今回はドラマ化もされた小説「イアリー 見えない顔」のあらすじネタバレをお届けします!
不気味すぎる結末とは?
「イアリー(eerie)」の意味は「不気味な、ぞっとするような」
Contents
登場人物
広川
恒星学院文学部の教授。40代。
水島麗
広川の妻の妹。恒星学院国際関係学部の専任講師。31歳。
橋本
所轄の刑事。広川家の近くで起きた事件を追う。45歳。
梶木
警視庁捜査一課の刑事。橋本の相棒。33歳。
恒星学院総長選挙戦の関係者
石田隆二
文学部教授。学内政治好きな選挙参謀。
広川とは東大大学院で同期だった。
西本淳三
文学部心理学科の教授。石田陣営が推す総長候補。
仏上
無能で知られる文学部の老教授。
田島
法学部教授。対立陣営が推す総長候補。
広川家の近所の人々
田之倉家
広川家の隣家。妻・久子、夫、衛。
篠田家
広川家の向かいの家。
中学生になる一人娘の名前は栞(しおり)
八多家
ゴミ集積場の近くの家。広川はその存在を知らなかった。
その他の登場人物
六道菜々美
気の弱い性格のフリーター。橋本の姪。
土田律子
弁護士。マルチ商法に勧誘されていた菜々美を救う。
関川
水島麗の恋人。
あらすじネタバレ
第1章 訪問者
「奥さま、ご在宅でしょうか?」
ヤダと名乗る中年の女がインターホンを鳴らしたのは、妻の葬儀を終えた日の夜十時過ぎだった。
広川はヤダという人物に心当たりはなかったが、「妻は3日前に亡くなった」と告げ、服を着替えてからドアを開けた。
ところが、誰もいない。
目の前に広がるのは薄暗い闇ばかり。
いったい何だったのだろうか?
ヤダと名乗った女の顔は、闇に紛れてよく見えなかった。
翌日、広川は近所に「八多」という表札の家を見つけた。
珍しい字だが「ヤダ」と読める。
昨夜の訪問客はこの家の住人なのだろうか?
広川は思い切ってインターホンを押した。
「どんなご用件でしょうか?」
出てきた女の顔は昨夜見た中年女性に酷似していた。
しかし…
「いえ、お訪ねしていませんが…」
女は広川家に訪れてなどいないと告げると、よそよそしくドアを閉めた。
ふと、思い出す。
妻はかつてゴミ当番の時にゴミネットの片づけを忘れて、ゴミ集積場の目の前に住む女性から注意されたと言っていた。
八多の家はまさにゴミ集積場の目の前。
おそらく妻の入院中にゴミ当番が回ってきていたのだろう。
八多はそのことを注意しに来たが、妻がこの世を去ったと知って、そのまま何も言わずに帰った…ということだったのではないか。
来訪自体を否定したのは、気まずく思っているからに違いない。
謎が解けたことで、広川はすっきりした気持ちで家に帰った。
正体不明
3週間後。12月30日。
広川が家を出ると、隣に住む田之倉久子が話しかけてきた。
なんと八多家の主人が首を吊って亡くなったのだという。
「長い間、心臓を患っていらして。三年前に奥さんも病気で亡くなって。やはり一人暮らしは辛かったのでしょうかね」
久子によれば、八多家の住人は主人の八多眞一ひとりだけだったそうだ。
…では、あの女はいったい誰だったのだろうか?
どうしても女(ヤダ)の正体が気になった広川は、八多眞一の通夜に参列することにした。
喪主は眞一の兄。八多家は男四兄弟で、眞一の家に出入りするような女性はいなかったはずだという。
結局、例の女の正体はわからないままだ。
因果の逆転
深夜、広川は救急車のサイレンで目が覚めた。
どうやら向かいの篠田家の妻が過呼吸で倒れたようだ。
…過呼吸?
サルコイドーシスという難病で亡くなった妻の症状を悪化させたのも、過呼吸だった。
そういえば、この近所には体を悪くしている人が多い。
空気はきれいなはずなのに…。
いや、それとも空気がきれいだからこそ、体の悪い人が集うのだろうか?
因果関係の逆転。
倒れた妻に付き添って篠田家の主人が救急車に乗った。
主人はなぜか広川に栞を預けたそうにしていたが、独身男性の家に中学生の女の子を上げるのもどうかと思われた。
そうこうしているうちに、栞は久子が預かることに。
やはり栞自身も久子に預けられることを不安がっているように見えた。
恒星学院大学総長選挙
3月に入った。
学内では地位向上を目論む教授たちによる選挙活動が活発になっていた。
直接自分が当選しなくとも、総長の当選に貢献すれば理事などのポストを得られるかもしれない。
そんなわけで、野心家な教授たちは日夜学内政治活動に熱中している。
今回の選挙は、事実上2つの陣営の一騎打ちだ。
・西本教授を推す文学部、国際関係学部、社会学部陣営。
・田島教授を推す法学部、工学部、経済学部陣営。
広川は選挙になど興味はなかったが、西本陣営の中心人物である石田に頼まれて、会議にだけは顔を出していた。
そんな中、西本陣営を大きく揺るがす大事件が発生した。
週刊誌に西本教授のセクハラスキャンダルが掲載されてしまったのだ。
こうなってしまった以上、もう西本教授を推すことはできない。
かといって、田島に勝てるような人物がほかにいるとも思えない。
果たして石田は誰を次の総長候補として擁立するつもりなのだろうか?
第2章 液体窒素
3月7日。広川家の近所でまたも事件が発生した。
ゴミ集積場に男の遺体。
ニュースによれば、遺体の年齢は50代~60代。
目立った外傷はなく、事件性があるかどうかは不明。
【side・橋本】
死亡推定時刻は発見の2~3週間前。
解剖医の話では、死因として有力なのは「長い間、監禁されていて食料を与えられなかったことによる衰弱死」らしい。
要するに栄養失調だ。
また、遺体の右踵(かかと)には、液体窒素による治療痕があったらしい。
液体窒素はイボ・タコ・ウオノメなどの除去に使われる場合がある。
この治療痕からたどれば、遺体の身元がわかるかもしれない。
所轄の刑事・橋本は警視庁捜査一課の梶木と組み、遺体の身元特定のために動き始めた。
兆し【side・橋本】
遺体の身元特定は遅々として進まなかった。
治療痕を頼りに病院を巡るも、なかなか当たりにたどり着かない。
そんな中、橋本は妻の杏子から相談を持ちかけられる。
『難病退散 手かざしの光』
手かざしによる治療を掲げる新興宗教団体『煌臨会(こうりんかい)』
杏子の姪にあたる六道奈々子が、最近その団体に出入りしているらしい。
だから『煌臨会』について調べてほしい、という杏子のお願いを聞きながら、橋本は思い出していた。
先日倒れた篠田家の妻も、現在医療を拒み、手かざしによる治療を狂信していたのではなかったか…?
望まぬ立候補
学内選挙は広川にとって想定外の方向へと進んでいた。
石田は西本に代わる総長候補として、学術的業績も学内政治力もない仏上を担いだのだ。
人柄がよく大学OBでもある仏上ならば一般職員の票を集められる、というのが石田の理屈だったが、誰もが無謀だと思った。
広川はそもそも人畜無害でお人好しな仏上を選挙に巻き込むべきではない、と主張したが、意外なことに当の本人は石田たちのお世辞を真に受けてすっかりやる気を見せていた。
とはいえ、石田も正面から勝負して田島陣営に勝利できるとは思っていない。
作戦が必要だ。
例えば、誰かが囮(おとり)として立候補し、敵の注意をそちらに引き付けている間に票固めを進めていく、といったような…。
しかし、その場合、誰が囮役を引き受けるかが問題だ。
野心家の教授たちは敗者のレッテルを恐れて囮候補になろうとはしないだろう。
そこで白羽の矢が立ったのが…
仏上「広川さんにお願いできないでしょうか?」
広川だった。
普段親しくしている仏上の手前、「まっぴらごめんだ」とは言い出せない。
広川が言葉を発せないでいるうちに、あれよあれよと石田が話を進めていく。
結局、広川は不本意ながら囮候補の役を引き受けることになってしまった。
第3章 陵辱
選挙戦の最中、広川に怪文書が届いた。
『水島麗と関係するとは何事だ!亡くなった奥さんに悪いと思わないのか』
水島麗は広川の妻の妹である。
もちろん麗との間に男女関係など一切ないが、広川が彼女にまったく惹かれたことがないといえば嘘になる。
麗は恒星大学の専任講師だし、選挙戦にも積極的に参加しているから自然と接する機会も多い。
おそらくは広川が本命候補だと思い込んだ対立陣営による嫌がらせだろうが、痛いところをついているだけに不愉快だった。
その日の夜、広川の自宅には麗の姿があった。
「外食ばかりしている」と広川が話したので、麗が夕食をつくりに来てくれたのだ。
『水島麗と関係するとは何事だ!』
怪文書の文言が思い出される。
広川(違う。私はただ選挙戦に麗が深入りしているから、注意しようと思っただけだ)
内心ではそう言い訳しつつも、広川の心にはわずかな期待感があった。
倫理的に考えないようにしているが、広川は麗のことを一人の女性として確かに意識していた。
その日、麗は明らかに飲みすぎていた。
以前、彼氏との関係がうまくいっていないと言っていたが、まだ仲直りできていないのだろうか…?
酔っぱらった麗は妙に艶めかしい。
麗はふらりと立ち上がると、よろよろと2階の寝室へと上がっていった。
広川もその後を追う。
ベッドに横たわる麗の目元には、泣きはらした跡があった。
「彼にふられちゃった。でも、今でも彼が好きなんです」
先に唇を重ねてきたのは、麗の方だった。
一度始まってしまえば、もう止めることなどできない。
その夜、広川と麗は肉体関係を持った。
『水島麗と関係するとは何事だ!』
まるで怪文書の暗示にかけられたように…。
失踪
翌朝、広川家のインターホンが鳴った。
訪ねてきたのは篠田家の娘・栞。
何の用だろうか?
話のきっかけとして過呼吸で倒れた母親の容態を尋ねると、栞は驚くべきことを口にした。
「お母さんは1週間前に家からいなくなりました。お父さんは昨日から帰ってきていません。夜遅くに今から帰ると電話があったけど、結局、帰ってきませんでした」
両親の失踪。
篠田家の主人は、自分がいなくなったら広川を頼れ、と栞に言っていたという。
篠田家と広川家には特に交流などなかったから、妙な伝言だ。
救急車騒ぎの時にも感じたが、どうも篠田家の人間は田之倉家を警戒している節がある。
だから消去法で広川が選ばれたのだろう。
「どうすればいいですか?」
栞は判断を広川に委ねるという。
困った広川は「とりあえず様子を見てみよう」というどこか中途半端な提案をして、栞を学校へと送り出した。
それから数日後、今度は橋本が訪ねてきた。
「このことはご内聞に願いたいのですが、実は、どうも篠田家の人間全員が行方不明になっているらしいんですね。行方不明というか、蒸発というか」
栞までもが失踪していた。
驚きながらも、広川は正直に栞が訪ねてきた時のことを橋本に話す。
また、ついでに不安材料である「ヤダ」のことも話しておいた。
ただ、篠田家が田之倉家を警戒していたことについては話すべきか…。
広川が思案していると、橋本の口から驚くべき情報が飛び出した。
「篠田さんの奥さんが救急車で運ばれたことがありましたね。そのとき、お隣の奥さんが栞さんという篠田さんの娘さんを一時的に預かったわけですよね。その際、田之倉さんの奥さんの印象では、あなたが栞さんをとても預かりたがっていたというんです」
「どういう意味ですか?」
「いや、あの奥さんもはっきりとは言わないのですが、篠田さんのご主人が娘を預かってほしいと頼んだとき、あなたが妙に積極的だったんで、慌てて彼女が代わりに預かると申し出たと。あなたは奥さまを亡くして男の一人住まいだから、中学生の女の子を預からせるわけにはいかないと思ったと発言しているんです」
先手を取られた、と広川は直感した。
広川は「事実とはまるで逆だ」と改めて橋本に説明したが、どれだけ信用を勝ち取れたのかはわからなかった。
選挙の動向
投票日を前に、立会演説会が催された。
事前の計画通り、広川はこのタイミングで立候補を辞退。
敵陣営はまさか仏上が本命とは思っていなかったようで、慌てている様子だった。
何にせよ、これで選挙は仏上と田島の一騎打ち。
石田の見立てでは、勝機は十分にあるということだった。
広川の囮立候補や、麗による票固めが効いているらしい。
…あの夜以降、広川と麗の関係は続いている。
暗中の犯行
投票2日前。
麗は広川から電話で呼び出され、人気のない階段通路へとやってきていた。
昼間でも薄暗く人通りの少ない階段通路は、学生カップルの逢引き場所としても知られている。
広川の用件もそういうことだろうか…。
そんなことを考えていた時だった。
一瞬の出来事。
口元にあてられた布切れに薬品が染みこませてあったのだろう。
麗はすぐに気が遠くなり、階段の踊り場に崩れ落ちた。
意識は辛うじて保てているが、体はピクリとも動かせない。
視界に捉えているのは、複数人の男たち。
よく知っている顔だと思ったが、意識がもうろうとしていて誰だか思い出せない。
「言うことを聞かないから、こういうことになるんだ」
よく知っている男の声が遠くに聞こえる。
麗はほとんど抵抗できないまま下着をはぎ取られ、無理矢理に男のものを突っ込まれた。
無遠慮に体が揺さぶられる。
泣き叫び屈辱の涙をこぼす麗とは対照的に、男たちは笑っていた。
やがて行為が終わると、男たちは去っていった。
麗は最後の力を振り絞って何かの「金属片」を拾うと、そのまま完全に意識を失った。
無惨な姿で投げうたれていた麗を発見したのは、広川だった。
目が覚めた麗はショックから錯乱状態に陥ってしまい、広川にしがみつき泣き叫び続けている。
ふと、広川は麗のそばの床に一枚の紙が落ちていることに気づいた。
麗に気づかれないように拾い上げて読む。
A4のコピー用紙には、短いメッセージが印刷されていた。
『総長選から手を引かないからこんなことになるんだ。思い知ったか!』
そのまま読み解けば、麗は対立陣営の誰かに襲われた、ということになる。
しかし、いまいちピンとこない。
広川はすでに立候補を辞退していたし、麗の働きに選挙の勝敗を決するだけの影響力があったとは思えない。
第一、犯人が自らの正体につながるヒントを残すこと自体がおかしいのだ。
選挙ではない。麗が襲われた理由は他にある。
広川は紙をポケットにしまうと、麗に付き添ってその場から離れた。
遺体の正体【side・橋本】
死体遺棄、八多の首つり、篠田家の蒸発。
狭い住宅街で立て続けに発生した事件には田之倉家が関与しているのではないか、と橋本は睨んでいた。
久子の証言には矛盾があったし、何より夫の田之倉衛は過去に液体窒素による治療を受けている。
その衛は現在、休職中。
衛が最後に出勤したのが2月16日。
身元不明の遺体が見つかったのが3月7日。
発見から2~3週間前という死亡推定時刻と一致する。
衛は糖尿病を患っており、もし監禁されインシュリン注射を打てない状態が続いていたとすれば、何らかの合併症を起こして命を失った可能性も考えられる。
遺体の正体は、田之倉衛…?
そうだとすれば、なぜ衛は命を落とさなければならなかったのか?
「やはり、煌臨会絡みですかね」
梶木の言葉に、橋本はうなずいた。
「可能性はあるな」
久子は煌臨会のメンバーだった。
煌臨会の教義といえば、手かざしによる治療法。
篠田の妻が近代医療を否定していたのは、おそらく久子を通じて煌臨会の教義に染まってしまっていたからに違いない。
そう考えれば、篠田家の主人や娘が久子を警戒していた理由に説明がつく。
そして、煌臨会を考慮に入れれば、衛の遺棄事件も説明できる。
おそらく田之倉衛は常識的な人間であり、手かざしによる治療に否定的だったのだ。
だから煌臨会に監禁され、やがて命を落とした。
犯行は久子ではなく、煌臨会上層部によるものだと思われた。
あの住宅街に遺体が捨てられていたのは「逆らえばこうなる」という、久子や篠田家に対する脅しだったのではないか…?
選挙戦の幕切れ
仏上陣営の作戦会議。
麗の事件を受け、場には暗い雰囲気が漂っていた。
とはいえ、票固めそのものは順調であり、勝利が目前まで迫ってきていることもまた事実。
麗の貢献を無にしないためにも選挙戦を続行する、というのが中心メンバーの総意だった。
「ちょっと待ってください」
口を開いたのは、人格者として知られる仏上。
「水島さんは本当に我々に選挙戦を続けてほしいと思っているのでしょうか。いや、よしんばそうだとしても、私としては、私のためにそんな屈辱的な被害に遭われてしまった水島さんに申し訳が立たない」
仏上の常識的な意見に答えたのは、人間音痴として知られる石田だった。
「いや、先生のために彼女があんな目に遭ったなどと考える必要はありません。この事件が選挙戦と関係しているのかさえはっきりしないのです。ですから、先生は余計なことを心配せず、選挙戦に集中していただきたいと思います」
「余計なこと?」
仏上の顔色が明らかに変化した。
「ふざけるんじゃない!君は人権というものをどう考えているんだ!」
初めて聞く仏上の怒声に、その場の誰もが圧倒された。
横を見ると、石田は顔面蒼白になっている。
「とにかく石田さん、私はこんな犠牲を出してまで、選挙戦を続けたいとは思いません」
仏上はふいに立ち上がると、迅速な歩みで部屋から出ていった。
「先生、ちょっと待ってください」
石田も後を追って部屋から出ていく。
石田が帰ってきたのは、それから30分後のことだった。
仏上は一緒ではない。
石田は席に戻ると立ったまま、恐ろしく暗い表情で宣言した。
「選挙戦は終わりました。仏上さんは、今、正式に選挙管理委員会に立候補を取り下げる書類を提出してしまった。彼を説得できなかったのは、私の責任です」
全身から力が抜ける。
すべてが茶番だったように思えて、あまりにも滑稽で、広川は堪えきれず笑い出した。
第4章 顔
田島新総長が誕生した。
その後の選挙活動については不明だが、驚くべきことに石田が理事に指名されたらしい。
通常、理事には勝利陣営の有力者が指名される。
対立陣営の中心人物だった石田が指名されるなど考えれられない話だ。
…もしかしたら、すべては石田の計画だったのか?
仏上が立候補を辞退することになったのは、石田の一言がきっかけだった。
あの発言は、仏上を辞退させるためのものだったのではないか?
広川は今回の選挙戦の裏側を想像する。
1.麗が襲われた事件を受けて、石田は内心、仏上陣営を見限っていた。
2.石田は田島陣営と取引をした。仏上を辞退させる見返りとして、理事の席を要求した。
そう考えれば、つじつまは合う。
要するに石田は理事にさえなれれば、それでよかったのだ。
友人としてその真意を尋ねるべく、広川は石田の理事室を訪ねた。
石田ははっきりとは言わなかったが、広川の想像は大筋において的を射ているようだった。
「仏上のような無能を総長にしようとしたのは間違いだった」
石田の口からは仏上を侮辱する言葉が次々に飛び出す。
今更ながら広川は石田という冷血漢のクズさを思い知った。
(…こんな男に協力していたのかと思うと情けない)
広川は内心で石田のことを軽蔑し、理事室を去った。
選挙中、石田の右腕として暗躍していた芝山という男がいる。
理事室を出た後、広川は芝山と接触。
芝山によれば、石田は西本のセクハラスキャンダルにも関わっていた可能性があるという。
いったいどこまでが石田の筋書きだったのだろうか?
選挙戦を通じて石田は理事の地位を手に入れたが、本当にそれだけが目的だったのだろうか?
広川の胸中には、不吉な予感が広がっていた。
侵入者
事件の後、麗は気の強かった性格から一転し、広川にべったりとくっつくようになっていた。
時刻は夜。広川家の寝室。
今まさに広川が麗を抱こうとしていた、その時だった。
ガタッ
階下で奇妙な物音が聞こえた。
内鍵は確かに閉めたはずだ。
それなのに、今、1階には誰かがいる。
「誰だ?下にいるのは」
広川の声に反応して、黒い影が廊下を横切った。
影はそのまま玄関から出ていく。
顔はよく見えなかった。
1階を調べてみると、広川の妻の位牌がなくなっていた。
先ほどの侵入者が持ち去ったに違いない。
しかし、なぜ?
警察に通報すると、橋本がやってきた。
会話の中で、広川は初めて煌臨会の存在と、久子がそのメンバーだったことを知った。
5月1日
大型連休中のある日、広川と麗はホテルの一室にいた。
先に広川がシャワーを浴びていると、後ろで扉が開く気配がする。
(麗が入ってきたのだろうか?)
広川は振り返って、絶句した。
そこにいたのは、手斧を振りかざす女の姿。
そのまま手斧が振り下ろされれば、間違いなく広川は絶命するだろう。
女の目は吊り上がり、まるで般若の形相だ。
変わり果てた麗の全身からは、確かな殺気が放たれていた。
(まずい!)
とっさに広川は麗の腕をつかんで抵抗する。
激しい揉み合いの末、広川はなんとか麗から手斧を取り上げることに成功した。
麗に噛まれた左手の甲からは血が流れている。
麗は四つん這いになって、泣いているような、笑っているような、気味の悪い金切り声を上げていた。
事件の真相、水島麗の真意
その後、麗の元恋人である関川と話すことで、広川はようやく事の全貌を把握した。
簡潔に経緯を記すと、次のようになる。
1.麗は煌臨会による手かざし治療を姉に強く勧めていた。
2.姉は「夫が強く反対しているから」とそれを断り続けていた。
3.その後、姉は他界。麗はそれを「広川のせいだ」と思い込み、恨みを抱いていた。
麗は煌臨会の正式メンバーではなかったが、煌臨会が主催するイベントに顔を出していた。
麗は理知的で常識的な人間だ。最初は手かざし治療の効果など信じていなかったという。
姉に手かざし治療を勧めていたのは、万が一の奇跡にすがりたかったのだろう。
しかし、姉(広川の妻)はそんな怪しい治療など受けたくはなかった。
夫に「知人から手かざし治療を勧められている」と相談すると「俺が反対しているといえばいい。俺を悪者にするんだ」という答えが返ってきたので、その通りにした。
※広川は麗から勧められているとは知らなかった
やがて、姉は手かざし治療を受けることなく他界。
姉と非常に仲の良かった麗は著しい情緒不安定状態に陥り、「すべて広川が悪い」と思い込み、復讐を決意した。
この頃の錯乱した麗を見て、関川は別れを切り出したそうだ。
広川は考える。
思えば、麗との接近の仕方は尋常ではなかった。
麗が自分と男女の関係になったのは、復讐を果たすためのカモフラージュだったということか。
あの後、麗には「警察には通報しない」と約束した。
命を狙われたものの、今さら麗を見捨てることなどできない。
傷ついた麗に寄り添い、その力になってあげたい、と広川は今でも思っている。
…しかし、あれから麗からの連絡はない。
煌臨会と住宅街【side・橋本】
「法林ホーム」という不動産会社がある。
表向きはただの不動産会社だが、その実体は煌臨会のフロント企業である。
広川たちが住む住宅街のほとんどが法林ホームの販売であり、どの物件も水や空気のきれいさなど健康に関するメリットが強調されている。
その売り文句が効いているのだろう。事実、住宅街には健康状態のよくない人が多い。
煌臨会は体の悪い人を1つの区画に集めようとしている…?
橋本は煌臨会への疑念を強めていた。
そんな中、ようやくゴミ集積場で発見された遺体の身元が特定された。
遺体の正体は、やはり田之倉衛。
ならば、次の一手は久子の取り調べだろう。
おあつらえ向きに、久子は仕事で知り合った何人かの客から金を借りて、そのまま返していない。
寸借詐欺で久子を別件逮捕すれば、捜査は大きく進展するはずだ。
水島麗からの手紙
5月16日。麗が大学に辞表を提出した。
麗の身を案じた広川は、麗が両親と一緒に暮らしている中野の実家へと足を運ぶ。
しかし…
「麗は一昨日家を出ていきました。しばらく、戻らないと言って」
…遅かった。
義母も麗の行方については知らないらしく、不安に満ちた表情を浮かべている。
「あなた以外の誰が訪ねてきても、留守だと言ってほしいと言っていました。ですが、あなたがいらしたら、渡してほしいという手紙を預かっているんです」
そう告げると、義母は分厚い封筒を広川に渡した。
適当な方便で義母を安心させた後、広川は麗の実家から出た。
喫茶店に入り、1人で麗からの手紙を読む。
・煌臨会と関係していたこと
・姉を亡くしたことで精神的に追い込まれていたこと
手紙の前半に書かれていたことは、関川の話と一致していた。
そして、手紙は後半へ。
麗にとどめを刺したのは、例の暴行事件だったと書かれてある。
・姉を手かざしで救えなかった罪
・広川と男女の仲になってしまった罪
あの暴行事件は罪に対する天罰だったのではないか、と麗は思い込んだ。
罰が一度で終わるとは限らない。
もはや広川の命を奪う以外に天罰を免れる方法はない、と麗は考え、ホテルでの襲撃を実行したのだという。
以上が事件が発生するまでの経緯。
広川の殺害に失敗したことで正気に戻った、と手紙には書かれていた。
現在、麗は1人で煌臨会について調べているのだという。
長い長い手紙の最後は、次のように締めくくられていた。
『最後に私の暴行事件に関する証拠品について述べさせてもらいます。私は少なくともあの暴行事件に加わった犯人の1人を知っています。この封筒に入れてあるのは、その犯人が犯行現場に落としていった遺留品です』
確かに封筒の中には金属の塊のようなものが入っている感触がある。
麗は「くれぐれもまだ警察には届けないでほしい」と手紙の中で念を押していた。
『最後の最後にもう1つだけ。私があなたに接近して、あなたと男女の関係まで持ったのは、けっしてあなたに対する復讐を考えた上での、カモフラージュに過ぎなかったわけではありません。私は事実、あなたに惹かれていたのであり、今でもその気持ちに変わりはありません。いまさら、こんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、これは私の嘘偽りのない気持ちです。心から願っています。今の私の気持ちをあなたに信じていただけることを。さようなら』
手紙を読み終えた広川は、封筒の中の遺留品を確認した。
(これは…!)
考えるまでもない。広川はその遺留品の持ち主をよく知っていた。
ダンヒルのライター。
所有者は、石田隆二。
石田隆二の過去
広川はまず石田が住む地域へ向かい、聞き込み調査をした。
その結果は次の通り。
・石田の妻は8年前に肺がんで亡くなっている。
・石田の妻は、ある時期から通常の治療を拒否していた。
おそらく石田はその頃に煌臨会と関わりを持ったのだろう。
以前から麗と顔見知りだった可能性もある。
広川は調査をもとにした推論と遺留品のライターを石田に突き付けた。
石田は激しい動揺を見せたが、一貫して暴行事件への関与は認めようとしない。
「そんなもの何の証拠にもならない。誰かが俺を陥れるためにあそこに置いたに決まっている」
遺留品のライターはあくまで状況証拠に過ぎず、石田の犯行を決定づけるものではない。
石田にもそれがわかっているのだ。
これ以上話すことはない、と言いたげな視線を投げかけると、石田は背中を見せて扉へと歩き出した。
部屋から出ていく前に、こちらを振り向く。
「いいか、広川、よく聞け。そんな詮索からすぐに手を引くんだ。じゃないと、抹殺されるぞ。これは友人としての最後の警告だ」
広川が口を開く前に、石田の姿は外に消えた。
六道菜々美【side・菜々美】
とある広い空間に、患者とその家族が監禁されている。
多くの場合、患者は手かざし治療に否定的であり、家に帰りたそうにしている。
しかし、手かざし治療を狂信する家族たちがそれを許さない。
いや、家族だけではない。
その空間は煌臨会の人間によって管理されていて、患者や家族が勝手に外に出ることは不可能なのだ。
そして、自由に外出できないのは、運営を補助する役割の菜々美も同じだった。
きっかけは弁護士・土田律子への憧れだった。
菜々美にとって土田は、マルチ商法の勧誘から救い出してくれた恩人である。
その後、菜々美は土田の紹介で法林ホームで働くようになり、やがてこの空間で働くようになった。
菜々美は自分が軽いマインドコントロール下にあることを自覚していた。
今思えば、マルチ商法の勧誘員を撃退した救出劇も、土田律子による自作自演だったのだろう。
菜々美は自分がおかれている状況を客観的に把握できていたが、しかし逃げ出すなどの行動には移れないでいる。
からくりが見えてもなお、土田律子への尊敬の念が残っているのだ。
その空間において、篠田一家だけが患者と家族の役割が逆だった。
患者である妻が手かざし治療を狂信している一方で、夫と娘はなんとか妻を家に連れて帰ろうとしている。
菜々美は幾度となく篠田栞からの「助けてほしい」と訴える視線を感じていたが、残念ながら末端である菜々美にはどうすることもできない。
せめてもの協力として、菜々美はいつか来る脱出の機会に備えて準備しておくよう、栞に言い聞かせた。
石田からの電話
5月の末に田之倉久子が寸借詐欺で逮捕された。
また、遺体の正体が田之倉衛であったこともすでに報道されている。
各メディアは事件の背景に煌臨会の存在があることを暗ににおわせていた。
石田から電話がかかってきたのは、そんな状況下の6月1日。
ひどくうろたえた声で、石田は早口にまくしたてた。
「もうダメだよ。絶望的な状況だ。いや、警察が動いていることはそれほど問題ではない。それよりも恐ろしいことが起こった。俺は始末されるかもしれない」
「いったいどういうことだ」
「俺の自宅に今からすぐ来てくれ。急ぐんだ。そのとき、水島麗のこともすべて話すよ。今の彼女の居場所もな」
「わかった。今すぐ行く」
広川が言い終わる前に、通話は切れた。
広川はすぐに石田家へと向かった。
その道中、広川は奇妙な違和感を覚える。
(そうだ、今すれ違った男たちは…八多眞一の葬儀で見た兄弟たちではなかったか?)
思わず振り向く。男たちは疾風のような速さで遠ざかっていた。
胸騒ぎがした。
石田の自宅に到着。
しかし、インターホンを押しても返事がない。
試しに触れてみると、玄関のドアは開いていた。
恐る恐る中へと足を踏み入れていく。
前に来たことがあるので、家の中の間取りはある程度わかる。
1階に誰もいないことを確認すると、広川は階段を上った。
…やはり誰もいない。
ふと、広川はぎいぎいと軋む音に気がついた。
音は上から聞こえてくる。
頭上を見上げて、全身が凍り付いた。
真っ青な表情をした石田が、吊るされていた。
ネクタイで首が絞められている。
一目見ただけで、すでに息はないとわかった。
パニックに陥りながらも、広川は警察に通報した。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる…。
警察での事情聴取では、新たな事実が判明した。
八多眞一には兄弟などいない。
石田家への道中ですれ違った八多の兄弟たちは、全員偽物だったのだ。
ならば、その正体は?
あの葬儀は何だったのだろうか?
最終局面
午前二時三十分。
広川の携帯が着信を告げた。
石田のことがあったばかりだ。
不吉な予感が胸に広がる。
「…もしもし」
「篠田栞です」
電話をかけてきたのは栞だった。
一気に覚醒する。
「ああ、君か。今、どこにいるの?」
「監禁されていたけど、うまく逃げ出すことができて、今、ある一軒家に隠れています。父も一緒です。それに、水島さんという女の人も…」
麗も一緒に?
広川は少しだけでも麗の声を聞きたかったが、今は栞が一人で公衆電話から電話をかけているらしい。
「すぐに来てもらえませんか?父が話したいと言っています。警察には知らせないでください。まだ母が監禁されています」
向こうには人質がいるというわけか。通報すれば、人質の命が危なくなる。
「わかった。どこにいけばいいの?」
「20分したら、私が迎えに行きます」
栞が現れたのは、それからちょうど20分後のことだった。
濃い闇の中を、栞と2人で進んでいく。
やがてたどり着いたのは、表札のない、大きな邸宅の前だった。
インターホンを押すと、静かに扉が開く。
栞が中に入っていく。
(…不気味だ)
広川は家の中に入るのを躊躇した。
不意に気配を感じて振り返ると、背後には20代に見える男が2人いて、じっとこちらを見ていた。
(…やはり、尾行されていたのか)
背後から男たちが近づいてくる。もはや選択肢はない。
広川は吸い込まれるように家の中に入った。扉が閉まる。背後の男たちは入ってこなかった。
家の中に入ると、すぐに両腕を押さえられ、頬にナイフを突きつけられた。
正面にいる男の顔が見える。八多眞一の兄…を騙っていた謎の男。
左右を見ると両腕を抱え込んでいるのも、やはり八多眞一の葬儀で見た偽物兄弟たちだった。
栞はいつのまにか消えている。
この呼び出しは、煌臨会による罠だったのだ。
偽物兄弟たちに促されて、部屋の中央に置かれたソファに座る。
やがて奥へとつながる扉が開き、女の姿が見えた。
見覚えのある顔だ。
「ヤダです」
女は間違いなく久しぶりに見る、あのときのヤダだった。
広川は知る由もないが、女の名は土田律子という。
「ヤダ?冗談でしょ。あんたがこの家の当主なのか?」
「違いますわ。この家の当主、つまり私たちの先生があなたとお話ししたいと言っています」
女は立ち上がると、地下に消えていった。
これも広川は知らないことだが、地下には患者とその家族が監禁されている。
再び扉が開き、今度は男の姿が現れた。
広川の背に冷たいものが走る。
意味がわからない。
いや、事の文脈をまったく失い、何が起こっているのかさえ分からなくなったと言ったほうがいい。
「何故あなたがここにいるんですか?」
煌臨会の教祖
「広川さん、こんなに夜遅く、ご足労願って申し訳ありません。私としては少し事情をお話しておきたいと思いましてね」
よく知っている男だ。しかし、まとっている雰囲気はいつもとまるで違う。
仮面を捨て、気味の悪い本性があらわになったかのようだ。
不気味なほど落ち着いた声で、男は言った。
「石田さんはあなたに追及されて、弱気を出したのがいけません。それで、彼には煌臨会の教祖ということで死んでもらいました」
その発言に息を呑んだ。
そういうことだったのか…。
「仏上先生、あなたが煌臨会の教祖だったんですか?」
仏上はこの上なく邪悪な表情で口元を歪めた。
「私のような人間を生み出したのは皆さんなんですよ。私を総長候補に祭り上げながら、腹の中ではみんな嗤ってたんでしょ。業績も能力もない仏上が総長なんてあり得ない、と。だが、私のほうが一枚も二枚も上手だったようですね。すべての筋書きを書いたのは、石田さんじゃなくて私です。彼は私の指示通りに動いていただけだ。ただ、私にも誤算はありましたよ。それは石田さんが人間性の欠片をまだ少しばかり持っていたことです」
「人間性?そんなことは無意味だと言うんですか?だから、あなたは自分の保身のために石田を亡き者にした。いや、石田だけじゃない、あなたはもっと多くの…」
「冗談じゃありません!」
仏上は声を荒げて、広川の声を遮った。
その目はらんらんと輝き、狂気の色を滲ませ始めている。
「そうじゃないでしょ!私は人の命を救い続けている。私の手かざしの力を信じ、私のパワーを受け入れることができるようになれる人間は、どんな難病でも克服できるんです。土田律子は、私を信じて、そのパワーを受け入れるように切磋琢磨したから、末期の乳がんも克服できた。それに対して私を信じられない劣等な、家畜のような人間は命を失うことになる。言っておきますが、田之倉は病死ですよ。私の治療を拒否して、近代医療を信じようとするから、あんな哀れなことになるんです。今、下の病室にいる篠田の妻は、私を信じているのに、夫や娘が信じないから、その症状は一向に回復しないのです」
こんなに饒舌な仏上を見るのは初めてだった。
「しかし、八多眞一はどうなんです?彼は人の手によって葬られたんじゃないんですか?」
仏上はニヤリと笑って言った。
「一応、自分で首を吊ったということにしておきましょう。仮に他殺だったとしても、私の信者が勝手にやったことで、私は一切関知していない」
「仏上先生、あなたって人は…」
言葉が続かなかった。目の前にいる男は狂っている。
「広川さん、近いうちに警察の強制捜査が入り、一部の煌臨会会員には逮捕者も出るでしょう。しかし、彼らは一律に石田が教祖だったと供述するはずです。そして、私は間違いなく生き延びる」
仏上の濁った目が広川をにらみ据えた。
ここまで話した以上、生かしておくつもりはないのだろう。
時間稼ぎの方策として、広川は麗に会わせてほしいと口にした。
「恋人に会いたいというわけですね。いいでしょう。彼女、いい格好していますよ。あの素晴らしい体をあなたが独り占めにするのはいささか博愛精神に欠けますから、私もご相伴にあずかって、彼女の体を味わわせてもらいましたよ。それにしても、大学の階段通路がホテルとしても機能するとは知りませんでしたよ」
麗を犯したのは石田ではなく、仏上だったのだ。
怒りが湧き上がってくるが、この状況ではどうしようもない。
仏上に続いて、8畳ほどの和室に入った。
室内に転がる半裸の女性がすぐに目に入る。
両手首両足首に手枷足枷がかけられ、無惨な姿でうつぶせになっている。
あまりにもやつれていて、まるで知らない女のように見えた。
しかし、それは確かに麗だった。
「逃亡を防ぐためとはいえ、あなたの恋人をこんな格好にしてすみませんね。しかし、この女も結局、あの世に行くんですよ。こんな無様な恰好のままね」
怒りが爆発した。
「貴様!」
仏上に掴みかかろうとするが、あっというまに男たちに取り押さえられてしまう。
またもナイフが突きつけられた。それは浅く広川の頬を傷つけた。
「地下へ連れていけ!」
仏上が強い命令口調で言った。
部屋の外に連れ出される。
麗の泣き声が遠ざかっていく…。
結末
不意に玄関のチャイムが鳴った。
「警察だ。開けろ!」
叫び声とともに、橋本率いる刑事たちがなだれ込んできた。
橋本は状況を一瞥すると、仏上を見据えて言った。
「この家の所有者はあなたですか?」
無言の仏上に代わって広川が答える。
「そうです。この方が所有者です。恒星学院の仏上教授ですが、煌臨会の教祖でもあります」
慌てて仏上が口を開く。
「何を言うんですか。私が教祖だなんて…」
仏上の言葉を無視するように、橋本が告げる。
「先ほど、篠田さんの家の郵便受けにこんな紙が入れられていたんです。我々は広川さんのご自宅を見張るのにあの庭を利用させてもらっていたので、すぐに気づきました。あなた方を尾行中、一瞬、見失いましたが、これがあったおかげで、ここまでたどり着けたんです」
橋本が取り出したのは、鉛筆で描かれた地図。
地図の下には「助けて!」という文字が大きく書かれている。
栞が広川を迎えに来た時、見張りの隙をついてそれを郵便受けに入れたに違いない。
「これを見ると、誰かがここに監禁されているという意味にしか思えないんですがね」
梶木の言葉に、広川が答える。
「そうです。その通りです。篠田栞はこの家に監禁されています。奥の部屋では私の同僚の女性教員も監禁されています。それに私も監禁されるところでした。これはその時に生じたナイフの刺し傷です」
梶木が後ろの刑事たちに向かって宣言した。
「じゃあ、キンタイで行く」
緊急逮捕の略だと直感した。
刑事たちが家の中にどっと踏み込んでくる。
複数のパトカーのサイレンが聞こえ始めた。
1週間後【side・橋本】
緊急逮捕から1週間。
その後に逮捕されたものを含めれば、逮捕者は12名に上った。
全員が煌臨会の会員である。
マスコミは狂乱状態に陥り、あらゆるメディアがこの事件を連日報道している。
もちろん報道の中心対象は、仏上であり、次に土田律子だった。
やはり、現役の大学教授と内縁関係にある女性弁護士が煌臨会という宗教団体のトップに立ち、複数の犠牲者まで出し、巨額の資金を集めて大学の乗っ取りまで図っていたという報道は衝撃的だった。
煌臨会は富裕層をターゲットに訪問治療も実施していて、かなりの大金を蓄えていたという。
八多眞一の事件も、資産家の息子である眞一の財産を狙ってのものだったのだろう。
ただし、八多の兄弟を名乗っていた男たちは「あくまで頼まれて首つりを手伝っただけだ」と供述しており、その資産も寄付という形で煌臨会に渡るよう土田律子が遺言状を用意していたため、彼らを正当な罪に問うことは難しい。
同様に、直接手を下していない仏上や土田律子についても重い罪に問うことは難しいという。
「信者たちはいまだに仏上が教祖であることさえ認めていません。だから、仏上だって、最悪の場合は水島麗に対する暴行の罪くらいしか起訴できないかもしれませんよ。何しろ、他の事件では一切手を汚していない可能性が高いですからね」
電話の相手は、警視庁に戻った梶木だ。
今回の事件で、仏上や土田がどんな裁きを受けることになるのかはわからない。
エピローグ
ニュースでは連日「煌臨会事件」のことが報道されている。
仏上は40年前に妻を亡くしたことで狂人化した、という報道はもっともらしかったが、広川には「もしかしたら仏上が自ら妻を手にかけたのではないか?」と思われてならなかった。
果たして仏上はいつから狂人だったのか?
その答えは誰にもわからない。
麗は入出されたあと直ちに入院していたが、病院での事情聴取で私との関係を話し、ホテルでの事件についても供述していた。
だが、広川は橋本に対してあくまでも麗の発言が真実であることを認めなかった。
「じゃあ、失礼ながら単なる痴話喧嘩だったと?」
「その通りです」
麗は精神的に不安定な状態にある。橋本がどこまで広川の証言を信じたかはわからないが、少なくてもその点をそれ以上追及してくることもなかった。
新たに判明した事実もある。
位牌を盗んだのは、無関係の空き巣だった。
この事実を橋本から聞かされた時、広川は思わず苦笑した。
依然として不明な点もある。
土田律子がヤダと名乗って広川の家を訪ねてきた目的だ。
土田は訪問自体を否認しているらしい。
もしかしたら、あのとき土田は本当に妻が亡くなったことを知らず、手かざし治療を勧めるために来たのかもしれない。
ヤダと名乗ったのは、妻ではなく広川自身が応対したからだったのではないか。
入院中の麗は現在、広川を含めて誰にも会いたくないと言っているらしい。
面会謝絶。
広川は気長に待ち、引き受けるべき責任を全うするつもりだった。
いまさら麗を見放すことなどできない。
とにかく、日常が戻ってきた。
とはいえ、大学では好奇の視線にさらされ、針のむしろ状態だ。
しかし、それもまた引き受けるべき責任の一部ということなのだろう、と広川は思った。
ラストシーン【広川】
その日、私は1人新宿の居酒屋で飲み、夜の十時過ぎ、自宅に向かって歩いていた。
それはちょうど八多の家の前に差し掛かったころ。
見覚えのある男が出てきて、前を歩きだした。
八多の葬儀で見た葬儀屋の男だ。いや、その正体は煌臨会の人間だったのかもしれない。
私は尾行するように男の後ろを歩いた。
信号のある十字路に近づく。
暗闇の中、中学生くらいの少女が男を待ち構えるようにこちらを振り返っている。
その手が前後に揺れ、男を誘っているように見えた。
栞だ。
十字路で男は右に折れた。
私は小走りに十字路まで走り、右方向に目を凝らした。
男の背中が見える。1人だ。
直進方向と左方向に視線を移す。誰もいない。深い闇が横たわっているだけだ。
私が見た少女は幻だったのだろうか?
男はどこに向かっているのだろうか?
それとも、あの男さえも幻視だったのだろうか?
それを確かめるために、男を尾行する気は起きなかった。
私は迷わず、自宅のある方向に歩き始めた。
<イアリー 見えない顔・完>
まとめ
今回は前川裕「イアリー 見えない顔」のあらすじネタバレをお届けしました。
ちょっと複雑な物語だったので、改めて要点をまとめてみましょう。
・一連の事件の黒幕は宗教団体「煌臨会」
・「煌臨会」の教祖は仏上教授。その目的は資金集めと大学の乗っ取りだった。大学選挙の経過はすべて仏上の筋書き通りに運んだ。
・水島麗や石田隆二も煌臨会の関係者だった。
・田之倉衛の遺棄事件…手かざし医療を信じなかった衛への制裁。監禁による病死。
・八多眞一の首つり事件…煌臨会による殺人事件。目的は眞一の財産。
・篠田家の一家失踪事件…篠田妻は手かざし治療を狂信していた。夫と栞は妻を救い出すため仏上邸に乗り込み、監禁されていた。
続いて、なんだかあいまいだったラストシーンについて。
結局、夜道で広川が見た栞や葬儀屋の男が現実の存在だったのかははっきりしません。
あのラストシーンは「本当に真実がすべて明らかになったのか?実はまだ裏があるんじゃないか?」と読者に想像させる役割を担っていたのではないかと思います。
なんてったってこの小説のタイトルは「不気味な、ぞっとするような」を意味する「イアリー(eerie)」
仏上は逮捕されたものの、スッキリとした読後感を与えてはくれません。
なんだかもやもやする、不穏で不気味なラスト。
まさに『イヤミス』な結末でした。
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