」
薫子は意を決したように包丁を大きく振りかぶった。
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「やめてぇ!」
甲高い声で絶叫したのは、美晴の娘の若葉だった。
「瑞穂ちゃん、若葉の代わりにこうなったの。あの日、若葉の指輪を拾ってくれようとして、あんなことになったんだ」
「指輪?」
その場の誰もが初めて聞く話だった。
瑞穂はプールの底に落ちた若葉の指輪を拾おうとして、溺れたのだという。
「伯母さん、ごめんなさい、ごめんなさい。若葉、もう少し大きくなったら、伯母さんのお手伝いするから。瑞穂ちゃんのお世話を手伝うから。だからやめて。お願い」
若葉の涙が床にぽたぽたと落ちた。
沈黙の時間が流れる。
やがて薫子は大きく息を吐くと、振り上げていた包丁を下ろし、テーブルに置いた。
「伯母さん、その日が来るのを楽しみにしてるね」
若葉を抱きしめる薫子を見て、和昌は全身から力が抜けていくように感じた。
ふと、瑞穂の方を見る。
すると…彼女の頬がほんの少し動いた。
それはまるで寂しげに笑ったようだった。
しかし一瞬のことだったので、目の錯覚だったかもしれない。
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第6章 その時を決めるのは誰
それぞれが平穏な生活に戻った。
薫子も「人にはそれぞれの考え方がある」ということを受け入れ、憑き物が落ちたかのように穏やかだ。
ある日、薫子は偶然にも以前心のケアをしてもらっていたクリニックの榎田と再会した。
これまでの日々を振り返り、薫子は話す。
「ちょこまか動き回っていた子供が、ある日突然寝たきりになるんです。生活が百八十度変わりました。希望が絶望に変わったように感じました」
「お察しします」
「でもね、絶望していた時間はそれほど長くはなかったんです。大変な日々ですけど、楽しいことだって時にはあります。たとえば娘に似合う服を見つけた時とか。着せてみると本当によく似合ってて、そういう時には娘も喜んでるんです。顔色とか血圧とか脈拍でわかったりします」
「へえ」
「もちろん、気のせいだという人もいるでしょうけど。自己満足だとか」
「そんなふうにいう人のことをどう思いますか?」
「何とも思いません。私がその人たちを説得する理由なんてありませんから。たぶんその人たちが私を説得することもないでしょう。この世には、意思統一をしなくていい、むしろしないほうがいい、ということがあると思うのです」
榎田は頷き「あなたが僕のクリニックに来ることは、もうないでしょう」と言った。
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それは、瑞穂が四年生になる直前、3月31日の夜。
薫子は枕元に瑞穂が立っていると、はっきりと感じた。
「ママ、ありがとう。今までありがとう。しあわせだったよ。とっても幸せだった。ありがとう。本当にありがとう」
お別れのときだ、と薫子は悟った。しかし、不思議と悲しくはなかった。
「もう、行くの?」
「うん、さようなら。ママ、元気でね」
薫子が「さようなら」と呟くと、ふっと瑞穂の気配は消えた。
その後、瑞穂の状態は急激に悪化。
瑞穂はすぐに病院に運ばれ、治療を受けた。
悲しくはない。不安もない。
昨夜、きちんとお別れを言えたのだから。
薫子は隣にいる和昌に言う。
「これでいいよね?私たち、瑞穂にしてやれるだけのことはしたよね?後悔することなんて、何もないよね」
「当たり前だ。俺はともかく、君は完璧だった」
「そういってもらえると、少し気が楽になる」
今、瑞穂の心臓はまだ動いている。
しかし、明らかにこれまでの数年間とは状況が違う。
すべての数値が、瑞穂の寿命が近いことを示していた。
だから…
「あなたに提案したいことがあるのだけれど」
「提案?」
「私たちにしか決められないことについて、よ」
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薫子の意思を尊重し、その提案に同意した。
『延命治療をしないこと』
『臓器提供の意思を表明すること』
事故から3年以上、播磨夫妻は改めて決断を下した。
2回のテストが行われ、瑞穂の脳死が確定した。
これにより瑞穂は法的にも亡くなったと認められることに。
通夜と葬式が執り行われ、瑞穂は故人となった。
法的な命日は4月1日だったが、薫子は可能な限り命日を「3月31日」だということにした。
瑞穂からこの世から去ったのは、テストの結果が出た時ではない。
あの時、枕元でお別れをした時こそが、瑞穂がこの世から去った瞬間だったはずだ。
薫子は強くそう思っていた。
「あなたはどう考えておられるんですか?お嬢さんは、いつ亡くなったというお考えですか」
葬式で会った進藤医師は、和昌にそう尋ねた。
和昌は考える。
テストが行われた4月1日を命日だとするのはおかしい気がする。
あの事故が起こった夏の日だとすることもできるだろうが、その日以降も確かに自分は「瑞穂は生きている」と感じていた。
かといって、薫子のいう3月31日というのもどうだろうか…。
考えた末に、和昌は答えた。
「そうですね。やっぱり私は保守的に考えたいです。瑞穂の命日は、臓器が摘出された4月2日ではないでしょうか」
「保守的とは?」
「つまり、心臓が止まった時、という意味です」
すると進藤は口元を緩め、和昌に笑いかけてきた。
「だったら、あなたにとってお嬢さんはまだ生きていることになる。この世界のどこかで彼女の心臓は動いているわけですから」
「あ…なるほど」
進藤が言っている意味はすぐに理解できた。
瑞穂の身体からは心臓も摘出され、どこかの子供に移植されたと聞いている。
(この世界のどこかで、か…)
そう考えるのも悪くないな、と和昌は思った。
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エピローグ
手術に成功し、リハビリを終え、かつて住んでいた街に戻ってきた。
ふと、宗吾は小学生だった頃に見たお屋敷と車イスで眠っていた少女のことを思い出す。
あの屋敷はどうなっただろうか?
見に行ってみると、数年前には確かにそこにあった屋敷は跡形もなく消え、空き地になっていた。
宗吾の心臓に深刻な異常が見つかったのは、3年ほど前のことだ。
単なる手術では治る見込みはなく、助かるには心臓移植しかなかった。
となると、残された道は海外渡航のみ。
そのためには莫大な費用は必要だったが、とても用意できそうにもない。
その上、宗吾にはあまり時間が残されていなかった。
宗吾の両親は宗吾の行く末を予見し、ただただ悲しみに暮れていた。
…そんな中、奇跡が起きた。
ドナーが現れ、すぐに移植手術を受けられることになったのだ。
手術が成功したのは、3年前の4月2日のことだった。
元の臓器の持ち主の記憶が、新しい体の持ち主に影響を与えることがあるという。
宗吾の場合、手術が終わってからというもの、たまに薔薇の香りを感じるようになった。
胸に手を当てて、宗吾は思う。
この大切な命をくれた子供は、深い愛情と薔薇の香りに包まれ、きっと幸せだったに違いない、と。
宗吾には知る由もないが、かつて眠り続ける少女の部屋には、いつも薔薇の香りが漂っていた。
<人魚の眠る家・完>

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まとめと感想
今回は東野圭吾「人魚の眠る家」のあらすじ・ネタバレをお届けしました!
テーマはズバリ「脳死と臓器移植」
私は不勉強でそれらの現状や問題には詳しくなかったので、この小説にはいろいろと教えてもらいました。
普段見えていないだけで、しかし確かに存在するこれらの問題について学べるという点だけとっても、この作品には大きな価値があると思います。
ただ、「人魚の眠る家」は確かに啓蒙的な側面のある小説ではあるのですが、それだけがこの作品の魅力ではありません。
ヒューマンドラマとしても読みごたえたっぷりで、「この先どうなるの!?」とページを繰る手が止まらなくなるような『おもしろさ』をも同時に備えています。
その最たる例は、やはりあの結末!
まさかプロローグで登場した宗吾少年が、エピローグであんな役割を担うことになろうとは…!
『薫子が大切に瑞穂を介護してきた数年間は、確かに無駄じゃなかった』
そう気づかされた瞬間、私はもう涙をこらえることができませんでした。
篠原涼子さんと西島秀俊さんが出演した映画も要チェックです!
映画『人魚の眠る家』の配信は?
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※配信情報は2020年6月時点のものです。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
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