映画『ロマンスドール』はめちゃめちゃ切ないラブストーリーです。
「うわぁ……」と目をそむけたくなるような部分も含めて、
「あるわ……それ、マジであるわ……!」
と共感しまくりでした。
だから、あのラストは本当にヤバかった……!
というわけで!
今回は映画『ロマンスドール』のあらすじネタバレをお届けします!
Contents
プロローグ
妻が、腹上死した。
呼吸を止めた妻を下から見上げながら、けれど僕は驚かない。
これは必然の結末だった。
こうなってしまうことがわかった上での行為。
ここ数か月、僕たちは毎日のようにひとつになった。
新婚でもあるまいし、まして結婚から7年も経つのに、おかしなことだと思う人もいるかもしれない。
しかし僕たちにはその必要があった。
それは愛などという、実態のよくわからない、少なくとも僕にはよく理解できていない、甘ったるい響きのたぐいのものではなかったように思う。
では何であったのかと問われれば、適切な言葉など思い浮かばず、結局は愛という言葉を使わざるを得ないのかもしれないけれど。
あらすじネタバレ
主人公の名前は北村哲雄。
物語は哲雄(=僕)の一人称視点で語られていきます。
僕と妻が出会ったのは、今から10年前のことだ。
僕は美大の彫刻科を出たのに『ラブドール』をつくる造形士なんて仕事をしていて、シリコン素材を使った新しいドールの開発に打ち込んでいた。
開発は難航していた。
問題はリアルさの欠如だ。
どうにもうまくいかない状況を打開するため、僕たちは生身の人間をつかって型をつくることにした。
そうして、僕は彼女と出会う。
◆
「あの、モデル事務所から来ました。小沢園子です」
派遣されてきたモデルの子は、ハッとするほどの美人だった。
石膏を塗り、型をとる間、僕はまるで中高生の頃に戻ってしまったかのようにおどおどしていたと思う。
本当に、今まで見たどんな女性の裸よりも、神聖な感じがするぐらい綺麗だった。
男という生き物は単純なもので、僕はすっかり彼女のことが好きになっていた。
◆
夢見心地の時間はあっという間に過ぎ、いつのまにか作業は終わっていた。
……このまま別れれば、彼女とは二度と会えなくなってしまう。
そんな焦りが僕を突き動かした。
人間、切羽詰まれば思いもよらないことができるものだ。
あのときの自分の行動には、今でも驚いてしまう。
僕は彼女の手をとり、その目をじっと見つめ、言っていた。
「あなたのことが好きになりました。好きになってしまいました。僕と、つきあってください」
あんなにハッキリと誰かに好きだと伝えたのは、きっと僕の人生において、あの時が最初で、そして最後だろうと思う。
切羽詰まった僕の表情と勢いに押されたからか、それとも同じ気持ちだったのか、キョトンとしたまま、だが確かに、彼女はコクリと頷いた。
僕たちは、晴れて、恋人同士になった。
◆
園子にはドールのためではなく、医療用の人工乳房をつくるための型とりだと嘘をついていた。
あの型とりの本当の目的を話せば、彼女に嫌われてしまうかもしれない。
僕は本当の仕事のことをどうしても言うことができず、隠し通すことにした。
ほんの少しの後ろめたさはあったものの、あとは毎日夢のようだった。
会えない日は電話でたわいもない話をし、会えた日は必ず行為に及んだ。
幸せな日々
「結婚しよう」
突然のプロポーズだった。
園子はびっくりした顔で、それでも「はい」と返事をしてくれた。
2001年の元旦。
出会ってからまだ5か月だった。
僕らは都電荒川線沿線の駅の近くに新たにアパートを借りて、一緒に暮らし始めた。
◆
桜が咲いたころ、僕たちは都内の小さな神社で結婚式を挙げた。
といっても、ただ、神主さんの前で将来を誓い合うだけの、いたってシンプルなものだ。
園子の白無垢姿はそれはもう美しかった。
この人と結婚するということが、僕自身、にわかには信じられないくらいに。
この人となら、僕は一生間違わずに済むんじゃないか。
美人で、清楚で、料理もうまくて、しっかりしてて、そんな完璧な人が僕の奥さんになったのだから。
心からそう思った。
僕と園子は28歳だった。
◆
仕事はおそろしく順調だった。
新しく発売したドールは飛ぶように売れ、遅くまで残業してドールをつくる日々が続いた。
僕は世間でいう新婚のくせに、あろうことか園子を抱きながら寝てしまうこともあるくらいだった。
だが園子は怒りもせず、笑って布団をかけてくれた。
当たり前のことながら、新婚旅行に行く余裕もなかった。
収入的な理由はもちろん、注文が来すぎて僕の時間が取れなかったのだ。
注文が入る。つくる。また注文が入る。
その繰り返しだった。
とにかく毎日働き詰めで、疲れていたと思う。
自然、夜の営みの回数も減っていった。
なにより身体を休めていたかった。
僕は心の中で園子に謝りつつ、仕事にまい進した。
停滞
季節はあっという間に繰り返し、結婚から4年が経った。
相変わらずドールをつくる日々。
僕も園子も31歳になっていた。
この頃には、もう園子とはほとんどしていなかった。
前にしたのは半年以上前のことだ。
◆
園子は従順で、疲れて帰ってきても優しい笑顔で出迎えてくれ、あたたかい食事もつくってくれる。
相変わらず誰もがうらやむような奥さんだったし、園子は30代になっても若く、そして美しかった。
そんな妻のことを、僕は、女性として見るのが困難になっていた。
園子に対して、どこか母親のような感覚を抱き始めていたんだと思う。
加えて、園子は僕が独占している、やろうと思えばいつでもできる、という身勝手な安心感もあった。
◆
夫婦仲は悪くなかった。
園子は性的なことを口にするタイプではなく、向こうから「したい」と言ってくることはなかったし、ケンカもしなければ、家庭の中がギスギスするといったこともない。
園子は行為に対してとても淡泊なんだと思っていた。
何も言ってこないから、気にしていないのだと思っていた。
◆
以前に比べると、仕事は一段落していた。
それなのに僕は、まっすぐ家には帰らなくなっていた。
以前たまたま入ったバーに、ちょくちょく行くようになった。
園子は何も悪くない。
だが飲んで帰ってくる僕に、胃に優しい夜食を用意して待っていられるのが、息苦しかった。
息苦しさを和らげるために、家に帰らず酒を飲んだ。
別れたいのかといえばそうではない。
こんな奥さん、他にいないと思っている。
できればこのまま穏便に、一生を過ごせないかと思っていた。
僕の世話をしてくれる人なんて、他にいるはずもないわけだから。
あやまち
バーで知り合った理香という年下の女性と体の関係を持つようになった。
久しぶりの快楽に、僕は夢中になった。
妻とはしたことのないことを、理香とはした。
妻の肌に触れることは、まったくなくなった。
◆
2005年、僕は結婚記念日さえ忘れていた。
理香は「奥さんとはいつ別れるの?」とか「30歳までには結婚したい」というようなことを言いだすようになっていた。
僕はそれをのらりくらりとかわしていた。
できればズルズルと、体の関係だけを続けていきたいと考えていた。
◆
僕は妻と、園子と、いったいどうしたいんだろうか。
園子はほとんど、主張とか文句とか、そういうことを言わない。
ケンカしないのはいいことだと信じて疑ってこなかったけれど、本当にそうなのだろうか?
僕たちはケンカをしないのではなくて、きっとできないのだ。
夫婦なのに、ケンカというある種のコミュニケーションを僕たちはしてこなかった。
僕と園子の関係は、いつしか支配と服従のようなものになっていたと思う。
……そんな関係に、はたして夫婦の固い絆とやらが生まれるものだろうか?
◆
何か、とても大事なものを伝えないままに今まで一緒に過ごしてきた気がする。
何事もなかったことにするのが、いつしか僕らのルールになっていた。
きっと、僕は怖いのだ。
園子が日々思っていることを口にされるのが。
だからいつも先手を打って笑いかける。
すると園子も小さく笑い返す。
彼女の小さな笑顔の中に潜む絶望に気づかないふりをしながら、僕は何食わぬ顔で結婚生活を続けてきた。
1人の人間を、僕は、絶望させている。
報い
園子が浮気をしていた。
まさか、と思った。
自分が浮気しておきながら、妻に浮気されるだなんてありえないと信じ込んでいた。
相手は同窓会で再会した元同級生だという。
「そいつと……寝たのか?」
園子は黙っていたが、僕のほうを向いてからハッキリした声で言った。
「寝たよ」
鉛で後頭部を叩かれたような気がした。
「『寂しかったから』っていうつまらない理由じゃ、理由にならない?」
返す言葉が見つからなかった。
僕のせい、というほかない。
僕が、妻に浮気をさせてしまったのだ。
「テッちゃんは、あたしを、どうしたい?」
「……何?」
「うん……。どうしたいのかなと思って。だって、あたしのこと、女として見れないでしょう?」
僕はハッとして園子の顔を見た。
園子は強い目でこちらを見ていたが、その強さとは裏腹な哀しそうな表情だった。
目に涙をためて、園子は言った。
「あたしね、どうしたらいいかわからないの。わからないまま、今まで来たの。……よくないよね。それで久しぶりに会った同級生とホテルに行っちゃうんだもん。バカだと思う」
しばらくの間、僕らは無言のままだった。
そのうち園子はすっと立ち上がり、浴室に向かった。
僕はそのままソファに横になったけれど、目が冴えて一睡もできず、空が白む頃、無駄なほど早く家を出て工場に向かった。
◆
報い、というのだろうか。
浮気されるのは、とてつもなくしんどいものだということを初めて知った。
自分自身が完全に否定されたような。
僕はずっと、園子のことを否定し続けていたんだ。
崩れる
その日、園子は6時過ぎには帰っていた。
僕が帰宅したのは7時過ぎ。
そのときには夕食が出来上がっていた。
ひとつひとつを、ゆっくり食べた。
味わいながら、正直に話そうと思った。
理香とのこと。
園子にきちんと言って、理香とちゃんと別れて、そして、園子とやり直そうと思った。
食べ終わって麦茶を足しながら、切り出したのは園子のほうだった。
「あのね。話があるの」
「うん。俺も」
2人して麦茶を飲みながら、「これからの僕たち」について話し合うのだとばかり思っていた。
「テッちゃん……。あたしたち、別れよう」
「え?」
僕は怯んだ。
まさかそんなことを考えているなんて、思いもよらなかったからだ。
僕はどこまでもおめでたい人間だ。
◆
何かを口にしようとしたそのとき、玄関のインターホンが鳴った。
嫌な予感がした。
もうすぐ夜も十時をまわるところだ。
出ようとする園子をさえぎって、玄関へと向かった。
開けると、理香が立っていた。
ずいぶん酒に酔っているようだった。
「どうして会ってくれないの!?」
そこからは、本当に地獄のような時間だった。
◆
理香は園子に別れてくれと言い、僕は園子と別れたくないと言い、園子は僕に別れようと言った。
「あたしは別れるって言ってるんだから、理香さんと一緒になればいいじゃない」
「そうよテッちゃん、あたしと結婚してよ」
「俺は園子と別れたくない」
「どうしてよ? 散々浮気しておいて」
「テッちゃん勝手よ」
「そうよ、勝手よ」
妻と浮気相手は、同時に僕を責めた。
僕は2人の前で、土下座した。
実に情けないことだが、どうやってこの状況を乗り切ったらいいのか皆目見当もつかなかった。
土下座は、とりあえずその場を収める絶大な力があるというのを、この時初めて知った。
「ごめん! 理香。ごめん。俺、園子と別れられない。今までごめん。本当にごめん」
その場の空気が、しんとした。
園子も理香も黙ってしまった。
そっと顔をあげると、放心状態の理香がいた。
「あんたなんか。あんたなんかぁ……」
理香は大声で泣きながら、手あたり次第目に入るものすべてを僕に投げつけた。
園子は取り乱す理香の頬をひっぱたくと、哀しそうに理香の肩を撫でた。
理香は力なく、その場に座り込んだ。
◆
園子に言われ、僕は理香を駅まで送ることにした。
すっかり酔いがさめた様子の理香は、道すがらぽつりと言った。
「あのね。あたし昨日、彼氏に振られたの。テッちゃんのことね。浮気だったの」
僕に結婚を迫ったのは彼氏を見返したかったからだ、と理香は言った。
「じゃあ、元気でね。もう会わない」
「うん、元気で」
駅まで送ると言ったが、道はわかるから大丈夫と、理香は1人で歩き出した。
僕はその背中をただ眺めた。
僕たちは、いったい何をやってたんだろう。
遠ざかるうしろ姿が角を曲がるのを見届けてから、重い足取りで、家へと帰った。
おろか
園子は部屋の片づけをしていた。
「ごめん。俺がやるから」
僕たちは、一緒に片づけた。
園子が大事にしていた観葉植物の鉢も、割れていた。
哀れに寝っこを出しているその植物を手に取って、バケツに土を植え直している妻にかける言葉は、見つけられなかった。
「気の毒ね。みんな。今まで会ったこともないあたしを憎まなければいけなかったあの子も、会ったこともない女の人に憎まれなければいけないあたしも、この情けない状況のテッちゃんも」
少し笑いながら言った。
バカにする風でもなく、淡々と。
涙が出てきた。
園子は驚いた様子でこちらをじっと見た。
泣く姿など見せたことはなかったし見られたくもないのだが、もうみじめでもなんでもよかった。
僕は泣きながら言った。
「園子。別れたく、ない」
何も答えてくれない園子に、もう一度言った。
「別れたくない」
このまま何も言ってくれなかったら、きっともう本当に終わりなのだろう。
こんな状況にならなければ失っても構わないものと失いたくないものの区別もつかないなんて。
そのとき、か細い声が聞こえてきた。
「……じゃあもう少し、頑張ってみようか、あたしたち」
小さいけれど確かに聞こえたその声に、また僕はバカみたいに涙があふれた。
「うん……」
夜は、静かに更けていった。
頑張るって、何をどうしたらいいんだろうか?
物事をうやむやにすることばかりを選択してきた僕らには、手探りで探すしかない。
◆
その日、同じベッドで寝ているとき、手をつないでみた。
払いのけられるんじゃないかと不安だった。
だが園子は、そっと握り返してきた。
そのまま、眠った。
隠し事
家に早く帰れる日は、寄り道をせず帰るようになった。
一緒に外で食事したり、話題の映画を観たり、穏やかな、とても穏やかな日々が続いた。
ただ、僕たちは相変わらずレスだった。
僕は何度か園子を求めたけれど、「体調が悪い」とか「疲れている」という理由で拒まれ続けた。
そんなことが5か月も続いて、また年が明けた。
僕たちは33歳になっていた。
◆
園子は僕に隠れて病院に通っていた。
そこは総合病院で、診療科目のなかには「産婦人科」の文字もある。
嫌な想像が頭をよぎった。
もしかして、僕以外の男との間に子どもができたのではないか?
だから何度求めても答えてくれないのではないか?
不安でたまらなくなった僕は、まるで糾弾するような口調で園子を問い詰めていた。
「なんで、病院に行ってたの?」
「……」
「なんで黙ってる? 俺に言えないことなのか?」
僕は、「夫婦なのに」という言葉を、思わず呑み込んでしまった。
やっぱり僕たちは何ひとつ築けてこなかったんじゃないだろうかという気がしたからだ。
「なんで……隠すんだよ……」
黙ると、時計の針の音が妙に大きく聞こえた。
何十秒も、園子は黙っていた。
「テッちゃん……やっぱりあたしたち。……別れよう」
僕は混乱した。
「なんで? なんでそれが別れることになるんだ? 何があったんだよ。 俺に何を隠してるんだよ?」
「テッちゃんだって。あたしに隠してることあるでしょう?」
思わず息を呑んだ。
僕の職業が、僕がずっと嘘をつき続けたことが、園子にバレてしまって、だからもうこの男とはやっていけないと思ったのかもしれない。
僕は覚悟を決めた。
「あるよ、隠し事。ずっと黙ってたこと。それを言うから、園子も教えてほしい」
「……わかった。でも一週間だけ待って。ちゃんと、言うから」
園子の秘密
一週間後、運命の水曜日。
なんだか園子から決定的な宣告を突きつけられるような気がして、それを少しでも先延ばしにしたくて、僕は自分から秘密を打ち明けることにした。
「俺の仕事さ……医療用の人工乳房つくるのなんかじゃなくてさ。その……ラブドールつくる会社なんだよ。なんていうか……今まで言えなくて。園子に会った時から嘘ついてたから……。なんか、嫌がられるんじゃないかと思って。……ごめん」
「……それだけ?」
「……うん、もう何もない」
「そっか。でもそれ、知ってたよ」
「え!?」
「最初から変だなと思ってた。だって、テッちゃんの会社の名前、『久保田商会』だったじゃない。医療用じゃない気がしてた。たぶん、そういうことだろうって」
全身の力が抜けるとはこのことだ。
じゃあ園子は出会ったときから知っていた、ということだろうか。
「テッちゃん言いたくなさそうだったし、言ってくるまで聞かないようにしてたの」
「なんか、俺、バカみたい……」
瞬く間に真っ赤になっていく僕を見て、園子はケラケラと笑った。
あまりにアホくさくて、つられて笑ってしまった。
◆
しばらくして笑いが収まると、また2人とも沈黙した。
園子は覚悟を決めたように真っすぐ僕を見つめてきた。
「テッちゃん、あのね」
あたし、浮気してたの。
だからずっとテッちゃんを拒んでたの。
おかしいなと思って検査に行ったら妊娠してて。
もちろん、彼の子ども。
おろそうかと思ったけど、一週間じっくり話し合って、やっぱり産みたくて。
お願い。あたしと別れて。
そういったことを言われるのだろうと、思っていた。
「あたしね。あたし……がんなの」
思いがけない言葉に、何が何だかわからなかった。
「半年くらい前から、ちょっと胃がおかしいなと思ってて。病院行ったら、初期の胃がんだって言われて……」
「それで……別れようと思ったの?」
園子は静かに頷いた。
僕はたまらなく自分が情けなくなった。
「なんで……」
「だって……もし長く入院することになったらテッちゃんが大変じゃない。経済的にも負担をかけるかもしれない。たぶん看病って、想像してる以上に大変だと思うの」
「だからって……。俺は、園子と別れたくない。経済的でもなんでも、負担をかけていいと思える夫になりたかったよ。お願いだから……そんなのやめてくれよ」
園子をこんなに思い詰めさせたのは、僕らが夫婦として歩いてくることができなかったからに他ならない。
一緒に暮らしてきたはずの相手を頼れない僕たちは、なんて未熟なんだろうか。
「俺は、離婚なんかしない。絶対にしない。一生、園子と一緒にいる」
「絶対」とか「一生」とか、プロポーズの時でさえ言ったことのない言葉を熱っぽく語る僕に園子は少し驚いているようだったが、聞き終えると小さく頷いた。
「園子と一緒に病気を治す。明日、朝イチで病院に行って、手術の手続きをとろう」
園子のか細い指を、しっかりと握った。
「大丈夫だよ。手術すればすぐ治るよ」
「……うん」
このとき僕はまだ、本気で、手術すればすぐに治ると思っていた。
◆
実際、手術は成功した。
入院も二週間程度で済んだ。
僕は仕事が始まる前と終わってからの必ず2回、毎日病室に通った。
あまりに律義に来るもんだから、同室のおばさんから冷やかされた。
もうひとつの危機
かつて最先端だったシリコン素材のドールは、今や業界の常識になっている。
新規参入の会社が増え、次々と僕たちのドールを手本にした商品を出したためだ。
当然、売り上げは激減。
僕たちはエラストマーという新素材を使った新しいドールの開発に着手した。
生き残るか、潰れるか。
冗談抜きに、僕の肩に社運がかかっていた。
それなのに、他社に先を越された。
「持ち逃げされたんだよ。ウチの情報が。前にパートで入った40代のヤツいただろう。あいつが全部データを持ち逃げして売りやがったんだ」
「そんな……」
言葉が、出てこなかった。
発売元のホームページの画像を見ると、まだまだうまくエラストマーを扱えているとはいえない粗さが目立っている。
しかし、そのドールの予約注文は完売していた。
新しいもの好きのマニアが見逃すはずもなかった。
「今からエラストマーでつくったところでインパクトには欠ける。北村、どうする?」
社長が、従業員全員が、僕のことを見つめていた。
この工場の造形士は僕しかいない。
僕があきらめてしまえば、工場のみんなは職を失うことになってしまう。
「……これより、良いものをつくるしかいないです」
社長は一言、そうか、と言った。
再発
また年が明けた。
がんが再発したとわかったのは、2月の終わりごろだった。
僕だけ別室に呼ばれ、医師から告げられた。
「すぐ手術をしましょう。そうすれば、50%以上の確率でがん細胞を切除できると思います」
たった50%。
その数字に、僕は怯んだ。
◆
手術室から出てきた執刀医は胃の三分の二を摘出したと言った。
僕も、園子の両親も、思わず息を呑んだ。
執刀医は続けて言う。
「手術は成功です」
その言葉に、今まで気丈に振るまっていた義母は、はらはらと涙を流した。
僕も、義父も、目に涙を溜めていた。
◆
三週間ほど入院した。
僕は前回と同じように、朝と夜、毎日病室に行った。
柄にもなく花を買っていったり、一緒にご飯を食べたり。
園子は流動食で、僕のご飯は買ってきた弁当だった。
「園子がつくるほうがおいしい」
「うん。退院したらつくるから」
「毎日うまいの食べられるな。よかった」
新しいドールがほぼ完成に近づいていることも伝えた。
ただ、問題は残っている。
完璧なものをつくりたいと願う僕の理想に比べて、今のドールにはまだリアルさが足りない。
園子には言えなかったが、しばらく実践から遠ざかっている僕にとっては、見た目も質感も、予想以上に難しいことだった。
◆
順調に回復し、退院する頃にはだいぶあたたかくなっていた。
園子は実家へは戻らなかった。
薬のおかげで痛みはなかったし、家事くらいならかえってやったほうが気分転換になると張り切っていた。
夢のような
その日、夕食を済ませ風呂あがりにビールを飲んでいると、園子がいやに深刻な顔をしてテーブルの椅子に腰かけた。
「テッちゃん。あの……話があるんだけど」
何を言われるのだろうと内心ドキドキしたが、それを悟られないようにソファから立ち上がり向かい側に座った。
「あの……あのね」
園子も緊張しているようだった。
しばらく口ごもっていたが、黙って待った。
「あの……あたしを……あたしをつくってほしいの」
その言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
すると園子は顔を真っ赤にしてうつむいたまま、ゆっくりと話し始めた。
「あの……テッちゃんがつくってる人形……まだ完成しないんでしょう? その……なんていうか……あたしで役に立てるなら……」
僕はようやく園子の言わんとしていることを理解した。
しかし、園子は完治したわけではないのだ。
「でも……身体は? だってまだ」
「身体は、大丈夫。痛みもないし。それよりあたし……テッちゃんと……その……」
それからまた少しだけ口ごもってから、顔を真っ赤にして、目に涙を溜めて、言った。
「テッちゃんと、したい」
◆
妻の身体に触れることが、こんなに緊張するとは思わなかった。
園子も同じ思いだったのか、最初身体を固くしていた。
間近で妻の顔を見ると、
ああ、この人はこんなアーモンドみたいな目をしていたのか。
その目にはこんなにまつ毛がびっしり生えていたのか。
その左目の横と、あごの下には小さな小さなほくろがあったのか。
と、知っていたはずの園子の顔のそれぞれが、まるで初めて見た異性のような、そんな気分になった。
けれど昔からずっと憶えていたこと。
それは、この人の唇は上唇よりも下唇のほうが少し厚いということだった。
その唇に触れると、園子は力を抜いて僕の背中に腕を回してきた。
何度もキスをし、園子の体中を、ひとつひとつ確かめるように触れた。
僕がしたことを、園子もしてくれた。
ゆっくりと、優しく。
そうして園子の中に入ると、彼女は小さく声をあげ、背中に回した腕に力を込めた。
……すべてが夢のようだった。
◆
それから僕たちは、毎晩体を重ねた。
妻は僕が昔知っていた妻とは少し違い、無邪気なほど僕を求めた。
僕らは、時に昼となく夜となく、快楽の海を浮遊した。
僕にできること
まるで人形が完成に近づくのと引き換えみたいに、園子の身体は次第にやせ細っていった。
49キロあった体重は、今や43キロを下回っている。
怖いくらい、あっという間だった。
食事はちゃんととっていた。
なのに、身体はどんどん細くなっていく。
抗いようのない何か得体のしれない不気味なものに、園子が奪われていくような気がした。
◆
病院で検査を受けると、がんが転移していることがわかった。
肺と、肝臓。
医師はもう手の施しようがないと言った。
園子の身体は若く、進行が予想以上に速かったのだ。
義両親と話し合って、園子には告知しないことに決めた。
◆
その夜、園子が僕を求めてきた。
僕はそれとなくやめておこうと言ったのだけれど、いつになく園子は駄々っ子のように執拗に僕を求めた。
「お願い。して。お願い。あたしを、つくって」
園子の顔を見ると、その目は懇願しているようで、しかし奥には確かな光があった。
この人は、知っているんだ、と思った。
自分の命がもうすぐ終わることを。
園子はきっと僕らより早い段階で、こうなることを予測し、そして僕らよりも切実に、長い期間死に向き合ってきたのだ。
ただ黙って、静かに、泣き叫ぶこともせず。
僕は彼女が自分をつくってほしいと頼んできたその本当の理由を、考えてみた。
彼女は僕の中に棲み続けたかったのではないだろうか。
◆
園子の真剣なまなざしを受け、僕は園子の唇に触れた。
唇だけでなく、体中に触れ、園子の声を聞きながら、行為に熱中した。
園子が望むなら、僕は応えるしかない。
僕にできることはおそらくもう、それだけだ。
◆
僕らは生きて、生きてひとつになっているのに、園子には確実に「死」が近づいてきている。
あんなに豊かに揺れていた乳房は次第に小さくなり、あばら骨が見え、腰骨が浮き出ていた。
腕も、指も、骨ばっている。
丸くやわらかく美しい身体は急速に弾力を失い、浮き出てくる骨は、園子の身体に恐ろしいほどの陰影をつけた。
それでもなお、僕の上で必死に腰を振る妻に、一度だけ、もうやめようと言ってみたことがある。
妻はただ、黙って首を横に振った。
◆
いつも園子が上になった。
彼女の体重はあまりにも軽く、もう僕が上に乗ることはとても無理だったからだ。
僕は日増しに軽くなっていく妻の腰骨を支えながら、死という恐怖を初めて感じた。
僕は、妻を殺しているんじゃないだろうか?
すきだよ
その日、僕たちはまるで若い恋人同士にのように、前の晩からずっと裸で寄り添っていた。
起きるのは食事とトイレの時だけ。
あとはベッドの中で過ごした。
もう24時間以上そうしているのに、飽きるということはない。
僕は園子を求め、園子は僕を求めた。
こんな幸せなことってあるだろうか?
胸は小さくなっても、腰骨が出ても、あばらが見えても、頬がこけても、園子は相変わらず美しい。
◆
僕は小さく、そのこ、と口に出してみた。
園子の目が優しく僕を見つめ返し、口元が緩んだ。
彼女の目には、今にも流れそうな涙がたまっていた。
「そのこ、すきだよ。ほんとに、すきだ」
僕はかすれた声で、ゆっくりと、大切に伝えた。
どこへも、いかないで。
気持ちよさに気が遠くなりそうだったが、唇を必死で動かした。
「うん。てつお。すきよ。すごく」
園子も小さな声で、だが確かに、そう言った。
テッちゃんといういつものあだ名ではなく、僕の名前を。
園子の揺れる髪がますます乱れる。
そして、吐息を漏らすと大きく背中を反らせた。
「……あっ!」
園子の動きが一瞬止まり、やがて天を見上げた。
見上げた先はいつもの天井のはずなのに、どこかもっとはるか遠くを、彼女は見ていた。
そうしてまたふっと目を閉じると、僕の上にばさり、と倒れてきた。
園子は、生きる時間を、止めた。
◆
最初、何が起こったのか理解できなかった。
しばらくしてようやく、僕は園子が呼吸をしていないことに気がついた。
身体を離そうとした瞬間、これから先もう永遠に園子の中には入れないという、当たり前のことを思った。
僕は園子の頬を両手で支え、キスをしてから、その腰を持ち上げ、ベッドに横にした。
「すきだよ。そのこ」
安らかな顔を、していたと思う。
結末
それから慌ただしく、葬式だの初七日だのが執り行われた。
……この現実はいったいなんなんだ?
園子が、妻が、どこにもいない。
僕はどうしたら園子と同じ場所に行けるだろうかと、本気で考えた。
とにかく、今すぐにでもこの胸をえぐる苦しみから解放されたい。
そう思っていると、ふと、園子の言葉を思い出した。
「あたしをつくって」
死ぬことを覚悟して、たった35年間の人生の終わる間際、僕に対して何も望んだことがなかった妻がたったひとつ、願ったこと。
何をやっていたんだろう。
僕にはやることが、やらなければならないことが、あったのに。
◆
それから僕は、狂ったようにドールの製作に取りかかった。
身長や体重などの数字や、外見だけを似せればいいというものではない。
僕はまず骨格から園子を再現することにした。
ステンレスで骨を、粘土で筋肉を、ウレタンで内臓をつくり、組み立てる。
ドールとして目に触れる部分はあくまでも外側だけなのだから、同業者から見たら、僕はただの馬鹿だろう。
いや、決して誰の目にも触れないものをつくってるわけだから、理解不能な大馬鹿者だ。
そこまですることに意味があるのかどうかは、もはや関係のないことだった。
園子を、つくるのだ。それだけだ。
◆
園子ができあがったのは、数か月後のことだった。
僕は体を清めてから、園子のなかに入る。
完璧だ。完璧に再現できた。
そう思った瞬間、視界に入るすべての景色が、にじんだ。
不意に漂ってきたシャンプーの匂いが、園子のそれとはまるで違っていたからだ。
同じものを使っても、園子の匂いじゃない。
それはどんなに園子そっくりなドールをつくろうと、もう本物の園子に触れることは永久に不可能なのだということを知らしめるに十分だった。
ドールは、ドールでしかない。
そして、ドールであるべきものだ。
僕がつくったのは園子じゃない。
人形だ。
僕は愚かにも、頭では理解していたつもりの園子の死というものを、感情的にはまったく理解できていなかったのだ。
園子はもういない。
その当たり前の事実は、僕を初めて、哀しみの淵へと追いやった。
園子が死んでから一度も涙を流すことができなかった両方の目から、涙があふれて止まらなかった。
エピローグ
完成した人形は「その子一号」と名づけられ、飛ぶように売れた。
けれど、「その子一号」はあまりにもリアルすぎて、僕たちは摘発されてしまった。
おそらく同業者が通報したのだろう。
ドールというのは日本においてはあくまでジョークグッズとして売らなければならない。
僕らは、わいせつ罪で摘発されたのだ。
工場はいったん閉鎖されたけれど、社長の力ですぐに復活した。
こうして、「その子一号」はマニアの間で伝説のラブドールになった。
◆
僕は出会った頃からの園子とのことを思い出した。
夫婦というものを試行錯誤してきた僕たち。
おそらく同じ歩幅で歩くことができたのは、たった数か月だ。
近づいては離れ、離れては近づき、彼女の命の散り際に、ようやく僕らは、僕らの形を見つけることができたような気がした。
見つけたとたん、園子は逝った。
◆
美人で、料理もうまくて、清楚で、貞淑で、家事もきちんとこなして、旦那さんを立てて。
まわりからの妻の評判は、こういったものしかなかった。
本当に、よくできた奥さん。
みな口を揃えて言ったものだ。
僕には出来すぎた嫁だと。
確かにそうだ。
園子とのさまざまを、また思った。
あらゆることを。
みんなが知らないことを、僕は知っている。
他の誰もが、絶対に知ることができないこと。
「すけべで、いい奥さんだったなあ……」
僕はしみじみと思ったことを、つぶやいた。
<完>
小説『ロマンスドール』
あらすじから想像してた100倍よかった😢😢😢
夫婦とは
パートナーとは👫高3現代文の教科書にもれなく載せてほしい
あらすじにピンときたら、絶対に観に行ってほしい🙇♀️https://t.co/y5daGKVle5
— わかたけ (@wakatake_panda) November 26, 2019
まとめ
今回は映画『ロマンスドール』のあらすじネタバレをお届けしました!
では、最後にまとめです。
- 園子は最初から哲雄の嘘(仕事)に気づいていた
- 園子の秘密はがんに侵されていること
- 園子は哲雄との行為中に腹上死する
性描写の多い作品ではありますが、決して下品な印象は受けませんでした。
むしろ物語的には純愛作品ですしね。
タイトルや設定だけで判断して食わず嫌い(見らず嫌い?)するのは本当にもったいない作品だと思います。
映画情報
特報動画
キャスト
- 高橋一生(北村哲雄)
- 蒼井優(北村園子)
公開日など
- 2020年1月24日劇場公開
- PG12(小学生以下のお子さんは保護者と一緒に見てね)
- 123分
映画『ロマンスドール』の配信は?
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Paravi | × |
Hulu | × |
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※配信情報は2020年6月時点のものです。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
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